第六十八話 常闇の邪龍と烏合の王冠1









◆ダンジョン都市桜花・第三百三十六番ダンジョン『常闇』最終層・邪龍王域





 まず目についたのは果てのない闇だった。



 底の見えない無窮の黒。


 月もなく、星もなく、煌めく全てを否定するかのような墨染すみぞめのそらは、まさにこのダンジョンが冠する名前通りの常闇である。



 そして大地には巨大な柱がそびえ立っていた。


 材質はおそらく精霊石。それも結構な上物である。


 不気味な紫光をぼうっとほとばしらせながら暗黒の彼方に向けて高く屹立きつりつする無数の円錐達。


 それらが前後左右等間隔に設置されている様はまるで――――




「道だ」



 ポツリと、張りのある美声が闇夜に響く。


 遥の予測は正しい。


 これは道なのだ。


 一対の柱をアーチとして、それらがこれ見よがしに進行方向を形成している。


 ご親切に柱が発光して下すっているので、前後不覚に陥る心配もない。



 なんと手厚いおもてなし精神ホスピタリティー



 まるで「この道を歩いていけば、ちゃんとボスに会えますよー」と制作者が忖度そんたくしているかのようだ。




「なんかこうして二人っきりで歩くのも久しぶりだね」


 道の最中、唐突に遥がそんなことを言い出した。



「そうか? しょっちゅう二人っきりで、その……寝てるだろ」

「違うよぉ。そういうお部屋の中での……そういうのじゃなくってさ。あたしと凶さんの二人っきりでダンジョンを歩くのが久しぶりというか、なんというか」

「あー、確かに」


 


 言われてみればそうかもしれない。



 常闇の冒険を始めてから数ヶ月、俺達は常に肩を揃えて駆け抜けてきたが、意外にも遥と二人っきりでの探索というシチュエーションは初回以来である。



「二回目からはもう、ユピテルがいたもんな」

「そーそー、意外に少ないんだよね、あたし達のデュオ」



 探索中は、基本的にあのチビが背中に乗っかってたもんなぁ。


 あまりにも頻繁ひんぱんに乗っかってくるもんだから、逆に今の状況に違和感さえある。



 その違和感を払拭ふっしょくするべく空を見上げると、そこには寒色系の光を放つ何かの姿があった。


 

 合図がないという事は、向こうさんも上手いことやっているらしい。



 よきかなよきかな。頼りにしてるぜお二人さん。ていうか、暗黒の空を翔ける首なし馬車って異様に映えるな。ザ・ダークファンタジーって感じで大変よき――――


 



「ねぇ凶さん」

「ん?」

 


 ――――等とどうでもいいことに想いをせていると、地上の太陽に袖を掴まれた。



「唐突なんだけどさ」 



 常闇の最奥においてもなお朗らかに微笑みながら、整った唇を動かしていく恒星系。



「この戦いが終わったらどっか二人で出かけようよ」



 そしてそこから飛び出した台詞せりふは、前置き通り本当に唐突だった。



「多分違うとは思うんだけど、それは次のダンジョン攻略のお話ですか?」 



 ぶんぶんと遥の首が横に揺れた。


 前後の文脈をかんがみた上での推量だったのだが、どうやら不正解だったらしい。残念。




「別にダンジョンじゃなくてもいいんだ。凶さんと二人でワクワクできればそれでいい。たとえば、えーっと」

「キャンプとか?」

「そう! そんな感じ! 薪割って、自分達の力で火を起こして、スキレットとか飯ごう使って美味しいキャンプご飯を作ろうよ。で、夜になったら、焚き火を囲んでお喋りしてさ、眠くなったら一緒のテントで微睡むの。……どう、素敵じゃない?」




 成る程、確かに心がくすぐられる提案だ。



 遥と二人っきりでキャンプ。楽しくないはずがない。


 想像するだけで胸の奥が幸せで満たされるようなそんな感覚。



 良い。すごく良い。すごく良いのだがしかし




「お前さん、それ完全に死亡フラグ」

「あははっ、そうかも」



 俺の指摘を鷹揚おうような頷きで飲み込みながらも、その表情に気まずさのようなものはまるでない。



「でもさ」



 くるりくるりとその佳麗な身体を回転させながら、遥を自分の言の葉を紡いでいく。




「死亡フラグって要するに演出でしょ? ジンクスともちょっと違うし、なんて言えばいいのかな、沢山の物語に共通するパターンの内の一つみたいなもの? とにかくそんな風に遥さんは思うんだ」

