インタールード、あるいは少女にとってのプロローグ










 その後の話をしよう。


 結論から言うと、わたくしこと清水凶一郎、入院いたしました。イエィッ!



 ……うん、まぁね、我ながら色々ハッスルし過ぎたからね。


 聞いた話では、ケラウノス戦が終わった直後に気絶したらしく、そのままシラードさん達に運ばれる形で病院に搬送されたそうな。


 ダンジョン内から下界への緊急搬送だなんて、どうみても悪目立ち案件だったが、そこはシラードさんとクラン“燃える冰剣Rosso&Blu”のメンバーさん達の力添えによってことなきを得たらしい。



 しかもシラードさんの支払いで、超高い病院の特別個室で療養だぜ!



 何がヤバいって内装がどうみても高級ホテルのソレなのよ。



 ただの過労(と術の反動と肉体のリミッター外したツケとフロー状態による【四次元防御】の過剰行使)にここまで手厚い看護施設を紹介してくれるなんて、ほんとシラードさんは人が良いぜ!


 やっぱ持つべきものは五大クランの一長とのコネクションだよね、ガハハ!






◆ダンジョン都市桜花 巣鯉多海病院 特別個室





『そう! 今回の一件で私は確信しました! 彼、シミズキョウイチロウ君こそがこれからの冒険者業界を担う風雲児なのだと!』





 テレビの向こうで、シラードさんがとんでもない事をほざいていた。



 えっ? なにこれ?


 夢、夢だよね? 頼むから夢だといっておくれよ。




「あー、これねー」



 隣で甲斐甲斐しくりんごを剥きながら、遥さんが解説を入れてくれた。



「シラードさんが今回の事を大々的に言いはやす為に各種メディアに依頼したんだよ」



 そっかー今日だったか―、と暢気に剥いたリンゴ(何故か天守閣の形をしていた)を頬張りながらうんうん、とうなずく恒星系。



 いや、なんで人の病室で無駄に芸術点の高いリンゴ量産して自分で食ってんだよ。

 ちょいと自由すぎやしないか、遥さんや。




「しかたない、では凶さんには特別にこのクラインの壺型リンゴを譲ってしんぜよう」

「あんがと……んっ、甘い――――ってそうじゃなくて 会見だよ、会見!」


 

 遥の言い草を信じるならば、シラードさんは今回の件、つまりケラウノス調伏のあれこれについて話しているはずなのだ。


 だというのに……。




『その時、キョウイチロウ君はこう言ったのです。“ここは俺に任せて先に行け。コイツとタイマン張るのはこの俺だ”と!』




『相手はとても恐ろしい獣でした。しかしキョウイチロウ君は自分の身の危険もいとわずに黒雷の獣の雷撃を気合と根性だけを頼りに耐え抜いたのです!』




『“人類皆、兄弟。家族を助けるのは当たり前だろ?”と豪快に謳いあげた彼の姿を目にした時、私は涙が止まりませんでした。皆さんもなにか困りごとができた際には、ぜひ彼に頼ってみてください。義理と人情に厚いあの快男児の手にかかれば、どんなトラブルでも立ちどころに解決へ至ることでしょう』




 ねぇ、このキョウイチロウ君って誰っ!?


 そんな爽やかナイスガイ、ケラウノス戦には参加してなかったよね!?




「えー、そうかなー。そりゃあシラードさんの会見はちょこっと誇張されているかもだけど、凶さんって割かしいつもこんな感じじゃない?」

「こんな感じじゃねぇよ」



 このキョウイチロウ君、絶対にケツドリルとかしないだろ。

 ヒャッハーとか叫んだら解釈違いとかいわれそうだ。



「ていうか、俺以外の部分も大分脚色されてるなぁ、コレ」




 ユピテル周りのエピソードなんてまるで別物だ。


 何故かケラウノスがユピテルばかりを攻撃する最低DV野郎(まぁ、本物も目くそ鼻くそだったが)になっているし、“燃える冰剣Rosso&Blu”を抜けた理由も、キョウイチロウ君の熱き義俠ぎきょうの心に触れたからという少年漫画チックなものに変わっている。



 

 おいおい、これではまるで、




「……まさかこの会見の目的って、」

「気づいた?」



 にししっ、と恒星系がいたずらっぽく微笑む。





「ユピテルが円満な形でウチに移籍したんだと周りにアピールするために……」

「そ。しかも“燃える冰剣Rosso&Blu”の総意なんだってさ」



 意外にも“燃える冰剣Rosso&Blu”の皆さんはユピテルに好意的だったそうだ。




「凶さんが寝てる間にちょっと機会があってさ、“燃える冰剣Rosso&Blu”の人達と話をしたんだよ。そしたらみんな、口々にユピちゃんをよろしくお願いしますーって言って頭を下げてくれたの」



