第百八十四話 万能快癒薬






◆◆◆ダンジョン都市桜花・第八十八番ダンジョン『世界樹』・応接室:四季蓮華




 その応接室は、主の気分によって様相を変える。


 色彩、高度、面積に類する空間設定。

 インテリアや香気、バックグラウンドミュージックのようなオブジェクト設定。

 果ては酸素濃度や慣性重力設定といった物理現象の設定から、【この部屋では~をしてはいけない】という概念的な取り決めまで、ありとあらゆるものが“蓮華開花”の一存によって決定されていく。



 今日の彼女の気分は、「図書館」だった。


 天高く伸びた書架の宮殿。

 重力のくさびから解放された色とりどりの本達が、まるで水を得た魚のように宙を舞う。




「あの子、本当に素晴らしいわ」



 書に囲まれた言の葉の海、その只中に咲く蓮の華。


 アルカンシェル――――淡いピンク色の睡蓮をモチーフとした二人用の掛けソファにその身を委ねながら、“桜花最強”四季蓮華は、ほうっと熱のこもったため息をついた。



「『英傑戦姫』の復活、“笑う鎮魂歌”の獲得、自身の運営するクランの名声を大いに盛り上げ、そしてチームの精霊達の



 レベルアップ。

 それは全ての精霊が持つ「己をより高次元の存在へと高めたい」という根源的な欲求であり、彼等がこの三次元世界の住人に力を貸す理由そのものだ。



 強くなる事、多くの存在に認められる事、占有率を高める事――――彼等が求める経験値リソースの種類は多岐に渡る。


 その中において名声や認知、そしてその先にある“信仰”こそが最も困難かつ絶大な価値を持つ“稼ぎ頭”であり、それ故に精霊達は己の主達を“英雄”という名の信仰集積器ホットスポットへと育て上げるべく数多の神話イベントを紡いできた。


 

 時は流れ、世相は変わり、最新の神話はダンジョン探索と相成った。



 異世界に潜り、最果てに待ち構える守護者を倒し、富と力、そして多大なる名声を手に入れる――――まさにそれは英雄譚。

 

 多くのダンジョンを踏破した冒険者の精霊が総じて強力な位階に在る理由もむべなるかな。


 滅した敵の存在は基より、ダンジョンを攻略した事実そのものが偉業となり、名声を高め、英雄信仰となる。


 故に現代におけるリソース稼ぎの源流メジャーは、ダンジョン探索において他ならない。

 この点については、人霊問わず誰もが広く認める所である。

 


 だが、それが無二の方法というわけではない。


 ダンジョン探索とは異なる方法であっても、精霊使いが信仰を高める方法は少なからず存在“は”する。



 “烏合の王冠”の主が組んだ此度こたびの催しも、また然り。



「天災を起こす少女、多勢を単騎で押し返す豪傑達、そして二天が四天を倒すというお手本のようなジャイアント・キリング――――自分達が新進気鋭である事を最大限に利用した見事な“人気稼ぎ”だったわ」



 私達ではこうはいきませんもの、と黄昏の主は、同じソファに腰掛ける競合他社の長に語りかける。



「我々が格下の者を倒したところで、世間は“当然”の二文字で片付けてしまうからな。本当にうまくやったものだよ」



 “燃える冰剣”の主の笑い声が書架の宮殿に響き渡る。


 蓮華は彼の独特な哄笑が嫌いではなかった。


 うるさいとは思っているけれど。



「おまけに桜花最強わたしを調停者代わりに扱いあの方々と交渉を行い、あまつさえ我々に大きな“貸し”まで与えるとは」

「逸材だろ」

「傑物ですわ」



 場所の提供、客寄せパンダとしての出演、『英傑戦姫』の名誉を回復させる為の橋渡し役に、“彼等”の暴虐を未然に防ぐ為の安全装置――――四季蓮華とジェームズ・シラードがこの親善試合において為した多大なる仕事の数々が、砂粒の如く霞む程の恩恵を、烏の王はもたらした。




