第四十七話 雷霆の獣と夢みる少女8














 ◆◆◆?????:『砲撃手』ユピテル




 少女が目を覚ますと、そこは一面の銀世界だった。


 しんしん、と降り注ぐ白色の雪。

 

 周囲を見渡せども、何もなく、ただ際限なく真白の大地が広がるばかり。


 足跡はない。

 人影もない。

 匂いも寒さも感じない。



 これは夢だ、と少女は理解した。

 では、なぜ夢を?



 眠った覚えはない。

 最後の記憶は、確か――――



(十層。みんなで行って、ハルカに斬られた。痛くなかったけど、ビックリして、それから……)


 

 ぼやけていた記憶が段々と輪郭を帯びていく。


 あの時、少女は斬られたと思いこまされたのだ。

 


 仲間の剣術使いが振り下ろしたあの一閃は、おそらく黒雷の獣を呼び起こす為のブラフ。



 錯覚を利用して『ケラウノス』を引きずり降ろすとは、まったく大した役者である。



(……つまり、ワタシをこんな所に招き入れたのは、)



 間違いなく自分の精霊だろう、と少女はあたりをつけた。



 二週間の封印を経て、あの化け物も少しは丸くなったとのではないか、とひそかに期待していたのだが、残念ながら何も変わっていなかったらしい。



 見え見えのハッタリ――――というには些か真に迫りすぎていたが――――に騙された僅かな瞬間を引き金に、の精霊は《顕現》を果たしたのだ。



 娘を裏切った狼藉ろうぜきもの達をちゅうするというお題目を掲げて、今頃あの悪霊は少女の大切な仲間達に牙を剥いているのだろう。



 久しく感じていなかった虚無感が、少女の心に影を落とす。

 

 思えばあの悪霊はいつだって、



 頼んでもいないのに、暴力を振るい

 いくら頼んでも、暴力を止めない。



 都合のいい解釈で怒り狂い、娘の為とうそぶきながら、そのじつあの獣は好き勝手に暴れているだけなのだ。


 


 

『それは違うよ、ユピテル。私が下す全ての誅伐ちゅうばつは、君の身を守る為にある』




 くぐもったような重低音が、少女の鼓膜を震わせた。



「ケラウノス……」



 

 いつからそこにいたのだろうか。

 白銀の世界にこぼされた唯一の“黒”が、少女に向かって優しく語りかけてくる。




『安心なさい。この世界は安全だ。君を傷つけるものなど何もない』

「寝言は鏡をみてから言って。ワタシを一番傷つけているのは、いつだってアナタ」

『おかしなことを言うね。君の唯一の味方であり、本当の家族である私が君を傷つけるはずがないじゃないか』



 黒雷の獣の告げた言葉に、少女は強い憤りを覚えた。



 唯一の味方。本当の家族。

 一言一句として合っていない。




「アナタの身勝手な怒りが、どれだけの人を傷つけたと思っているの?」

『私の? 君の怒りだろう?』



 諭すような口調で、黒雷の獣は言う。



『私は君を苦しめる負の感情から、君を守る為に汚れ役を買って出ているのだ。感謝しろなどと恩着せがましい事を命じるつもりは毛頭ないが、最低限君が守られている立場であるという自覚は持って欲しいものだ』



