遠雷

薄明一座

第1話

雲ひとつない夜空に、小さく星が瞬いている。

手を伸ばすと、ぐんぐん近付いて来て、指先が、掌が空を押した。

枯れた紙の感触がした。


              ***


「……どういう種類の夢だ……」

ベッドから体を起こすと、測った様に時計から音が鳴る。

4日連続で俺の勝ちだった。

「……」

思考がさっきまで見ていた夢に引っ張られ、目を閉じるとすぐにでも、あの夜空の紙を破って向こう側を見る事ができそうな気がする。

「……起きるか」

声に出さないと俺は行動できない。朝は特にそうだ。

そもそも、俺は起きるのが嫌だ。

人体は健康になる為に睡眠を必要とする。眠いのは必要だからだ。

それなのに何故か朝になると不健康だからと睡眠を中止させられ、あまつさえ健康の為に朝から運動しろという人もいる。全く冗談では無い。

しかし、生きる為に必要なのは寝る事だけではなく、寝るだけで全てを賄えない以上は寝る以外の事もしなくてはいけない。

全く冗談では無かった。

カーテンを開けると、家に面した路地からの光が目を刺した。

白く染まった視界が暗い室内に慣れてくる間に、水瓶に溜めた水を桶に移して洗面台へ向かう。

この家で暮らして10年以上経ち、目を閉じていても歩き回れる位に間取りを把握できていた。顔を洗うと、汚れた鏡に眠そうな男の顔が映っている。鏡より少しだけ小奇麗で、目やにも残っていない。

まだ残る眠気に重くなっている足をタンスに向け、細長い乾燥食を適当に掴んで口に放り込んだ。

「……」

無心で齧る。この食べ物を食う時のコツは無心になる事だけだ。

さもなければ、この食べ物を開発した製作者や流通させている運搬屋への恩を忘れて恨みが勝ってしまう。

全部食べ終わって空腹が解消された頃には、口の中に残る味と歯の間に残る痛みですっかり頭が冴えて眠気も無くなっていた。

テーブルに放り投げた上着の懐を探り、財布の中身を確認する。

乾燥食による日々の節制のお陰で、少しばかりの余裕があった。

服を着替え、支給品の丈夫な上着に袖を通して家を出る。

口の中にちゃんとした味を残してから仕事場に向かう事にした。


               ***


第三区画は、全七区画ある中でもっとも広い場所だ。

仕事場である第一~二区画を合わせても広く、いつでも活気付いている。というより第四~七区画が住居区画なので第三区画以外に行く所が無い。

チラリと上を見ると、岩肌の様な天井に連なってぶら下がっている電球がグラグラと揺れていた。

「アルマ! 珍しいな、いつも眠いって言っているお前が2日連続で朝市に間に合うなんて」

「目覚まし時計には4日で勝ってる」

「一昨日より前には朝市に来てなかっただろ」

「二度寝したからな」

「じゃあ、二勝二分けだろ」

明るく声をかけてきた八百屋のオヤジからミカンをひとつ買い、店から離れる。第三区画は商店の集合体で、中心部の広場は憩いの場所でもあった。岩と岩の間にぽっかりと空いた奇跡の空間で、朝市の時間ともなれば俺の様に朝飯を食べている人で溢れている。