 びっくりしちゃった、と語る恒星系のまなじりは、まるで柔和にゅうわという言葉の見本のような柔らかさで満ちていた。

 




「きっと不幸なすれ違いがあっただけで、みんなユピちゃんのことが大好きだったんだと思う」

「そっか」



 少しだけ胸が熱くなる。

 なんだよユピテル、お前結構モテモテじゃんか。



「だからあたし達も負けてられないねっ、ユピちゃんに古巣の方が良かったなんて言われないように頑張らないとだよ」

「あぁ、もちろんだ。それはそれとして、もう一つ気になることがあるんだが、聞いてもいいか?」

「なになに?」



 サファイアのような瞳を瞬かせながら、ベッドの方へと肩を寄せる恒星系。


 肩の露出した蒼のキャミソールは大変涼しげで麗しく、素材が極上な事もあってかえらく輝いてみえる。


 それは良い。大層良いんだが、



「お前さ、ずっと病院にいない?」




 数拍の沈黙が流れた後、奴は言った。



「エー、ソンナコトナイヨー」




 わざとらしいくらいの片言だった。



「この三日間色んな人がお見舞いに来てくれたけど、お前ずっと一緒にいたじゃん」

「ずっと一緒にって……もうっ、大げさだな凶さんは。ちゃんと消灯時間はおいとましてるでしょ?」

「いや、看護師さんに聞いたぞ。お前消灯時間も病室ここで過ごすとかのたまわってたらしいな」

「だって、こんなホテルみたいな病室に泊れる機会なんて、中々ないんだもんっ」

「じゃあ、その辺の高いホテルに泊まればいいだろ」

「わかってないなー、凶さんは」



 ちっちっち、と芝居がかった仕草で指を振る恒星系。



「高級なホテルに泊まるのと、高級なホテルっぽい病室に泊るのとでは、カニとカニカマくらい意味が違うんだよ?」

「だからカニ食えって話だろ」



 カニカマをディスるわけではないが、どちらか好きな方を食べていいと言われたら俺は間違いなく本物を選ぶ自信がある。

 おそらく、大抵の人もそうだろう。



「えー、あたしはカニカマ食べるけどなー」



 しかし遥さんは違う意見をお持ちのようで。



「だって、違うお魚の切り身から製造業者さんがあれこれと試行錯誤しながら似せて作ってるんだよ? 本物に似せるぞーって想いがたっぷり込められてるんだよ? これってとってもワクワクしない?」



 特にワクワクはしなかったが、遥が何を言わんとしているのかは大体理解できた。



「似せようとする努力の分だけ想いが乗っかってる、みたいな認識で合ってるか?」

「合ってる、合ってる! あたし、昔っからそーゆーのが好きでさ。ちっちゃい頃からなんとかっていう模造品のダイヤモンド――――」

「ジルコニア?」

「そうそう、それそれ! ――――そのジルなんとかさんを、お小遣い貯めて集めてたりしたんだ」

 