「そうだな」



 自然と首が縦にかたむいた。興味深いトピックスだ。「ネタにマジレスとか草」の一言で終わらせてしまうのは、あまりにももったいない。


 まぁ俺は基本的に「箸が転んでおもしろい」レベルの話だろうと乗っかるタイプなので、どの道拾っていたと思うのだが、さておき。



「統計でもジンクスでもなければ、迷信ともちょいと違う。うん、確かに。お前さんの言う通り演出って言葉が一番しっくりくる」

「でっしょー!」



 ほんのりドヤ顔で中学生とは思えない胸部装甲で威勢を示す遥さん。


 どうしよう。最近こいつの一挙手一投足に見入ってしまう自分がいる。


 ……ってそうじゃなくて。



「公平世界仮説を前提とした物語的ロジック……あるいはデフォルメ化した自己責任論をゲームの仕様に落し込んだ変数……いや、順序が逆だ。初めにコンピュータ用語としてのフラグがあって、そこから伏線的な意味合いを持つ……」

「おーっ、凶さんがいきなり難しいことを言い始めよった」

「ごめん、エッチなこと考えそうになったから無理やり思考のレベルを上げてみた」

「まぁ正直」



 半分は冗談だ。言う程おっぱいのことは考えていない。


 それよりも今は死亡フラグについて語り明かしたい気分なのだ。



「話を戻そう。つまりお前さんはこう言いたいわけだ。フラグなんてものは所詮しょせん絵に描いたもちなんだから、気にするだけ損だと」

「そうだよ! そうなんだよ!」



 瞳の輝きを更に高めながら、ずいっと俺の側へと寄って来る恒星系。

 最近の遥さんはデフォルトでパーソナルスペースを越えているから、ちょっと寄るだけですぐに密着してしまう。あぁ、法悦ほうえつ



「あのね、もちろんあたしもさ死亡フラグとかが冗談の類だってことは分かってるんだ。でもさでもさ、中には今の凶さんみたいに本気でナーバスになっちゃう人もいるわけじゃん」



 否定はできない。

 困った時の神頼みということわざがあるように、極限状態におちいった人間というものは往々にして非現実的なモノにかれてしまう傾向がある。



 ジンクス、迷信、ゲン担ぎ、道端を横切る黒ネコの方向の違いによって幸不幸が決まり、靴紐が切れただけでもハルマゲドン。


 はたから拝めば馬鹿馬鹿しい事この上ないのに、いざ自分が同じ立場になると無性に気になってしょうがないんだよな、ああいうの。



「あたしも勝負の日にはとんかつ食べるくらいのゲン担ぎはやってるし、テレビの星座占いに一喜一憂しちゃうタイプだからあんまり人の事は言えないけど、死亡フラグってそういうのよりも更に嘘っぱちだと思うんだ。いや、むしろ混じりっけなしの虚構フィクションって感じ?」

「ジンクスやゲン担ぎには、それの基となった言葉や慣例があるけれど、伏線やフラグを信じる為の理屈は物語の中にしかないって事か。……遥、お前スゲェな」

「? よく分かんないけど凶さんにほめられたっ」



 わーいわーいと子供のようにはしゃぐ恒星系。

 その無邪気さとは裏腹に、うち立てた理屈の切れ味は相当鋭い。



 そう。冷静に考えてみれば、遥の言う通りなのだ。



 死亡フラグを始めとした◯◯フラグ全般は、現実に則した統計結果を根拠とするものではない。


 

 あれらの実態はゲームや小説といった何らかの物語に則したフィクション上の描写であり、パターンであり、演出である。



 架空の中でのみ存在を確立できる法則――――要するに○○フラグというのは虚構フィクションの産物なのだ。



 

「だからさ、現実に生きるあたし達にはあんまり関係ないんだよって遥さんは言いたいんだ。だってさ、物語の中でのみ機能する理屈なんて縁起がどうこう以前の問題じゃん」

「あー」



 返答をきゅうした俺は思わず天をあおいだ。



 理屈としてはもっともだと思うし、個人的にはすごく好きな意見だ。




 だけど、この世界と酷似した物語を知っていて、あまつさえその知識を活用してここまで来た身としては色々と思うところがあるわけで――――いや、でもやっぱり遥の言い分が正しいのかもしれない。



 だって、ここにいる彼女は絵空事じゃない。



 この世界の蒼乃遥は今も確かに生きている。

 物語の都合などお構いなしに活きている。



 死亡フラグどころか数ヶ月前に死ぬはずだったやつが、今こうしてピンピンしてるんだぜ?