空いていたテーブルに移動する。座った椅子は嫌な軋みを苦しげに漏らした。

何かしらの連絡事項や祝い事などがある時に使われる広い舞台の壇上には今は誰もおらず、何人かが縁に座って飯を食っているだけだ。

他のテーブルは全部埋まっている。

だから、ひとかけミカンを頬張った時に目の前に座った人物は安心した様な笑顔を浮かべていた。

「おはよう、アルマ」

「おはよう、カディル。遅い出勤だな」

「そっちがいつもより早いだけだよ」

温和に笑う男は俺の軽口にも微笑みを絶やさない。

カディル・テイトンは誰よりも早く仕事場へ向かい、きっちりと仕事を済ませる男だ。俺の友人達の中で最も早く結婚して子供も育てている。

そんな人物なので、俺が気まぐれにやってきた広場で遭遇する事はほとんど無かった。

「それよりどうしたんだ? アルマが2日連続で早く起きるなんて」

「寝つき良かったんだろ」

「2日前から突然?」

「目覚ましより早く起きたのは4日前からだ」

ミカンを少し動かす。

「なあ、ソーヤから何か聞いてるか?」

「いや、何も。【聴動部ちょうどうぶ】からも変化なしって報告だし」

パラパラと、天井から落ちた砂がテーブルに薄く積もった。

無事だったミカンを口に運ぶ。

「ソーヤが何も言っていないなら、ペグマタイトとは無関係なのかもな」

「……何度も見ているけど、やっぱりすごいな」

カディルが持ってきたコップを手に取ると、俺の前に落ちたものより少し大きめの砂が彼の頭と顔を汚した。

「ほら」

「あ、ありが、ぺっぺっ! ありがとう……なぁ、どういう感覚なんだ?ペグマタイトと繋がっているのって」

「俺以外にもできる人間は何百人もいるだろ。大体、繋がっているっていうならそれはソーヤの方だ」

「ソーヤは『何か、ほら、アレよ。目の前で皿が落ちた時に、あぁ割れるなって思うみたいな感じ』って言ってたなぁ。同じなのかい?」

「……やっぱアイツの方が繋がっているな。俺は鱗が擦れる音が聞こえるだけだよ」

「あんなに遠い天井から?」

「聞こえた気がするから動いたらたまたま合っている事が多いだけと思ってもらっても良い……っていうかこの話何度もしてねえか」

「ははは、ごめんごめん。僕にとっては何度聞いても聞き飽きないからさ。僕には全く分からないから」

「ソーヤの方がもっと面白い話してくれるんじゃないのか」

「ソーヤの話も面白いよ。 ……ふふ、何度思い出しても笑ってしまうよ。ペグマタイトが動かなくなる少し前からソーヤが何だか嫌な顔していたからどうしたのか聞いたら、『排便が始まる気がする。何で自分以外の便意に気付かないといけないのよ』って」

「聴動部全員が同じ表情浮かべるから排便は分かり易いよな。ソーヤは尿にも気付けるから負担が大きい」

「そうだね。アルマも彼女に気を使ってあげてくれ」

「俺は小さい時から気を使ってるよ。俺よりも更に感度が高いアトキュラーなんだしな」

「アトキュラー、年々増えてるみたいだよ」

「こんな狭っ苦しい所に何世代も放り込まれてるんだ。徐々に適応するやつも増えてくるだろう。それで感受性の無い奴が迫害される訳でもないんだし、気にするなよ」

「僕自身は良いんだけど、子供がね……明らかにペグマタイトの活動に反応して泣いたり笑ったりしてる時があるんだ。ほら、君達ほどではないけど僕の妻もアトキュラーだから分かるんだ。 ……なあ、アルマ。君もソーヤも、生まれつき感受性が高かった訳じゃない。成長してからある日突然繋がった、そうだろう?」

「あぁ」

「……うちの子はどういう気持ちで育つんだろう? 生まれた時から、物心ついた時から、親や友達や自分以外の、この世界そのものというべき存在の鼓動を感じて生きるっていうのは……ひどく、恐ろしい事なんじゃないかと思うんだ」

「……」

「こんな想像はおとぎ話の様なものなんだけど、ある日ペグマタイトに呼ばれて、ケトが……僕と妻の子供がどこかに行ってしまうんじゃないかって」

「……カディル。お前は俺とは別で勘が良いから色々考えてしまうんだろうけど……少なくとも、俺は不自由に思った事も、ペグマタイトに呼ばれた事もない。ソーヤもきっと俺と同じ様に思っていると思う。それに、お前とミトラが育てる子供が両親や友達に何も言わずに消える様な子じゃないとも思う」

