第21話 ましろの成長?
親戚連中から「母親はあんだけ泣いてんのに、泣かないましろヤベー」みたいな目で見られながら受付を終えて。
――兄だって泣いていなかったのに……男は泣くのを我慢するもんだ、とでも思ったのでしょうか。
スタートが大幅に遅れながら、いよいよお坊さんの読経が始まりました。
ちなみに想定外の事態に見舞われたため、私はこの時点でまだ父の顔を見られていません。
読経しながら棺を見ても、「アレって、本当に中身が入っているの? マジで私の父親なの? ドッキリじゃなくて?」と思うぐらい、父の死に実感が沸かなくて。
やがて読経が終わると、再び問題が起きました。「喪主」の挨拶です。
誰も何も言わなかったから、てっきり配偶者たる母が務めるものかと思っていましたが――いよいよ挨拶という時に、母は「ましろ兄がやって」と言い始めました。
兄もまた、母がやるものと信じて疑わなかったようで、「ハア!? なんで俺が!?」となっていましたよ(笑)
土壇場の無茶振りにも程がありますし、そもそも兄は「参列者は身内だけ」と騙されて、一家揃って大恥をかいたことにずっとキレていました。
しかし昔
普通なら、ひとつふたつ故人とのエピソードを語るのかも知れませんが……兄は参列者に対するお礼と、翌日の葬式の時間案内だけで済ませました。
――あとから聞いた話だと、「俺、あの人に遊んでもらったことすらないから、必死に考えてもエピソードひとつも出てこなかった。だから泣くくらい思い入れの強い、母さんが喪主すれば良かったのに――」らしいです。
まあ、私とて今ゆっくり思い返しても――これと言ったエピソードがありませんね……こればかりは仕方がないです、そもそも関わりが少なすぎました。
参列者がぞろぞろと帰り始めて、またしても受付に立った私は、わざわざ来てくれたお礼と、こちらの無作法に対する謝罪を繰り返しました。
帰り際にも「明日の葬式ぐらいは、ちゃんとせえよ(しろよ)!」とお声がけを頂き。
私は内心「母親め、よくも騙してくれたな」と思いつつも、怒っても仕方がないので「仰る通りです」と、まるでクレーム対応みたいな言葉を返していたような気がします。
――そうして参列者が全員帰ると、緊急家族会議が始まりました。
いや、軍法会議にかけられる母? (笑)
まず、当然のように兄がキレました。
参列者の多さ。わざわざ死亡を告げる放送を依頼していたくせに、家族に知らせなかったこと。
「身内しか来ないから、何も準備する必要はない」と、バカみたいなことを断言した件。
土壇場で喪主をなすりつけたこと――などなど。
それらの怒りは私も抱えていたものなのですが、でも済んだことは言っても仕方がないですからねえ。
「なんでこうしなかった」なんて責めたところで、時間は戻りません。
二度と同じ失敗をしないように、「次」へ繋げるための注意だとしても――母の場合は繋がりませんから。
怒鳴ったところで疲れるだけですし、労力の無駄です。
母自身、迂闊な部分や見通しの甘いところが目立ち――「人が亡くなった時の放送は、普通するものだから……でも、こんなに人が集まるとは、思わなくて……」だったそうです。
まあ、放送で近所中に呼びかけておいて、「そりゃ、道理が通らねえだろ」なんですけど。
私は車で40分ほど離れた職場に居たため、実家近くの地域放送なんて聞ける訳がありません。
兄や姉も喪服の準備でバタバタしていて、全く気づかなかったようです。
兄は呆れ返って、姉も「明日の葬式どうすれば良い!? 今日めちゃくちゃ怒られたよ、明日はどうすれば怒られずに済むの!?」と母に詰め寄りました。
ただでさえ父の死にショックを受けていて、参列者から「葬儀ぐらい、ちゃんとしなさい」と叱責され、我が子にも責められ。
母もまたストレスの限界を超えたのか、ボロボロ泣きながら「もういい! お母さんが全部1人でやる! アンタらは葬式に来なくていい! もういい、放っといて!」と自暴自棄になりました。