 それが恩着せがましいのだと、獣をなじる言葉が喉元まで出かかったが、寸前のところで思い留まる。



 業腹ごうはらではあるが、ケラウノスの述べる独善的な自己主張にも一定の正当性がある。




「……確かに、そう。アナタが現れるのは、いつだってワタシのせい。その罪から、逃げるつもりはない」



 目の前の獣は、凶悪極まりない怪物である。

 理不尽な怒りを撒き散らし、手前勝手に周囲を破壊する様はおぞましい事この上ない。


 だが、そんな獣の力を解き放っているのは、いつだって少女の心なのだ。



 怒り、嘆き、悲哀、苦悶、無力感、やるせなさ、嫉妬、絶望――――総じてストレスとなる感情の奔流が起点となってケラウノスは現界する。



 故に、ケラウノスの暴走を止めたければ、少女の心が安定さえしていれば良いのだ。



 ストレスを一切感じず、常に前向きであり続ければ、黒雷の獣は現れない。


 剣も霊術も策謀も本来であれば無用の長物、ただユピテルの心さえ傷つかなければ、全ての悩みは簡単に解決したのである。



 だから、こんな事になっているのは自分のせいなのだと、少女は心の涙をこらえながら是認ぜにんする。



 心を乱してはならない。

 強いストレスは獣の活力になる。



 少しでも現実の仲間達の負担を減らす為に、ユピテルは心の荒波をなだめ続けた。


 いつものように感情を抑制して、動じない己を保つ事――――それこそが、今の少女にできる唯一の抵抗なのだから。



「ワタシの弱さがアナタを増長させた。ワタシの愚かさがみんなを傷つけた」

『可哀想な愛娘。君はいつだって嫌われもの。だけど、私だけは君の味方だよ。昔も今もこれから先も、私はずっと、ずっとそばにいる』




 話にならない、否、会話にならない。


 この獣の前では、崇高な倫理も筋の通った論理もまるで意味をなさないのだ。



 何を語ろうが、自身の都合のいいように解釈し、最終的には決まって『ならば私が可哀想なお前を守ろう』である。



「ワタシは未熟。怒りも悲しみも辛いと思う気持ちも捨てられない」

『あぁ、娘よ、どうか自分を大事にしておくれ。君を嫌う世界が悪なのだ。君を悲しませる他者こそが敵なのだ。君の心を乱すあまねく全ての存在を、私は決して赦しはしない。断じて、断じてである!』



 何もかもが独り善がり。



 父親を自称するこの獣には、他者を慮るという機能が決定的に欠けていた。



 コレに備わっているのは、父性愛という名の歪んだ支配欲と、建前という名の白砂糖をまぶした暴力衝動位のものだろう。



 平行線だ、何もかも。


 少女の想いは精霊に届かないし、精霊の“愛”が少女の胸を打つことは、最早永劫ありえない。



 だからこれは、二人で行う独り言。

 共有のない伝達であり、疎通のない対話なのだ。



「ずっとアナタが嫌いだった」

『君の心を荒ませた者を必ずや壊そう』

「もう私に構わないで」

『ひとりぼっちの愛娘、私だけは君を見捨てない』

「アナタなんか、……家族じゃ、ない」

『私と君は魂で結ばれている。血の繋がりよりも深く濃い本物の絆だ。君を捨てた醜い血縁ブタ共なぞ比べ物にもならない。これが、本物の家族だ』

「…………違う。私の家族は――――」





 刹那、漆黒の雷が少女を貫いた。



「あっ、ぐぅ……」 




 その場で膝をつき、ユピテルは小さくうずくる。



 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。


 寒さも暑さも感じない世界で、痛みだけが現実となって少女の身体を蝕んでいく。




『今、何を口走ろうとしたのかな?』



 口調だけは穏やかに。

 けれども獣が纏う雰囲気の質感が、明かに違う。




『まさかとは思うけれど、あの偽善者達を家族だ等とのたまうつもりじゃ、ないだろうね?』

「…………そうだといったら?」



 雷轟。

 漆黒の雷が、有無を言わさず少女を襲う。




「――――っ、うぅっ……」

『それは良くない、良くないよユピテル。君はあの薄っぺらい偽善者達に騙されているのさ。最初は良い顔をして近づき、十分な信用を勝ち取ってから使い潰すつもりなんだろうね。可哀想なユピテル。君の周りにたかる人間達は、みんな、みーんな打算まみれ。君の事を本当に案じているのは、この世界で私だけなんだ』

「……案じた結果が、この黒雷仕打ち?」




 三度、雷がユピテルを焼いた。



 発狂しそうな程の痛みに身悶みもだえながら、それでも少女は無表情を徹底する。



『愛の鞭だよユピテル。君が間違った道に進まないように、心を鬼にして痛みを与えているんだ』



 心底から悲しそうな声で、四度目の黒雷を投下するケラウノス。




「あぐっ、うっ、あっ、あぁああっ!」

『痛いかい? 辛いかい? 苦しいかい? あぁ、私もだ。私もだよユピテル。大事な愛娘を傷つけなければならないなんて、どうしてこんな悲しい想いをしなければならないんだろうね? 今すぐにでも止めたいよ、君にはずっと笑っていて欲しいんだ。嘘じゃない。私は心の底から君の幸せを願っている』



 執拗に、執拗に、優しい言葉と黒雷の拷問を繰り返す自称父親。



 逃げる事も、防ぐ事も、死ぬ事すら叶わないまま、少女は黒雷を浴び続けた。



 為すすべ等ない。


 ここは精神と記憶のみで構成された世界ユメであり、実権を握っているのはケラウノスである。



 全ては獣の思うがまま。


 少女の心が折れない限り、この地獄は延々と続くのだろう。




(…………これが、試練)




