第4話 思わぬ涙

 青ざめた顔で、唇をかすかに震わせながらオルガはいう。


「はっきりいうと、わたくしが死ぬ。

 だからエレーナ、婚約破棄をしてほしい」

「ええと……」


 私は困惑した。

 それではまるで、「王太子が結婚なんてしたらわたくし死んじゃう!」みたいなファン心理に聞こえる。


(実際そういう話……じゃないよね?)


 オルガの顔を改めて見る。

 いたってまじめな表情をしていて、それが逆に熱烈な王太子ファンかもしれないと思えなくもない。


「あの、オルガ……?

 あなたもしかしてジャマル様のこと好き?」

「いえ全然。

 タイプじゃないもの」


 即答。

 あんなに素敵な彼なのに……まあ、私の悪い想像が外れてくれてよかったけど。


 ひと安心する私に、彼女は大きく息を吸うと、長台詞をまくしたてた。


「エレーナ、あなたの頭のなかがクエスチョンでいっぱいなのは占いで知ってるわ。

 せっかくここまでスムーズに仲良くなれたんだから、それを解消するのもスムーズにやりましょう。

 まずだけど、わたくしはエレーナと王太子の結婚そのものに反対なんてしてない」


 素敵な恋をおめでとう、といって彼女はあぜんとする私をハグした。


「でもね、あなたたちが結婚すると、巡りめぐってわたくしの死に繋がることが決まっているの。

 それは結婚式に乱入した反対派の剣が、たまたまそこにいたわたくしの首に当たることだったり。

 結婚式に行かない場合は、翌日、やけを起こした王太子ファンが身を投げたのが崖下のわたくしに直撃したり。

 ずっと家にこもっていた場合だって、結婚式から泥酔して帰ってきた隣の家のおじさんが、タバコの火の不始末でわたくしを家ごと焼くことになる」


 怒涛のごときオルガの死。

 占いというものが実際どういうものなのか私には知るよしもないが、彼女は占いの結果を見てそれを回避する行動を考え、さらにそれで変わる結果を占っているということだろう。


「でもオルガ、それって私たちの結婚が原因?

 なにかあなたが悪いことをしていて、その報いが――」

「神様の考えは知らない。

 でも誓って言うけど、わたくし悪いことはとくにした覚えがないわ。

 わたくしが死ななきゃいけないような、たとえば誰かを殺したことがあるとか、そんなのとんでもない。

 お願い信じて!」

「うーん……」


 私の手をぎゅっと握るオルガの手は、透けるように真っ白で美しく、とてもそれが誰かの血で汚れているとは思えなかった。

 できれば救ってあげたい。


 けど――


「結婚やめなきゃ、ほんとにダメですか?

 ジャマル様にお願いして、王宮の安全なところにずっと匿ってもらうとかできないかな」

「それがいちばん最悪。

 同盟を結んでいるはずの隣国が突然攻めてきて、同時に内乱も起こって、あなたも王太子もわたくしも、まとめてみんな死んでしまうわ」

「そこまで徹底的に……」


 ジャマル様まで亡くなるなんて。

 それだけは絶対に避けなければ。


「この結果からもわかるけど、王太子にこの話を聞かせると、彼の命まで巻き込むことになるわ。

 彼の耳に、わたくしの事情を入れてはダメ」


 なるほど。

 オルガの話を総合すると、つまりはこういうことになる。


 ジャマル様にはオルガのことを話さず、そして私は彼との結婚を取りやめる。

 これにより救われるのはオルガの命だ。


 ……。


「私、この話聞かなきゃよかった!」

「やっぱりそうなるわよね。

 わたくしさえここを訪れなければ、あなたは王太子と幸せになれたんだもの。

 ただどこかで、名も知らない占い師が無惨な最期を遂げるというだけ。

 あなたにとっては、痛くも痒くもない結末よ」


 痛くも痒くもない……たしかにそのとおり。

 だって知らないはずだったのだから。


 この、美しくて身勝手な、でも妙に親しみやすい占い師のことを。


「でも来ちゃった。

 エレーナに話しちゃった。

 こんないやな未来、ひとりで抱えきれないし」

「……いいよもう」


 しょうがない。

 これはもう、しょうがないよ。

 どうでもいいことだったら、もっとうだうだ悩めるのだけれど。

 軽くない決断だからこそ、あっさりと心が受け入れてくれた。


 私はあきらめる。

 大好きなジャマル様との結婚を。


「彼のことだから話せば待ってくれると思います。

 でも、話したら彼が危ないんでしょう?

 だったら事情は絶対に話せない。

 話せないなら待ってもらうこともできませんから、婚約破棄しかありません」


 それに、


「明るく言ってるけど、オルガ、あなた相当たくさんの死ぬ未来を見ていますよね?

 私を巻き込まないパターンも、いっぱい。

 でも、どうしようもないからここに来た。

 その目を見ればわかります。

 オルガがここを訪れる苦渋の決断をしている時点で、私はもうそれを断ることなんてしちゃいけないんだ」

「……ぐすっ」


 手を離したオルガを見ると、ハンカチで顔を覆っていた。

 涙でくぐもった声で私にいう。


「ありがとう。

 こんな展開は思ってもみなかったわ。

 本当はもっと、わたくしの命で脅す感じでしぶしぶ了承させるはずだったんだけど……。

 なんでだろう、これも最初に噛んだせい?

 まったく、エレーナはほんと、読めない子だわ」


 テーブルに両肘をついて顔を覆ったまま泣いている。

 少女のような大泣きなのに、とても絵になると思った。


(ねえ、オルガ。

 その涙が、私にとっては脅しみたいなものだよ)


 自分の決断を絶対に後悔しないと、心に決めさせたのだから。

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