メランコリーに回る日々
そばあきな
Ⅰ 平日 ー兄の場合ー
「ただいま」
扉を開けて、僕は声をかける。
しんとした家の中に、僕の言葉がむなしく響いた。
でも、返事がないことは最初から知っていた。家に帰ってくるのは、だいたい僕が一番だからだ。
帰る途中で買ってきたスーパーの袋を廊下に置いて、僕は手を洗いに洗面所に向かう。
今日は思っていたより帰りが遅くなってしまったけれど、今から作り始めたら、弟が帰ってくるまでには間に合うだろう。
洗面所に足を踏み入れると、取り付けられた鏡の中の僕と目が合った。
父より母に似ているらしい僕の顔は、少しばかり疲れているように見えた。
――今日も僕は、変わらない毎日を送っている。
「……しまった」
手を洗って、廊下に置いていたスーパーの袋を持ち上げて僕はキッチンへと引っ込む。そのまま食材をしまおうとした時、卵がまだ冷蔵庫にいくつか残っていたことに、冷蔵庫を開けてから気付いた。
でも、嘆いたところで後の祭りだ。
元々今日の夕飯にしようと考えていたチャーハンに、卵を多めに入れようかなと思いながら、買ってきたばかりの食材を冷蔵庫に詰めていく。
空白の多かった冷蔵庫が埋まっていくことで、少しだけ安心感を覚えた。今から使う食材以外をしまい終えて、僕はキッチンに立つ。
一度息を吸って、僕は調理に取り掛かった。
今日は、弟が好きなツナ入りチャーハンがメインだ。
まずはツナの缶詰を開けるところからだと、僕は指を切らないように、慎重にプルタブを上げていく。
中身が出ないように菜箸で押さえながら、傾けて流れる液体を少し高めの位置から温めたフライパンに流し込んでいった。
パチパチとはじける油を、フライパンを傾け均等にして薄く広げていく。
シンクの端で卵を一度叩き、フライパンの中に落とす。黄色く照り輝いた黄身が、油のひいた鉄の上を踊った。
それをすぐに菜箸で潰しながらくるくる回していく。広がってく卵の上に、さっきのツナとご飯を同時に入れて、塩コショウを振り、しばらく炒めたら完成だ。
完成して皿に盛りつけてから、僕は次に作るサラダの準備に取り掛かっていった。
運動部に所属している僕の弟は、現在第二次成長期真っ只中の中学三年生であり、加えて兄の僕には若干反抗期気味というおまけ付きで一日一日成長していた。
反抗期気味なのは僕に対してだけで、父にはそんなそぶりは見せていない。そもそも、あまり顔を合わせないからかもしれないけれど。
父は仕事が忙しく、大抵下校時刻ギリギリまで部活に励んでいる弟以上に帰りが遅い。特に僕が小学校に上がった頃なんかは、忙しすぎて家にすら帰って来ないことも多かった。
最初は祖母とか叔母とか、親戚がちょくちょく来てくれていたけれど、中学年くらいになると弟と二人で留守番する、なんていうのはよくあることだった。
その内に、長男の僕が家庭科の時間で、自分で料理を作ることを学び始めたのだ。
最初はカップ麺とかレトルトとか、家に常備してあってお湯ですぐできるものから手を付けて、ついにはレシピさえ見れば、大抵のものが作れるようになるまで成長した。
おそらくこの家で料理をしている回数が一番多いのは、僕なのだろう。
元々、手作りのご飯を食べた記憶もあまりなかった。あっても、一度に多く作れるカレーとかシチューとか、とにかく鍋物が多かった。大抵はお弁当やレトルトで、休日だとファミレスに行った記憶もある。
僕はハンバーグが好きだったけど、それが夕飯に出ることはめったになかった。
それが今では、食べたいと思えば自分で作ることができる。
料理のレシピにも凝るようになり、モノによっては隠し味などのマイルールまで作ってしまった料理まであった。
それからいつの間にか、長男の僕が料理担当になって、材料を買うための財布も握るようになっていった。
何曜日が何の特売日とか、今日はこの割引券が使えるとかだって、全部頭に入っている。
別に、それが誇らしいと思ったことはなかった。
けれど、周りからしたらそれは「偉い」ことらしい。
文化系の部活に属した僕が、家族の中で一番帰りが早かったのだ。
だから、僕が料理を作って待てば万事解決なんだ、と一人コンロの前に立ちながら考える。
でも、とその現状の中でも時々僕は考えることがある。
――もし僕がいなくなったら、この家の食事作りを誰がやってくれるのだろうか、と。
今日の夕飯が出来上がり、鈍い頭痛を抱えてぼんやりと僕が天井を眺めていると、ドアを開ける音が玄関の方から聞こえてきた。
どうやら弟が帰ってきたらしい。
だいたい時間は予測どおりだった。作りたてでまだ温かいチャーハンを僕はそのままテーブルに持っていく。レンジで温める手間が省けるし、無駄な電気の節約だ。
「おかえり、夕飯できてるよ」
僕が声をかけると、玄関で靴を脱いでいた弟と目が合った。
「わかった。着替えたらすぐ行く」
僕の横をすり抜けて、弟は二階に続く階段を上っていく。
一分もしない内にまた戻ってきた弟は、学校指定のジャージからTシャツに変わっていた。鞄も置いてきたのだろう。さっき見た時よりもラフに見えた。
「それじゃ、いただきますか」
麦茶をグラスにそそぎながら僕は言った。
「親父かよ」
「そこまで老いは来てないから」
軽口を言いながら、リビングの席にそれぞれ着いた。僕と弟は互いに顔を見る形になる。
目線を合わせて、同時に手を合わせる。
「いただきます」
そうして僕らは今日も、二人きりで変わらない毎日を送っている。
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