第10話:トリアージ
「言仁、あっちを見てみろ」
「ああ、意識が戻ったんですね。よかった。本当に良かった……」
僕もだろうけど、言仁はここまでずっとしかめっ面だった。一体の処置が終わったとしても、ひと息つく暇なんてなくて、すぐに次の処置が待っていた。救命をしているハズなのだけれど、やっているのは『ただの砂鉄除去』なのである。それは黙々と続ける作業でしかなくて、命を救っているという実感はまるで感じられるものではなかったのだ。
「これが、お前と僕の成果なんだな」
「ええ、これは嬉しいです。もうひたすら無心でしたから、元気をいただけました」
「そうだな……、まったくだ」
「もうひと頑張りしましょう!」
回復者の誕生は、何よりの勇気と希望と活力の源になった。言仁にやる気が戻るのがハッキリと伝わってきたし、僕の動かす手のスピードも幾分早くなっていた。
努力に対する成果は、想像だけで進めるよりも、具体的に目にする方が頑張れるものである。勉強なんかで『これを理解すれば九十点取れるよ』なんて言われてもちっとも頑張れないものだが、実際に九十点というのを手にすると、途端にその単元が好きになったり、その科目が好きになったりして頑張るようになるのと同じである。結果を得るというのは極めて重要なのだ。
ただ、残念ながら、その動機づけ効果もほんの数分で消し飛ぶ。シャルが運び込む霊体は次から次へと押し寄せ、砂鉄除去のもどかしい作業は、二人がかりでも決して追いつくことはなかった。追いつくどころか、むしろどんどん患者で溢れかえる状況だった。それに気づいたシャルは、ナムチと一緒にトリアージを始める。
命の選択が始まったのだった。
もちろんそのことは、僕も言仁も、否が応でも気づかされる。
そして、このトリアージの始まりこそが、
僕と言仁の『心のバランス』を大きく狂わせ始める。
早くしなければ!
気は
やっている作業は単純なものであるくせに、
慎重さと丁寧さが求められた。
―― もどかしい ――
それは、焦りと苛立ちを呼び起こす。
焦りと苛立ちを抱えながら、
慎重さと丁寧さを求められる作業を続けることは、
確実に僕と言仁の心を蝕んだ。
それでもと、グッと
黙々と作業を進めていくのだけれど、
とうとう、その時が訪れた。
運び込まれた霊体のうちの何体かが、
治療を受けることなく亡くなったのだ。
これこそが恐れて事態であり、
回避したい事態だった。
―― 絶望 ――
体力的にも精神的にもギリギリの中で、
治療の前に亡くなったというこの事実は、
僕と言仁に追い打ちをかけた。
もう諦めてしまいたいけれど、
諦めることは決して許されない。
僅かに繋がるか細い緊張の糸は、
もう、いつ切れてもおかしくない状況だった。
それは、ほんのちょっとしたこと、
例えば僕か言仁かのどちらかが『もうダメだ』
と言葉を発するだけでも、
崩壊してしまうのがわかるほどの繊細さにまでなっていた。
極限の状態だった。
と、そこに、ねこ父からの思念会話。
「タカよ、安徳天皇よ。ありがとうのぅ」
僕と言仁と、二人に向けての思念会話だった。僕は作業の手を止め、内側の防御膜の中にいるねこ父を見やったが、すぐに目を伏せる。
「いえ。……いえ…………。
ウワハルとアズサが……、
救えませんでした……」
「そうか……」
「他にも…………。力及ばずで、こんな有様です。スミマセン……」
「泣いてくれる、憂いてくれる、もうそれだけで十分じゃ、感謝の限りじゃ。ありがとうのぅ」
「…………。そんな……。救えた喜びよりも、失う辛さの方が、苦しみの方が…………」
「うむ。じゃが……、恥ずかしい話であるが、今この霊殿は、おヌシと安徳天皇に頼るしかない。苦しいであろうが、ワシからも頼む」
ベッドに丸まっていたねこ父は、座り直し、僕と言仁に向かって頭を下げる。その姿を見た言仁は、何か言葉を発することなく、それでも決意を新たにするように処置を再開させた。
「はい……、シャルにも叱られました。大丈夫です。まだ……、まだやれます」
「うむ、よろしく頼む。で、ワシがやれること、やるべきことは何じゃ。これまでの大まかなことは、ナムチに聞いておる」
僕は大きく深呼吸し、頭の中をリセットする。そして、もう一度辺りを見回しながら、優先順位を整理した。
「まず、医療部と技術部の室内の砂鉄除去です。ここも手狭になっていますので、砂鉄除去済みの患者の処置を、医療部でもできるようにしてください。そして、アルタゴスに霊用防護服の量産と大きな掃除機を作ってもらってください。防御網を作れる霊体には、霊殿内に防御網を張らせて、殿内に砂鉄が入り込むのを防がせてください。先ずは霊殿内での活動可能域を広げていくことが最優先です」
「うむ、わかった」
「霊殿の外はひとまず後回しでいいと思っていますが、気になるのは霊界に来る予定の霊魂はどうなっているか? ということです。列車は動いていますか?」