「……そうだね。うん、ありがとう。ミトラも喜ぶと思うよ」

「ケトが大きくなって話せる様になったら色々聞いてみよう。案外アトキュラーではないかもしれないし」

「うん、そうしよう……あ、結構長話をしてしまった。そろそろ仕事に行こう」

「おう」

席を立ち、道すがらにあるゴミ箱にミカンの皮を捨てる。

遠くにある別のゴミ箱で作業員がゴミを集めている姿が見えた。


              ***


「あれ、珍しい。生きているアルマが見れるなんて」

仕事場である第一区画に向かう途中にある第二区画で、お茶を飲んでいる見知った顔と出くわした。

「お前が元気そうならペグマタイトの便意は遠そうだな、ソーヤ」

「……カディル」

「話の流れであの時の事を少し喋っただけだよ。というか、隠せる事じゃないでしょ」

「あのね、便意を感知して気分が悪くなるなんてその事実だけで気が悪くなるんだからあまり思い出したくないの」

「あぁ、そうか。ソーヤ、それは俺が悪かった」

「ん、分かってくれれば良いわ」

ソーヤ・ハドライテは、ペグマタイトの観測を行っている聴動部の職員で、俺とカディルより2歳年上ではあるが幼い頃から知っている仲だった。広場でカディルも話題にしていた様に、非常に感受性の高いアトキュラーで、聴動部を構成する3班の中でも上位に食い込む能力の持ち主だ。

「夜勤か?」

「いや、早めに着いただけ。何か最近寝つきが良くてね」

「ふふっ!」

「? 何?」

「いや、アルマと同じ事言ってるから面白くて」

「私はこいつみたいに年中眠くなってないわよ。快眠が超快眠ってだけ」

「そういう話じゃないだろ」

しかし、俺よりも感度が高いソーヤも同じ状態だとすると、少し気になる。

「ソーヤ、ペグマタイトに変化は無いんだよな」

「ここ1週間は変化なしよ」

彼女はおもむろに耳に付いていた大型のヘッドホンを外し、目を閉じた。

「……うん、今も変化なしだね」

「わざわざ悪いな。気分は大丈夫か?」

「大丈夫よ。もう聴くだけで酔うほどの新人じゃないんだし」

ソーヤはヘッドホンを装着し直しながら快活に笑う。

聴動部は目視で確認できないペグマタイトの状態にも気付かなければならないほど繊細な仕事をしている。

彼女が言う『酔う』とはそんな繊細な作業に集中しすぎて体調を悪くする事を指す表現で、特に仕事を始めたばかりの新人に多い。

とはいえ、2~3年経っても酔う事はあると聞くし、俺自身もたまに気分が悪くなるので注意しなければいけない。

彼女が装着しているヘッドホンは少々イカつい見た目ではあるものの、ペグマタイトから聞こえる音を極力減らし、話し声などそれ以外の音は聞こえるままにするという優れ物だ。聴動部以外には支給できない精密な装置で、壊れると夜中であっても技師が修理に来る。

