第百八十二話 首を洗って待っていやがれ


まえがき



今回、三話分くらいの分量を一気に書いたので、次回は帳尻合わせの為に一回お休みを頂くかもしれません。

その時は、ごめんねっ!



―――――――――――――――――――――――



◆◆◆彼にとっての正義の話






 ――――ある日男は、不思議な場所に迷い込みました。


 そこは動物達の暮らす森で、男が世界で一番愛している絵本の中だったのです。


 その世界で、男はハイエナでした。


 灰色のハイエナ。主人公のライオンに無謀にも戦いを挑んで、予定調和の如く負けるそれだけの端役。


 彼はそんな未来を憂い、そして嫌いました。


 自分がやられるのも嫌だったし、何よりも大好きなライオンと喧嘩などしたくなかったのです。


 ハイエナは一生懸命考えました。


 自分がやられることなく、ライオン達にも迷惑をかけない方法はないものかと。


 森の中から出る事はできません。


 時間が来ると怖いお化けがやって来て、ハイエナは悪いハイエナになってしまいます。


 そんなのいやだ、と考えたハイエナは怖いお化けを追いだす事にしました。


 頑張って山を走りました。


 困っている動物をいっぱい助けました。


 そうやって自分に出来る事を精いっぱいやっていると、気がつけばハイエナの周りは沢山の友達で溢れかえっていました。



 蒼い猫。

 赤い目をしたハムスター。

 黒い鷲。

 ついでに食いしん坊な精霊まで。



 彼等はみんな、ライオンに敵対するワルモノ達でした。


 だけどそれは物語の中の話です。


 ハイエナにとっては、彼等はかけがえのない友達でした。


 優しくて、気が合って、何よりも彼等と仲良くなったところでライオンには迷惑をかけない。


 それがちっぽけなハイエナにとっては、言葉に尽くす事ができない程の救いだったのです。


 大好きな物語を自分なんかが汚したくない。


 ライオンとその仲間達がどうかこの未来でも幸せでありますように


 そう願っていたハイエナは、けれども幸か不幸か出会ってしまったのです。


 それは、今にも真っ暗な沼に沈もうとする小さな子犬でした。




◆◆◆ダンジョン都市桜花・第三百三十六番ダンジョン『常闇』第一中間点「展望台エリア」(回想):『英傑戦姫』空樹花音





「もしも花音さんだったらさ、その溺れそうな子犬を助ける?」



 それはあの日、私が「正義とは何か」等という青臭い質問を投げかけた後のこと。


 二人で『常闇』の中間点にある展望エリアのベンチに腰掛けながら、言葉を交わした夜空の記憶。


 彼の片手にはチョコミント、私はカップのコットンキャンディ。


 花火が上がり、欄干から見下ろす街並みはまるで星のように煌めいていて


 ……だけど、というか当然の事ながら、私達の間にはロマンチックな雰囲気など欠片もなかった。


 さもありなん。

 


 「正義とは言葉である」という例の意見にイマイチ納得ができなくて、「そういう言葉遊びじゃなくて、凶一郎さん個人の正義ただしさを教えてください」等と図々しくもおかわりを所望してしまうような可愛げのない女が、ロマンスの波動なんて出せるはずもないのだから。

