セルパン
翌日、徹夜で飲み明かした二匹の竜は、素面に戻っていた。
顔を突き合わせて、何やらレグの能力について話し合っている。そばで聞きながら、レグはとても嫌な予感がした。
「ちゃんと制御できるようになった方がいいと思うのよね」
「そうだな。明らかに悪っぽいやつの願いは叶わないだろうが、健気なふりして近寄ってくるやつには弱そうだからな。レグみたいな奴は特に」
「ほんとよね。なら森とかでどう?」
「いいな。人間で練習するのは止めたほうがいいだろう」
「一応、人間に相手には使えないようにしとくわね」
「え?! 何勝手に……」
レグの抵抗もむなしく、なにやら魔術をかけられてしまった。傍若無人の前で、常識人は無力であった。
「なんなんですか? 酒がらみじゃないのになんでそんなに熱心なんですか」
「……この力は人間には必要ない、と言っていた。君と同じ能力者がな」
「……?」
「難しいことはいいわよ! 面白そうだし! 行こーレグ!」
コウが竜の姿に変化した。
断る間もなく尻尾で拘束され、気付けば知らない森にいた。
「ちょ、ちょっと!」
木の上に降ろされたレグは下から抗議した。しかし、コウは空から悠々と手を振るのみだった。
「暗くなる前に迎えに来るから〜! じゃーねー!」
「ちょっと待ってくださいよー!!」
豆粒になって消えていく後ろ姿に、レグは虚しく腕を振り上げていた。
■■
「ううう……帰ったらミアに怒られそう……いや帰れるよね……?」
悩んでいても仕方がない。実際、制御することは必要なのだ。ランクアップ試験までの時間を無駄にしたくないので、レグは素直に練習することにした。
森で植物の種を集め、外側に軽い傷をつけた後、ヒールをかける。ヒールが制御できていれば傷が治る。しかし、制御できていなければ芽が出て、最悪立派な木に育つのだ。
(大きく育ちたいっていうのは、健気な願いで助かる……)とレグは思った。
一つずつ制御できるようになったら、次は10個まとめてかけてみる。広範囲を同時回復するときも制御できるようにする練習である。
初回は、10個ともが周囲の木を巻き込みながら大木になったので、レグは走って逃げなければいけなかった。
教訓を生かして種の数を減らした。3個、5個と少しずつ増やして練習しているうちに、芽が出なくなった。
「ああ、もう夜か……」
レグはあたりを見回して呟いた。夢中になっている間に、夕日はすっかり沈んでいた。
暗視魔術をかけて一息つく。確か、暗くなる前に迎えに来るとコウが言っていたはずである。どうせ酒を飲んで忘れているのだろう。
昼間、魔物や野獣に会うことはなかった。だが痕跡は至る所にあり、夜一人で野宿するのは危険だった。最悪、ギルドに救助依頼を出す必要がありそうだ。
「あっ……! 明かりだ!」
木々の向こうに微かな灯りを見つけ、レグはそちらに向かった。家の明かりではなさそうだ。誰かが野宿しているのかもしれない。
近づいていると、川の音が聞こえてきた。それから、血と獣の匂い。
川べりに、一人の男が座り込んでいる。近くで焚火が燃えていた。周囲に、巨大なオオカミの死体が10匹ほど転がっている。おそらく、男と交戦して死んだのだろう。
男は、負った傷を火で止血しようとしているらしい。レグは警戒しながら男に近づいた。
「あの……」
「なんだ、あんた?」
男が顔を上げた。年のころは30代ほどだろうか。がっしりと鍛えられた体をしていて、制服らしき服を着ている。
「アルマンディンの冒険者です」
レグが言うと、男はへえ、と眉間のシワを緩めた。
「珍しいな。なんか用か?」
「その傷、直します。その代わり、道を教えてほしいんです……」
ヒールをかけると、男は驚くほどの速さで回復した。
「助かったよ。墓参りの帰りだったんだが、群れと三連戦ぐらいしてな。回復薬が無くなって、動けなくなってたんだ」
「さ、三連戦……」
男はメロウと名乗った。セルパンという町の自警団に所属しているらしい。
自警団とは、町が直接雇っている傭兵集団だ。町の防衛や治安維持を担っている。
