第六十六話 夏と姉と光の花(後編)












 異世界人としての俺と現地人としてのオレが混ざりあった存在――――それが今の清水凶一郎という人間である。


 といっても元々の凶一郎成分はさして多くない。



 趣味や思考回路の根幹はほとんど異世界人としての俺のものだし、記憶についても同様だ。



 あくまで主観による推測に過ぎないが、異世界産の俺が占める割合は大体九割程度。



 ガキっぽい振る舞いや、キレやすいところなんかは多分、この身体の持ち主に引っ張られているせいだと思う。

 ……というか、そういうことにしておきたい。



 さて、斯様な共存関係にある俺達だが、時折そのパワーバランスが逆転することがある。



 頻度としてはあまり多くはないが、たまに元の凶一郎色が濃くなる時があるのだ。



 たとえば、異世界人としての俺が知る由もないような記憶を唐突に思い出したり



 たとえば、元気な姉さんの姿をみていると、無性に泣きたくなったり



 そしてたとえば――――






◆おもちゃ屋『かめのや』



 ショッピングモールから少し離れたアーケード街の片隅に、その店はあった。



 こじんまりとした店だ。入口に貼りつけられたプラモやトレカのポスターからは、規則性や統一性といった概念が一切見受けられない。


 そんないかにもなおもちゃ屋の自動ドアをくぐりぬけ、俺は姉さんを連れてクーラーの効いた店内を進んでいった。




「――――あったあった。姉さん、これこれ」



 両手に提げた買い物袋を肘のあたりまでずり落とし、目当てのものが並んだ陳列棚に向かって指を差す。



「キョウ君……」

「モールで揃えてもよかったんだけどさ、やっぱ花火はココだなって思って」



 それは本来俺が知りえないはずの過去の記憶。


 ここが自分達にとって特別で大事な場所なのだと俺の中に混ざる誰かが言っていた。


 人格が切り替わったわけではない。

 俺は俺のまま、けれど少しだけ凶一郎オレが濃くなっている……そんな感覚。



「ほらここ数年さ、色々バタバタしてたせいで、見るだけになってたじゃん。だから今年こそはウチでやりたいなって、急に衝動が走ったというか、なんというか」

「キョウ君は」


 

 視線をうつむかせながら姉さんが問う。



「キョウ君は、いいのですか」

「いいってなにが?」

「だってウチで花火をやるということは、その……お父さんとお母さんとの」


 

 思い出に触れるという事になるんだよね。



 幸せで、何の不安もなく、俺達が本当の意味で子供でいられた、懐かしき日々。


 それがどれだけ大切でかけがえのないものであったのかを、俺の中の一割の部分が涙を流しながら訴えかけてきた。




 ――――ずっとあの頃にいたかった。

 ――――もっと親父とお袋に生きていて欲しかった。

 ――――ちくしょう、どうしてオレ達を残して逝っちまったんだよ。

 ――――もっともっと俺は、オレ達は




「別に踏ん切りがついたとか、あの事件から立ち直ったとかそういうわけじゃないんだ」



 どうせならポジティブな文言を吐きたかったが、自分に嘘をつけない。

 だから俺は、自分の心がおもむくままに気持ちをつづる。



「きっとあの時のきずは、オレの中に一生残り続けるだろうし、そうじゃなければいけないと俺も思う」




 手に取った極彩色の花火セット。ラベルに書かれたファミリーパックの文字が少しだけ苦い。


 だけど、この苦味は俺達が生きている証なのだ。

 生きているから苦しいし、生きているから辛い。


 そしてそういった感情に押し潰されない為に楽しさや喜びを求めてこいねがう。弱っちい生き物だぜ人間おれたちは。



「でもさ、姉さん。こんな事をいうのは傲慢で独り善がりかもしれないけれど、オレは姉さんに笑っていて欲しいんだよ」



 今の姉さんが心の底から笑えていないだとか、そんな知った風なことを言うつもりはない。


 きっと姉さんは姉さんで、しっかりと過去に折り合いをつけて今の生活を楽しんでいるのだろう。


 

