第五章

第1話:プリンを食べに行こう!


 

 僕は、これもまた霊界で初めてとなる、大きな虹をぼんやりと眺めていた。ぼんやりと眺めながら、『ロクとシャルのやりたいことを僕はやればいいんだ!』と、さっきまでのとてつもなくたくさん押し寄せてきた悩みに片を付けることにした。



「虹ってのは初めて見るときはとても綺麗で、そのグラデーションに感動するものだけれど、ひとたび慣れてしまうと、この虹色ってヤツはいろいろ混ざり過ぎというか、途端に情緒のない色遣いに感じてしまうよな」



 と言ってみたが、なんの反応もないのでどうしたのか聞いてみると、どうやらロクもシャルも虹そのものが見えていなかった。


(あー、そうか、コイツ等の視界は光の反射を見てるんじゃなかったな)


 そういう訳で僕の中に入らせて、視覚を同調させてみたのだけれど、驚いて飛び出てきた。



「すごい、すごい、すごい! みた、シャル!」

「ええ、みました! なんでしょう、これは!」



 いわゆる初めて虹を見たときの反応である。その後はしばらく、僕の中に入ったり出たりを繰り返しては、きゃーきゃーと奇声をあげているものだから、はじめは微笑ましく思っていたのだけれど、そのうちだんだん鬱陶しくなってきた。そろそろ、その出たり入ったり、いい加減にしてくれないか?



「んまあ、史章。こんなにも幻想的な、心がうっとりするような情景を情緒がないだなんて、それこそ情緒が欠けていませんこと?」


「うん、まあ、本物の虹はまだいいんだけどな。不安定さというか、儚さみたいなものもあるからな。僕がいうのは絵に描くような虹色のことさ。暖色から寒色まで全部入っているのは欲張り過ぎというか、騒がしいというか、まあつまり情緒が失われているんだよ」


「ふーん。言っていることはよくわかりませんし、なんだか残念です。こんなに綺麗なものを感動できないだなんて、史章の方が十点ほどマイナスです」


「今日初めて見たお前たちに理解はできないだろうさ。で、いつかわかるときが来るだろうさ。ところで、その点数だけれど、そもそもの僕の持ち点は何点あったんだ?」


「十点ですよ」


「………………」



 僕をひと叩きして満足気なロクは、『よぉし!』というと、自分の体内でも人間の視覚の構造を作り上げ、とうとう自分自身で虹を見れるようになった。シャルも試みていたのだが、うまく再現できずにいるとわかると、シャルの顔の中に手を突っ込んでいた。その様子はなんとも気持ちの悪い絵面ではあったのだが、どうやらうまくできたようで、シャルも歓喜をあげていた。ロクは下界で外科医になれるな、としょうもないダジャレが浮かんでしまったのだが、自分の目で見る初虹体験をしている二柱の邪魔をしたくなかったので、心の内に留めておいた。


 はずだった……。



「ふふふー、なに、そのしょーもないダジャレぇー。おっさんだねー」



 出た。もはや、溜息しかない……。



「あれ? サルメ、あなたどうして霊界内を自由に出歩きまわっているの? あなたたちは審判所から出てはいけないのでしょう?」


「ふふふー。ボクは審判所クビだよー。クビー。こないだみんなを手伝ったからねー」


「えっ? でもお前、こないだ会議の後、審判所で仕事してたみたいなこと言ってたじゃないか」


「あー、タカくん! お前じゃなーい! サルちゃんはー」


「サルちゃんは気が向いた時だけだ! いちいち毎回言うのは面倒くさいからな」


「えー、ひどいー! もう怒ったぁー。今からプリン買いに行くよー。強制ぃー!」


「あー、そうだったな。そういや、いろいろありすぎて、遅くなったもんな。よしっ、じゃあ、みんなで買いに行くか!」


「えっ、今からすぐに行くの?」


「ああ。うまいもんでも食って、元気を蓄えに行こうぜ」


「でも史章、あなた……ビショビショよ」



 いや、僕だけじゃなくお前たちもだろう、とロクとシャルを見ると、二霊ともまったく濡れていなかった……。



「ロク、乾かしてくれよ」


「えっ、ここでですか? いいんですか?」


「ちょっと待て。どうやって乾かそうとしてるんだ?」


「それはもちろん、わたしもあなたも全部脱いで……」


「なんでお前が脱ぐ必要があるんだよ……。……みんな、ちょっと待っててくれ。部屋で着替えてくるよ」



 僕が部屋に戻ろうとすると、ロクが慌ててついてきた。別に一緒に来なくていいと言ったのだが『ちゃんと、史章がわたしのものであることを知らしめておかないといけませんから!』ということらしい。まったくそれじゃ人間のヤキモチじゃないか。

 まあ確かに、僕が守ってやりたい霊体が増えてしまったわけで、僕の心の内はロク一強いっきょうという状況ではなくなってきているだろうから、さっきロクが言った『自分の陣地』というかスペース的なものは減ってきているのだろう。

 しょうがないので僕はロクを中に入れて、しばらくロクのことだけを考えるようにしてやった。そうして着替えを済ませ、集合場所の霊殿広場に向かう途中でロクは出てきた。すこぶるご機嫌である。



「ロク、その辺の心配はしなくてもいいからな。お前以外に惚れることはないから安心しろ」


「うん……」



 『うん』とは、初めての返答である。ちょっと驚いてロクの表情を確認してみる。さっきまでの嬉しさと僕の言葉で思い出した不安が入り混じったような複雑な表情をしていた。んー、安心させようと言ったのだけれど、これは失敗だったか……。頭をポンポンとして、撫でてやる。