「森で迷ったのか? どこに行くつもりだったんだ?」男がレグに尋ねた。
「……えっと、セルパンです」
レグは適当なことを言った。
セルパンは、この国の一番端っこの町だ。辺境地である。
(馬で3日はかかる場所なのに、さすがドラゴン……)とレグが考えていると、メロウが頷いた。
「俺もセルパンに帰るところだ。一緒に行こう」
「よかった……ありがとうございます」
二人は火を始末して、セルパンに向かって歩き始めた。合間に言葉を交わす。
「セルパンって転移魔術の施設がありましたよね?」
「転移魔術なら、今は一般人通れねぇぞ」
「え?!」
「ほら、もうすぐアルマンディンのランクアップ試験があるだろ?」
ランクアップ試験は、一般人からしたらスポーツ観戦のようなイベントだ。
当日は、各地から客が大勢押し寄せる。試験会場まで転移魔術が直通していない街の人は、一度セルパンに転移し、それから会場まで転移するらしい。
そのため、試験前後の混雑に備えて、今はメンテナンスしているそうだ。
「試験の前日には終わるはずだ。ただ、並ぶかもな……」
「そ、そうなんですか……」
「あんた町に何しに行くんだ? 任務にしては軽装じゃないか」
「……不可抗力というか……いろいろありまして……。転移魔術でアルマンディンの本部まで戻りたいんですが、困ったな」
話している間に、町にたどり着いた。門で手続きをすませる。
門から入ってすぐの広場に、巨大な猫を模した大きなオブジェがあった。黒ヒスイで作られた、真っ黒な猫だ。猫の前足の下にはひっくり返った蛇がいて、どうやら猫が蛇を捕らえた場面らしい。
「何ですか? あの像」
「ああ、大昔の像を町のシンボルにしてんだよ。あれは大きく作ったレプリカだ。実物は手のひらサイズで、役場に行けば見れるぞ」
「へえ……」
「そういえばあんた、転移魔術が使えるまで、自警団にきたらどうだ? いろいろ事情があるんだろ? 医療班が足りてなくてな。宿舎も貸りられるぞ」
「いいんですか?」
レグはお言葉に甘えることにした。
■■
メロウは、自警団内でそれなりの地位にいるらしい。医療班のリーダーらしき優男と話を付けると、すぐに宿舎が貸し出された。
翌朝、レグは、診療室の一角で治療の手伝いをすることになった。綺麗で清潔に整えられた部屋だった。医療班にはヒーラーだけでなく、薬師や心療師もいる。そのため、様々な器具や機械が揃っていた。
患者は受付で振り分けられ、一人ずつやってくる。この場所は開放されているため、団員たちだけではなく、一般市民も受け入れていた。この町は治安がよく、目立った自然災害も少ないので、団員の怪我より市民の治療の方が多いらしかった。
最初の患者は小さな女の子だった。水色のワンピースに小さなショルダーバッグを斜めがけして、一人で来ていた。
女の子は椅子に座って、袖をまくった。細い手首が、紫色に変色している。毒蚊に噛まれたのだろう。
毒蚊は各地の川に生息する虫である。刺されると肌が紫に変色し、かゆみの症状が出る。
女の子の傷は、噛まれてから数日たっていそうだった。かいた跡もある。
「兎苔を取ってたら、虫に刺されたの……」
「痛かったね。毒蚊だった?」
「わかんない。赤い目だった気がする」
「そっか。今度から、放置しちゃだめだよ。もっと悪くなっちゃうからね」
「うん」
ヒールをかけると、肌はすっかりきれいな色になった。
「兎苔はなんに使うの?」
「お味噌汁に入れるとね、おばあちゃんが喜ぶの」
「おいしそうだな。どのへんに生えてるの?」
「川の近く! いっぱい生えてるところは、百合の花のにおいがするの」
女の子は目をキラキラさせながら言った。
「お兄ちゃんあげる!」
ごそごそとワンピースのポケットをあさり、石ころみたいな種を取り出した。レグに渡す。
レグは手の平で種を転がしながら尋ねた。
「これ何の種?」
「お母さんから貰った木が種付けたの! 私が育てたんだよ!」
「すごいね! ありがとう。植物好きなの?」