「アーリヤとキトも何も言ってなかったし、本当に関係ないと思う。寝つきが良いとか気分が良いって話も聞かないし」

「じゃあ、たまたま2人だけ同じ気分って事?」

「……ミトラは?」

「悪いとも良いとも聞いてないね」

「カディル、子供みたいな事言うんだったら張り倒すからね」

「待った待った、何も言わないって! 本当に単純に何で2人だけなんだろうって思っただけで」

「それにしたって、そもそも俺とソーヤで感度が違い過ぎるし、俺より感度が良いのは聴動部全員だ。砲雷部にだって俺より感度が良い人はいる」

「本当に偶然って事?」

「知らないわよ。っていうか、寝つきが良いって言い方がたまたまカブっただけでしょ」

「何かあるとしたら……最近起きてない事が起きるって事か」

「嵐の前の、ってやつ? 何かあったっけ?」

「そういえば、捕食がまだだね」

「確かに前回から結構空いてるけど、前は私何も無かったわよ」

「俺は……前回の捕食の時の気分なんて覚えてないな」

「捕食中は砲雷部の方が忙しいでしょうしね。そっちの記憶の方が強いでしょ」

捕食は聴動部以外が総出で対応する一大事だ。特に、砲雷部は捕食前後にもやる事が多く、捕食後は砲雷部がしばらく休みになってしまう程だった。

「……よし、そのへんも踏まえて砲雷部でも話し合ってみるよ。アルマ、本当に時間がない。すぐに行こう」

「あぁ。ソーヤ、仕事前に悪かったな」

「別に大丈夫だけど……アルマ、あんた本当に調子良いのね。そんなに素直に私の心配してくれるなんて」

「たまにはな」

「そう。たまにね」

「……何だよ」

「何でもないから、早く仕事しなさいよ。じゃあね」

持っていたお茶を飲み干し、彼女は軽い足取りで去っていく。

「アルマ、ソーヤを気遣ってくれてありがとう」

「俺、この位の事は普段から言ってないか?」

「言ってるけど、言い方は少し違うね」

温和な……いや、結構嬉しそうに笑っているカディルに続いて、改めて第一区画に向かった。


              ***


第一区画は、俺とカディルの職場であり、またの名を【砲雷部ほうらいぶ】と呼ばれている。しかし、職場とは言ってもペグマタイトの捕食時以外には特にやる事がない。本番に備えて訓練をずっと繰り返している。

訓練の内容は綱引きや結び方、崖上りや体力作りなど職員を飽きさせない様に工夫しているがあまり効果はなく、同じ事を繰り返すのですぐに飽きる。

そんな慣れ親しんだ体力作り、筋力作りを行う場所である少し広い場所で、何十人もの人間が並んでいた。

列から少し距離を空けて少し高い場所には3人並んでいた。

左から、カットス・ラットジア、カディル、コーフ老。

カットスはカディルより30歳以上は年上の壮年の男性で、コーフ老は御年78歳の白ヒゲをたくわえた爺さんだ。

2人とも砲雷部の人間らしく浅黒く灼けた肌に、経験と共に刻まれた顔の皺が見える。

2人に挟まれたカディルは若輩も若輩で、並ぶと頼りなくも見えた。

「皆さん! 今日の伝達事項ですが、聴動部からは変化なしとの事です! 第三区画の備品……デーブルやイスですね、そういう物を修理してほしいという依頼と、第六区画の家の壁が壊れているという依頼が4件来ています。そちらに回す人手はカットスさんとコーフさんと一緒に選別させてもらいましたので、後で声をかけます! その他の人達は待機でお願いします!」

カディルは大声て通達を行う。

砲雷部は3班に分かれており、アトキュラーと常人の割合は半々といった所で、誰よりも早くきっちりと仕事をするカディルは皆からの信頼が厚く、前任の長直々の指名もあり今年から砲雷部の長はカディルとなっていた。

この朝の連絡が始まる前、同僚達にそれとなく体調を聞いてみたが、変わらないという返答がほとんどで、調子が良いと答えた人達も寝つきは変わらないとの事だった。非番の人達の中にはいるのかもしれないが当然確かめようがない。

解散の号令がかかり、各々の班に分かれていく。

「アルマ」

「何だよ、爺さん」

「カディルから聞いたが、今日は調子が良いそうだな?」

「そういう言い方されると眠くなってくる」

「いつも通り眠気が飛ぶ様な訓練をしてやろう。それと、ソーヤもここ数日は調子が良いとも聞いた」

ちなみに、コーフ老はソーヤの祖父でもある。

「本人から直接聞かなかったのか?」

「あの子はいつも元気だ。その元気さに変化があったとは知らなかったが」

「ちなみにだけど、爺さんは体調は?」

「良いが、特別いつもと変化がある訳ではないな」

「じゃあ、尚更たまたまだな」

「そういう事とは違うかもしれんぞ」

「いや、爺さんの方が俺より感度が良いだろ」

「感度とは言うが、何も全員が共通して同じモノを感じている訳ではないぞ」

「ペグマタイトの体調にどの程度気付けるかだろ? 爺さんも他の人もそれを感じているんだろう」

「結果だけ見ればな。しかし、我々が同じモノに感応しているかは別の話だ。見ろ」

コーフ老が指し示す先では、3班の人達がボールを投げ合う訓練を行っていた。

「人が投げたボールを別の人が捕らえる。あの結果は、少なくとも投げた人間を見た場合と宙を飛んでいるボールを見た場合の2種類の受け取り方ができる。結果は同じでもな。ペグマタイトも同じ事だ。儂が良しと感じる理由とお前が良しと感じる理由は違う」