兄も姉もますます「いや、「もういい」じゃない。どうすればちゃんと葬式できるか、明日どうするのか聞いてるだけ」「現実的に考えて、1人でできる訳ない。真面目に考えてくれや」と責め立てて、収拾がつかなくなります。
隣の部屋には父の遺体が安置されているのに、カオスな空間でした。
あまりに非生産的な論争に、ついに大人しかったましろがキレます。
「もう、ええって! 一旦落ち着こうや!!」と。
学校や会社でもそうでしょうけど、「こいつだけは何しても怒らないだろうな」と思っていた相手が大声を上げると、全員「エッ……」と静かになりますよね。
ボロボロ泣きながら、「もういい、お母さんが全部悪い」と斎場から出て行こうとする母。
その腕を掴んで引き留めると、とりあえず椅子に座らせて背中をさすりました。
そうして兄と姉には、「一向に話が進まないから、落ち着いて聞いといてくれ。みんなで「会話」をしようや」と。
あれだけ感情もとい「情」に支配され、振り回されて来た私が――いつの間にやら家族の中で、誰よりも理性的になっていました。
いや理性的というか、自己破産したことによって「腐った指は切り捨てなきゃ、全身が腐る」という気付きを得たのかも知れません。
あと単に、真摯に「怒る」だけの繋がりや情を失っていたのだと思います。
人を注意する、怒るって、相当な労力を要しますよね。
どれだけ真っ当なことを言っていても「あの人すぐ怒る、いちいち細かい」なんて反感を買いますし。
ちょっとでも嫌われると、すぐ人間関係に軋轢が生じることもあります。
ただ、「怒る」「注意する」「訂正する」って、才能のひとつですよね。誰にでもできることではありません。
これは私には全く備わっていない能力で、幼少期から続く根強い防衛本能が邪魔して――「人に嫌われたら終わり」「平穏が何よりも一番」という意識から、いまだに抜け出せないのです。
また、自己破産して以降、物事を「損得勘定」で計るようにもなりました。
「人から反感を買ってまですることか?」
「どうして私が嫌な思いしてまで、他人の面倒を見ないといけないんだ? 何か見返りはあるのか?」
「この人との付き合いは私にとってプラスか、それともマイナスか?」
――なんて考えながら、生きています。
だから、後輩ができても怒ってあげられないんです。「あ~間違ったことしてんな~」と思っても、滅多に口出ししません。
言うとすれば、それは「さすがに危険だ」か「あ。これ放置してたら、あとで私にシワ寄せが来るわ」と察知した時のみ(笑)
その他はもう、背中で語ります←
「ほ~ら見てごらん、私そんなやり方してないよ、お願い気付いて~」と。
……アレ、逆に手間暇かかってますね? これのどこが損得勘定なのか。
じ、自分さえよければ良いんですよ! ……こちとら家族の借金が原因で自己破産してんだぞ、もう自己中心的に生きたって良いだろ! みんな甘やかして可愛がってくれ! ←
だから人を怒れる人って親切で、誰よりも優しいんですよ。尊敬します。
――いや、道理の通らないクレーマーは論外ですけどね。
HSPで共感性は高いはずなんですけど、今までの人生で欠けてしまった感覚は、たぶんもう二度と返ってこないと思います。
感動的な泣ける映画を観ても「ハハッ」とネズミーランドのネズミ笑いしてしまうぐらい、重大な何かが欠如してしまいましたから。
無意識のうちに、「自分とコイツ、どっちが不幸か」なんて計算してしまうのかも知れません。
上とか下とか考えても、無駄なんですけどねえ……最初から上も下もないんですから。
体を欠損する、臓物が飛び散るようなスプラッター映画を観ても「痛い」と思うどころか、「ヒャッハー! いいぞォ、その調子ィー!!」と大喜びです。S〇W大好き。
……これはただの趣味かな?
あ、でも何故か、リアルで人や動物の流血シーンを見るのだけはダメです。
格闘技やスポーツで流血している選手を見ただけで、サーッと血の気が引いてしまいます。
生ものと作り物の違いですかね? 不思議です。
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