スクランブル・クラッシャー

枯れた梅の木

第1話 交差点には血の花が咲く

 スクランブル交差点の信号が青に変わり、高層ビルの谷底に密集していた人の塊が、波となっていっせいに動きだす。


 そこへ白く浮き立つ雪のような花びらが1枚、通行人の肩にそっと舞い降りた。


 瞬間、赤い鮮血がほとばしり、花びらと通行人を血の色に染めあげる。


 スクランブル交差点の中央部にとつぜん炸裂した赤黒い液体を、全身にあびてもなお行き交う通行人たちは、3、4歩ほど前にすすみ、ようやく自身に起きた異常事態をしり、それぞれの反応をそれぞれに示す。


 悲鳴と怒号がまじりあい、その場にへたり込む男性や短く絶叫し卒倒する女性、血の海と化した交差点の中央から逃げだすように拡散する者たち。


 中央から逃げ出した者たちと、これから中央に向かう人とでぶつかり合い、スクランブル交差点を中心に周囲は騒然となる。


 花びらを肩にのせた男性は、赤黒い血だまりに腰をぬかして座りこみ、ふるえる足でなんとか起きあがろうとして失敗、手のひらを地面についたとたんドロっとした感触の中に、異物のようなものを感じる。


 思わずにぎって確認してみると、それはゼリー状の光沢をおび、血色ちいろに濁った白色はくしょくのなかには丸く黒い点がみえ、現状を忘れたかのようにその物体を凝視した。


 「ヒッ!」


 小さくうめいたあと物体を投げはらい、人の手から離れた物体は、水たまりに落ちる雨つぶのような音をたて、血だまりに浮かぶ。


 男は自分がにぎった物が眼球の一部であることを知り、恐怖で四つんばいになりながらも、その場から離れようとする。


 このとき肩に付着した花びらは血の海に落下し、音もなく赤黒いまりの中に沈んでいく。


 気絶した人を残して多くの者が交差点の中央から分散し、ビルの谷間に緊急車両のサイレンが鳴りひびくころ、血溜まりに浮かぶ眼球の一部は、うつろな視線を空にむかって投げかけていた。 


 