「それは……でも、確かめようがない事だろ」

「そうだ。合ってるかも間違っているかも分からん。ペグマタイトしか知りえない事で、アトキュラーは彼と会話している訳ではない。だから、お前とソーヤにしか感じ取れないモノがあっても不思議ではない、と儂は思うぞ」

「……買い被るなよ、爺さん。そこまで言われると怖いぞ」

「何事もなく終わるかもしれんが、まあ、準備だけは整えおけ」

コーフ老はそう言い残して別の人達に声をかけに向かった。俺は待機組らしい。

俺も彼の指示に従って、棒を使った訓練を始めた仲間達の元へ向かった。


              ***


昼を過ぎて少し経った頃、最初に気付いたのはコーフ老とカットスと数人の職員達だった。

気付いたといっても、ごくごく小さい変化で内容が分かったのは直後に聴動部から届いた通知によってだった。

修理にでかけた職員達は戻され、すぐさま朝と同じ様に全班は整列を終える。

「皆! 気付いていると思うが、ペグマタイトに動きがあった! 徐々に土を掴み始めたらしい!」

全員に緊張が走った。土を掴む。砲雷部の人間は意味する所を知っている。

「前回より少し間が空いたからか、前回よりも掴む速度は速いらしい! すぐにでも捕食が始まるかもしれない! 訓練は中断して本番に備えて欲しい! 各班は持ち場についてくれ! 連絡はいつも通り2班を経由する! 解散!」

誰ひとり話す事なく、すぐさま移動が始まった。

第一区画の広場には第二区画に繋がる出入口と反対側に3つの出入口がある。左が3班、真ん中が2班、右が1班の持ち場に繋がっている。俺は1班の所属なので、右の出入口に入り、置かれていた大きな金槌を背負い、革手袋をはめてゴーグルとイヤホンを首にかけてから梯子にを上り始める。しばらく進んだ所で待機し、その間に命綱を装着する。

この場所に来ると、アトキュラーで無くとも、ペグマタイトの息遣いと土をかき分ける音がはっきりと聞こえる。ガシュ、ガシュと聞こえるのが土を掴んでいる音で、間隔は短い。やがて、かき分ける音が聞こえなくなり、土が落ちていく音を背後にして強い風が梯子を囲む壁に叩きつけられる音が聞こえた。

「地上に出た様だ! 全員急いで持ち場につけ!」

コーフ老の大声の直後、風の音は強くなり改めて梯子を上る。

すぐに梯子が無くなり……風と、雨が俺達を出迎えた。

懐のイヤホンを着けると、すぐさまコーフ老の指示が飛ぶ。

俺は自分の持ち場に立ち、班員同士で繋がっている命綱とは別の綱を地面に刺して固定した。

いや、それは地面ではない。

土よりも更に黒く、ガサついたそれは、憩いの場として植物がある第三区画よりも生命を感じさせた。

視線を下から上に動かすと、硬い床は途中で白くなりながら天を突く様に伸びていく。

それは巨大な白い水晶だった。しかし、本当は水晶でさえない。

それは、巨大な生物の【角】なのだった。


              ***


【ペグマタイト】という呼び名は、俺の爺さんの爺さんより前の時代に名付けられた。誰が、というとそこに住み始めた誰かであり、誰か達だった。

当時、ある国で1つの街をまるごと頭に載せて地面から起き上がった巨大な生物が現れた。そして、時期をほぼ同じくして何体もの巨大生物達が目覚め、地上に現れたらしい。

ペグマタイトもそういった巨大生物の1つだった。

残っている資料では、ペグマタイトは巨大なトカゲで全身の鱗がギザギザに生えている。俺達の先祖はその鱗の隙間に街を作った。最初から鱗の隙間に落ちた人間、後から落ちてきたり這い上がってきた人間を巻き込んで今の規模に落ち着いたが街が成立した時点や今現在の正確な人口は分からない。そんな計測をしている余裕がなかったからだし、事故や本人の意思で去っていく人間も多かった様だ。