 朦朧とした意識の中で、ユピテルは悟る。



 神威『ケラウノス』、少女にとっての負の象徴であり、また同時に庇護者としての側面を持つ黒雷の獣。


 の精霊との相対こそが、己が為すべき闘争ぎむなのだろう。



 精霊の調伏とは、契約の更新へ至る為の手段である。


 力を示し、契約者への認識を改めさせる――――つまりは、見直しの儀式なのだとパーティのリーダーは言っていた。



 であれば、ユピテルは目の前の怪物に認めさせなければならない。




「……何度でも言う。ワタシはアナタの娘じゃない。ワタシはアナタの契約者」



 天より堕ちる稲妻が、少女の全身を踏みつける。


 夢の中ゆえ身体は不壊こわれず

 されど、肉体が崩落していく感覚だけは本物で、回数を重ねるごとにユピテルの心は衰微すいびしていく。




『残念ながら五十点。正解は、娘であり、契約者でもある、だ。覚えているよね? 君はあのおぞましい施設で私とこう契約やくそくしたのだ』




“アナタの娘になるから、どうかワタシを守って下さい”




「――――つっ」




 それは少女の恥ずべき過去。


 生き抜く為に、処分されない為にと結んだ悪魔の契約。



 娘となる代償に、守ってもらう――――あの時、あの瞬間から少女は自身の尊厳を捨てたのだ。



 だけどもう、限界だった。



「もう、沢山なの。アナタの娘でいることも、アナタに守ってもらうみじめさも」

『子が親に守ってもらうのは当然の義務けんりだ。これまでも、これからも、君はか弱いままの愛娘ユピテルでいい。いや、そうであるべきだ』

「だったら今日ここで、その契約を反故にする……っ」




 軋む身体を奮い立たせ、少女は伏した身体を引き起こす。


 全身から四つん這いへ、四つん這いから立て膝へ、立て膝から聳立しょうりつへ。


 真白の地面と少しずつ決別を果たしていき、やがてユピテルは完全に立ち直った。




『気にいらないね』




 しかし黒雷の獣は自立ソレを認めない。


 自らの意志で立ちあがる等という身勝手は、親への反逆に他ならない。


 だから、その芽は潰す。


 徹底的に蹂躙する。



『親の言う事を聞かずに悪い連中とつるむなんて暴挙、私が許すと思っているのかい? 見通しが甘いね。それとも私を舐めているのかな? 良くないな、良くないなぁっ!』



 轟、轟、轟、轟



 たった一撃で容易に人体を消し炭に変えてしまう程の威力を秘めた雷撃が、嵐のように吹き荒れる。




『親を敬い、親を重んじ、親に従う、それができなければ人ではない! 畜生にも劣る下等者だ! あぁ、ユピテル。私は君をそんな風に育てた覚えはないよ。親の言うことを素直に聞く純粋無垢な愛娘、それが君だ。本来のあるべき尊い姿なんだ! ねぇ、もしかしてそんな簡単なことも忘れてしまったのかい? だったら思い出せ、今すぐ思い出せ、それが義務だ契約だ何もできない無意味で無価値なお前が唯一果たせる役割だ。さぁ、さぁ、さぁ! 反抗期は終わり、永遠の幼年期にまどろむがいい――――っ!』




 轟、轟、轟、轟、轟、轟、轟、轟



 野に咲いた花を一片たりとも残さぬよう、ケラウノスは漆黒の雷鳴を奏で続けた。


 父親とは我が子を慈しみ、命を賭して守るもの。


 しかしその愛すべき我が子が、唾棄だきすべき悪の道へと転落しかけたならばどうするか?