「うん、好き。お母さんがね、木やお花はお世話すればするほど育って、いっぱい返してくれるって言ってたの。毎日お水あげてるんだよ!」
「そうなんだ。お兄ちゃんもちゃんと育てるね」
「うん!」
それから、女の子は真剣に種のまき方を教えてくれた。
「今日は一人で来たの?」
「うん。お母さんいないから」
「一人で帰れるかい?」
「帰れるよ! お兄ちゃんありがとう!」
女の子は、嬉しそうに手を振りながら帰って行った。
■■
診療時間の終わりが近くなったころ、青緑の髪をした少年がやってきた。
自警団の制服を着て、腰には剣を下げている。彼はエクスと名乗った。
彼の腕は真っ赤にはれ上がっていた。酷く痛むそうだ。怪我というよりは、ダメージの蓄積によるものだった。
レグは腕を見ながら尋ねた。
「エクスは剣を使ってるの? それ用の訓練を?」
「う、うん」
少年は痩せた体形で、手足は特に細く長い。剣を振るには、心もとないように見えた。
「いつもは、魔術で補ってるんだ。筋肉が足りないから……」
「……魔術適性の方があるのかもしれない」
エクスに適当に魔力を使ってもらった。魔力の流れに無駄がなく、消費量も少ない。魔術師向きだ、とレグが言うと、エクスは首をぶんぶんと振った。
「俺はサポート系魔術メインだからあまり詳しくはないけど、自警団にも魔術部隊はあるだろ?」
「レグ、俺は剣士になりたいんだ」
「なんでだ? 成長期に無理な訓練を続ければ、最悪体を壊すから……」
「俺、強くなって、早く活躍したいんだ。そうしたら両親に会えるんだ」
レグは驚いて口を閉じた。
「俺さ、赤ん坊の時に自警団に預けられたらしいんだ。いつか迎えに来るって、言い残して……。両親の行方は分かってない。でも、おれがここで活躍して名前が知られれば、国中で有名になれば、きっと会いに来てくれると思うんだ! だから、剣士になりたいんだ!」
目立ちやすい剣士などの花形ポジションは、広く名が知れ渡る。待遇もいい。
レグも、それに憧れる気持ちが分からないわけではなかったし――その他が軽んじられることも、よく知っていた。
(もし、エクスの願いを叶えてあげられるなら……)
レグはひどく悩んだ。だが結局、コウがいなければ叶えることはできないのだ。この地にいる間に様子を見ようと、怪我だけを治して治療を終わらせた。
■■
翌朝は、からっとした晴れの日だった。
森に行くのに同行してほしい、とメロウに言われ、レグは快く引き受けた。
森の中で、彼は前を歩くメロウに問いかけた。
「メロウさん、エクスって団員がいると思うんですが、知ってます?」
「ああ。何だ」メロウは前を見たまま進んでいく。
「俺は昨日来たよそ者で、口を出すことじゃないかもしれません……。昨日診察したんですが、無理な訓練で体を痛めてます。魔術適性の方があると思うんですが、メロウさんなら、説得できるんじゃないかと思って」
「知ってる」
相変わらず前を見たまま、メロウが言った。
「あんたは数日で戻るから言うが……あの子の両親は、もういない」
「え……」
「二人とも流行り病でな。父親は、俺の親友だった」
メロウは力なく首を振って、ぽつりと言った。
「両親と会うために頑張ってるのを見ると、何も言えなくてな。悪いが、あの子には黙っててくれ。……この滝の上だ。今から登るぞ」
二人は滝の近くの崖を登っていった。任務で、上流の様子を見る必要があるらしい。
滝は大きな音を立てて流れ落ちている。落ちたら命はなさそうだ。
崖の中ほどに、小さな祠があった。綺麗に手入れされていて、卵と酒が捧げられている。
そばに、赤い実を付けた植物が生えていた。レグがそれに手を伸ばそうとすると、メロウが止めた。
「気を付けろ。ウラミラミ草って言って、麻痺成分を持ってるからな」
「ウラミラミ草ですか」
「ここを持ってちぎるといい。酒のつまみにすると、舌が痺れて最高なんだ」
(メロウさん、人間だよな?)とレグは少し不安になった。
「他にも、火を噴く種とか、噛み付いてくる葉とか、この森には危ない植物が多いから、刺激するなよ」