 ちっちゃい奴だけどね、と言って遥が首元につけられた星型のネックレスを見せてくれた。



 その際、ふぁさっと長い髪をかきあげたせいで爽やかな柑橘系の香りが俺の鼻孔をくすぐり危うくトリップしかけたのだが、なんとか理性の維持に成功。


 そのままネックレスだけに視線を寄せて、感想を述べる。



「全然安っぽくないな。むしろ見れば見る程引きこまれるというか」

「でしょー、しかも大きくておまけに青い!」



 やはり、青は譲れないらしい。




「まぁ、そういうこだわりみたいなものがあるってこったな。――――了解したよ、そういう事情っつーか趣味なら? 好きなだけここに入り浸ればいいさ」



 話し相手が傍にいてくれた方が、俺としても心強いしな。




「えへへー、ありがとー。でも、遥さんがここにいる理由は、実はそれだけではなかったりします」

「へぇ、他にどんな理由があるってんだよ」




 すると遥は、手入れの行き届いた人差し指をそっと自分の唇に押しつけて言ったのだ。




「それはヒミツですっ」








◆ダンジョン都市桜花 巣鯉多海病院 正面玄関前






 それから四日後、無事退院の日を迎えた俺は、「もうちょっと居たい!」とぐずる健康優良児を無理やり引っ張りながら病院の門扉もんぴを出た。



「ねぇ、せめてもう一泊ぐらいしてから帰ろうよぉ」

「ダメに決まってるだろ」


 お前どこも悪くないじゃん。


 めっちゃ健康じゃん。



「いやー、分かんないよ? まだあたしも知らない未知の病が……」

「帰るのめんどくさいからって理由で検査入院したやつがよく言うぜ」

「ちゃんと看護師さんとシラードさんに許可取ったもん。検査も受けたもん」

「で、医者にケチのつけようのない健康優良児だ、って驚かれたんだろ」

「うん!」



 じゃあ、もう絶対だめじゃん。



 今、この世で一番病院を必要としていない稀有けうな人類じゃん、お前。



「これ以上病院側に迷惑かけるわけにもいかないし、早いとこ家に帰るぞ」

「……ケチ」

「常識人なだけだ」



 本音を言えば、こんなしょうもないことでシラードさんへの借りを増やしたくないという下心もあるのだが、まぁ言わぬが花というやつだ。



 ジェームズ・シラード、本当に不思議な男である。


 真意を隠したまま俺達に接触したり、どうしようもない理由があったとはいえ、半ば追い出すような形でユピテルを移籍させたかと思えば、ケラウノスの調伏に全面協力してくれたり、一芝居打ってユピテルの門出を祝ってくれたりもする。



 ありがたいやら、憎たらしいやら、申し訳ないやら、けどやっぱり会見の事は許せねぇやら――――なんていえばいいんだろう、あの爽やか腹黒イケメンって評価するのがすっげぇ難しいよね。

 


 一筋縄ではいかないどころか、百本以上の縄で縛っても余裕綽々ハッハッハッと笑いながら抜けだしそうである。




 とりあえず『入院費用とは別に、今回の件の謝礼を考えておいてくれ』とのことなので、結構な無茶ぶりをしてやろうと、画策中。



 まぁ、何はともあれ今後ともシラードさんや“燃える冰剣Rosso&Blu”の皆さんとは仲良くやっていきたいものである。


 んでもって、将来あそこにヒロインの一人が加入した暁には――――ぐへへ。




「なんかやましい事考えてる」

「考えてねぇよ」



 ちょっとヒロインからサイン貰って額縁に飾ろうと思ってるだけだよ! すっげぇ紳士的だろ!



 とはいえ、ダンマギオタクの心の叫びを明け透けに披露するわけにもいかないので、無理やり話題をチェンジする。


 軌道修正、というやつだ。



「ふぅ。しかし話は変わるが、この辺も大分、暑くなってきたなぁ」

「下手! 話題の転換がへたっぴすぎるよ凶さん!」



 なんでじゃ! 天気デッキの汎用性は、万国共通なんだぞ!



「空もカラッと晴れあがってるし、いよいよ梅雨明けも近いのかもなー」

「ちっともヘコたれてないよこの人! ある意味鋼のメンタル!」

「そらって青いよなー、くもは白い」

「いよいよ感想が園児のソレだ!」



 そんなアホな会話を繰り広げながら二人並んで駐車場を横切っていく。


 見知った人影と目が合ったのは、それからすぐの事だった。





「迎えに、きたよ」




 銀色の髪の少女だ。

 瞳は紅く、背丈は小柄。

 今日は白のワンピースと麦わら帽子でめかしこんでいる。



「ユピちゃんっ!」



 わぁっ! と瞳を輝かせた恒星系が力いっぱい少女を抱きしめた。



「無事に帰って来たよ、ユピちゃん」

「うん。おかえりなさい、ハルカ」



 いや、お前は最初から最後までずっと元気だっただろ。



「キョウイチロウもおかえり。元気になった?」

「お陰さまでな。ゆっくり休めたよ」



 こっくりと、謎の頷きで返すちんちくりん。

 表情は相変わらずの無表情である。



「姉さんとアルは?」

「二人共家でパーティの準備をしている。ワタシはお迎え係」



 お迎え係か。そりゃあ、また随分と重要な役所やくどころを任されたものだ。



「じゃあ、ちゃんと俺達をエスコートしてくれよお迎え係さん」

「まかせて」



 とん、と小さく胸を叩く銀髪ツインテール。


 ほんのりと上気した紅の瞳は、心なしか自信に満ちあふれているように見えた。






◆ダンジョン都市桜花・第八十八番ダンジョン『全生母』





 ……見えただけだった。



 傾斜の高い山道に鳴り響く二つの足音。

 一人は俺、もう一人は遥。

 そして本来であれば聞こえてくるはずの三つ目の足音の主はというと――――



「おい、お迎え係さんよ、これは一体どういう事だい?」

「……むねん」



 背中越しから流れてくるバツの悪そうな声。


 退院したての元患者におんぶされる少女の姿がそこにはあった。



「自分の体力の少なさを、甘くみつもっていた」



 甘く見積もりすぎだろ。

 なんで病み上がりの俺が、小六女子を背負って山登りをしなければならないのだ。責任者出てこい。




「ちょっと眠くなってきた」



 責任者は背中で眠そうにしていた。クソッ、やりたい放題じゃないか!