 だったら何を恐れる必要があるというのだ。

 決戦前にやりたいことを述べたところで、それが死の伏線になるわけもないし、そもそもそういうものを否定する為に俺達はこれまで戦ってきたんだろう?



 清水凶一郎とその周囲に張り巡らされた一族根絶やしの運命さだめ



 そいつを完全に破壊し、否定して、人並みの幸せを掴む事こそが俺達の本懐であり、終着点である。



 なのに俺ときたら……ったく笑えるぜ。

 悲劇的な物語をブチ壊そうと息巻いているやつが、物語の演出にビビり散らかしているなんてな。



 全くもってナンセンスな上に、死ぬほどダサくて滑稽だ。




「これから死地に向かうって時に、楽しい未来を思い描くことは絶対に悪いことじゃないと思うんだ。だって、それは生きるぞーっていう前向きなパワーでしょ」




 もうひらかれるとは、まさにこの事だ。



 決戦の前に、楽しい未来を夢見て何が悪い。


 行き過ぎて現実逃避を拗らせたら、そりゃあ問題だろうが、今の先を見定め、そこに希望を抱くことは罪でも咎でもないし、ましてや不吉なものであるはずがないというのに。



「あぁ。お前の言う通りだよ遥。どうやら俺が間違ってたみたいだ」

「正誤というよりは好みの問題だけどね。……あっ、そうだ凶さん! 良いこと思いついたんだけど聞いてくれる?」


 

 断る理由がないので耳を貸すと、恒星系は非常に“らしい”ことを言い始めた。




「目的地に着くまでの間に思いつく限りのやりたいことを言い合うの。で、そうやって集めた沢山の“この戦いが終わったら~”を未来のあたし達が一個一個協力して叶えていくんだ。うんっ、これは間違いなくワクワク百パーセントだね!」









 目的の場所に辿り着いたのは、それから約十分後の事である。



 均一に並べられた紫光柱の回廊を抜けた先に待っていたのは広大な決戦場だった。



 遮蔽物のない円形のフィールドに外周を囲う濃紫の柱達。


 踏みしめる大地はうっすらスミレ色で、目にきつくない程度の光を放っている。


 装備越しにつついてみた感触としては普通の一言に尽きる。


 固くもなければ、柔らかくもなく、強く足を置いてもこれといった違和感はない。


 端から端までの距離が優に数キロメートル程あるという一点を除けば、至極シンプルな造りであると言えるだろう。



 そしてその中心にソレはあった。



 中央に闇色の宝石が埋め込まれた円形の台座、とでも形容すればいいだろうか。


 楕円形に加工された漆黒の宝物ほうもつは、ジュエリーやアクセサリーにてんで疎い俺ですら見入ってしまう程美しく、それでいてそら恐ろしかった。



 根源的恐怖とでも言えば良いのだろうか。


 一度コレに触れてしまえば、取り返しのつかない何かが溢れ出しそうな、そんな感覚。





「凶さん、これが」

「……あぁ」



 頷きながら自前の霊力を解放する。


 気圧されるな凶一郎。ここまで来ておいて何を恐れる必要がある。



 支度をしろ。

 合図を送れ。

 舞台の幕は、とっくに上がっているのだから。



「ふ……んっ!」



 上の連中が気づきやすいようにちょっと強めに《腕力強化》と《脚力強化》、更に《装甲強化》と《衝撃緩和》と《思考加速》の計五重バフでスタートアップ。



 スロットの空きはまだあるが、この辺は適宜てきぎ追加でいいだろう。さて、俺からの合図は無事向こうに届いて――――いるみたいだ。



 暗黒の空から飛来する黒雷の轟き。

 

 尋常じゃない衝撃を伴った雷の暴虐が、はるか遠方の大地に降り注いだ。

 一筋の黒雷。

 それが意味するものは、“問題なしオールグリーン”。


 成る程。

 どうやら向こうさんも準備万端らしい。



 であれば後は




「心の準備はできてるかい、相棒」

「応ともさ!」



 霊力をみなぎらせた遥の拳に俺の拳を重ねてぶつける。



 この常闇で幾度となく繰り返してきた俺と遥のルーティン。


 千の薬や万の言葉よりも、やっぱりコレが一番上がる。



「やろう凶さん、最終決戦だ」

「あぁ。――――いこう」



 最後に大きく息を吐き出してから、俺は半ば叩くような強さで闇色の宝石に触れた。




【挑戦者の存在を検知致しました。これより最終シークエンスに移行します】

 

 


 常闇の世界に響き渡る無機質なアナウンス。

 