レグは何度も頷いた。
■■
やっと崖を登り終え、休憩時間になった。
レグは、そばの岩場に座り込んだ。ひんやりした水しぶきに顔をしかめながら、滝の音を聞く。
ふと、メロウが滝から下を見ながら呟いた。
「驚いたな……」
「どうかしたんですか?」
「蛇の川下りだ」
レグはメロウの隣に立って、彼が指さす方を見た。
―――川が蠢いている。
よく目を凝らせば、それは水でできた蛇だった。滝から、水が無数の蛇の形に変わりながら落ちている。滝から落ちる間に弾けてただの水に変わっているから、上から見なければ分からない。
「あれ、蛇ですか?」
「魔力の蛇だ。この森では、数千年分溜まった汚れを、蛇の姿にして海まで流すらしい。言い伝えでしか聞いたことはなかったが、まさかこの目で見られるとはな」
メロウは空を見上げた。
「危ないんですか?」
「わからないが……研究者によれば、海まで流すためには水量が足りないから、雨を降らすかもしれないというんだな。
俺は自警団に知らせを飛ばしてくる。念のため、川近くの住人を避難させてもらう。レグ、お前は町に戻れ」
「わかりました」
――空に分厚い雲が浮かび始めたのは、すぐだった。
■■
降り出した雨は、地面を殴りつけるような豪雨に変わった。
雨によって川はどんどん増水し、蛇たちはますます勢い付いた。それは洪水となり、木々をなぎ倒した。
卵と酒が供えられたちいさな祠が押し流され、粉々になって消えた。
そこらじゅうから轟音が響く。雨を食らい、崖を破壊し、土砂をまきこみ――質量を増大した蛇たちは、あっという間に無数の大蛇となった。
■■
自警団は、5人ごとの班に分かれて、川沿いの家を訪ねて回っていた。逃げ遅れた人がいないか調べるためだ。
ぬかるみに顔をしかめながら、エクスたちの班は一軒の家を目指していた。川に近づかないよう迂回して移動するため、険しい獣道だった。
先頭を歩いていた上官が、団員たちに止まるように指示した。
「どうしたんですか?」
「ここはもうだめだ」
上官が首を振った。
エクスは身を乗り出した。耳に響く轟音がいやに耳障りだった。
――そこにあるはずの家も森林も、もうなかった。恐ろしいほど開けた場所にあるのは、黒い空と、全てを流した水だけだった。すでに川になっていたのである。
「上官、近くに人の反応はありません」
探知魔術を使っていた団員が言うと、上官は頷いた。
「わかった。次に進む」
「はい」
団員たちが動き出した。ただ、エクスだけは茫然とそこに立っていた。
彼らの一人が振り返り、戻ってきてエクスの袖を引いた。
「行くぞ! 俺達にはどうしようもない」
「……」
「行くぞ、ほら!」
引きずられながら、エクスはよろよろと歩き出した。
次の目的地で、彼らはけが人を保護した。他にいないか辺りを調べている時、エクスは川の中に子供を見つけた。
水に浸かった木の太い根っこに引っかかってて、流されずにすんだようだ。大声で呼びかけるが、返事はない。
はやる気持ちを抑え、上官を呼んだ。
「あそこに子供がいます! 助けに行かなきゃ!」
「まて、エクス! 聞け、あそこなら全員で届くはずだ」
上官の指示で、5人で手を繋ぎ、端の1人が岸の木を掴んだ状態で川に入る。
水はひどく冷たい。激しい波が団員たちに何度も襲いかかってきた。エクスは先頭で、子供に向かって手を伸ばしながら川の中を進んだ。
やっとの思いで子供のそばにたどり着き、引き寄せる。体はひどく軽かった。
戻ろう、と振り返った時、上流から、根っこごとえぐられた大木が猛スピードで突っ込んでくるのが見えた。
逃げる時間はなかった。自分に直撃するだろう、と確信した。
団員たちが絶対に手を離さないことも、彼には分かっていた。5人も巻き添えになる必要はない。だから、とっさに手を振り払った。
団員たちの怒声が聞こえ、水音に掻き消えた。
固定を失った体は、ものすごい勢いで流されていく。大木が彼の背に乗り上げ、押されて沈んだ。
(上がらなきゃ、早く!)