 あぁ、今思い返してみても浅ましい。

 いつだって、私はどうしようもなく空樹花音わたしなのだ。



『んー。……じゃあちょっと長いかもけど、一席付き合ってくれるかな』



 だけど凶一郎さんはそんな私のワガママに嫌な顔一つせず、付き合ってくれたのだ。



『――――ある日男は、不思議な場所に』



 ある日、男は不思議な世界に迷い込みました――――そんな一文から始まるその物語は、あるハイエナの苦悩を描いた一種の『寓話』だった。



 ハイエナは元々は別の世界の人間で、舞台となる動物達の森の事を“物語”として知っていた。


 しかも、ただ知っていただけじゃない。


 彼はその“物語”を深く愛していて、中でも主役のライオンとその仲間達の事が大好きだったのである。


 しかし、無情にもその“物語”はハイエナをやっつけるように出来ていた。


 彼は死にたくなかった。


 だから“物語”と戦わなければなかった。


 自分の愛した“物語”を自分が生きる為に壊さなければならない。


 それはハイエナにとって耐えがたい苦痛であり、刑罰であり、そして許されざる罪でもあった。


 ハイエナは生きたいと願う。


 だけどハイエナが運命に負けまいとあがけばあがく程、“森”の景色が自分の愛したものから遠ざかっていく。


 徐々に、けれど確実に。


 良くも悪くもハイエナは“森”に沢山の変化をもたらして


 そうしてある日、彼は自分が最も恐れていた“事故”に会う。


 ハイエナは出会った。


 一匹の子犬に出会ってしまったのだ。


 大きな崖から落ちて、底の見えない沼に入ってしまった子犬。


 その子犬が、やがて主人公のライオンのお嫁さんになる事をハイエナは知っていた。


 子犬は助けてと叫ぶ。


 だけどハイエナは知っている。


 ここで自分が助けなくても、彼女は一人で這い上がれる。


 そして数多の艱難辛苦の末に、子犬は最高のハッピーエンドを掴むのだ。


 だから助けなくても大丈夫。

 かえってここで余計な事をしてしまったら、子犬の未来を、そして自分の愛した物語を決定的に汚してしまう事になるかもしれない。



 だけど、子犬は今にも死にそうな声で「助けて!」と叫んでいて――――



「助けますよ、私なら」



 私は言った。

 迷う事など何もなかった。


「ハイエナさんの気持ちも分からなくはないですけど、それでもやっぱり目の前で困っている人を放っておく事なんて出来ません」

「その結果、“物語”の結末をいちぢるしく変える事になってもかい?」

「はい。それも加味して“助けます”」


 ため息が漏れた。

 私のではない。

 凶一郎さんが、偽物の夜空を仰ぎながら小さく、けれどもハッキリと――――



「それが俺にとっての正義なんだ」



 彼のチョコミントアイスを持っていない方の手から人差し指と中指が天高くピンと伸びて



「自分の中の譲れないもの同士がぶつかり合ってさ、どっちが勝っても結局傷つくんだよ。自分自身ですらこのザマなのに、ここに他人の都合が入ってきたらどうなるか――――ははっ、想像するだけでも腹がいてェや」



