第百五十二話 はるかいんじぇらしっくわーるど②






◆ダンジョン都市桜花・第四十一番ダンジョン『嫉妬』第一中間点・住宅街エリア




 蒼乃遥は悩んでいた。

 いつも通りに悩んでいた。


 ケートゥスを倒し(結局時間をかけてワクワクした。大体二百ワクワクくらいで終わった)、三十層の攻略を終えた翌日の事である。

 その日は久しぶりの休日オフだった。しかもただのオフではない。三連休初日のオフである。



『これより先は、完全なる未踏領域だ。今まで以上に苛烈な探索状況シチュエーションが予想される。故に各人、三日後の探索再開に向けて英気を養うように』




 昨日の晩、黒騎士リーダーが言っていた言葉だ。



 ちょっと固いので意訳すると『みんなお疲れ! 次の仕事は大変そうだから、その前に三連休を取ったよ! というわけでレッツ、リフレッシュ!』という事である。



 休み。三連休。それは恐らく世間の大半の人間が喜びに打ち震える甘美な響きなのだろう。



 しかし、今の少女にとってはそうではなかった。


 愛しの夫が傍にいない三連休等、無きも同然。むしろ退屈を嫌う少女にとっては拷問マイナスですらある。



「(暇だにゃー)」



 ぼーっと、自室の天井を見上げながらため息をつく。


 白塗りの天井にはシミひとつなく、丸型のシーリングライトも驚くほどに綺麗だ。


 だけど今の少女にとっては、その漂白された美しさがなんだか無性に腹立たしかった。雑念にまみれた己の内側を、天井の白さに見透かされているような気がして、すっごくモヤリ。




「(ふんっ、どーせあたしは煩悩だらけですよーだ)」


 面白くなくてゴロリとベッドに横たわる。



「ねぇ、凶さん。やっぱりあたし君がいないとダメみたい」



 抱き枕にプリントアウトされた爽やか笑顔の旦那様に熱い抱擁を交わしながら本日二度目の溜め息をつく。



 彼に頼んで無理に作ってもらった等身大の抱き枕。本当、これがあるお陰で何とか平静を保っていられるといっても過言ではない。



 だけど……。


 

