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第1話 逃げてきた少女

 ガスパラ王宮のとある一室。

 私はそこで、部屋の主であるルチア王女に、涙ながらに助けを求めていた。


「ルチア様、どうかお助けください。

 私はエレーナと申します。

 隣のラムバスタから逃げてまいりました」

「ええ、話はアタシの部下から聞いているわ。

 あなた、追われてあちこち逃げまわっているのよね?

 だからアタシはこっそりここに入れてあげたの」


 王女はにっこりと微笑む。

 それは見る者によっては気品と受け取られる、すばらしい笑みだったかもしれない。


 私はできるだけみっともなく、必死の形相で、そんな彼女に訴える。


「ああ、慈悲深いルチア様!

 私はなにも知らなかったのです。

 身分違いの恋に浮かれ、目が曇りきっていたのです」

「落ち着いてエレーナ。

 ここは安全だから。

 アタシの部下たちがちゃんと見張っているから、誰も追ってきやしないわよ。

 ……で、あなた、なぜジャマルに追われているの?

 建国式典がなぜか延期になったけど、それとなにか関係のあること?」


 知らない顔で尋ねてくる王女に、私は答える。


「ジャ、ジャマル王太子と私は、婚約していました。

 式典で結婚を発表する予定だったのです」

「あら、あなたとジャマルが。

 それは驚いたわ。

 でも、取りやめになったのね?」

「はい。

 オルガという占い師にいわれて――いえ、

 占い師に脅されて王太子と婚約破棄したけど、理由を告げてはいけないせいでどこまで逃げても追ってきます」


 まくし立てる私に、王女は破顔した。

 それはもう、誰が見ても上品ではない笑顔で、邪悪さすら感じられる蛇のような目つきだった。


「ぷっはは!

 あ、いや、ごめんなさいね。

 それでその、オルガとやらにはなんて脅されたわけ?」

「私と王太子が結婚すると、この世が終わると。

 それはもう真剣に告げてきました。

 私も最初は疑いを持ったのですが、占い師は恐ろしいぐらいにさまざまな物事を予言しては的中させるので、きっとこの世が終わるのも本当だろうと」

「それはそれは、すばらしい『占い師』だわ。

 見てきたように当ててみせるのでしょうね」


 くくく、とまだ笑っている。

 本当なら腹を抱えて笑いたいのだろう。


「この世が終わる……くく、まあ、ある意味そうなのかもしれないわ。

 で、ジャマルに相談するとどうなるって?」

「その場合、もっとむごたらしく世界が終わるそうです。

 なんでも、ラムバスタがまず滅ぶとか」

「それは大変。

 よくぞジャマルに知らせずにここに来てくれたわ」


 彼女はそう言うと、衛兵を呼んだ。

 すぐに部屋に入ってきたふたりの衛兵は、王女の目配せで私の背後に立つ。


「これは……?」

「気にしなくていいわ、あなたの警護だから。

 ところで――」


 ルチア王女が椅子から立ち上がった。

 喋りながら私のほうへと近づいてくる。


 触れるほどの距離まで来た彼女は、私の耳にささやく。


「もしあなたがここで身を隠したら、どうなると思う?

 ジャマルは悲しむかしら」

「いいえ、それはないと思います。

 王太子は私のことが好きなのではなく、ただ、代わりを探しているだけですから」


 王女がごくりと唾を飲んだ。


「代わり?

 代わりって、なんの代わり?」

「よくは知らないのですが、なんでも、すばらしい縁談を断ったことを悔やんでおられました。

 愛していたのに、つい、気の迷いで断ったと。

 その相手の代わりにはとてもならないが、とにかくそばに女を置きたくて私に目をつけたようでした」

「まあ……!

 愛していたのに?

 やっぱり、やっぱりそうだったのね?」


 飛び上がって喜ぶ王女。

 この話がいたくお気に召したらしい。

 ふたりの衛兵にも、「聞いた? ねえ聞いた?」としきりに絡んでいる。


 が、不意に真顔になった。


「ではおまえは、永遠に身を隠しなさい」

「え? 永遠に、ですか?」


 彼女は吐き捨てるようにいう。


「そうよ、薄汚い泥棒猫。

 彼にはアタシしか必要ない。

 おまえのような下賤の股ぐらは、たとえ本気じゃないにしても、彼のモノにふさわしくない。

 彼にはアタシがさせてあげるんだから。

 気の迷いなんかで焦らされたぶん、何度も何度もしぼり取ってやるわ」

「そ、そんな……」


 下品な、という言葉を私は飲み込んだ。

 これがルチア王女の本性か。

 なんとも恐ろしい女性に、彼は執着されたものだ。


 女神を殺して世界をリセットする――

 それはひとりの人間の欲望を叶えるための行為としてひどく不釣り合いな、とても大それたことに思える。

 だが、ルチア王女のなかでは、彼女自身はそれに見合うほどの存在で、彼の愛を得られないなんて絶対に認められないことだったのだろう。


「……殺れ!」


 王女の命令で、衛兵たちが剣を振り上げた。


 そのとき――


「ぼくの婚約者に、なんてことを言う。

 猫みたいにちっちゃくて、可愛いだろう?

 おまえのような小狡い蛇女とは大違いさ」


 私の愛する王太子。

 ジャマル様が部屋の入り口に立ち、外で待機させていた兵士たちに突入を命じた。

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