 “笑う鎮魂歌”、空樹花音、そして彼等にまつわる推測とそれを補完する情報の流れ。



 今や五大クラン“烈日の円卓”の心臓は、“神々の黄昏”と“燃える冰剣”、そして“烏合の王冠”の三者が握っている。



 そして烏の王の推測を信じるのならば、“烈日の円卓”は早急にその芽を潰さなければならない正義あくである。




「荒れますわよ、これから。何せ五大クランの一角に大きな亀裂が入ったのですから。去るか消えるか抗うか、いずれにせよ平和タダで済むことはないでしょうね」

「仮に彼等が、何処へと去るとして、残された“世界の流入パイ”は誰が管理する? 私か? 君か?」

「あるいは」



 書架の宮殿に二色の笑い声が響き渡る。



 それはまるで新たな王の誕生を祝福するかのように朗らかで、優しく、そして獰猛だった。






◆◆◆ダンジョン都市桜花 可鳴矢倍病院 特別個室前:『覆し者マストカウンター』清水凶一郎




 特別個室のドアから出てきた三人の顔は、皆一様に泣き腫らしていた。



 特にアズールさんと、ヒイロさんの顔は酷いもんでまるっきり子供の泣き顔といっても過言じゃない。



「治った、ミドリが……治った」



 リノリウムの床にへたれこむ鎮魂歌の主。


 窓の外はすっかり闇色。

 ぽつりぽつりと雨まで降ってやがる。


 ヒイロさんは頭を伏せ、喉の声から絞り出すようにありがとうと言い続けた。



 意味もなく首を掻く。

 身体と言うよりも心が痒くて仕方がない。


 こういうのはあんまり得意じゃないんだ。

 いつかの未来予測シミュレーションの時のように悪態をつかれた方がまだマシ――――いや、あれはあれで来るものがあったし、なんというか俺という人間は。人から強い感情を向けられる事それ自体に忌避感のようなものを感じるタイプなのかもしれない。



「頭を上げて下さい、ヒイロさん。クランマスターが下のもんの前で頭を地面にくっつけちゃいけませんよ」



 女性陣に頼んでヒイロさんを起こしてもらう。


 あぁ、本当お願いだから泣かないでくれ。

 マジでこういうのに弱いんだ俺は。

 こっちまでもらい泣きしそうになっちまう。



「さっきも説明した通り、これは対等な取引なんです。ウチが万能快癒薬エリクサーでミドリさんを治す代わりに、ミドリさんから『亡霊戦士』事件の真相を聞く。頭を下げろなんて項目はどこにもない」

「でも俺達は散々アンタ達の事を」

「それはさっきの“親善試合せんそう”でしっかり白黒つけたじゃないですか」

「でもっ」



 なおも食い下がるクジラ男と言葉売り。

 あぁ、もうめんどくさい。

 何がめんどくさいってドライになり切れない自分が一番面倒くさくてたまらない。



「じゃあ、こういう事にしよう」



 努めて蓮っ葉な口調を作り、彼等に向けて言い放つ。



「“笑う鎮魂歌”は既に俺のもんだ。アンタ達の命も俺のもんだ。だからミドリさんを治そうがどうしようが俺の勝手なの。アンタ達に感謝とやかく言われる筋合いなんてはなからないわけ」