「まーまー。せっかくユピちゃんがあたし達を誘ってくれたんだし、少しくらいのことは大目に見ようよ」

「そういう台詞はコイツをおぶってから言え。――――いつでも代わってやるぜ遥さんよォ」

「えー、遥さん、大太刀より重いもの持ったことないし……」




 そこは嘘でもはしって言っておけよ。太刀たちじゃか弱さアピールにはならんだろうに。




「で、ユピテル。目的の場所はそろそろなのか」

「うん。もうちょっと登ったところにある」



 そうかい、と雑に頷きながら、険しい急勾配こうばいを踏破していく。

 これも筋トレの一種と思えば、やってやれないことはなかった。





『ウチへ帰る前に、二人に見てもらいたい場所がある。ちょっと遠いところだけど、ワタシに着いてきて』



 ――――そんなことをユピテルが言いだしたのは、病院を出てすぐの事だった。



 これまで積極的に何かを主張してこなかったユピテルの発案という事もあって、俺達は二つ返事で彼女の寄り道に付き合うことにした。



 最初はとても楽しかったよ。


 バスと路面電車を乗り継ぎながら、三人で桜花の街の景色を堪能たんのうしたりしてさ。戦いのない冒険もたまには良いね、なんて馬鹿なことを遥が言ってたっけ。



 昼食に食べたかき揚げ蕎麦そばも美味しかったなぁ。病院では油ものとは無縁の食生活を送っていたから胃袋が喜んじゃって、喜んじゃって。つい三回もお代わりを頼んでしまって胃がもたれしそうになった事も、いつかきっと良い思い出になるに違いない。



 ――――雲行きが怪しくなってきたのは、移動手段が徒歩に限られる場所まで着いてからの事だった。



 第八十八番ダンジョン『全生母』、桜花五大ダンジョンの一つにも数えられる五十層越えオーバーフィフティダンジョン。


 まさかの場所にいざなわれた俺達は、その足で施設の中を回る――――なんてことはせずに、ユピテルの案内に従って、敷地内にある山道へと足を運んだのである。



 そしてこのチビッ子お迎え係は、登山早々に音をあげやがったのだ。

 スタミナがないにも程がある。

 精霊の力でブーストされて、この体たらくだ。


 いよいよもって、凶一郎ブートキャンプを開く必要が出てきたのかもしれない。



 まぁ、前と違って自分から「おんぶ」を頼むようになったのは成長といえなくもないが……


 

 

「楽チンチン」



 ……本当に成長なのだろうか。

 なんかふてぶてしくなっただけのような気もする。

 あとチンは一個でよろしい。













 それから更に山を登ること三十分、ようやく俺達は目的の場所へと辿り着いた。




「着いた」



 よちよちと、俺の背中から降り、足元に細心の注意を払いながら前方の風景の中に溶け込んでいくユピテル。




「うそ……っ」



 横の遥が思わず息を飲んだ。


 それだけ衝撃的だったのだろう。


 気持ちは良く分かる。


 これはまさに絶景だった。



 視界に映っているのは、色とりどりの花達だ。

 いや、四季折々の花達と述べるのが正解だろう。



 紫陽花あじさいの隣で向日葵ひまわりが咲き、満開の桜の樹の下で秋桜コスモスと彼岸花が肩を寄せ合っている。


 薔薇があった。百合があった。ガーベラが、マリーゴールドが、金木犀が、サザンカが、雛菊ひなぎくが、シクラメンが、チューリップがあった。




 四季の花々総出の百花繚乱。


 楽園と呼ぶほかに、この場所を形容する言葉があるのだろうか。



「これ、全部本物なの?」



 遥の最もな質問に花園を歩く少女がこっくりと頷く。



「本物。ジェームズは、ダンジョンの影響だって言ってた」



 五大ダンジョンのようなボスの力があまりにも強すぎるダンジョンは、時として外界にすら影響を及ぼす。



 おそらくは“全生母”の持つ天井知らずの生命力が、この奇跡のような生態系を作り出したのだろう。


 やはり五大ダンジョンは格が違う。そう思わせるだけの説得力が、目の前の花園には確かにあった




「ここの花達は、枯れないの。ずっと美しい姿を保ったまま」



 一種のパワースポットなのだとユピテルが教えてくれた。


 

