第2話:放射状の雲


 さて、ここまで実に静かなロクであったのだが、それには理由があった。空間移動で喫煙場所に到着してすぐに、大人ロクになってもいい? と聞いてきたのである。僕としてはどちらでもよかったのだけれど、今回は繁華街ということもあったし、ぞろぞろ引き連れて来た訳だし『美女ロクでもいいけど、話し方は少女ロクが条件な』と言ったのだ。その返事からすでに『任せておくがよい!』だったので、人差し指を立てて『ブブーッ!』というと、それ以降すっかり話せなくなってしまったのだ。

 それでも美女ロクは、僕が以前ショッピングモールでコーデした服で着飾っていたのである。あの時以来久しぶりに、ちゃんと着て、ちゃんと歩いている姿を見た。歩き方も、もちろんそれまでも姿勢が悪いとかガサツだとか、そういうことはなかったのだけれど、服装に見合うよう背筋をピンと伸ばし、着地する脚をちゃんと内側に、平均台の上を歩くようにモデルさながらの歩き方をしていた。



「もしかして、僕にそれを見せようとして、美女ロクになったのか?」


「べ、別にそのようなことはない……あ、ありませんよ」



 たどたどしさがなんとも可愛らしい。ただ席に着いてからも、表情をもぞもぞしながら困った風なので、しばらくは僕も楽しんでいたのだけれど、だんだん可哀そうになってきて、



「わかった、わかった。そこまで苦労するとは思ってなかったからな。それじゃあ、せっかくの美味しいプリンも美味しくなくなってしまうだろうよ。普通に話していいぞ」



 と言ってやった。すると、誰にも聞こえないような小さな声で、



「よいのか?」



 と言うので、ぼくはもうすっかり笑ってしまった。さすがに小洒落たお店なので、声をあげて笑うことはなかったけれど、ロクは恥ずかしそうに小さくなっていた。美女ロクのこんな姿を見れただけで、僕はもう大満足である。



「ロク。そんなに小さくならなくても、お前はここに居る誰よりも美人なんだから、いつも通りで居ていいんだぞ」


「であるなら、余計話し方を注意せねばならんのではないのか? それに……」


「それに?」


「ここの空間はちょっといびつであるぞ……」


「いびつ?」



 少女ロク会話縛りを解いてやったというのに、ロクは相変わらずようやく聞き取れるほどの小声であったし、どうも落ち着かないようである。すぐそばの四人席にかけている三体を見ても、凍り付いたような表情で小さくなっていた。その様子を見て、ようやく僕はロクの言葉を理解したのだった。



「あー、この雰囲気がダメなんだな。まだ注文も来てないし、買って帰るか?」



 どうやら店選びを間違ったらしい。ここは百貨店七階にあるモロロフ喫茶だったのだが、そういう客層だったのである。ロクの言う『いびつ』というのは、恐らくは客たちの心の内でも見えてしまったのだろう。確かに百貨店内にある喫茶店というのは独特の雰囲気があるものだから、さもありなんである。言ってみれば、見栄を張ったりウソで誤魔化したり、表に出している表情と心の内で考えていることの乖離がどこよりも激しい空間かもしれないのだ。確かに思い返してみれば、霊界にいる霊体たちは意外にも性根の素直な奴が多い気がする。そういう綺麗な環境にいて、こういう小汚いというか、どす黒いものを見てしまうと、やはり辟易するのだろう。

 まあそれでも、反対にここの客たちや店員らが、お前らを霊であると知ったなら、もっと驚いて飛び出ていくんだろうけどな。


 店員にはそれとなく急ぎの用ができた風を装って、持ち帰りのプリンを買って帰ることにした。ただ、至極残念がっていたサルメが悔しさを爆発させて、全部買い占めることになった…………。



 店を出てからというもの、みな表向きは静かにしていたのだけれど、思念会話は大爆発していた。もちろん不満で満たされたものだった。驚いたことに言仁ときひともしっかり加わっていて、いつの間にかサルメとも『共通の敵』の効果、いわゆる『ロミオとジュリエット効果』ですっかり意気投合していた。


 そういう訳で、憂さ晴らしをしてもらおうと、僕はゲーセンに連れていってやった。パンチの力の大きさを表示するゲームがあったのだが、サルメが一発殴っただけで表示不能になり、壊れてしまった(シャルがこっそり直していた)。シューティングゲームに至っては、次に出てくる敵や、打ってくる敵の弾が先に見えてしまうらしく、サルメは途中で『面白くない』とやめてしまうほどであった。

 ゲーセンも失敗か……と、思っていたのだけれど、ゾンビを倒すガンシューティングは大盛り上がりを見せた。それはもうニューレコードの連発で、最後には観戦者で溢れ返るほどになっていた。そりゃ、二人同時プレイするものを、両手に二丁構えて一人で全部やってしまったら、否が応でも注目を浴びるというものである。

 一位はロク、二位はシャル、三位はサルメ、四位は僕で、五位は言仁。四位と五位は、もちろん通常の一人プレイで、圧倒的な下手糞ぶりである。一位から三位は僅差で、サルメは『コレぇー、買って帰るぅー』と駄々をこねていた。アルタゴスにでも作ってもらえっ!