 決まっている。


 反省するまで罰を与え続けるのだ。



 殴る、蹴る、食事を与えず外へ追い出す。

 虐待ではない。教育だ。

 何も子供が正しい道を歩めるよう教訓痛みを刻まなければならない。


 全ては子を思えばこそである。


 恨まれると知りながら、嫌われる覚悟を背負いながら、それでもケラウノスは愛の鞭を振るう。




『AWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』




 愛している、何よりも、誰よりも、いつまでも。



 万感の想いを込めた幾百の雷は、一つとして外れることなく少女の身体に着弾した。



 雪が爆ぜる。

 雷が躍る。

 雲が飛ぶ。



 それはまさに天変地異。


 気候を、そして地形を変えてしまう程の落雷が驟雨しゅううのように降り注いだのだ。



 ここが精神世界であろうと、問題はない。

 むしろ、精神世界であるがゆえに効果的なのだ。



 これは主を殺す危険性リスクおかさずに、主の心だけを殺められるまたとない好機。



 ケラウノスにとって都合の“良い子”を作り関係を作り出す千載一遇のチャンスなのだ。





『さぁ、ユピテルよ。きちんと反省できたかな? できたのならば、ちゃんと言葉でお詫びをいれようか。“ごめんなさい。ワタシが間違っていました。ワタシの家族はパパだけです。他には何も要りません。これからは心を入れ替えてすべてパパの言う通りにします。愛しているのはパパだけ。パパさえいればそれでいい。パパが全て。パパと結婚する。パパパパパパパパパパパパパパパパパ”――――さぁ、私の良い子よ、一言一句違わずに宣誓しなさい。言う事が聞けなければおしおきを続けるよ?』




 未曾有みぞうの規模の暴力おしおきを執行してからの、服従の強制。



 

 力と父性愛しか知らぬケラウノスにとって、それは完璧ともいえる王手チェックであった。



 だが――――。






「…………絶対に、イヤ」




 吹雪く雪風が弱まり、視界が開けた先であらわになったのは、ケラウノスをして、目を疑うような光景であった。



 幾百の黒雷の降り注いだ雪野原の中心で、変わらず直立不動でこちらを睥睨へいげいする少女。



 息は絶え絶えだ。

 全身が小刻みに震え、両足に至っては生まれたての小鹿のように痙攣けいれんを繰り返している。


 だがそれでも、少女は立つことを止めなかった。



 百度の死に匹敵する黒雷の暴威にさらされながらも、決して折れることなく、毅然しゃんとして。


 


 なぜ、という疑問符が獣の頭に浮かびあがる。



 耐えられるはずがない。

 何の力も持たないか弱い少女が、自身の暴威に耐えられる道理などあるはずがないのだ。




『…………何をした?』




 ケラウノスの発した詰問きつもんに、少女は首にげた巾着袋を掲げて答える。




「この中には、いっぱいの、アクセサリーがはいってる。種類はぜんぶ、変換系耐性付与型アクセサリー」




 知っている。

 あれは、現実世界に顕現した自分の力を縛りあげている小賢しい弱体化デバフの発生源だ。

 

 くだらない羽虫共の分際でよくも私を罠に嵌めてくれたな、と向こうの世界の自分は現在、怒り狂っているのだが、それはあくまで現実の話。



 魂の交錯する精神世界において、現実の枷など意味を持たない。


 全ては心の想うがまま。


 ケラウノスが己を万全と定義づけている以上、この世界の彼は



 だから弱体化など効くはずもなく――――。




『待て』



 そこで獣は気づく。



 少女は今、何と言った?




『変換系耐性付与型アクセサリー……だと?』



 弱体化デバフではなく、変換コンバート

 減少したステータスの分だけ、属性への耐性を得るアクセサリー。


 

 現実世界においてケラウノスの力は、現在進行形で零落れいらくしている。

 

 限界まで多く見積もっても、今の彼の能力値は通常の四割程度。

 

 およそ過半数以上のステータスが、取るに足らない耐性向上の為に使用されているのだ。




 ……本当に?



 獣の魂に疑念が浮かぶ。



 本当に彼女の持つアクセサリー群は、ケラウノスを弱体化させる為だけに用意されたモノなのだろうか。



『……まさか』



 獣の精神が言語化されるよりも前に、銀髪の少女が真実を明かす。





「この中にあるいっぱいのアクセサリーの獲得耐性は、すべて“瘴気”と“雷”。つまり、黒雷を防ぐためのモノ」



 予想通りの答えが返ってきた。


 瘴気と雷、合わせて黒雷への耐性付与。

 成る程、それならば自身の攻撃を防ぐ事も叶うだろう。

 少女の心が壊れなかった理由にも一応の説明はつく。



 だが、耐性それは、あくまで現実世界におけるユピテルの話である。



『この世界のお前には、装飾品の効能など通じぬはず――――!』

「この世界だからこそ、だよ」



 花弁のような唇を動かし、少女は掴み取った真理を言葉に変えた。




「ここは心の世界。想いの強さが在り方を決める空間」

 


 ケラウノスがこの世界の己を万全な状態であると定義したがゆえに、今の彼は万全そうなのだ。


 ならば同様の理屈で、目の前の少女が“自分が所持しているアクセサリーの力は絶大である”と定義づけたのならばどうなるか? 