 ダンジョンから発せられる“全生母”の影響を特に強く受けやすいこの場所は、組合と“燃える冰剣Rosso&Blu”が共同で管理しているのだという。




「ジェームズのところにいた頃は、良くここに来ていた」

「どうやってここまで?」

「住んでた場所が近くだった」



 ダンジョン全生母は、“燃える冰剣Rosso&Blu”のホームでもある。

 だからきっとこの場所は、ユピテルにとって自分の庭のようなものだったのだろう。



「ワタシはあまりあの場所には馴染めなかったけれど、ここで過ごす時間は悪く……ううん、大好きだった」



 懐かしむように、そして少しだけ憂いを秘めた表情で、季節外れの桜の樹を見上げる麦わら帽子の少女。



 その立ち姿があまりにも様になっていたものだから、俺は思わずスマホのカメラでユピテルの姿をとらえそうになっっていた。




「キョウイチロウ?」

「っと、悪い悪い。その、なんだ……あまりにも綺麗だったものだからさ」

「分かる、よ。ここはとっても美しい場所だから」



 ほんのりとした勘違いを抱えたまま、こっくりと頷き微笑ほほえむ少女。



 ……微笑む?




「ユピちゃんっ」

「お前、今……」

「?」



 かつてない最大級の変化に本人だけが気づいていない。



 俺は素早く形態のカメラアプリを起動し、手鏡ミラー機能で反射するように設定したスマホの画面をユピテルの傍に行って見せつける。




 少女の紅い瞳が驚愕と、歓喜の色に染まったのはそれからすぐの事だった。





「ワタシ、笑えてる……」





 満開の笑顔というわけではない。

 口角が少しだけつり上がり、瞳が僅かに細まったそんな微笑びしょう



 けれども、少女の顔は紛れもなく笑っていた。


 狂気に侵された哄笑ではない、控えめで優しげな笑顔。



 それはこの花園に咲くどんな花々よりも可憐で尊い花だった。


 目頭がじわりと熱くなる。

 隣の遥は既に落涙していた。



 誰かを傷つけないようにずっと感情を押し殺してきたユピテルが、初めてようやく笑ったのだ。



 悲劇があった。

 苦悩があった。

 戦いがあった。

 


 けれどもその果てに、笑顔救いは確かにあったのだ。



 

「今日、ここに二人を呼んだのはね、ワタシの始まりを見届けてもらうため。大好きだったこの場所で、ワタシは新しいワタシを始めるの」



 雲一つない青空の下で、ユピテルはいつもの調子で語りだす。




「……ワタシは、っく……ワタシは」



 これまでの事を思い返していたのか、これからの事に想いをせていたのかは分からない。


 けれども、ひとつの事実としてユピテルは泣いていた。


 顔をくしゃくしゃにしながら、年相応に流した大粒の涙は、こいつがもう誰にも縛られていない証に他ならない。



 誰かを傷つけない為に感情を抑えていた少女が、笑って、泣いているのだ。


 勝ち取ったものの大きさと尊さに、俺の涙腺はとうとう決壊して熱い想いを頬に流す。



「ワタシは……これから、……っく……いっぱい、幸せになるよ。大好きな、みんなに囲まれて……ううっ、世界で一番、幸せな……子に……うううっ……」




 とめどなく落ちていく涙の雨を必死に押さえながら、俺達はユピテルの言葉を待った。



 そうさ、ユピテル。

 誰よりも優しくて、いっぱい頑張って来たお前ならきっと、




「幸せな……子に……なるからっ」




 続く言葉はいらなかった。

 俺達は誰からともなく三人で抱き合い、そしてめいいっぱい泣きながら、笑い合ったのだ。



 溢れだす感情の雫。

 けれども、黒雷が降って来る気配はない。


 空は相も変わらず快晴で、穏やかな陽光が俺達を優しく照らしていた。



 

 きっと俺達は、生涯この光景を忘れない。


 奇跡の花園に咲いた笑顔の花の美しさをずっと、ずっと覚えている。



 ずっと、ずっと――――








◆◆◆




 夢を見る


 ひとりぼっちの知らない子に、ワタシがそっと手を差し出すそんな夢


 手を握って、お名前を聞いて、ワタシも名乗る


 その子が困っていたら、一緒に困ろう


 その子が笑ってくれたら、ワタシも笑おう


 そうやって人知れず泣いている誰かワタシと友達になっておっきな輪っかを作るのだ


 誰かの為じゃなく、ワタシ自身の為に、ワタシは誰かワタシを救いたい


 そんな大それた夢を描きながら、ワタシは今日も幸せな現実を生きていく

 







―――――――――――――――――――――――




第二章 了

サブクエスト2へ続く




















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