 だからこの胸から溢れ出る気持ちは、単なるオレののワガママに過ぎない。



 ――――あの頃の、子供でいた頃の姉さんの笑顔がもう一度見たい。



 あぁ、もう。凶一郎ってやつは。本当に。



「オレ馬鹿だからさ、こんな簡単なことしか思いつかなくて……こんな簡単な答えを出すのに何年もかかっちまって」



 勝手に喋る口に連動するようにして脳内に断片的な映像が浮かびあがってくる。





 夏の夜、空に浮かび上がる色鮮やかな錦冠にしきかむろ


 大きな音と光に彩られた夜空のサーカスに目を輝かせながら、ちいさな俺とちいさな姉さんが手に持った絵型花火をぶんぶんと楽しそうに振り回している。


 場所はおそらくウチの中庭だろう。

 そこで子供たちだけの――――いや、違う。縁側に大人が二人いる。


 


 少し眉を吊り上げながらわんぱくな子供達を見守る綺麗な女の人と、冷えた缶ビール片手に大声で笑うたくましい体つきの男の人。



 彼女が誰の母親で、彼がどこの父親であるか等ということは、わざわざ語るまでもない程に明かである。



 幸せがあった。

 安らぎがあった。

 あの時、あの場所には、確かに全てがあったのだと、俺の中のオレが語る。



 心の水面に浮かぶ波紋は、懐かしさと切なさに打ち震え、それと同時に俺はなぜ奴がこのタイミングで動き出したのかを理解した。

 



 つまりこれは動機づけなのだ。


 絶対に負けられない理由、心を折らない為の篝火かがりび


 五日後の最終決戦で弱い俺達が逃げ出せないようにと、奴なりに気を利かせたのだろう。



 余計な事をしやがって。


 ちょっと他の記憶も覗かせてもらったが、お前さん相当辛かっただろうに。



 過去の思い出が幸福であればある程、失った時の嘆きは深いものになる。



 それが最愛の両親の死であればなおさらだ。


 ふわりふわりと浮かび上がる記憶の泡玉。


 その中で奴はひたすらに苦しんでいた。



 ――――幸福の象徴だったはずの花火を忌むようになったのはいつからだろうか。


 ――――天に咲く光の花を眺める姉の横顔に痛ましさを感じるようになったのはなぜだろうか。



 問うオレと聞く俺。観賞する俺と展覧するオレ。



 心に押し寄せる記憶と感情の濁流に押し潰されそうになりながらも、オレ達は言葉を紡ぐ。




「ごめん、姉さん。オレ、ずっと姉さんに迷惑かけてた。自分ばっかりが辛いような顔して、いじけて、塞ぎこんで、自暴自棄になって……一番辛かったのは姉さんだったのに、そんなことすら分かってなくて」

「そんなことはありません。あの頃のキョウ君がすっごく苦しんでいて、それでも頑張っていたことをお姉ちゃんは知っています。今も昔も、キョウ君はお姉ちゃんの生きる理由なんです。だから、ね。自分で自分を貶めるようなことを言わないでください」



 今も昔も。それは俺達にとって何よりの救いとなる言葉だった。



 姉さんは優しい。いつだって優しい。



 そしてその優しさに甘え、ついぞ報いることなく惨めに死に絶えるのが未来のオレだ。


 暴徒と化し、人様に迷惑をかけた挙げ句、最後は醜態をさらしながら喰われて死ぬ――――度しがたいクズだよ本当に。



 生きる理由とまで言ってくれた人を残してチュートリアルでくたばってんじゃねぇよ糞が。

 


 記憶が混ざる。

 思考が巡る。

 清水凶一郎という男の身体で溶け合っていたはずの二つの魂が、俺とオレとに分かれていく。



 お前は姉さんを看取らなきゃならなかった/オレは姉さんを助けたかった


 お前の罪は暴力に訴えかけたことじゃない/何もできずに朽ちたその無力さこそがオレの咎


 どんなに動機が綺麗でも/いくら過程が汚れていたとしても


 結果がともなわなければ/全て塵なのに





「ありがとう姉さん。……俺もそうだよ。姉さんが、姉さんこそがオレの生きる理由だ。愛してる。世界中の誰よりも」



 その一言を最後に主導権が再び俺の元へと返ってきた。


 ……あの野郎。言いたい事だけ言って奥に引っ込みやがった。

 