「そんなことで悩んでる場合じゃないぞ、ロク。広場に行くまでに、どこに到着するかを決めておかないとな。下界の僕の家には他の誰も入れたくないのだろう?」



 あっ! という顔をしたかと思うと、真剣な表情に変わっていた。あれこれ相談した結果、とりあえずサルメの目的はモロロフのプリンだろうからと、モロロフ喫茶のある繁華街のお店に行くことにした。あー、そういえば、サルメ。あのお人形二次元顔、もうちょっと修正させないといけないな……。





 広場に着くと言仁ときひとまでいた。



「タカさん、わたしに内緒で下界に行くなんてひどいじゃないですか!」


「なんでだよ。お前、下界に戻るのあんなにイヤがってたじゃないか……」


「それは定住がイヤなだけで、遊びに行くのは行きたいんです!」



 と、やや剣幕気味にいるのだが、しかしお前、サルメよりふさわしくない恰好だぞ。服装はシャルがなんとかできるらしいのだけれど、髪型がどうにもならない。『下げ美豆良みづら』、むかしの公家の童子の髪型である。長い髪を両耳のところで水玉模様のように束ねているのだが、これをどう結び変えても女の子にしかならないのだ。言仁は生霊だから、姿かたちを自由自在に変えられる、とはいかないらしい。



「そんな髪型をした登場人物はマンガの中にもいなかったろう。女の子になるか、バッサリ切るかだな」



 言仁なりに天皇としてのポリシーがあるのだろうか、うんうん悩んだ挙句、



「ロングヘア男子だんしで行きます!」



 と言った。のだが……、どこからどう見ても女の子にしか見えなかった。


 サルメの表情も二次元顔から三次元の女の子にしてもらったのだが、ゴスロリの服装だけは譲らなかった。シャルはというと、ロック調の服装をしてジャラジャラとうるさい装飾をあちこち身に纏わせていた。一体どんな組み合わせのグループなのか、という有様である。



「シャル。言仁の服装もお前の子供版にしてやって、親子のふりしてろ。髪も長いし、ちょうどいいだろ」



 シャルは幾分不満げであったのだが、それとは反対に言仁はえらく興奮した様子で喜んでいた。

 かくして、ようやく出発できたのだった。





 僕はこれまで空間移動での『時空酔い』に爆死していたので、不安のままに臨んだのだが、今回は驚くことに何もなかった。相当な覚悟をしていたので、少々拍子抜けしたほどである。楽しい気分での移動だったからか? それとも僕の三半規管が強くなったのか? まあどちらにしてもこれは一つの朗報と言えよう。今回もまた酔いに苦しめられるようであれば、いよいよ苦手意識を持たざるを得ないところであった。


 空間移動の到着地点には、僕のサラリーマン時代の休憩場所にした。喫煙場所なのだがあまり知られていないため人気ひとけが少なく、ちょうど目的の店があるところでもあった。到着時に数えるほどの人はいたのだけれど、サルメがその瞬時に記憶を消して回っていた。



「お前は何でもできるな」


「フフフー。ボクに乗り換えてもいいよー」


「やかましい! お前が僕を浸食する隙間なんて微塵もないぞ!」



 まったくいちいち面倒くさい爆弾を投下してきやがる。



「あ、そーいや、霊虎の拠点叩き、お前にも参加してほしいんだけど、さっき言ってた審判所を首になったって、どういうことだよ」


「あー、んーとねー、正しくは審判官ができなくなったのー。一度でも霊界の外に出たらー、もうーできないことになってるんだよー。ゆちゃくー? でもー、お仕事はこれからも審判所でやるよー。ティル様の直属だよー。だからー、その拠点叩きぃー? 聞いてみないとわからないかなー」


「そうなのか。霊界で癒着とか、どう起こるっていうんだ? まあともあれ、それはなんか、すまなかったな。仕事を奪ったみたいで……」


「フフフー。じゃあ今度ぉー、デート一回いっかいねぇー」


「今後お前には、こっちが悪くても悪くなくても『すまない』という言葉は二度と言わないようにするよ」


「あー、ひどいー! シャルー、最近タカくん冷たいのー」


「サルメ、それは自業自得かと思いますよ……」



 シャルにまでそう言われて少しは反省するのかと思いきや、言仁にまで自分の意見を強要しようとしていた。まあ言仁は、サルメとの出逢いの時から散々だったし、恐れてシャルの足元に隠れていたのだが……。


 そうこうしているうちに目的の店に辿り着く。店内には二人席と四人席しかなく、僕とロクで二人席に着き、残りは四人席に案内してもらった。プリン屋といえど、その喫茶店はやはりケーキやらパフェやら、もちろん軽食もあるのだけれど、今回はプリンだけを食べてみるということになった。その言い出しっぺはサルメだったのだが、「別に、好きなもの、食べたいものを食べればいいんじゃないか?」と僕が言うと、



「ダメぇー! プリンの美味しいお店ではー、プリンを食べるのぉー! パフェを食べるならー、パフェの美味しいお店ー。ケーキを食べるならー、ケーキの美味しいお店ぇー。じゃないとダメぇー」



 ということらしい。サルメと付き合うヤツがいるならば、相当苦労するに違いない……。

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