第11話:人間にできて霊体にできないこと


 僕と言仁ときひとが累計七十体ほどの霊命を救った頃、アルタゴスがついに大型掃除機を完成、霊用防護服も五十着を量産した。回復した霊体も三十体ほどに達し、医療部の部屋も使えるようになっていた。

 回復した面々や医療部のスタッフが、それぞれできることを頑張って推し進めたのであろう、霊殿内部には動きが感じられ、救命最前線としてきた軟禁部屋も再構築が施され、僕と言仁は、もうすっかり砂鉄除去にだけ集中すればよい環境になっていた。


 そして累計百体に達したとき、アルタゴスは霊体でも扱える磁石を作り上げた。そもそも磁石自体は霊体に悪影響を及ぼすのではなく、霊体が動かそうとする磁力と磁石の持つ磁力がぶつかり、反発したり引っ付いたりが起こるため、霊体は磁石がうまく扱えなかったのである。そこをアルタゴスは工夫して、霊体の流す磁力と磁石が干渉しないようにしたのだった。磁石を持つカバー部分に磁力を通さない物質を使用し、扱う霊体の方にも磁力を通さない手袋を装着させることで、うまく使えるようにしていた。

 これで、僕と言仁はようやく救命医療から解放されたのだった。実に六時間ぶりのことだった。医療部がきちんと引き継いでくれた。



「言仁、食堂行こうぜ」

「えっ、いいんですかね」

「いいだろ。なんか言われたら、僕が庇ってやるさ」

「うわぁ、霊殿内、ちっとも見れなかったんですよぉ」

「えっ、お前、すぐに軟禁部屋に入れられたの?」

「はい。ソッコーでした」

「ソッコーとか言い出してるし……」

「暇だったんで、端末でいろいろ現代用語を学びました。絵までついていて面白いんですよ」

「あー、マンガな。お前らの頃は、源氏物語とか枕草子とかだろ?」

「よくご存じですね。でもわたしは読ませてもらえなかったんですよ、母上にもおばあ様にも」



 大笑いした。久しぶりに笑った気がしたが、そんなことはどうでもよくなるぐらいウケた。



「そりゃそうだろう。お前みたいな年のヤツが読むものじゃないからな」

「母上もそう言うんです。あなたにはまだ早いって」

「まぁしょうがないさ。今でも十五禁ぐらいにすべきものだと思うぞ」

「十五禁?」

「十五歳未満は禁止図書ってことさ」

「ああ、なるほどです。でも、源氏物語や枕草子よりマンガ? ですか? そっちの方が面白いですね」

「まあな。僕らみたいな大人でも楽しんで読むからな」

「わたしもタカの時代に生まれたかったです」

「ははは。まあ、それは言いっこナシだ。今の時代の方が大変なこともあるんだから」

「やっぱりそんなもんですか」

「やっぱりそんなもんさ」




 ダイニングキッチンに着くと、そこはすでにきれいに掃除してくれていて、砂鉄は一つも見当たらなかった。こんなところは一番最後でもいいようなもんだけれど、きっとナムチかアルタゴスあたりが気を配ってくれたのだろう。ひとまずはコーヒーが飲みたい。準備をしながら、そういえばロクはまだ寝てるんだろうかと気になって、思念会話してみる。



「ロク、起きてるか?」


「ふぇ? 何? 史章?」


「起きたか? こっちに来れるならお前も来いよ。もう霊殿内はある程度自由に動けるみたいだぞ」



 そう言い終えるのが早いか、ロクは直接僕の中に入り込んできて、すぐに出てきた。が、その表情は暗く、また泣き出しそうな顔をしていた。



「コーヒーを淹れるから、ちょっと待ってろ」


「わたし、わたし何にもしてないのに……、もうこんなに綺麗に……」


「いいんだ。お前はその前に死ぬほど頑張ったんだから。大丈夫だ」



 僕はロクの頭を撫でてやった。どうも表情から察するに、僕に抱きつきたいけれど言仁がいるからできない、でいるらしかった。なんともわかりやすい、それじゃ言仁にだってバレるぞ。