ごぶっ、と口から空気が漏れた。エクスは口を引き結んで、目を開いた。
泥水はひどく汚く、水流は彼を翻弄した。身長の数倍はある深さで、当然足は付かない。傍らの体を抱えながら、必死に手を動かし、水面を目指した。
幸運なことに、寸胴気味で長い手足は、水中では有利だった。なんとか水面に顔を出し、息を吸う。そこに雨と波が襲いかかってくる。流され、沈んだり浮かんだりを繰り返しながら、でこぼこした大岩にしがみついた。
ごほごほとせき込む。よじのぼることも出来ず、流れに抗うので精いっぱいだった。
体温と体力がどんどん奪われていくのを感じながら、エクスはまた沈んでいった。
■■
レグは、まだ森にいた。
森を抜ける前に雨が酷くなった。それと同時にあたりが暗くなり、完全に迷ってしまったのである。
川の音に近寄らないようにしながら、道を探す。もうずっと同じような場所をぐるぐる回っているような気すらした。だいぶ時間もたって、途方に暮れていた。
その時、ふっと百合の匂いがした。
(まさか、いるわけないよな……)
微かな不安を覚え、危険を承知で川に近づいた。だが、迷っているうえ、そもそも土地勘すらないレグに、苔の場所など分かるはずもない。
溜息をついたレグの視界の端に、何かが映った。レグは目を凝らした。
「……人だ!」
川の中に人がいた。対岸に近い方で、岩陰にひっかかった木に掴まっている。一人ではなく、子供も一緒に居るようだった。レグは走って川の近くまで行った。声を張り上げ、呼びかける。
人が、のろのろとこちらを見た。レグを見て、驚いたような顔をする。
それはエクスだった。ぼんやりとした表情で、体に力が入っていないようだ。乗っている木は運よく引っかかっているだけで、いつ流されるか分からない。
(ロープは持ってる……けど)
レグはエクスにヒールを飛ばした。それから木にロープをくくり付け、彼の方に投げる。だが掴む前に、波がロープを押し流してしまう。まるで水がわざと妨害するかのように、何度やっても無駄だった。
(応援が来るまでヒールで時間を稼いで……でも、間に合うか……?!)
ヒールをかけても、冷たい水中から出られるわけではないのだ。流されてしまえば、見失う可能性は高い。
水はうねり、ものすごい音を立てながら暴れている。激しい雨が肌を叩いた。
レグはもう一度エクスにヒールを飛ばし、それから丈夫そうな木を探した。木と体にロープを結びつけ、強度を高める魔術をかける。浮き輪代わりの折れた木を脇に抱えて、川に飛び込んだ。
継続的にヒールをかけながら、レグは泥水の中を進んだ。波に逆らわないようにして、なんとかエクスの近くまでたどり着く。
掴まれないよう、抱えた木をエクスに持たせた。それから、彼の体に新しいロープをくくり付け、自分と繋いだ。
「この子、も……」
かたわらの子供は、女の子だった。肌は真っ青で、目は固く閉ざされている。ずぶ濡れの水色のワンピースに見覚えがあった。
レグはロープを繋ぎ、ヒールをかけようとして――手を降ろした。振り払うように、もとの岸を振り返る。
(ここから、戻れるか――?)