 声音は軽やかに、話している内容も割とシンプルで。



「成る程。つまり凶一郎さんにとって、正義というのは“めんどくさいもの”なんですね」

「“言葉である”ってのも嘘じゃないんだけどね。ただ、まぁこっちの方が俺の本音に近くはある」

「……その口ぶりだと、まるで凶一郎さんが何個も“解答”を用意しているかのように聞こえるんですが」

「人によって“気にいる価値観”って違うからさ。この手の話題は常に何本か別解ストックを用意しておくと、けっこう便利だよ」

「ストックって――――どれくらいを?」

「何かさ、人の性格って、おおよそ十六通りに分けられるらしいんだよね。だから主だった話題については、まぁ大体それくらいを」



 言葉も出なかった。

 この人の頭の中は、一体どうなっているんだろう。





「……さっきの質問なんですけど」



 無駄に沈黙を増やすのは嫌だったので、私は世間話程度の感覚で問いかけた。



「凶一郎さんがハイエナさんの立場だったらどうしますか」



 何気ない質問で、凶一郎さんもそういう風に受け取ってくれていたんだと思う。



「そうだね」



 だけど彼は笑っていた。



「勿論、助けるよ」



 笑っていたのだ。




◆◇◆




 ――――その笑顔は、あの時と同じように






◆特殊仮想空間・戦場:『英傑戦姫』空樹花音




 彼がここに来た理由を私は直ぐに理解した。


 これは保険だ。


 私が【最後の希望ラストホープ】を発動させたヒイロさんに負けないようにという彼なりの、気遣い。



 《英傑同期ステータスリンク》――――味方と私の力を同期させる《アイギスの盾》の隠された力。



 その発動条件は私に一度、味方に一度、敵に一度の順番で《アイギスの盾》をかける、それだけだ。



 たったそれだけの事で私は凶一郎さんの力を借りる事ができ、そうすればきっとパワーアップしたヒイロさんにも難なく勝つ事が出来るだろう。



「ヒイロさん」



 私は平らだった地面に目を向ける。

 見上げた先に佇む彼女の身体からは金色の霊力オーラが漂っており、誰がどう見ても瞭然に『強化』されていた。



「一つお尋ねしたいのですが、<紫金紅葫蘆ここ>の様子って、外側からはどういう風に映っているんでしょう?」

「何も視えないし、聞こえないよ。外部から知覚できるのは、この赤いもやだけだ」



 良かった、と胸をホッと一息撫でおろしながら大穴クレーターを抜けだし、そのまま外の凶一郎さんの近くまで。



 外からは私達の様子は確認できず、現実の観覧者さん達には『台詞修正機能』が働く…………それは、今の私にとってこの上なく理想的な環境だった。


 ここでなら何だって言える。

 いつもだったら絶対伝えられないような気持ちを、正直に彼のそばで話す事が出来る。



「凶一郎さんはきっと私の為を思って駆けつけてくれたんですよね」



 目と目が合った気がした。

 龍の骸を纏った彼が、隔たりの先には確かにいて、私は結界の内側から彼をみつめて一つ一つ



「私の為に試練を与えてくれて、私の為に力を貸してくれて、本当に、本当に」



 心底から湧き出る言の葉を




「―――――――――――――ふっざけんなぁっ!」




 解き放つ。



 深く吸い込んだ息と共に、赤色の毒が私の肺を汚す。


 だけど一度吐き出した想いは決して止まらない。



「ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなぁああああああああああああああああああああああああああああああっ! そうやって何でもかんでも見透かしたような行動をとって裏で全てを操って、それであなたはきっと、全部終わった後にこういうんだっ!――――“流石は花音さん、君ならやれると信じていたよ”、あぁ、うるさいうるさい黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れっ! そんなあなたにおんぶにだっこの補助輪つきの勝利なんて私はこれっぽっちも欲しくないっ! この空樹花音を見くびるのもいい加減にしろっ!」



 分かってる。

 私がどうしようもなく弱くて頼りにならない事くらい。

 分かってる。

 彼が万が一の事を考えて、チームが負けないように心を配ってくれている事も。


 もしかしたら、私がこの局面で《英傑同期ステータスリンク》を使うかどうかすらも、彼が用意した“秘密の試練”だったのかもしれない。


 だとしたら、こうやって醜態を晒している私は救いようのない程の大馬鹿ものだ。


 ううん、だとしなくても、今の私は大馬鹿者で最低な恥知らずである。



 だって彼は何一つとして悪くない。

 チームの為を思い、そして私の為を思ってここまで来てくれたのだ。


 するべきは感謝。

 かえりみるべきは私の弱さ。


 そんな事は百も承知の上で、チームの勝利を第一に考えるのならば私はここで《英傑同期ステータスリンク》を使うべきなのだ。



 だけど、だけど――――!



「この数週間、ずっと辛かったっ! 毎日の訓練は地獄だし、相変わらず『アイギス』は何にも喋ってくれないし、何千回何万回と模擬戦で負けて、ずっと惨めで、上手くいかない事だらけで、それでも、それでも」



 私は誇らしい程に頑張ってきたのだ。

 弱い自分と、惨めな自分と戦いながら色んな人の力を借りて、ここまで来たのだ。


 それを、その成果を



「《英傑同期ステータスリンク》で、あなたの力で勝ったら何の意味もないじゃないでしょうがっ! 私はっ、私はぁっそんな茶番をやる為にここまで頑張って来たわけじゃないんだぞっ! この試験を、私を、空樹花音を舐めるなぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」



 咆哮と共に血液が喀出かくしゅつする。

 凶一郎さんは応えない。

 観客も知らない。


 唯一の聞き人は、笑っていた。

 そこに嘲りはなく、むしろどこか悲しそうですらあって



「勝手だよね、男ってさ」



 ヒイロさんがどこか温かみのある声で口を開く。



「私達の気持ちなんて無」

「大体」



 だけど関係なかった。


 私はヒイロさんに同情してもらう為でも、お喋りをする為でも、ましてや時間を稼ぐ為でもなく、ただ心のままに叫んでいるだけだ。


 だから彼女が何を言おうがおかまいなしに叫び続ける。


 それはまるで猿のように。




「大体、凶一郎さんは分かりづらいんですよ! 言ってる事は難しいし、やたらと情報量多いし、『亡霊戦士』の推理なんて最初聞いた時、私ちんぷんかんぷんでしたっ! その癖自分の本当の気持ちは中々話してくれないし、なんか私にだけ壁のある話し方するしっ!」



 良く言えば優しく、気を遣ってくれていて

 だけどやっぱり私からしてみれば、凶一郎さんの喋り方は壁があるのだ。


 凶一郎さんの喋り方は本来もっと雑だ。

 フランクと言うか、割と言いたい事をいうような感じの喋り方で。



「なんでいつまで経っても、私に対してだけ語尾が「だね」とか「だよ」なんですかっ! 二人称も「君」だし、あなた他の人には大体「お前」って言ってるじゃないですか! どうして私だけ雑に扱ってくれないんですかっ! お客様扱いなんですかっ! この期に及んでまだお客様扱いなんですかっ!?」