「……あとでな。あー、シャルも誘ってやれよ」



 そういうと少し残念そうにしながら、席についてシャルを呼んでいるらしかった。




 コーヒーと残っていたクッキーでしばし疲れを癒す。ようやくひと息ついた。すぐにでも深い眠りに就けるぐらいの疲れ具合だ。それでも、ちゃんと聞いておきたいことがあった。



「なあ、今回たくさんの霊体が亡くなってしまったけれど、それにまだこれからも救える命と救えない命が出てくるんだろうけど、お前たちはどういう風にとむらって乗り越えるんだ? こんな時に、こんなことを聞いてすまないけれど、僕はお前たちのやり方を知らないからさ」



 誰が答えていいものか、そんな間があく。口を開いたのはシャルだった。



「霊界では何もしませんよ。タカの言うのは、昇華した、亡くなった霊たちに対する悲しみを、どう処理するかってことですよね?」


「うん、まあそういうことだ」


「きっと悲しいと感じているのは、この霊殿においては大王様とロクとわたしぐらいなもんです。もしかしたら他にも少しいるかもしれませんが、基本的に感情を持ち合わせていない霊体の方が多いですから」


「そうか、そうだったな……。じゃあ、この敵の襲撃に対して起こった混乱とか、危機的状況とか、そういうことに対しても何も感じていないってことか?」


「ええ、そうです。…………でも……それは……、

 自分が救われたことに対しても、です…………」



 愕然とした。僕の頑張りは、誰かに褒められるためにやったわけではなかったけれど、それでも何も感じてもらえていないというのは、少なからずショックだった。それは、隣で聞いていた言仁も同じように感じたらしい。


 そんな二人に、追い打ちをかけるように、シャルは続ける。



「タカ、霊というのはおおよそ何でもできて、人間のできることはほとんどできてしまいます。ですが、たったひとつだけ、人間にできて、霊体にはできないことがあります。何だと思いますか?」


「人間にできて霊にできないこと? …………」



 ひと通り考えてみるが、思いつかない。言仁の顔を見てみたが、わかりません、という風だった。



「それは、…………自殺です」



 僕は、その場で凍り付いた。確かに、霊体は自分一人で死ぬことができない!



「えっ? でも、それって……」


「そうです。まあ、みんな感情がありませんから、こういうことを思うことはほとんどありませんが、それでも『やっと死ねる』と思ったとしても不思議ではないんです」



 鉄槌を下された。



「僕と言仁のしたことは、正しかったのか?」


「はい。少なくともロクやわたしはそう思っていますし、大王様も間違いなくそう思っていらっしゃいますよ」



 ここまで無言でいたロクが口を開く。



「ああ、だからわたしはお父様やシャルが、そして史章が好きだったんだ……」



 僕は本当は、これから何をしていくかを話していくつもりだった。悲しみを乗り越えて、霊虎を討伐するまでの道筋を、大まかにでも作らなければならないと思っていたし、それをしたくて弔い方を聞いたんだ。けれど、シャルの回答はあまりに重く、あまりに辛く、あまりに衝撃だった。自分自身が方向性を見失ってしまった。



 いろんな思いが交錯し、僕自身の気持ちの整理もつかずにいたのだけれど、そんな中でも、もうひとつ気付いてしまったことがあった。それは、この衝撃の事実を、淡々と話したシャルについてだった。赤間神宮で井戸調査に行ったときの会話が思い起こされる。コイツは、この重苦しい思いをたった一人で千年以上も抱えてたっていうのか…………。誰にも話すことなく、誰とも共有することができずに、千年以上も……。


 シャルだけが、悲しいと思い

 シャルだけが、辛いと感じ

 シャルだけが、寂しいと……

 あ、それだけじゃない!