 告白まがいの台詞を吐いて、返事も聞かずに逃げ出すとかどこの中坊だよ。

 しかも相手は実の姉である。

 業が深い、業が深いよ凶一郎。

 というか、このタイミングでバトンタッチとか地獄じゃねぇか。




「あっ、あのキョウ君」

「えーっと、というわけでさ、どうかな花火? きっとアル達も喜ぶと思うし、せっかくの夏休みに夏っぽいことなんにもしないのはアレかなーと思ったりして」

 


 自分の台詞せりふに空寒さを感じながら、なんとか会話の着地地点を探す。


 

 とはいえ根が童貞野郎なので咄嗟とっさにうまい切り返しなど思いつくはずもなく、しばらくの間右往左往とキョドリながら最後は半ば泣き落しに近い形で花火の購入に成功した。



 我ながら在り方がブサイクだなぁと思う。

 

 まぁ、あんな殺し文句の後だと結局何を言ったところでかすんでいただろうが。



 愛してる。世界中の誰よりも。


 相手とか状況とか色々ツッコミどころはあるけれど、あんなド直球に自分の想いを伝えられる人間が、今の世の中にどれだけいるだろうか。



 大したもんだよ本当に。

 正直他人事じゃないので恥ずかしくもあるけれど、同時に奴への羨望せんぼうを隠しきれない自分がいた。





◆清水家・凶一郎の部屋





「成る程。それで居間に大量の花火セットが置かれていたのですね」



 夕暮れ時、帰って来たアルに今日の事を報告すると、奴はいつも通りの淡白さで己の所感を語った。



「いいじゃないですか、花火。それでいつやるんです?」

「一応、予定では来週末。その日に丁度この辺りで大規模な花火大会があってさ、それに合わせてって感じ」

「ふむ。つまりは――――」



 そう。お楽しみは決戦の後ということになる。




「中々味な真似をしてくれるではないですか、元人格も」

「元人格ゆーな」



 それじゃあ、まるで俺が乗っ取ったみたいじゃないか。……いや、結果的にそうなっているのだけれども。



「言い方一つで何かが変わるとは思いませんけどね。さておき、それでマスターは今回の一件をどうお考えですか?」



 純白の美貌の問いかけに、俺はベッドのふちをさすりながら答えた。



「ネガティブに考えるなら人格の分裂とか、最悪俺という意識の消失なんて展開もあり得るかもな」

「物語であれば王道のパターンですね」

「あぁ。だけど、多分それはない」

「なぜ言い切れるのです?」



 俺は「言語化し辛いんだけど」と頼りない前置きを述べた後、自分にしか分からない心模様を説明した。



「俺の心の中のあいつがさ、言ってくれてる気がするんだよ。『姉さんを助けてくれるなら、何も望まない。この身体はお前にやる』って」

「それはマスターが向こうの意志を都合良く解釈しているだけでは?」

「いやいやホントだって。そもそも、俺の事を侵略者としてみなしているんだったら、とっくの昔に主導権争いが勃発していたはずだし」




 だってある日突然、自分の身体に別の意志が入り込んでフュージョンしちまったんだぜ。普通はもっとパニックになるだろう。

 よしんばこれまでは眠っていて動けなかったのだとしても、今日の一件の説明がつかない。


 せっかく握った主導権を短時間の浮上だけに留めて、あっさりと元に戻る。



 それではまるで――――



「――――」



 ――――まぁいいや。ウダウダと難しい事を考えるよりも、今はこの五日後の決戦に集中しよう。



「そういうわけで俺は今からギャルゲーを楽しみたいと思います」

「どういうわけですか」

「キュンキュンすることで精神の疲労回復に努めるとです」

「であれば、遥にコンタクトを取ればいいではないですか。画面の中のピコピコよりも断然癒されますよ」

「お前、全然分かってねぇのな」



 二次元と三次元は別腹であるという宇宙の法則を知らないのかよ。



 





――――――――――――――――――――――





・凶一郎の割合について



 作中に出てくる「俺」と「オレ」の割合が、そのまま彼らの割合です。


 主人公は八割とか九割とか言ってましたが、実際の所はもう少し(いや、かなり)偏っています。


 多分、数十話に一回や二回程度?

 お時間のある方はウ○ーリーを探せならぬ原作凶一郎を探せに挑戦してみてください。


















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