「やっぱり本物がいいよぉ……」



 幾ら抱き心地が良かろうと、所詮枕は枕だ。本物には叶いっこない。



 だって本物は一方的に抱きしめられるだけじゃない。ちゃんと抱きしめ返してくれるのだ。その差はあまりにも大きい。温もりが、まるで違う。



「会いたいなぁ、会いたいなぁ。本物の凶さんに会いたいなぁ」



 ぐにぐにと抱き枕に描かれた夫の愛しい顔を撫でくり回しながら、少女は三度溜め息をついた。



「(あれ……?)」



 ふと思い立つ。

 今日はお休み。

 三連休の初日。

 お休みの日は、どこに行ったって良い。

 外に出ようが、清水家じっかに帰ろうが、それこそ他のダンジョンに潜ろうが思いのままである。



「(そうだ、そうだよ! 会いたいなら会いに行けば良いじゃんか!)」



 燻っていた心に灯る明るい兆し。


 どうして今まで思いつかなかったのだろうか。

 『嫉妬』の攻略班だからといって『天城』に行ってはならないなんてルールは存在しない。



「(休日オフを利用して、『天城』攻略! ……これだ! これだよ!)」



 これこそが本当の働く休日ワーキングホリデー! 最高の休日の過ごし方



 そうと決まれば急いで出発だと、少女は急いで支度を整えて、最低限の荷物片手に借り家の玄関をくぐり抜けて────







 そこで少女は、パンツを見た。


 パンツだ。白いパンツに緑のレースがあしらわれた可愛らしいパンツである。


 そしてパンツは単品ではなかった。ちゃんと中の人が付属されていたのである。

 朝焼けの青空の下、素焼き調のタイルの上に伏せるパンツ丸出しの女の子が一人。


 恐らくは玄関先の段差で盛大にすっ転んだのであろうその人物に、遥は若干の気まずさを覚えつつ声をかけた。



「えーっと、大丈夫? ソフィちゃん」

「ふぁい、なんとか」



 パンツの主はくぐもった声でそう答えながら、もぞりもぞりと起き上がる。

 その所作は、身体の動かし方を良く知らない者特有のぎこちなさを孕んでおり、端的に言って危なっかしかった。



「(あーあ、こんなに派手にぶちまけちゃって)」



 心の中でほんのりと苦笑しながら、遥は周囲に散らばったソフィの所持品を拾い上げた。

 杖や書類に寒色系統のサコッシュ(中にはスマホや水筒といった各種必需品の他に大量のお菓子が詰まっていた)、それにこれは小型の弦楽器……だろうか? いずれにせよこの華奢な少女の持ち物としては、かなりの量である。どこかへ遠出でもするつもりだったのだろうか。



「はい、コレ」



 拾った荷物を、一個一個丁寧に返していく。

 一気に渡してはダメなのだ。このお下げの少女は割かしぶきっちょさんなので、ゆっくり小まめに渡すのがベターなのである。



「これで全部かな。大丈夫? 怪我はない?」

「ありがとうございます、遥様。また助けられてしまいました」

「良いって良いって、こういうのはホラ、助け合いじゃない? あたしもソフィちゃんの《癒しヒーリング》には何度もお世話になってるし、おあいこさまだよ」



 等と当たり障りのない事を言っておく。



 こういうのは対等っぽさが重要なのだ。世の中には助けられたという事実に余計な引け目やコンプレックスを感じる困ったさんも多いので、遥は誰彼構わず(無論、旦那様だけは例外である)こういう態度で接している。



 最も、彼女に限って言えば、そんな気遣いは無用なのだろうが。



「それで」



 舗装されたタイルの道を二人並んで歩いていく。



「ソフィちゃんは、どっかお出かけ? ピクニックにでも出かけるのかにゃ?」

「いえ、ピクニックというか、この中間点に漂う“善くない事象もの”を祓おうと思いまして」

「あぁ、成る程ね」



 そのあまりにも彼女らしい休日の過ごし方に、遥は思わず目を細めてしまった。



 この子は、この歳上とは思えない小さな聖女様は、本当にいつだって真っ直ぐなのである。



 世のため、人のため。人類は皆隣人で愛すべき兄弟。大変結構な事ではないか。自分にそれが出来るかといえば勿論無理だしやる気もないが、彼女みたいな在り方ほんものが少し位いてくれなければそれはそれで困るというもの。



 だから遥は、ソフィの異論を挟むつもりは毛頭なかった。



 しかし



「でもさ、ソフィちゃん。ちょっと言いにくい事なんだけど」

「はい、なんでしょうか」



 こくりと小首を傾げる当パーティ随一の“癒し力”を持つヒーラー。



 ライトグリーニッシュブルーの髪に、愛くるしい顔立ち。放つ声にはある種のカリスマめいた“ゆらぎ”があり、同じ女性の遥からみても、彼女の出で立ちは完璧だ。



「君って現在ウチで絶賛売出し中の広告塔アイドルさんだよね?」

「? まぁ、一応は」


 完璧な美少女であり、完璧なアイドルでもある。



 ソーフィア・ヴィーケンリード。“烏合の王冠”唯一のヒーラーにして、無二の広告塔。


 大手呟き投稿サイトのフォロワ―数約二百万、大手動画投稿サイトDtubeチャンネル登録者数二百六十万――――たった一月余りの活動経験でコレである。

 しかもその間にやれ『向こうの大陸』の法王様が彼女をフォローしただとか、かれ大手テレビ局のプロデューサーが彼女に惚れこんで『是非今度彼女を主役とした映画を作らせてくれ』と義叔母に頼み込みに来たりだとか、そういった感じの『アレなやつ』がひっきりなしに続いているというのだから、なんというかもう、本当にすごい……すごい以外に形容する言葉が遥の辞書にはなかった。