 規制線テープの前でものものしく制服警官が立ちならぶ。


 普段は人と車両が激しく行きかうスクランブル交差点は完全封鎖され、交差点の中央では、鑑識係や私服警察官が実況見分をおこなうのが見えた。


 そこへ手袋をしながら規制線テープをまたぎ乗り込んできたのは、ベテランの警部補で相棒の若い刑事に話しかける。


 「で、害者は」


 聞かれた方は先輩の問いかけにも反応せず、赤黒く塗装された現場をただぼうぜんと眺めていた。


 「聞こえなかったのか」


 「聞こえてます警部」


 なら答えろよ、と警部補が口から出すより早く、若い相棒が青ざめた表情でふり返り。


 「鑑識の話では害者はおそらく一人、ここにある血や体組織、それと通行人に付着した物を合わせると、ちょうど成人男性一人分に相当するらしいです」


 いろいろ不可解な点を問い直すまえに、警部補は地面に転がる異物を目を細くして眺めた。


 「ミートボールみたいに転がってるのが肉片か」


 「はい、その中には骨の破片と着衣の細切れになった物や、原状修復が困難なほど、分解された携帯なんかも混じっているとか」


 眉毛をしかめるだけしかめて警部補は息をはきだし、現場を見渡しながら。


 「事件か事故かは知らんが、どうやったらこんなものが白昼の交差点内でぶち撒かれるんだ、説明はわかるようにしてくれ」


 相棒の刑事は警部補と同じように現場をながめ、同じように息を吐き出した。


 「説明ならこちらの方がしてほしいぐらいです、僕の短いキャリアの中でこんな不可思議な現場を担当したことはありませんから、ここは警部の経験に頼るしかありません」


 「経験ね」


 なかば投げやりな感じの後輩に面倒くさくなる先輩が、何げなく地面を見おろすと、うすく小さな紙片のようなものを発見し、それをピンセットでつまみ上げる。


 小さな遺留をピンセットに挟んだまま太陽に透かしてみせ。


 「なんですそれは?」


 「さぁな、皮や肉の一部じゃないことは確かだろう」


 乾いた血糊でコーティングされたそれは、かすかにハートマークにも似ていた。


 警部補はそれを密閉式のビニールに入れ、できるだけ若い鑑識係をさがして声をかける。


 「これが何か調べてくれないか、できるだけ早く結果が知りたい、頼んだよ」


 自分と話すときより丁寧なしゃべり方の先輩に、肩をすくめる後輩は鑑識係がその場を離れてから口をひらく。


 「わざと若い方を選びましたね」


 「私と同じでベテランになると融通が効かなくなるんでな、それより他にわかっていることは」


 相棒は捜査用のタブレットを開いて、現在まで判明していることを報告。


 「まだ遺伝子解析の結果待ちなので推測になりますが、当事者の氏名は〇〇〇〇で年齢は25歳の独身、職業は●●コーポレーションの社員らしいです」


 「推測?」


 「疑念はごもっともですが現場にいた証人のすべてが、害者のことは知らないし、事件もしくは事故当時に何が起こったのかわからない、と述べていまして、気づいたら皆血まみれになっていたとか」


 「だったらなんで害者の身元が判明したんだ、物的証拠品もほとんど粉砕された状態で」


 そう聞きながら、ああ、と一人でうなずく警部補。


 「そうです、定点カメラや監視カメラの映像で一応判明しました、が」


 言いかけて警部補の顔色をうかがう若い刑事。


 「私の思考を探るような話し方をしないでいい、お前の悪い癖だ」


 さっさと話を進めてくれと催促され、見透かされたことに赤面する相棒。


 いちど咳ばらいをして。


 「害者、この場合は推定害者としておきますが、すべてのカメラを分析すると、今回の害者は交差点の中央に行くまでは、確かに生存していました」


 納得しなくてもうなずきながら聞く警部。


 「しかし、中央で人ごみにまぎれた瞬間、こつぜんと姿を消し、消えたとたんに害者の居たであろう場所から、血と体組織が拡散したとか」


 警部は首を横にふり、頭の中の混乱を冷まそうとする。


 「お前の言ったことが合成映像なんて幼稚なネタでなければ、害者がこつぜんとカメラから姿を消した、そんな調書を公の警察官が書けると思うか、もし書けるなら世の中の事件や事故の多くは、時空間を移動するSFで語られることになるだろうな」


 「いえ警部、今回のことはSFよりホラーに近いのでは」


 ベテランの皮肉を冗談めかして返す後輩に、真顔で応戦する先輩。


 「どっちもフィクションだ、これはリアルで被害者か加害者の存在する事件事故の現場、創作物と一緒にしていいレベルじゃないぞ」


 自分からふったくせに、そう思いながらも後輩は話をつづける。


 「推定害者の画像を、当時の通行人に確認してもらったのですが、誰も知らないとか、まぁ交差点を歩く赤の他人の顔を、いちいち覚えてる方が珍しいですけど」


 通行人が害者を知らないことはさっき聞いたが、ご託の多い後輩に自分がつっこむと話が長くなるので、そのまま聞き流す。


 「証人の中には、巨大な水風船につめられた血液が、破裂したような状況だったと説明する者もいますし、血が雨のように天から降ってきた、または自身の血じゃないかとパニックになった人も」


 「落下の線も破裂の線もないな、見てみろこの乾いた血の跡を、絵の具が地面に浸透したようにキレイじゃないか」


 口を半びらきにして乾いた血の海を見わたす後輩は、少し考え。


 「そうだ、踏み荒らした足跡や手形はあるけど、人が行き交う雑踏で破裂したら、遮蔽物の痕跡が残るはず、明らかに不自然です」


 警部はしゃがんでアゴをさすりながら、地面をななめに見る。


 「時間にして一瞬だな、一気に血肉が拡散して地面に広がり、通行人に付着した分をのぞいて、人の体をすり抜けた」


 ささやくようにつぶやいたあと、静かに立ち上がり警部補と相棒は同時に息を吐き出した。

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