80年前の時点で、おそらく8万人ほどだろうという計測者不明の小さな記録が残っているだけだ。

ペグマタイトの特徴は他にもあるが、1番の特徴はその頭に生えた、巨大な角だ。白濁した水晶の様なその角は、ペグマタイト自身にとって、そして彼の体の隙間で生きる人々にとっての生命線だった。

地上を闊歩し始めた巨大生物達だが、それは同じ姿をした同族ではなく、一属一種の生物で、すぐに巨大生物同士での縄張り争いが始まった。たまらないのは巨大生物達の背中で、あるいは隙間や剛毛の下で何とか生き延びていた人間達だ。自分達が潜み隠れている巨大生物が戦えばその余波でさえ死人が出るというのに生き残ったとしても巨大生物自身が死ねば、残った巨大生物が跋扈する地上に放り出されることになる。

巨大生物達が同時期に現れた様に、人間達の対応も同時期に始まった。

廃材などを使って、自分が住んでいる巨大生物を武装したのだ。

鋼材や木材での補強に始まり、砲台などを使う都市も出てきた。

俺達が住んでいるペグマタイトはそういった強化とは、違った方向で生存を模索し始めた。


              ***


「全員、持ち場についたな! 待機だ!」

イヤホンからコーフ老の指示が聞こえたと同時に、背負っていた金槌を持ってしゃがみこむ。

ほどなくして、地面……ペグマタイトの頭部が大きく揺れた。

振り落とされない様にしっかりと鱗を掴む。

顔を上げると、遠く、雨雲の下に隠れていても尚分かるほどの巨大生物が見える。雨雲に混じって稲光が閃く度に、表面は光って金属質を感じさせた。生物の生来持っている部分か、後から人間達が設置したのかは分からない。もしかしたら、その象の様な生き物に住んでいる人間達でさえ分かっていないのかもしれない。

頭は尚も揺れ続け、角の先端を遠くの巨大生物に向けようとする。

3班が、ペグマタイトの首や顎の部分を繋いだロープを操り、巨大生物の方向に向けようとしているのだった。

これが、俺の爺さんの爺さんの時代から行ってきた、この街の生存方法だった。ペグマタイトは地面の中で生活するものの生物である以上は捕食しなければならない。なのに、彼は狩りが得意ではなかったのだった。一撃必殺の力を持つ角を持ちながら活かせていなかったのだ。

下手な装備は動きを損なうだけと判断した先祖達は、何千人もの犠牲を出しながら、ペグマタイトを指定の場所に動かす方法を編み出した。

その技術が、徐々に頭の揺れを小さくしていき……ついに、止まった。

「固定された! 順番に打てーーー!」

コーフ老の号令の元、遠くから鉄を打つ甲高い音が響いた。それは風雨に乗って届いた音であり、イヤホンから聞こえる必殺を告げる鐘の音でもあった。

何十回か音が聞こえ、隣を見ると離れた場所にいる同僚が金槌を振り上げている。俺が金槌を振り上げた瞬間に甲高い音が響き、俺はそれを合図に振り下ろした。俺の後にも何十回か音が聞こえ、最後の残響が風雨に溶けた頃、変化が始まった。

「発光確認! 全員鱗の下に潜れ!」

頭部の鱗は体や尾の部分と比べて小さく密集しているものの、巨大さの為に人一人が隠れるスペースがある。

鱗に下でゴーグルを着けた頃には、バチバチッと焚き火の中で爆ぜる枝の様な音が周囲で聞こえ始めた。もっとも、音の規模は焚き火とは比較にもならない。イヤホンが無ければ鼓膜が破れてしまうのは間違いなかった。