 この際だ。

 全部ぶちまけてしまおうと思った。


 どうせ他の人には聞こえないんだし、すねに傷を持つヒイロさんは、報復を恐れて誰にも言ったりしないだろう。



「ほんとはもっと料理とか教えて欲しかったですっ! パーティのみんなでトランプとかで遊びたかったっ! なのに、特に後半は訓練とお勉強ばっかりで! 自慢じゃないですけど、私中学に入ってから七十点以上取った事ありません! そんなに頭良くないんですっ! なのに周りからは“えー、花音ちゃん。あんなに一生懸命ノート取ってたのにどうして……”とか言われて! なんですか!? 真面目でノート取って委員長やってる子はテストで五十二点とか取っちゃいけない決まりでもあるんですかっ! えぇっ!?」

「あのさ、空樹さん」

「そもそも!」

「えぇ……」



 私は止まらない。

 自分でも止められない。

 風を引いた時みたいに感情のコントロールが上手くいかないのは、きっと毒が回って来ているせいだろう。

 そう思って自分の身体に《癒しヒーリング》をかけるも――――この迸る激情は一向に収まらず、むしろ無性に目頭が熱くなって



「私は、そんなに頼りないですか」


 そうだろうとも、私は頼りない。


「私は、そんなに信用できませんか」


 当たり前だ。よわっちいのだから。


「私では、あなたの苦しみを背負えませんか」


 知っている。彼の弱さを見る事が出来るのはたった一人の蒼色で


「私を助けてくれた時」



 思い出す。

 あの夜の笑顔を。


 助けるよ、と言った彼の眼差しはとても優しくて暖かくて




「本当はすっごく辛かったんですよね」



“なんかじゃないよ。君だから良いんだ”




 それはまるで、あの採用試験の時とそっくりで




 彼は。

 きっとどれだけ問い詰めても絶対に言わないだろうけど。

 あの時、私が救われたあの瞬間。

 自分の何か大切なものを、それこそ正義と言っても差支えないような宝物を

 きっと、捨てたのだ。

 