 決まっている。


 



 巾着袋の宝石達は、現実世界の効能をはるかに上回る力を発揮し、幾百の黒雷から主を守り切ったのである。


 


「ここは、アナタの支配する世界だと、勘違いをしていた」




 ――――逃げる事も、防ぐ事も、死ぬ事すらも叶わない。

 ――――獣の暴虐を理不尽に受け続けなければならない地獄。



 そう決めつけていたのは、他ならぬ自分自身である。



「ずっとアナタが怖かった。ずっとアナタにすがっていた。ワタシの全てはアナタに支配されていた」



 獣の勝手を許しながら、自身は地べたにうずくまっているだけ。

 先程の自分の姿は、まさにこれまでの象徴である。




“アナタの娘になるから、どうかワタシを守って下さい”




 あの日、そう願った瞬間から、少女は正しく獣の奴隷むすめだったのだ。



 敵うわけがないのだと、孤独でいるしかないのだと、父親ケラウノスに守ってもらう為に人としての在り方を捨ててきた苦い日々を思い出す。



 感情を抑制した。

 温もりを諦めた。

 自分を憎み、一生の孤独を受け入れた。




「アナタへの依存を止められなかった。アナタの暴力から仲間だった人達を守れなかった。それでも生きたいと……願ってしまった」




 逃げる事も、防ぐ事も、死ぬ事すらも叶わない。

 


 愚かで薄弱で意気地のない自分が、世界中の誰よりも許せなかった。




「――――だけど、こんなワタシをあの人達は受け入れてくれたの」




 心に灯がともる。



 吹雪舞う銀世界においてなお熱を失わない暖かな感情ヒカリが、少女の身体を突き動かす。




「ハルカは、ワタシの憧れ。強くて優しくて暖かい。大きくなったらワタシはあんな人になりたい」




“――――大丈夫だよ、ユピちゃんなら! 絶対、ぜーったい大丈夫だよ!”



 一歩。



 太陽のような彼女の顔を思い浮かべながら歩き出す。


 ケラウノスが何かまくし立てているが関係ない。


 どんな時でも前を向くあの強さに焦がれながら、少女は前へと歩みだした。





「フミカは、ワタシのお母さんになってくれた人。美味しいご飯を作ってくれた。一緒にお風呂に入ってくれた。寂しい時はおんなじお布団で寝てくれた。あの人は、誰よりも優しい人。……その人と約束したの」





“必ず、ここに帰って来て下さいね。ユピテルちゃんの大好きなお料理を沢山こしらえて待っていますから”




 二歩。



 大切な居場所を作ってくれたあの人の元へ必ず帰るのだと、決意を込めて白銀の大地を踏みしめる。




『やめろ』




 一際大きな黒雷が少女の頭上に飛来した。


 周囲の地形を歪ませる程の大規模術式。


 しかしの小技など、今のユピテルには微塵も通用しなかった。





「アル姉は、ヘンな人。すごい力を持っているのに、とっても親しみやすかった。あの人と過ごす時間はとても楽しい。ずっと一緒に遊んでられる」




“妹よ。時代は恐竜もどきではなくカエルです。なにせゲーム機の中の怪物と違い、カエルはおいしく頂けますから”




 三歩。



 戸籍上の姉との会話を噛みしめながら黒雷降る雪原を踏み抜いて。




「ジェームズは、クランを辞めたワタシのお願いをこころよく聞き入れてくれた。いっぱい迷惑をかけたのに最後まで……ううん、その後もずっとワタシの事を案じてくれていたの」






“よくぞ私に声をかけてくれた! このジェームズ・シラード、喜び勇んで君達の戦列に加わろう!”