「ちょっと待っておれ」
その間に、僕は自分に付着している砂鉄を掃除機で吸い取り、内側に張り巡らせた防御網に入っていく。ナムチに近寄ると「言仁が疲れ切っているので、彼の摂れる回復薬をあげて欲しい」と頼んだ。そのまま、ねこ父とアルタゴスの側に寄り、持ってきた端末の電源を入れる。アルタゴスにはロクが使っていた防護服を手渡し、掃除ができるようになるまではこれを着ていて欲しいと伝えた。アルタゴスはすぐにそれを着ると「ありがとう、必ずすぐに作ってくる」と言って、軟禁部屋を出ていった。ねこ父が会話を終えたらしく、こちらを向く。
「列車は関門海峡任務のあと運転再開しておったが、今はまた運転休止しておるようじゃ。ティルミンが指示を出しておった」
「そうですか。じゃあ審判所は無事なんですね」
「おヌシからの連絡を受けて、すぐに完全密閉の封鎖をできたようじゃ。感謝しておったぞ」
「よかったです。それならば、列車を動かした方がいいような気がしてるんですが……」
「どういうことじゃ?」
「敵の狙いを考えていたんですが……、あ、あくまでも富士の霊虎がやったという前提です。霊殿を窮地に追い込んだとして、彼らに大きなメリットが見つからないんです。時間稼ぎのメリットぐらいです。もちろん、それにも一定の効果はありますが、それだけとは思えないんです」
「ふむ。しかし、十分被害は出ておるぞ」
「ええ。だからこそですが、ふつう拠点を叩くときってのは、二つの可能性があります。ひとつは、単純にその拠点を制圧したい時です。ですが、今回この一つ目は考えにくいんです。ここに下級霊が来ても砂鉄の餌食になってしまうからです。それに、制圧が目的なのであれば、砂鉄爆弾なんかじゃなくて、直接大軍を率いて攻め込んでくるでしょう」
「うむ」
「二つ目は、何か大きな目的のためにそこを叩かなくてはいけない時です。例えば、敵の補給線を断ちたいけれど、そのためにはこの拠点を叩かないといけない、というようなことです。で、今回は一つ目の可能性がないので、この二つ目を考えるべきだと思ったんです。この霊殿がマヒ状態に陥ることで、霊虎が得られるものってなんだろう? と」
「それが、列車というのか?」
「間違っていたら教えてください。あくまでもこれは、僕の想像です。
もし仮に列車が長い間動かなかったら、魂送が滞ります。魂送が滞れば、下界の魂の行き場がなくなって溢れてきます。そうなれば、霊虎はたくさんの魂を喰らうことができ、大きな霊力を得ることができます。その規模が果たして、どれぐらいのものかは想像できませんでしたが、これならば十分な見返りとして考えられるんじゃないかと思ったんです。どうでしょう?」
―― 長い沈黙 ――
「確かにじゃ……。確かに、それを計画的にされた場合は、とんでもないことになる可能性がある……。生きた人間を呪い殺したりして喰らうこともできるのじゃろうが、それにはやはりそれなりのエネルギーを使うことになるのじゃ。おまけに一度にたくさんというのは、そう簡単ではないからのぅ。じゃが、おヌシの言う方法じゃと、なんの労力もナシに簡単に魂だけを喰らうことができる。こんなにお手軽なことはないというぐらいたやすくな」
「その場合ですが、霊虎が魂の浄化を請け負うようなフリをして、神社仏閣と繋がっていく可能性も考えられると、そこまでの想像をしていました」
「なるほど。 あい、わかった! すぐに何らかの措置をしようぞ!!
ナムチ、今の話、聞いておったな」
「はい、大丈夫でございます」
「では、霊殿内部の対応は今しばらくおヌシに一任する。ワシはティルミンと霊界の対応について打ち合わせをする。その間を頼むぞ」
「わかりました」
ひとまず、ちゃんと話しておきたかったことは話せた。本当は僕もそちらの方が気になっていたので、対応をしたかったのだけれど、今、僕にしかできないことは患者の処置だ。霊に『生死を大きく分ける黄金の七十二時間』が当てはまるのかどうかはわからないけれど、とにかく時間との闘いであることは確かなのだ。内側の防御網を出ようとすると、ナムチが僕を引き留めた。コップ一杯の水と錠剤を一つ持っていた。
「遅くなりすみません。ひとまず、今作れる範囲でこしらえたものです。関門海峡の任務のときほどの効力はありませんが、少しばかりは元気が出ると思います」
「ああ、ナムチ、ありがとう。本当に助かる」
「今、霊殿内に大王様自ら、砂鉄の侵入を防ぐ防御網を張ってくださっています。アルタゴスは下界の掃除機を見て、大型掃除機の製作に目途がついたと、たった今連絡がありました。もうしばらく、お辛いでしょうが、お願いします」
錠剤もありがたかったが、コップ一杯の水もありがたかった。
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