なぜ、俺は『病』墜ちした同級生と、束縛がヤバ過ぎる同棲生活を送っているのか?
夏目くちびる
プロローグ
0縛 クリスマス・イヴ
その日は、雪が降っていた。
慌ただしくも、楽し気な雰囲気と幻想の交じり合う、いつも通りとは違ういつもの世界。往年の名曲が鳴り響いて。微かにチキンとケーキの香りが漂って。鮮やかなイルミネーションが輝いて。そんな、みんなが幸せを謳歌する空間で、俺だけがただ一人、暗い気持ちでそこにいた。
フラレる事すらせず、失恋した。今の俺の状況はそれだ。
立ち尽くしていた二時間という時間は、俺だけが不幸だと思い込まなければ、きっとマトモじゃいられない長さだった。……いや、マトモじゃなかったから、二時間も待ち続けたのだろうか。今となっては、分からないことだ。
正直なところ、フラレたと言う事実も、フラレた理由も、すぐに理解出来ていたんだ。きっと、ずっと騙されていたんだって、分かってはいたんだ。
ただ、このまま帰ってしまえば、俺が彼女に気持ちを伝えたことすらなかった事になってしまいそうで。自分の不幸の理由を、彼女に求めてしまいそうな気がして。だから、俺は俺に「自分は失恋した」のだと、強く言い聞かせておきたかったんだ。
……いや、カッコつけるのはもうやめよう。
俺は、裏切られた事を認めたくなかっただけだ。来るハズのない彼女に期待して、過去に貰った優しさに縋っていただけだ。痛みには慣れたハズだったのに、唯一知らなかった失恋に打ちのめされていただけだ。
本当に、情けない。
「……帰ろう」
結局、諦めたのは20時を過ぎた頃。ダッフルコートのポケットに入れておいたホッカイロは、とっくに冷たくなっている。くしゃくしゃになったそれを音が鳴るくらいに握りしめると、一度だけつま先を地面に強く打ち付けて、深いため息を吐いた。
家までは、五駅の距離を歩いて帰った。疲れ果てて、すぐに眠ってしまいたかったからだ。
足取りは重くて、なのに風景の流れは早く感じた。しんしんと降る雪を踏みしめる、サクという音。つま先が僅かに濡れて体温が奪われたせいで、まるでそこだけが自分の体じゃないみたいに思えた。
ならばいっそ、全てが消えてしまえばよかったのに。心の底から、そう思った。
「……人?」
それは、公園の前を通りかかった時だった。突然、キィと何かが軋むような音が聞こえて。こんな幸せな夜には、あまりにも不自然な音だと思って。だから、俯いていた視線を上げて、気配のする方を向いたんだ。
「……っ」
彼女は、泣いていた。白い息を吐いて、止まりそうな呼吸を必死に繋いで、漏れ出す嗚咽に身を震わせて。何度も、何度もしゃくりあげて。ただ、雪よりも冷たい涙を流していた。
俺の声は、きっと聞こえていなかった。だから、断りを入れずに、ささずに持っていただけの傘を開いてそっと頭上に傾けた。
誓っておく。俺がやったのは、それだけだ。
「……え?」
すると、突然の出来事に怯えたのだろうか。彼女は、ピタリと声を止めて、コートの袖で自分の目をがむしゃらに拭ったのだ。
「余計な事、だったでしょうか」
別に、彼女に話しかけた事に、大した意味なんてなかった。ただ、彼女は俺よりも不幸に見えたから。世界で一番の不幸者だと思い込んだ俺を、救ってくれたような気がしたから。そんな今の自分ですら、救わなければいけない人がいると思えたから。
ならば、彼女がこれ以上不幸になる事はない。そう思っただけだ。
「……ぁ……っ」
俺を見上げた彼女は、傘を持つ俺の手を両手で包み込むように握って、再び泣いた。心に波を打つような、悲しい声だった。
ただ、次第に強くなる力が、凍えきった互いの手を溶かして。手のひらに落ちた冷たい涙は、皮肉な事に何よりも温かかった。
その温度を、俺は生涯忘れないだろう。
……鳴り響いた教会の鐘が、彼女と俺の存在を隠した。雪だけが、物語の始まりを見ていた。
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