 寓話の中のハイエナのように、彼の中には譲れない大事なものがあって

 それは私を助けたらなくなっちゃうかもしれないもので

 だけど

 彼は

 捨てたのだ。



「ねぇ、凶一郎さん」



 溺れる子犬を助ける為に、自らの魂をなげうってでも



「これじゃあ、私あなたに何も返す事ができない」



 笑いながら、助けてくれたのだ。



「あなたは私に居場所をくれて、戦い方を教えてくれて、救ってくれて、導いてくれて、沢山沢山助けてくれたのに」



 私は結局、その恩に一度だって報いられていない。



「……ここであなたの力を借りてしまったら、私はずっと溺れた子犬のままだ」



 ヒーローを志していた筈なのに、いつの間にかすっかり助けられる側が板についちゃって



「私はね、凶一郎さん。そんなに良い子でも、そんなに賢い子でも、そんなに無欲でもないんですよ」



 お客様は嫌だ。

 ペットはごめんだ。

 びりっけつは悔しいし

 丁寧に扱われると逆にモヤモヤする


 そんな可愛げのない女なのだ。



「ナラカさんみたいに呼び捨てがいいです。虚さんみたいに頼られたいです。ユピテルちゃんみたいに気兼ねなく喋りたいです」



 それは断じて恋なんかじゃなくて

 重ねて言うけど愛でもなくて

 性欲でもアガペーでもアモールでもクピードでもとにかく本当にそういったものでは決してないけれど



「私は」



 この人に



「遥さんみたいになりたいんです」



 心の底から“助けて良かった”と思って欲しいのだ。




「だけど今の私には、それを望む権利なんて欠片もないから」



 結果主義ルールというよりは、美学の問題だ。


 私は、弱い私のままあの人に何かを求めたくなんてない。


 何も出来ないのに主張する権利だけは天井知らずだなんて、そんな在り方には虫唾むしずが走る。


 だから私は、私自身の力で「ワガママを言う権利」を獲得しなければならないのだ。



「だから」



 その為には



「あなたの力なんて必要ありません」



 私は彼から背を向ける。


 凶一郎さんは何も語らない。



 赤色の結界の外で、ただ視えない私を見守ってくれている。



 それでいい。

 それだけでいい。



 これは私の戦いだ。

 手出しも手助けも大きなお世話だこのやろう。




「お待たせしましたヒイロさん、もう大丈夫です」

「いやアンタ……ううん、なんでもない。アタシは何も聞いてないし、みていない。それでいいかい?」

「そうして頂けると大変助かります」



 私は深々と頭を下げながら、彼女との位置関係を再確認した。



「(距離は六十メートル。間には大穴)」



 ふらつく足を大盾オハンで抑えながら、鎧の換装フォームチェンジを行う。


 


 《桃簾桜盾ディオメデス》から《蒼玉海刃オデュッセウス》へ



 更に



「(《真珠勇翼イカロス》、展開)」



 私の呼びかけに応えて、現出する十二の白翼。


 支援特化型霊装、《真珠勇翼イカロス》、鎧としての姿はなく、しかしそれ故に他の《英傑霊装バトルドレス》との共同展開が可能な特殊形態フォームである。


 真珠色の円錐に羽が生えたようなその独特の形質を持つ彼等は、砲撃、索敵、囮役に壁役と私の命令次第で何でもやってくれる頼れる自律兵器ドローン達だ。



「(全ての真珠勇翼イカロス達に告げます。私の視覚を共有し、【現在私が視ている赤髪の女】を最優先討伐対象として定義づけなさい)」



 円錐の側面部に備えつけられた識別センサーが緑色に輝く。


 ヒイロさんは身構えてこそいるものの、動かない。


 恐らくは私の出方を伺っているが故の『待ち』なのだろうが僥倖だ。


 これで彼女の分身×<過ちの供タルンカッペ>コンボの対策は、何とかなる。



 後は……



「えっ、ちょっと待ってアンタな」



 きっと「何をやってるんだ」みたいな言葉を彼女は言っているのだろう。


 だけど残念ながら私は、もうヒイロさんの声を聞く事ができなくなってしまった。


 比喩的な意味じゃない。

 物理的に無理なのだ。

 だって私には聴覚それを司る器官がもうないのだから。



 二つの耳は、自分の意志でちょん切った。念入りに深いところまでほじってくり貫いた。




「別に仮想空間なんで問題ないです。ご心配なく」



 私は音のない世界で一方的に言う。


 自分でも中々にロックだなとは思うが、これが最善で確実なのだ。


 これでまた一つ対抗策プランは整った。


 そして



「最後の仕上げです」



 そして私は、最後にして最強の切り札を躊躇なく切る。



 

 《蒼玉海刃オデュッセウス》から《黒晶闇鎌アガメムノン》へ



 私の呼びかけに応じて、目覚める漆黒のドレス。


 ゴシック色の強い闇色のドレスアーマーに身を包んだ私の背中から、一対の翼がはためいた。


 さながら堕天使のような装いを持つその鎧の名は《黒晶闇鎌アガメムノン》。


 短期決戦特化型終局術式、《黒晶闇鎌アガメムノン》である。


 その能力は、私の生命力を代償とした全能力ステータス限界突破オーバードライブ


 頭が眩み、血が凍りつき、視界は点滅を始め、息をするだけで全身が悲鳴をあげる代わりに――――私の中の霊力が黒い波濤となって溢れだし、そして



「ふっ――――」



 息をしただけで周囲の大地が吹き飛んだ。


 爆ぜる岩肌。

 荒れ狂う大気。


 ヒイロさんが防御の構えを取る。

 攻撃行動ですらないただの呼吸に対して、【最後の希望ラストホープ】状態のヒイロさんがアクションを取った。


 良かった。

 ちゃんと通じている。


 これなら――――



「うっおぉえっ」



 黒色の血液が、空を舞う。


 まるで嘔吐のような感覚で溢れだす私だった血液もの


 

 《黒晶闇鎌アガメムノン》は、その強力無比な限界突破オーバードライブ能力の代償として、術者の肉体を容赦なく蝕む諸刃の剣ドーピングだ。



 もって一分。

 その先に待っているのは、戦えなくなった身体と鎧の強制解除という事実上のリタイア宣言。


 だからこのままでは、まともに戦えない。

 時間が、《黒晶闇鎌アガメムノン》の制限時間リミットを伸ばす為の時間が必要だ。



「天啓展開、<《運命の寿命アルケースティス》>」



 そしてその解決札は、私の中にある。



 身代わりの天啓レガリア<《運命の寿命アルケースティス》>、体内にあらゆるダメージを無効化する概念物質を形成し、一定時間の間術者を無敵状態に変える“奇跡の前借り”。


