第3話 意外な訪問者
翌日の夜――
明日はいよいよ待ちに待った結婚式だというのに、私は町はずれの廃屋を訪れていた。
「看板もボロボロだけど……ここよね。
たしか、エドワーズ・オルガンだったかしら。
もうほとんど読めなくなってる」
あのオルガという占い師にもういちど会って、私が太ったことの文句のひとつでも言ってやりたい。
というのは口実で、やっぱりあの表情が……私のことを慈しむかのような優しい表情が気になってしまったのだ。
月明かりのなか、ほとんど手探りで扉を探す。
元々が店舗なので正面の真ん中が入り口だろうと当たりをつけていた私だったが、ドアノブを求めて手を伸ばすと、その手触りは柔らかかった。
「え? ……ひっ!」
「静かに」
突然、口を押さえられた。
扉のところに何者かが潜んでいたのだ。
私はうかつにも、手探りでその何者かに触れてしまったらしい。
「ふぅっ……はあっ……だ、誰か……っ!」
「待って、落ち着いて」
必死に逃れようとする私の頭を押さえる。
このままでは殺されると思った私の脳裏に、明日結婚するはずだったジャマル様の顔が浮かぶ。
そうだ、あのかたのためにも、こんなところで殺されるわけにはいかない。
「ジャマル様のためにも……ッ!」
「ああ、ぼくだよ」
顔だけでなく、声まで聞こえてきた。
そうだ、あのかたの優しい声を毎日聞いて暮らすために――
「って、ジャマル様ですか!?」
「ああ、エレーナ。
わかってもらえてよかった。
指がちぎれるといけないから、奥歯をゆるめてくれると助かるのだけど」
「あっ、ごめんなさい!」
思わず噛みついていたらしい口をゆるめた。
そして、月明かりで改めて彼をたしかめる。
褐色の肌に精悍な顔つき。
黒い髪は長く垂らし、きれいな三つ編みにしている。
身体つきは黒豹のようにしなやかで逞しい。
「ジャマル様、こんなときでも素敵です」
「それはよかった。
エレーナ、きみも可愛いよ。
月の光で輝くきみには、女神でさえも嫉妬するだろう」
いつもの落ち着いた声で褒めてくれる彼。
だが、取り乱した私が相当強く噛んでしまったのだろう、後ろ手に隠した指からは血が垂れている。
「本当にごめんなさい。
すぐにハンカチを巻きますので、見せてください」
「いや、いい。
ちょうど、傷をつけようと思っていたところだったんだ」
「傷を? なぜです?」
慰めにしては妙な慰めかただ。
どうしたらいいものか戸惑っていると、彼は懐から宝石を取り出して、そこに自分の血を垂らした。
直後、激しい青い光がほとばしる。
彼はその光る宝石を扉に投げつけると、私の手を引いて扉から距離をとった。
「ぼくもこのオルガン屋が気がかりで、どうにか城を抜け出して調べにきたんだ。
どういった手段を用いたにせよ、ぼくらの結婚のことを知っているのは、すこし危険な存在に思えたからね。
で、来てみて驚いた。
扉に結界が施されているではないか」
「結界、ですか?」
「ああ、この扉が開かないのは、鍵じゃなくて結界なんだ。
開かないというより、開けられるという認識を歪められている」
認識の歪み。
……そう言われても、よくわからない。
私のそんな様子が見てとれたのか、彼は補足する。
「まあ、一見これは扉だけど、開けようとすると壁になる魔法がかけられていると思ってくれていい。
壁は押しても引いても動かない。
触れた者に、そう思い込ませてしまうのが結界だ」
「なんとなくわかりました。
それで、あの光る宝石は?」
「わが家に伝わる、結界破りの魔石だよ。
王家のものが、万が一、何者かの結界によって閉じ込められたとき、そこから逃れるための奥の手なんだ。
これさえあれば絶対に開けられるという認識を、ぼくの血という王家の長い歴史が凝縮された触媒によって上書きする」
途中まではついていけたが、最後は結局よくわからなくなった。
「とにかくこれで、入れるんですね?」
「ああ、そのはず……だが……」
ジャマル様の声が小さくなる。
扉にぶつかって光っていた魔石が、光を失ってぽとりと落ちた。
彼はそれを拾って、愕然としている。
「そんなバカな。
1200年にも及ぶわが王家の歴史を上書きしても開かないなんて、それこそ人間の歴史では――」
と、そこで、場違いな明るい声が聞こえた。
扉のほうを向いていた私たちに、背後から近づいてきていたのだ。
「あら? あらあらあら~?
なんであなたたちカップルがここにいるわけ?」
「お、オルガ……」
場違いでもないのだろう。
そもそも私たちは、ここが彼女の住処だと思って訪れていたのだから。
でも、こうやってオルガが廃屋のまえに立つと、やっぱり場違いに思えてしまう。
美しくきらびやかなオルガと朽ち果てたオルガン屋。
あまりに対照的だった。
だが、
「まあ立ち話もなんですから、入りましょう。
言っとくけど、なかでいちゃいちゃし始めたら追い出すわよ?
わたくしだって嫉妬するんだから、『わたくしのエレーナになにするの~』って」
やはりここは、彼女の家だ。
ころころと笑いながら彼女は、扉を開けた。
王家の歴史が弾き返された、その強固な結界の扉を。
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