第二話 川姫
前編
川姫という妖怪
『――嫌いなのよ。仏教』
あの時そう言ったあの人は、どんな気持ちで言ったんだろう。
『黄昏堂』の寮の利用者は、部屋を借りると言うより、一戸建ての家をまるごと借りている。
……というか『黄昏堂』は、現実世界にある参道の横に存在する路地――の、あちこちの次元を切り開いて、それぞれ建物を建てている。言わば「異次元にある街」だ。異次元がわからない人にわかりやすく説明するなら、一冊の本にそれぞれ別のページがある、とイメージしてくれたらいい。
異次元の街にあるそれぞれの家で、気の合うメンバーが集まって暮らす。局長が桁違いの術士(&土地神さまの力も借りているらしい)だからこそ出来る結界術だ。
そのため団員は自炊することもあるが、有償の食堂も存在するのだ。
見た目は趣のある小料理屋さん。しかし内装は日によって変わる。今日は外装通りの料亭風。天井にはでこぼこした黒い丸太梁とか、木目が強調されるツヤツヤのカウンター席とか、丸ガラスの障子格子窓がついていたりする。
……大学の食堂並みに広いし、何ならビル並みに階数があるけど(エレベーターもついている)。
この常識外れな食堂にも、局長の結界術が使われている。そこ、ど〇森とか言わない。
退治屋の食堂と言っても、システムはハイテク化されていて、QRコードが記載された食券を読み取り機(もしくはスマホのカメラ)に翳すと、作っている人たちに注文が届く。そして、テレビの隣には大きな画面があるから、そこに番号が書かれていれば取りに行く。『黄昏堂』のメンバーは、事務の人たちを入れて全部で500人いるので、効率化を図ってのことだ。
福岡支部と言っているけれど、実際は北部九州全体で仕事することが多く、団員も常に支部に集まっているわけじゃない。だから食堂を利用する人数も、日によって多いときもあれば少ないときもある。
わたしは一緒に住んでいるケイがご飯を作ってくれるのだけど、食堂のご飯も美味しいので、頻繁ではないけれど利用している。
「おはようございますー」
「おはよう。今日は早いのね」
佐藤さん、もとい食堂のおばちゃんが、赤いエプロンと三角巾をつけて朝から立っていた。今日の朝ご飯の担当らしい。
ちなみに佐藤さん、まだ「おばちゃん」と呼ばれるような年齢じゃないんだけど、本人の「おばちゃんと呼んで欲しい」という熱烈な希望により、そう呼んでいる。でも本人がいない場所では佐藤さんと呼んでいる。
注文したものはすぐに来た。今日わたしが頼んだメニューは、オクラと海藻のサラダに、焼きおにぎり、玉ねぎと豆腐のみそ汁、卵焼きだ。
わたしはその傍に置いてあった和風ドレッシングをかける。今朝は利用者がほとんどいないため、カウンター越しから話すことが出来た。
「今日、何でこんなに少ないんです?」
「今日は大きな仕事があるみたい」
「あー……」
そう言えば、こないだのミーティングで言ってたな。
基本退治屋の仕事というのは危険なものだ。だが、その危険度にもランクがある。今回は危険度が高く、未成年のわたしたちは駆り出されない。そしてその依頼内容も伏せられている。
……本来なら、こないだの久留米の『蜘蛛』も、本当はわたしたちに回るような仕事じゃなかった。
調査員のサトシは16歳だし、校内の調査に乗り出すなら生徒のフリをした彼が一番適任だ。だからサトシに調査を言い渡されるのは、変ではない。けれど退治に関しては、ゴールデンウイークの夜だ。生徒のフリをする必要もない。
超常的な回復力を持つ〈憑き物〉や〈血族〉、臨機応変に対応できる術士ならまだしも、道具を利用するために汎用性が低い『呪具使い』は、普通なら呼ばれなかった。
それなのにわたしが呼ばれたのは、『蜘蛛』が別の意味で厄介だから。
――などと考えながら、ワカメと春雨をモキュモキュしてごま醤油の味を楽しんでいたその時。
「ただいまぁ~」
ハートが乱舞しそうな声で、誰かが入って来た。――姫ちゃんだ。
ピンクのキャミソールに、ジーンズのホットパンツ。肩には白いハンドタオルがかかっており、いつもはふわりとしている髪はしっとりしている。多分シャワーを浴びたんだろう。
獣タイプの妖怪や〈憑き物〉は嗅覚が非常に利くため、人工香料によって体調を崩しやすい。そのため柔軟剤などの使用は禁止されているし、公共の部屋・施設を使う際は、必ず外からの匂いを落とすことがルールになっている。ちなみに妖怪や〈憑き物〉に関わらず、団員は皆鼻が利くので、サボったりすると一発でバレて袋叩きにあうぞ。香や匂いというのは、魔除けや退魔にも使うので、繊細に使い分けなきゃいけない術士にとっても混ざると死活問題なのだ。
姫ちゃんがわたしの隣に座った。横座りになって、姫ちゃんと向かい合う。姫ちゃんは、すべすべつるつるの太ももを組んだ。
「姫ちゃん、ひょっとして朝帰り?」
「そうなの~、もうくったくただしお腹すいたし、ドライヤーで乾かすの面倒で~」
姫ちゃんの笑顔はぽやぽやと赤い。これは酒も入っているな、とわたしは確信。
カウンターの奥を見ると、厨房にいる佐藤さんがウインクで合図した。きっとしじみ汁でも用意していたのだろう。
ちなみに姫ちゃんは人間じゃない。『川姫』という、若い男の精気を抜く妖怪だ。伝承では「見惚れていると奪われる」となっているが、姫ちゃんの場合は違う。
物理的に(つまりセックスして)、精気を奪い取る。
「……お相手さん、生きてるよね?」
一応『黄昏堂』にいる妖怪は、「一般の人間を殺してはいけない」という誓約があるから、死んではいないんだろうけど……。
姫ちゃんは、「ちゃんと同意のもとよぉ~」とのんびり返す。
ならいいんですが、……とはならない。
姫ちゃんと一夜を過ごした男性たちが、朝どんな姿になって帰っていくのか知っているからだ。
姫ちゃんに猛烈アタックした外部の術士は、次の日は隈だらけになり頬はエラが出ていた。
鼻の下を伸ばしてデレデレとしていた恰幅の良い妖怪は、姫ちゃんの家から出てくる時には枝より身体が細くなっていた。
どこぞのスケベ河童は、乾燥したワカメみたいにペラペラになっていた。
なのに姫ちゃんは、この通り元気いっぱい。「食いつくす」という表現がぴったりだ。
――でも、うん、同意ならいっか。
恋愛関係は、何人たりとも口にはさめないってばっちゃんが言ってた気がするし。わたし、自分のばっちゃん知らないけど。
今のところ、姫ちゃんと一夜を過ごして無事な人は、局長だけらしい(噂)。
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