 後で使った分だけ風邪を引くという看過できないデメリットこそあるものの、何こんな物騒極まりない《黒晶闇鎌ドーピング》なんて使っている時点で後なんてないのだ。



 だから私はこの一戦ワンプレイに全てを賭ける。



「いきますっ!」



 現れた二つの大鎌を双方の手に構え、十二の自律兵器イカロスに攻撃を指示。対するヒイロさんも金色の霊力を爆発させて


「破ぁっ!」



 そうして私達の最後の攻防は、静寂の中で幕を開けた。



 私は駆ける。背中に生えた漆黒の霊翼を推進力にして、大気を、地面を割りながら一直線に敵の大将首を取りに行く。


 後ろからは十二条の閃光が“笑う鎮魂歌”の大将を狙い撃ち。



 それに対する解答札として、ヒイロさんは百対分身なぞという【最後の希望ラストホープ】ありきの無茶苦茶をやってきたが、何も問題はない。



 多重分身と<過ちの供タルンカッペ>のステルスコンボは、確かに強力なことこの上ないが、<過ちの供タルンカッペ>のステルス能力は【五感情報以外からの認識を遮断する】だけだ。


 その脆弱性ぜいじゃくせいを、ヒイロさんは『セイテンタイセイ』の《分身》や《変身》で補う事で疑似的な完全迷彩を実現しているわけなのだが、しかしこの撹乱には一つだけ大きな穴がある。



 それは人間のように惑わされる事がなく、なおかつ視覚センサーを持った存在の干渉。即ち



「あなたが増えようが姿を変えようが、そんな小細工自律兵器ドローンには通じませんっ!」




 空中で複雑な軌跡を描きながら、たった一人のヒイロさんだけを狙い続けるイカロス達。


 私は、彼等に【現在私が視ている赤髪の女】を最優先討伐対象として定義づけるように命じている。


 あの時のヒイロさんは一人だった。

 そして、ドローン達は彼女だけをターゲットとして狙い続ける。


 変身したって無駄だ。

 ドローン達は彼女が変身する瞬間を決して見逃さないし、例えどれだけ姿形を変えようが、最優先討伐対象として狙い続ける事だろう。



 だから私は、その閃光の軌跡に従って本物のヒイロさんを狙えばいいだけ。


 当然、彼女は自律兵器達を壊そうと、百余りの<如意金箍棒にょいきんごぼう>を伸ばしてくるが関係ない。



「破ぁあああああああああああああああああああっ!」



 左手に握った『贄鎌イピゲネイア』が闇色の業火となって、質量兵器達をその使い手ごと焼き滅ぼす。


 

 そして右手に持った『讐鎌エレクトラ』を一度振るうと、その斬撃は首狩りの倶風となって、右翼のヒイロさん達を割断した。



 『贄鎌イピゲネイア』と『讐鎌エレクトラ』、これこそが、《黒晶闇鎌アムガメノン》が誇る二振りの武装むすめ達。



 霊術と物理属性の双極が、戦場のパワーバランスを一気に私の側へ傾ける。



 ヒイロさんの顔に焦りが浮かぶ。


 一瞬の躊躇からの、決意を固めた瞳。


 金色の霊力を纏ったヒイロさんが何かを叫ぶと、戦場にあり得べかざる者達が降誕した。


 納戸さん。

 アズールさん。

 黄さん。



 破れた筈の“笑う鎮魂歌”の幹部達が、クランマスターを守るようにして立ち塞がる。



 納戸さんの周りに無数の腕が顕れた。

 アズールさんの身体が三つ首の獣に変化した。

 そして天に昇る程の霊力を纏った黄さんの口から“言葉”が紡がれていく。



 彼等は死者だ。

 既に凶一郎さん達の活躍によって破られた者達が、“笑う鎮魂歌”を守る為にルールを破ってでも駆けつけた――――



「――――そんなわけないですよね」



 そう。

 ここに立つ彼等は、アズールさん達本人ではない。



 天啓レガリア、<普遍的死想幻影舞踏曲メメント・モリ>――――“笑う鎮魂歌”が秘匿し続けてきた『亡霊戦士ファントム』という演劇システムの根幹にして本性。



 登録した天啓保有者レガリアユーザーの情報や霊術スキルを『亡霊戦士』として使役するこの力は、本来ならば決して世間様にお見せする事ができない能力だった。



 だが、ヒイロさんだけは違う。


 増殖や変身、そして【最後の希望ラストホープ】という出鱈目を隠れ蓑にすれば、【ただの分身を仲間の姿に変化させて使役した】という言い訳が、辛うじて成り立つだろうから。



