幸せなんて、染みるわけない

中州修一

染みてたまるか

「カップラーメンを食べて幸せになれるわけないじゃないですか」


 会議室、円卓に座る10人程度の内の1人、浜田君がしびれを切らしたといった様子で声を上げた。


「普通のカップラーメンの中に含まれている塩分量の平均は約5から6グラム。そして今回の企画商品は1食あたり6.6グラム。明らかにオーバーしている」

「それだけじゃない。約15種類の添加物の中には、体内のカルシウムバランスを崩す恐れのあるリン酸塩など、加工食品には必ずと言っていいほど含まれている添加物がこれでもかという程含まれている、つまり」

「長期的な目線で見て、こんな加工品を口にしたところで幸せになる奴なんて、そんなの自殺志願者だけですよ。」


 スーツの上から作業服を着た20代前半の男が、そう言い切った。


 会議室の中では、わかりやすくため息をつくもの、こめかみを揉むものなど、この男を除いた全員が同じ感想を抱いているのは明らかだった。


「――あのね、浜田君」

「なんでしょうか加藤部長」


 会議の進行役である私は、いつもよりも低い声で彼に問う。


「あなたの所属はどこ?」

「企画開発に決まってるじゃないですか」

「どこの企画開発?」

「加工食品です」


 私が明らかにバカにしたような質問を投げかけても、真顔で返すのが浜田くんの常だった。

 最初は、このやりとりを面白がっていた者もいたが、今では更に空気を重くするだけのやり取りだ。


「浜田君のその意見はごもっともだけど、私たちはそれを承知で企画をしているの。」

「はい」


 私は、この企画が始まって以来会議で毎度言っている事を再三浜田君に投げかける。


「今回の『幸せを届けるカップ麺』っていう企画は、健康的な観点から見た幸せという訳だけではないの。」

「はい」

「今まで私たちが売ってきた物はただの不健康な加工品じゃない。」

「それを食べた人たちがこの商品を食べた瞬間に、その人の大切な思い出も一緒に味わえるような商品なの。」

「この企画は、そういった『温かい思い出』にフォーカスしないといけないの。わかる?」

「……はい」


 このやりとりも、彼がこの部署にやってきてから何度もしている。

 私が何度もこう言って、それを聞いた彼は毎度顔を歪ませながら返事をする。

 他の参加者は、浜田君には興味がないといった様子で、コソコソスマホを触ったり、小声で話し始める人も出てきた。


こうなってしまっては、会議の流れも一気に悪くなる。



「……とにかく、今回の残りの議題は試作の感想の共有だから、この会議が終わったら各自PCで感想を共有しておく事。以上です」


 そう言うと、各々気だるそうに席を立ち、会議室を後にしていく。浜田君もしばらくしてから部屋を出て行った。


 私は深くため息をつく。


 毎度毎度、浜田君がこうして発言するようになってから、会議が思うように進まなくなってきた。

 最初は面白がっていた人も、段々と浜田君を目の敵にし始めている。このままだと会議自体も成り立たなく可能性もある。

 なんとかしなければ、と頭では思いつつも、どうしても私自身も浜田君を遠ざけてしまっている節もあるため、難しい。


「――部長、おつかれさまです。」

「ああ、進藤君。おつかれさま」


 気がつけば私は深く考えていたようで、進藤君が私の横にやってくるまで気がつかなかった。

 会議室は私と進藤君の2人だけになっている。


 進藤君は浜田君と同時期に入社した子で、大学時代からの知り合いだと言う。


「今日も大変そうでしたね」

「本当よまったく……浜田君はいっつも屁理屈ばっかり」

「あいつ、社会人になってからずっとあんな感じですからね……大学生の時と全然違います」

「大学の頃は違ったの?」

「はい。俺は直接的には関わらなかったけど、文化祭実行委員長とかもやってたし、人望には厚い奴だと思いますよ」


浜田くんについてしばらく話すと、「時間だ」と言って進藤君は会議室を後にしていった。


会議室の時計はお昼休みの時間を指しており、私もいそいそと準備をして会議室を出る。


「カップ麺でいいかな……」



確か、緑のたぬきの余りが企画部にいくつかあったから、今日はそれを食べよう。



 エレベーターに乗って、企画部の部屋に戻る。昼休みだからか、企画部の中には人は全くいなかった。

 私は部屋の脇に置かれた段ボールを開き、緑のたぬきを一つ取り出した。


「あれ、部長」

「あ……浜田君」