 暴論である事は百も承知である。

 だが、変に恩人扱いされても、それはそれで寝覚めが悪いんだよ。


 俺は徹頭徹尾『天城』完全攻略を成し遂げる為に動いているだけであり、“笑う鎮魂歌”の乗っ取りも、ミドリさんの治療も、必要だからやっただけだ。



 最も、彼等の好感度を上げておく事それ自体は決して悪手ではなく、むしろそっちの方が都合も良かったりするのだが、これは幾らなんでも過剰である。



 女性に土下座させて興奮できる程、変態じゃねぇっつうの。



「まぁ形式かたちだけとはいえ、アンタ達のクランを乗っ取っちまった詫びとでも思っといてくれ。その方がこっちとしても気が楽だ」



 言葉の結びと同時に、半ば強引に病室へと入る。



 可鳴矢倍病院は、“笑う鎮魂歌”と蜜月の関係にある医療機関だ。


 院長直々にミドリさんの面倒を診てくれている事や、諸々の億劫な手続きをすっ飛ばして万能快癒薬エリクサーを扱ってくれた事からも、その関係性の深さが伺える。



 部屋の様子は、想像していた数倍ファンシーだった。


 花瓶に添えられた色取り取りの花々。


 至る所に並べられた毛糸やフェルトのぬいぐるみ。


 ベッドも何故かわたあめのようなピンク色。


 小型冷蔵庫には「元気になってニャー」と丸文字で喋る可愛い猫ちゃんのシールが貼られている。



 一目で分かった。

 この部屋の主は、深く愛されている。

 それも大勢の人間に。



「こんばんは、ミドリさん。“烏合の王冠”の清水凶一郎と申します」



 ベッドに横たわりながら、こちらを真っすぐ見つめるミドリさん。



 そのかんばせは、さっきまで植物状態だったとは思えない程に瑞々しい。

 肉付きも血色も見た感じでは至って良好だ。



「初めまして、清水凶一郎さん。新芽にいめみどりと申します。あなたがボクの事を助けて下さったのですね」

「いえいえ、ちょいとばかし効き目のあるお薬を貸しただけですよ。俺自体はほとんど何にもしていない」


 瞬間、ミドリさんの心電図を眺めていた年配の院長が般若のような目つきでこちらを睨みつけてきた。


 彼のつぶらな瞳が雄弁に語っている。



 ――――はぁ!? 眠たいこと抜かしてんじゃねぇぞダボ! とんでもねぇ、これが「ちょいとばかし効き目のあるお薬」だったら俺達なんてとっくに廃業だよ、馬鹿! ものの価値も分からない若造が医療界を根底からひっくり返すようなチートアイテム持ってんじゃねぇよあほっ! ていうかそれ俺にくれよ! こちとら助けたい患者が沢山いるんじゃボケ!



「……にゃにか?」

「いえ、別に」



 おじいちゃん先生の視線がぷいっと心電図の方に戻る。


 目は口ほどに物を言うとは良く言うが、きっと俺が感じた「聞こえない熱弁」は、ゲスの勘ぐりというか、我が悲しき被害妄想脳がみせた幻なのだろう。


 改めてミドリさんに向き直り、俺は言った。



「病み上がりのあなたにこのような申し出を行う事は本来であれば許されない事でしょう。ですが、無礼を承知でお尋ねしたい事があります」

「ボクがどうしてこうなったか、ですよね」



 ミドリさんの顔は男性でありながら、非常に女性的な顔立ちである。


 それはもう、ウチの会津きゅんとタメを張る位には中性的だ。髪なんかもサラッサラで、実は女性でしたと言われても俺は全然驚かない。それ程までに彼の容姿は整っていた。


 だが、その二つの瞳から発せられる輝きだけは、違う。


 覚悟の出来上がった男の雄々しさが如実に現れていた。



「……はい、あなたの証言に全てがかかっています」



 特別個室のドアが閉まる。



 ヒイロさん、アズールさん、黄さんの鎮魂歌組。


 そして虚、ユピテル、ナラカ、花音さん、俺の烏合組。



「何かあったら、直ぐに申しつけくだしゃい」



 最後に院長が部屋を退出し、部屋には九人の人間だけが残った。



「リーダー、いいですよね」

「あぁ、構わない。この人達にならアタシ達の全てを委ねられる」



 ヒイロさんからの返事に重々しく頷いたミドリさんが、ゆっくりと口を開く。



「分かりました。それでは」



 そうしてようやく、俺達は『亡霊』の顛末に辿り着いたのである。






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