波に抗い、足場や支えを探しながら、岸に近づこうとした。ロープはもうピンと張っている。繋いだ木がぎしぎしと傾いていた。
波で視界が揺れる。何度も顔に水をかぶった。まるで海の真ん中にいるのかと思うほど、陸地が遠い。
血が引いていくのを感じた。体温上昇魔術が追い付かないほど冷える。ひたすらロープを掴み、ヒールをかけ続けた。
「大丈夫だ、絶対死なせない」
レグはエクスの手を固く握った。
ばきばきばきと嫌な音がした。木が折れたのだと、見なくてもわかった。
覚悟したその時、ロープが引かれた。
「――――おい!! 大丈夫かー!!」
首を伸ばしてそちらを見ると、岸に大勢の人が集まっているのが見えた。団員たちだ。ロープを捕まえてくれている。
新しいロープが投げ入れられた。レグはそれをしっかりとキャッチすると、エクスにくくり付けた。
「結んだ! 引いてくれ!」
レグは声を張り上げた。
団員たちが掛け声を上げながら、力を合わせてロープを引き始める。
その声は、水音にも負けずに響いた。二人はその声に元気づけられながら、岸を目指した。
■■
――雨が降り止んだ。
レグたちはなんとか引き上げられ、安全な場所で体を乾かしてもらっていた。
指示を出しているのはメロウだ。溺れているレグたちを見つけて、団員を連れてきてくれたのも彼だった。
レグが落ち着いたころを見て、彼は近くにやって来た。
「め、メロウさん、助けてくれてありがとうございます……」
「一人で帰した俺の責任だ。悪かった」
「いえ……」
「エクスのことも、ありがとう」
レグは隣のエクスを見た。エクスは座りこんで、俯いている。
「レグ……あの子……」
エクスが顔を上げて、小さな声で言った。レグもそちらを見る。
女の子が担架に寝かされて運ばれていた。その体に力が入ることはない。
「……流されてる時に、気付いてた……でも、離せなくて……」
エクスは震える声でつぶやいた。メロウが彼の肩を撫でた。
レグは担架を呼び止めて、遺体に近づいた。あちこちぶつかったのだろう。腕は折れ、足は傷だらけだった。
(家族に渡す前に、せめて傷を治そう)
そっとヒールをかけた。
優しい光に包まれ、痛々しい傷が消えていく。
その時、ワンピースのポケットから、茶色い何かがぴょこんと生えてきた。
それは細い枝だった。ぐんぐん上に伸びて、あっという間に幹になった。四方に枝別れし、葉をつけていく。女の子の手は、伸びた根っこで見えなくなった。
団員たちが手を止めて、集まってきた。みんなぽかんと口を開けている。
木の全体が暖かく光っていた。光は女の子に降り注ぎ、やがて消えた。それから葉が落ち、枝も空気が抜けたようにしぼんで、皺だらけになりながら枯れていった。
「う……」
女の子の口から声が漏れた。両方のまぶたが開かれ、レグを見た。
団員たちから歓声が上がった。
■■
翌日、レグはベッドから降りるのを禁止され、寝っ転がっていた。
あの後、駆け付けた医療班のリーダーに激怒された。すごい剣幕であった。噂によれば、メロウもだいぶ絞られたらしい。
結果、レグは一日安静を言い渡された。しかし明日はランクアップ試験なので、こっそり魔術の練習をしていた。
診療所の中はしんとしていて、時折平和な話し声が聞こえてくる。暖かい毛布にくるまっていたら、エクスがお見舞いにやって来た。
洪水の後処理をどうしても手伝いたいとごねて、エクスはもう復帰していた。水はすっかり引いて、今は泥の片づけをしているらしい。流された家の再建も手伝うつもりのようだ。
あの女の子もすっかり回復したらしい。生き返った理由をみんなが知りたがったが、レグはすっとぼけておいた。
エクスはどこか、吹っ切れたような顔をしていた。
「俺さ……魔術の勉強しようと思ってる。ごめん、最初会った時、俺の為に言ってくれたのに、突っぱねちゃったから……」
「剣士はもうやめた?」
「うん。前は、自分の為に強くなろうとするばっかりで……それは違うって気付いたんだ。俺、町の人を守れるようになりたい。今、魔術が得意な団員に付いて、後処理を手伝ってるんだ」
エクスは恥ずかしそうに笑った。
その顔には、出会った頃の幼さはなかった。メロウはそのうち両親のことを話すだろうな、とレグは思った。今の彼ならもう大丈夫だろう、とも。
それからまた言葉を交わした後、レグは尋ねた。
「そういえば、町で何かあってるの? 話が聞こえてきて」
「ああなんか、町に赤い竜が来たんだって! 酒をおごると触らせてくれるらしいんだ」
「赤い竜……」
1時間ぐらい文句言ってやろう、と思いながら、レグはベッドから飛び起きた。
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