 その声は全てのダンジョンを統括する神からのお告げであり、祝福であり、そして呪詛でもある。



【座標軸固定。次元転移の許可を三名に制限。戦闘領域外への一般物理移動を禁止致します】



 アナウンスと共に、静謐に包まれていた闇夜の領域が目まぐるしい変化を遂げていく。



 光量を増すすみれ色の地面。

 互いの隙間すきまにおびただしい量の霊力を流し合う柱達。

 それはまさに結界だった。

 決戦場から俺達を逃さない為に課せられた霊力の檻。

 しかも空を見上げてみれば、明らかに柱の全容が延びているではないか。

 

 いや、




 高さの終わりが見えない。

 どれだけ目を凝らそうとも円錐の尖端が映らないのである。

 


 高度数千、いや数万…………最悪空の終わりに突き刺さっていたとしても俺は決して驚かない。



 全てのダンジョンの産みの親にして、あらゆる世界を創造するあの超神アルテマならば、それくらいの無茶はやってのけるだろうからな。



 高く、高く、空の果てまで伸長した無数の紫光柱。


 それらが決戦場の周囲をぐるりと囲い、柱同士で尋常ならざる霊力をぶつけ合う。


 天を刺す柱と絶え間なく流れる無尽の霊力流。


 逃げ出す隙間は……まぁないな。



 逃げられない(物理)って言葉がこの上なく似合う状況だ。



 ゲームのボス戦というワードがつい脳裏によぎってしまうのもさもありなん。


 ここは創造の超神彼/彼女が創り出したゲーム盤。



 精霊界と人間界の狭間にしてマッチングアプリ会場でもある他階層とは根本からして役割が違うのだから。



 

 


【戦闘領域の設定を完了。続けて最終階層守護者の解凍と投入を開始致します】 


 

 



 空間が揺れる。

 世界のテクスチャーが崩れ落ちていく。

 何もない闇が剥がれ、ひび割れ、崩れていき、より黒く暗い何かが無より出でる。



 まず現れたのは巨大な腕だ。

 紫黒の鱗におおわれた一対の腕が、次元の狭間に顕現けんげんする。

 


 特筆すべきはそのスケールだ。解き放たれた双腕は、その辺の自家用車ならば簡単にまめそうな程に太くてデカイ。

 


 この時点で奴は既に規格外だった。



 あのケラウノスですら大型車サイズ大だったのだ。


 それを腕だけで優に超えてしまうイカレっぷり。


 これで二十五層クラスなんて本当に詐欺である。ゲーム内の推奨レベルが同規模のダンジョンよりも倍以上離れていた理由が嫌という程理解できてしまう。



 そしてその規格外っぷりは、奴の姿があらわになればなる程に深まっていく。



 大地に根を下ろした足は家屋を踏み潰せる程に豪壮で、天にはためく紫黒の翼はカマクがひな鳥に思える程に雄大だ。



 尾等はまるで川のようである。数十メートル規模の胴体との合わせ技で這い寄り攻撃ハイハイなんてされた日には、小さな町の地形など瞬く間の内に変わってしまう事だろう。



 腕、足、胴、尾、翼。そのどれもがあらゆる意味で規格外。




 しかしそれら全てを上回る威容と霊力をまとった本命が、最後の最後に現界を遂げた。


 

 金色に輝く蛇眼、鱗と甲殻に覆われた相貌、頭頂部に生え揃ったVの字型の角からはこの世の闇を凝縮したかのような霊力が噴出しており、三日月状の口器の中には剣の宮殿かと見紛みまがう程の牙が鎮座している。



 それはまさしくドラゴンの頭部だった。


 幻想生物の王にして、この世界の頂点捕食者。


 荒々しくも凛々しく、禍々しくも神々しい。



 これこそが龍。これこそが最終階層守護者。



 完全なる覚醒を果たした紫黒の邪龍が、今ここに降誕の産声を上げる。




「「「■■■■■■■■――――!」」」




 爪弾かれた咆哮の調べは三重奏。


 胴体より別たれた三つの頭部が「我はここにあり」とそれぞれ己の生を主張し合う。



 三つの頭、三つの口そして六つの眼を擁した異形の多頭龍。

 その名は――――




【第三百三十六番ダンジョン『常闇』最終階層守護者“邪龍”アジ・ダハーカの解凍及び投入を完了致しました。これより、当領域は決戦フェイズへと移行します】



 ――――“邪龍”アジ・ダハーカ。

 姉さんにかけられた死の呪いをうち消すための最大最後の壁が、俺達の前に立ちはだかる。

 






――――――――――――――――――――




 三百三十六番→三頭三口六眼


 後は中ボスの神話系列がヒントだったかもしれません。


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