 段ボールを元に戻したところで、部屋に入ってきた浜田君に声をかけられた。


「お昼ですか?」

「ええ、そうね」

「俺もご一緒しますね」


 そういうと、浜田君も同じダンボールを再び開け、緑のたぬきを一つ取り出した。


「え、浜田君もカップ麺なの?」

「えっと、まぁー……今日ちょっと弁当忘れたので」


 浜田君はいつも自分で作ってきた弁当を1人で食べているのが印象的だったので、ご飯に誘ってきたのも、カップ麺を食べるのも意外だった。


「浜田君もドジする時あるのね」

「そうですかね、はは」


 そんな話をしながら、隣の給湯室へと2人で入って行った。

 そして、給湯室まで行ってお湯を沸かして注ぐまで、わたしたちの間に特に会話は生まれなかった。 


 給湯室の狭い部屋の中、私たちはお互い何もしないまま、並んで時を待つ。

 そんな時間は気まずいような気もするし、意外と心地よいような気もするし、不思議な気持ちだった。



「……俺、実は、嫌いなんですよね。カップラーメン」



 お湯を注いで1分くらい経っただろうか、浜田君は急に口を開いた。

 会議でいつもカップラーメンに対して屁理屈ばかり捏ねている彼だから、なんとなくカップラーメンが嫌いだという可能性は考えていた。


「やっぱり不健康だから?」

「いや、それもあるけど、それだけじゃないんですよね……」


浜田君は後頭部をポリポリと掻きながら言葉を続ける。


「俺の家、母さんだけしかいないんですよ」


「父さんとは俺が生まれたての頃に離婚してました。

母さんは遊び人だったみたいで、ずっと俺の事を置いて毎日遊びに行ってたみたいです」


一度話し始めたら止まらない浜田君の言葉には、私の想像を超える背景が隠されていた。


「俺が小学生になったあたりから、母さんは全く家に帰ってこなくなりました。」

「代わりに、俺が学校から帰ってくると、赤いきつねと緑のたぬきが日替わりで置いてあるんです」


遠い目で、浜田君は続けた。


「しかも毎日毎日カップ麺なんて食べると、太るじゃないですか。だから学校では『デブ』ってあだ名でいじめられてたし……家でも学校でも1人で……」


「まぁだから、俺にとってカップラーメンは、幸せとは真逆の象徴なんですよ」


 浜田君が話し合えると、再び給湯室の中には静寂が訪れる。


「……そろそろいい頃合いかも」

「はい」


 蓋を開けながら、私は考える。


 私は、いつの間にか彼の思い出を否定してしまっていたのかもしれない。

 カップラーメンと一緒に味わうその思い出は、決して温かくて美味しいものではないというのに。

 そんな彼に、「今できること」はなんなんだろう。


 白い湯が立ち上り、給湯室はダシの香りで充満した。


「いただきます」

「……いただきます」


 浜田君は恐る恐る、麺を啜った。

 私は彼が麺を啜るのを見ながら、会議の時とは違う、出来るだけ優しい言葉をかける。


「浜田君にとって苦しい思い出だったとしても……」

「はい」

「たぶん今は1人じゃないから、さ」


 そういうと私は、浜田君の持つ緑のたぬきに乗っているいるかき揚げを、半分に分けて自分のカップに移した。


「あ……」

「浜田君がこれまでどんな思いを持ってたのか、

そしてこれからどんな思いを持ちたいのか言えば……みんなついてきてくれるよ」


 私はそういうと、浜田君から奪ったかき揚げにかぶりついた


「辛い思いも半分できる仲間が、さ」


 私はかき揚げを平らげると、そう言って浜田君に笑顔を向けた。


 その言葉に感動したのか、浜田君は私の顔を見たまま固まっている。


「……あの」

「うん」


浜田君はよほど私の話に感動したのか、おずおずと口を開いた。


「たぬきのかき揚げは……好物なんですよね……」


「えっ!あっごめん!!」


私はかき揚げのない彼のカップと彼の顔を交互に見た。


「本当ごめん!……もう一杯作る?」

「……っぷ、はははっ!いやいや、まじデブになりますよっ」



この日、私は浜田君が初めて笑顔をみた。



「まぁ良いです、これからも異議ばっかり申し立てますから」

「ちょっと、それはやめてよね」


私は不健康なそれを、勢いよく啜った。


「……俺も、もう少しカップラーメンを知りたいと思いました」

「そっか」


彼も続いて、苦い思い出を飲んだ。


「頑張ろうね、浜田君」

「はい、部長」

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