 三幹部と、ヒイロさんによるコンビネーション攻撃が私を襲う。


 複腕に無数の<如意金箍棒にょいきんごぼう>を握った納戸さんの疑似槍術。


 三つ首から蒼白色の霊力砲を放つアズールさんの得意攻撃。


 そして黄さんが、何かぺちゃくちゃと喋っているが私の耳には届かない。



「催眠術なんて、聞かなければ効かないんですっ!」




 その為に私は自分の耳をちょん切ったのだ。


 我ながら乱暴すぎるやり方であったと猛省するばかりだけれど、聞かなきゃ効かないのもまた事実。


 <《運命の寿命アルケースティス》>で対処できない状態異常対策は、かくしてここに結実した。



 私は音のない世界で『贄鎌イピゲネイア』と『讐鎌エレクトラ』を二度振るう。



 降誕する闇の炎と首狩りの倶風が、蘇った三幹部を仮想の無明へ誘い、そうして残った敵はただ一人。




「――――――――!」

 


 ヒイロさんが何かを叫んでいた。


 恐らくは自分なりの譲れない気持ちを語り、発奮して、大技を唱えたのだろう。


 全部推測だ。


 耳をちょん切った私には何も聞こえない。


「何を仰っているのか全然分かりませんが、私は私の正義エゴを貫くだけです!」


 私がそれっぽい事を言っている間にヒイロさんが巨大化した。


 そして増えた。



 二百メートルのフィールドに十数体の巨人がひしめき合う光景は、まさに悪夢だったが、私は構わず背中の霊翼をはためかせ、空を飛ぶ。



 『セイテンタイセイ』の力で巨大化したヒイロさん達が、一斉に<如意金箍棒にょいきんごぼう>を振り回した。



 この領域で、この密度で、この波状攻撃。


 金色の霊力を纏いし、数百トンの質量兵器の跳梁跋扈に私は逃げる隙間を失った。


 空が震える。


 大地が滑落する。


 私の防衛戦術を一瞬で崩した圧倒的な質量と暴力のコラボレーションがパワーアップと増殖を遂げて返って来た。


 回避は不可能。

 恐らくは撃ち合いも不利。


 足りないのは出力だ。


 この巨神達の暴虐を止めるだけの出力が《黒晶闇鎌アガメムノン》だけでは、僅かに足りない。



 だから



「<活殺震盾オハン>、『活殺領域展開』っ!」




 私は満を持して伏せ札を切る。


 布石はとうの昔に打っていた。


 一度目のヒイロさんの巨大化攻撃の時に<《運命の寿命アルケースティス》>にギリギリでやり過ごした結果がここで活きる。



 <活殺震盾オハン>の第二形態『活殺領域展開』


 それは私と <活殺震盾オハン>の負ったダメージ量に応じて能力ステータスの全体強化を行うというもの。


 あの時ヒイロさんが規格外の暴れっぷりを見せてくれたおかげで既に私も<活殺震盾オハン>もボロボロだ。



 故にその強化補正バフランク最高朝クライマックス




「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」



 叫び声と共にはち切れんばかりに溜まった霊力を双極の鎌に乗せて振るい回す。


 世界に轟くは闇色の嵐。


 禍炎と斬撃の複合災禍が、巨神達の繁栄を無慈悲に冥府へ突き落す。



 《黒晶闇鎌アガメムノン》×<《運命の寿命アルケースティス》>×《真珠勇翼イカロス》× <活殺震盾オハン>



 これが、これこそが




「首を寄こせぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」




 今の私の全力だ。




◆◆◆



 音のない世界で音よりも速く。


 闇色の嵐を纏った渾身の首狩りヴォーパルは、見事悲哀の巨神の首を切り裂いた。


 かくして天城オリュンポスへの道はついに開かれる。







 いつかきっと絶対に

 君を助けて良かったってあなたに言わせてみせるから。

 だから精々、首を洗って待っていやがれこのやろう。












 




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る