 下界に来てから、結局何も口にしていなかったので、そこそこ名の知れた有名店のたこ焼きを大量に買った。路地裏から空間移動して、あの霊蛇と戦った河原に来て、土手で並んで食べることにした。美女ロクが土手に座りたくないというので、理由を聞くと『服が汚れるであろう』と言った。どうやら実はかなり気に入ってくれていたらしい。結局、シャルとサルメが魔法の絨毯を敷いてくれ、ロクも不承不承ふしょうぶしょうながら座ったのだけれど、ロク、お前の今日の服は、思念で再現したものなのだから汚れないだろうよ……。



「ぐはぁー! たこ焼きうめぇー!」


「『うめぇー』なんて言葉、どこで知ったんだよ……」


「わたしの時代にはこんな食べ物なかったんですが、いつごろからあるんですか?」


「たぶん、一次大戦の後だったと思うぞ。小麦粉すら貴重な時に、節約のために水で薄めて焼いたのが始まりだよ。その時代ってのは、そういう水で薄めるたぐいの食べ物がいろいろ出てくるからなぁ」


「へぇー、節約から生まれたものなのに、こんなに美味しいのですね」


「うむ、これは美味じゃ。これ、霊殿でも作りたいのぅ……」


「そんなに難しいものじゃないぞ。たこ焼き用の鉄板かプレートがあればな」


「鉄……ですか……」


「あ、すまなかった……。砂鉄とは全く別に考えてしまった……」


「よいのじゃ。われらも鉄を克服せんといかんのぅ」



 二百個ほども爆買いしたたこ焼きはきれいさっぱりなくなり、線が二本ほど多いけれど、みんなで川の字になって寝ころんだ。ひとまずはガンシューティングゲームとたこ焼きで、みんなの溜飲は下がったようで僕としてもひと安心である。



「史章、霊殿裏の丘に、墓を作ろうぞ」



 ロクは唐突に言った。



「……お前たちがしたいならそうすればいい。僕はいくらでも協力するぞ」


「そういえば、赤間神宮にもあったのぅ」


「まあ、赤間神宮そのものが言仁の墓みたいなもんだけどな」


「えっ? わたしのお墓ですか?」


「そうだよ。お前を祀ってるんだからな。ここでピンピンしてるけどな」


「複雑な心境ですね……」



 みなが笑う。霊界定番ジョークと言ったところか。でも、本来霊体は記憶を有していないのだから、どれが自分の墓なのかなんてわからないのだろうけれど……。



「下界における墓がどういうものかはわからぬが、ワシなりに考えた結果、墓というものは、生きている者の方が前を向くためのものではないかと思ってのぅ。そういう意味において、作ってもいいんじゃないかと思ったまでじゃ」


「そうか……。うん。いいと思うぞ。じゃあ、ねこ父に話してみような」



 ロクなりに、自分の気持ちを前に向ける方法として、そうしたいのであれば、それは十分に意味のあるものになると思った。改めて空を見ると、薄い雲が綺麗に流れていた。



 ―― ! ――



「えっ!? なんだこれは!」


 思わず声を出していた。

 確かに雲は流れていた。

 流れているのだが、

 おかしいのだ。


 すべての雲が放射状に広がって

 流れているのだ。


 皆が、僕の声に不思議そうに見ている。

 なにがおかしいのか、わからないのだろう。


 それを無視するように、

 僕は思わず飛び起きて、

 その放射状の中心がどこにあるのかを探る。

 この方角は…………。



 ―― 僕の家の方だ!! ――




「どうしたんじゃ? 史章」


「この雲……、おかしい……」


「そうか? とても幻想的で、雄大で、美しいではないか」


「この放射状の雲の、中心の位置だよ」


「うん? 中心の位置?」



 ロクがその方角を見やったとき……

 向こうもこちらを見た!!!!



 ―― 獣の目! 虎の目だ! ――



 ハッキリと、目だけが、

 意識の中に飛び込んできた!


 まるで、見つけた!

 と言わんばかりに、

 それは、確実にこちらを

 凝視していた。



「……おい、ロク。今のって…………」

「ああ……、間違いない! 来るぞっ!!」



 ロクがそう言うと、

 大きな気配がこちらに向かってきた。

 とてつもないスピード!

 何かを考えて、行動する

 といった時間はなかった。

 もう、目の前にいた!!



 ―― 凄まじい霊圧 ――



 もうそれは、服従

 抵抗という言葉を失わせてしまうほどの

 圧倒的なもの、絶対的なもの、完璧なもの

 絶望感すら、湧き起らない


 どう対抗してよいのかわからない、

 そんな手段は何一つないと思わしめる。


 それどころか、

 手足を動かすことすらできず、

 息をすることすらままならない。

 思考することも、どこかへ吹き飛びそうだ。

 恐怖はもう、超越してしまっていた。


 この霊虎を目の前にして、

 いったい僕に何ができるというのか

 もう、服従の道しか……、

 考えられない……、

 ありえない……。



「みな……、飲み込まれるでないぞ」



 ロクの絞り出すような声で、ハッと我に返る。

 僕のやるべきことは、ある!


 霊虎の絶対服従の呪縛が解け、

 ようやく周りを意識できるようになった。

 とはいえ、霊虎から目を逸らすことは許されない。


 霊虎の目線を視野に入れながら、

 視界を広げるような意識をして、

 僅かながらに周りの姿を捉える。

 詳細まではわからないが、みな、固まっていた。


 ロクだけが、戦闘態勢に入っていた。

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