 喜びですら、

 怒りですら、

 楽しみですら、

 すべての感情を

 たった一人で内に込めていたんだ!!


 霊界という所のイメージが音を立てて崩れていくようだった。すべてが僕の幻想でしかなかった。



「お前は本当にすごいな、シャル。僕は今の今まで、お前の苦悩がちゃんと理解できていなかったよ。でも、それがわかって、お前の強さも知ったよ。本当にすごいな」


「そんなことはありません。わたしは長い間、殻に閉じこもっていたのですから」



 それまでずっと口を閉ざしていた言仁がポツリと言う。



「ここも、決して天国という訳ではないのですね……」


「お前の思い描く天国というものがどういうものかわからないけれど、ただ楽しく過ごせるだけのところなんてのはないんだろうな。僕も気を付けていたつもりだったけれど、やっぱり霊界の厳しさをこれぽっちもわかっていなかったよ。反省しきりだ」



 本当は衝撃のあまり、霊命救助は有難迷惑だったかもしれないという無念さとか、シャルの抱えてきた孤独だとかを、僕は他の誰かに吐露したいぐらいだった。けれど言仁は、もっと辛く、衝撃を受けているかもしれない。

 コイツも、懸命に救命していたんだ。隣で一緒になってやっていたからこそ、わかることだった。自分の状態、苦しいとか、辛いとか、しんどいとか、倒れそうだとか、目が疲れてきたとか、水を飲みたいとか、もう思考ができないとか、休みたいとか、そういうものすべてをどこかへやって、ただ命を救うために砂鉄を取り除き続けたんだ。だからこそ、シャルの発言には間違いなく衝撃を受けているハズなのである。


 そう思うと、自分の気持ちは押し殺してでも、言仁にはちゃんと答えてやらなくてはいけなかった。だから、自分に言い聞かせるように続けた……。



「現世には現世の乗り越えるべき厳しさがあって、霊界には霊界の乗り越えるべき厳しさがあるんだ。自分の知らない世界ってのは、はじめのうちはどうしても面白可笑しく見えてしまうんだろうけれど、やっぱりそこに根差して生きていくということになれば、そんなに都合のいいことばかりじゃないってことだよ」


「そういうものなんですね」


「そういうものなんだろうよ。だからって訳でもないけどさあ、今をどう、より良く生きていけるかを、みんな目指してるんじゃないかな」


「今をどう、より良く…………。難しいですねぇ。タカさんは、今、どんなより良くを目指しているのですか?」


「えっ! お前、よりによって僕のを聞くのか? お前には絶対参考にならないぞ」



 ロクもうんうん、シャルもうんうん、していた……。まあ、こいつらは僕のしたいことを知っているだろうから、その反応はわかるんだけど、なんだか全否定されているような気分になるじゃないか! けれど、言仁はまだ子供だった……。



「えー! そんな風にみんなに言われると、余計気になります! 教えてくださいよ」


「僕の一番やりたいことは、ロクを守ることだ。二番目はシャルを守ることだ」


「あー……、確かに参考にならないや……」


「こら! 聞いた以上はちゃんと反応しろっ!」



 ロクとシャルも大笑いしていた。が、言仁ワールドはまだ続く……。



「あ、じゃあ、武霊のお二人はどうなんですか?」

「あら、わたしたちにも聞くとはいい度胸がありますね」

「なんか、海の中の時よりはお話ししやすい感じがして……、スミマセン」

「おい、ロク。あんまりいじめてやるなよ」

「酸いも甘いも嚙み分けられるようになったら、教えてあげてもいいわよ」

「ちぇっ、ちっともやさしいお姉さんじゃなかった……」



 言仁は拗ねた顔つきをしていたが、それでもみんなが笑っているのを見て、結局一緒になって笑っていた。幾多もの霊体が昇華してしまって、重苦しい心持ちを抱える中で、言仁の天然は実にいい働きをした。僕なんかよりよっぽどいい仕事をしていた。皆が言仁に救われていた。

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