鱗の下で目を閉じ、外の光景を想像する。

巨大な水晶の様な角の周りを電気が奔り、徐々に、角の内部が透明になっていく。角の根元、俺達で刺激した箇所からの放電は更に増していき、雨でも拡散しきれないほどに密度が増していく。発光と放電が最高潮に達した時放電が途絶え、発光が止み……先端から角と同じ太さで光柱が発射される。

その光景の回答の様に、ビリビリと鱗が震えた。

振動は数十分も続いて止まる。

俺達は誰ひとり動く事なく待機を続けた。

「ザ……く……ザザ……いん……ザ……ザザ……にん……く標に命中した! 繰り返す、目標に命中した! まだ全員待機だ!」

酷い雑音の後、コーフ老が巨大生物に命中した事を告げた。

「向こうは動かない! 撃破と判断! 全員すぐに下りる準備をしろ!」

隙間から這い出て、元来た道を引き返す。

梯子を下り始めた頃には、ペグマタイトの地響きの様な足音が聞こえていた。


              ***


滑車と梯子を使ってペグマタイトの右後ろ足の位置から降りる。

久し振りの、本当の意味での地上はこれも久し振りの風雨と土と焼け焦げた匂いが混ざって吐きそうな位に気持ち悪い。

ペグマタイトは食事中動かない。

この時間で人間達は撃破した巨大生物から使えそうな資材や部品をかき集める。

少し時間がかかるが、問題ない事が確認されれば、倒した巨大生物の肉を切り分ける作業も始まるだろう。

「アルマ、マスク着けないで何やってんの!?」

「いや……ちょっと眠くな、モガ」

合流したソーヤが手荒くマスクを着けてくれる。

ペグマタイトの狩猟方法では周囲にかなり細かい煤が広がる事になり、また、生物によっては血に毒が混じっている事もあるので、マスクは必須なのだけど、雨が降っているので着けずにいたら気持ち悪くなってしまった。

捕食中も聴動部は忙しいが、万が一にも置き去りになる事を避ける為地上からも観測しなければならない。今回降りてきたのがソーヤなのだろう。遠くにはキトも見えた。

「金属が手に入るかもなんだって?」

「先発組の話だとな。銅と鋼が見つかったって」

「銅が助かるね。通信機以外にも何だかんだ使うしさ」

「電球が壊れた場所も補修されるだろうな」

「あんた、ここで何してたの?」

「俺は解体だ。調査が終わって問題なければ行くよ」

風雨の中で同胞達がせわしなく動いている。

この時ばかりは、第一区画以外の住人も作業に参加している。

「ソーヤ、今回の巨大生物からは人間が見つかっていないらしい」

「そうなの?」

「ペグマタイトの砲雷で区画ごと消し飛んだかもしれないけど、先発組の話だと生活していた痕跡が見つからないんだと」

「私達よりも前に、滅んだって事?」

「そうかもしれないが……」

顔を上げると、雨雲は尚も濃くなっていき、雷鳴が遠くに聞こえる。

「ソーヤ、昨夜な、夢を見たんだよ。夜空と星が視界いっぱいに広がってるんだけど、手を伸ばしたら夜空に触れて、枯れた紙みたいな感触だったんだ。きっと、くしゃくしゃにしたらその先に板でもあって、夜空が祝い事の立て看板みたいなハリボテだって分かったのかもしれない」

空に手を伸ばすが、当然夜空には近付けない。雲にさえ触れない。

「久し振りに本物の夜空見たかったな」

「今はどのみち夕方前でしょ……ペグマタイトに動く気配はまだない。このまま夜になって、雨が上がれば見えるかもね」

「そうだな」

イヤホンから調査終了と肉に問題がないという連絡が聞こえた。

「じゃあ、行ってくる」

「怪我しない様にね。終わったら一緒に晩飯食べよう」

「あぁ、そうしよう」

解体用の刃物を載せて、手押し車を押す。

地面は濡れていたが、雨なのか血なのか良く分からなくなっていた。

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遠雷 薄明一座 @Tlatlauhqui

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