 四歩。



 無茶な願いを聞いてくれた古巣の長に心から感謝の気持ちを込めながら。




『やめろ、やめろ、やめろ』



 獣の命令が無数の黒雷をともないながら発せられる。


 けれども



 

「きかない」



 聞かないし、効かない。



 幾百の雷霆も、圧のこもった獣声も、今の少女には通じない。



 輝きに触れた。

 温もりを知った。

 楽しいと思えた。

 駆けつけてくれたことが嬉しかった。




 そしてこんな夢のような日々を得られたのは――――







◆◆◆ 





 その少女は孤独だった。

 その少女は囚われていた。

 その少女はいつも泣いていた。




 実の両親に売られ、被検体モルモットにされた。

 新しくできた親は、ところ構わず暴力を振るった。 

 沢山の人を傷つけた。

 沢山の人に疎まれた。

 誰も彼もが少女を否定した。

 少女自身も、そんな自分が大嫌いだった。




“あなたは何も悪くない。間違っているのは、この社会”




 やがて少女は堕ちていく。


 誰かを殺めれば褒めちぎられ、何かを壊せば欲しい物をもらえた。


 変容していく価値観、失われていく倫理観。



 心と魂を明け渡したがらんどうの人形は、大人達の望むがままに狂気にひたる。




『だから、ねぇしっかり泣き喚きナサイッ。無様ヲ晒してこのユピテルヲ楽しまセルノ。それが、無能デ無価値ナお前達に許された唯一のあがなイヨ。キャハッ、キャハハハハッ、キャハハハハハハハハハッ!』




 傷ついた分だけ、傷を与えよう。

 壊された分だけ、壊してしまえ。




 より憎んだ方が強くなる。

 より狂った方が楽になる。

 憎め、憎め、憎め、憎め

 狂え、狂え、狂え、狂え

 憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め

 狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え

 憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め、憎め

 狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え、狂え




『何モかもガ憎イ、ワタシはだれヨリモ狂ッテイル! キャハッ、キャハハハハッ、キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!』





 “瞋恚のRaging黒雷dark”ユピテル。




 売られ、使われ、支配され、大人の都合の“良い子”を演じるだけの哀れな踊る人形コッぺリア


 


 自分を殺し続けた少女は、覚めない悪夢を踊り続ける。

 誰かが己を殺すその時まで、狂気のお芝居グランギニョルは終わらない。



 それが少女の運命。


 それが少女の摂理。


 それが少女の結末。





 そしてその筋書きは、絶対の






◆◆◆ 






“後、もう一個アドバイス。雷親父がなんかガミガミ言ってきたら、股間におもいっきりパンチしてやれ”




「うん、やって、みるよ、キョウイチロウ」




 小さな拳を握り、眼前の獣の懐へと入り込む。




『やめろと言っているのが聞こえんのかぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――――!』




 聞こえない。


 なぜならば、ユピテルは忙しかったのだ。



 少女を陽だまりの中へと連れ出してくれた大恩人の薫陶くんとうを、今こそ実行すべき時なのだ。


 うるさい獣のヒステリーなどに、一々構っている暇はない。




 黒い雷が地面から噴出する――――効かない。

 ケラウノスがしょうこりもせずに怒り狂う――――意味ない。

 獣の爪牙が少女を目がけて飛んでくる――――通じない。




「もうアナタなんて怖くない。それを証明する為に、ワタシはアナタを去勢する」




 オスにとっての処刑宣告を下しながら、少女は大きく腰をかがめて飛翔する。




「うるさいオスの股間をパンチ。つまりワタシはアナタに黙れと言っている」



 果たして下腹部にソレはあった。



 きっとユピテルが殴ると決めたから、ソレがついたのだろう。


 ここは夢の世界。


 想いによって、在り方が変わる空間。


 現実のケラウノスにソレがついているかどうかなんて関係ない。



 今この場にいる彼の股間にはソレが確かについているのだから。




『ふざけるな、このような反逆、断じて認めんぞ! 親のいうことを聞けユピテルッ!』

「イヤ。ワタシの人生は、ワタシが決める。誰かのいいなりになんて、絶対にならない」


 

 強く握った拳は金剛石よりも固いもの。

 だからパンチもダイヤモンド級だ。




「ワタシのパンチはダイヤモンド。アナタの小さなモノなんて木端微塵に打ち砕く」

『やめろ、やめろ、やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』

「やめ――――ないっ!」



 万感の想いをこめて放つアッパーカットは、決別と門出の絶対証明Q.E.D


 少女に課せられた運命の転輪は、今この瞬間をもって瓦解する。





「去勢、かんりょう」



 爆ぜる男性器。

 逆転する力関係。



 かくしてifもしもの亀裂は走り出す。




 獣のシンボルを拳ひとつでぶっ飛ばしたその少女の横顔は、全力で“人間”だった。



 










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