 “さて、そんな飛ぶ鳥を落とす勢いであらせられる現代版聖女アイドル様が、往来の激しいこの中間点で暢気に“お祓い”なんてしてたらどうなると思う? 答えは決まってるよな、大戦争おまつりの始まりだよ!”――――もしも夫がこの場にいたら斯様かような感想を述べていた事だろう。無論、遥もそう思う。この良く転ぶ癒し手の少女は、基本的に自身の“価値”というものを深く認識していない。




「(絶対、危ないよなぁ)」


 

 ファンに囲われてビックリ仰天……なんていうのはまだ良い方で、最悪誘拐のような大惨事に発展するケースだって有り得る。



 もしもここで見す見す彼女を一人で行かせた挙げ句に、変な事件に巻き込まれましたなんて展開になれば(そしてそれは杞憂の一言で片付けられない程度には現実味のある話なのである)、きっと自分は「あの時あたしが止めていれば」と本来抱えなくても良かった筈の罪悪感を背負い込む羽目になるのだろう。



 そういうのは“のーせんきゅー”だ。出来る事ならばご免被りたい。

 これが“彼”と“彼女”を掛けた天秤せんたくであれば、遥は間違いなく“彼”の方を選んでいた事だろう。しかし今回のはかりはあくまで“自分”と“彼女”である。

 個人の突発的な衝動か、仲間の安全か。その二択で悩める程には、蒼乃遥この恋愛脳も人間だったのだ。



「(でも、凶さんの所には絶対行きたいし。だけどだけど、それでもしソフィちゃんが大変なことになったら、あたしは今日の事を絶対後悔するだろうしっ)」




「本当ですかっ! わぁ、ありがとうございますっ。遥様がついて来て下さるのならば、この上なく心強いです」



 欲望と責任感の間で揺れ動く少女の気持ちが最終的に後者の方向へと傾いた理由は、『彼と過ごす時間に余計なケチをつけたくないから』という彼女ならではのスタンスに根差したものだった。




「だけど、よろしいのですか? そのお姿を見るに、遥様もどこかへ出かけられる予定があったのでは?」

「……あぁ、いいのいいの。三連休は始まったばかりだし、あたしの予定は明日とかでも叶うだろうからさ。――――その代わりと言っては何なんだけど、ソフィちゃん、明日と明後日の予定とかある? もしないなら、お家でゴロゴロしててくれればありがたいなーって」

「……成る程、分かりましたっ。このソフィ、遥様のご恩に報いる為に、明日明後日は全力でお休みする事を誓いますっ」



 遥の言い分を察したお下げの少女は、両手の平をぽん、と合わせながら微笑んだ。

 稚気と慈愛に、僅かばかりのいたずらっぽさを含んだ柔らかい表情かお

 



「(ズルイ子だなぁ、ほんと)」



 可愛くて、素直で、良い子で、ちょっぴり抜けていて――――世間の皆様方がこの子に夢中になる気持ちが良く分かる。



 偶像アイドルとは、まさしく。

 もしも自分に夫というものがいなければ、この子にドはまりしていたのではなかろうか。

 そんな未来予想図を想像しながら、遥はお下げの同僚の荷物を持ってあげた。







―――――――――――――――――――――――



・等身大凶一郎抱き枕カバー



 世界で大体二人くらい(蚩尤メスブタや凶ピのおっとを自称する呟き投稿サイトの危ない人達ディープファンは除外する)にしか需要のない危ない枕カバー。

 目つきの悪い半裸の老け顔が恥じらっている。

 よく勘違いされがちだが、ゴリラのゴリラは首から下の筋肉を大げさに揶揄する言葉(そもそもチビちゃんが子供のノリでつけたあだ名である)であり、顔自体はちゃんと人間やってる。そしてこれまた忘れがちではあるけれど、ゴリラは一応大天使文香の血縁なので、ちゃんと人間の顔なのだ!
















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