第5話:胸の内に永遠に


「僕が生きている間に誰かに所有権を譲ることはできるのか?」


「残念ながらできませんね。タカが初めて使う人で、タカが最後の人になります」



 やれやれである。



「まったく素直に喜べないぞ。その……、僕が死んだら神器も消滅するってところまで含めて、語り継ぎが間違ってるってことはないのか? ホラ、伝言ゲームのようにさぁ」



 安徳帝は、とうとう大笑いしすぎて涙を流している。

 僕は本当に困ったことになったと嘆いているのに、コイツはなんでこんなに喜んでるんだ! まったく!



「あー、こんなに可笑しかったのは生まれて初めてですよ。いやー、……フハハハハハ」



 また勝手に思い出して、笑い始めた……。



「すみません。もう、フフフ、お腹痛い……、ハハハ」


「生霊が笑いすぎでお腹が痛くなって堪るかっ!!」


「あー、ウケるぅ。いや、でも本当にお腹痛いんですもの。フハハハハ」



 まだ笑いからめないので、もう放っておくことにした。


 待つ間、改めて部屋の中を見渡してみると、それはずいぶんと充実していて、テレビに電子端末、小さな冷蔵庫もあり、食べ物や飲み物もあった。あの冷たく暗い牢獄とは大違いで、確かに自由に出入りはできなくともゆったりと過ごせるように配慮されていた。それにしたって、テレビも電子端末も僕の部屋にはないのだから、こっちの方が家電設備が整っているじゃないか! そもそも電波はどこのものを受信しているんだろうか? そんなことをぼんやりと考えていると、ようやく落ち着いた安徳帝が口を開いた。



「ああ、ごめんなさい。わたしはタカに出逢えて、タカに救ってもらえてよかったです。

 昔から人を見る目はあるようで、身の回りの人選を外したことはなかったんですけど、八尺瓊やさかにの勾玉まがたま天叢あまのむら雲剣くものつるぎをタカに譲渡したという決定は、わたしの中で誇りに思えるほどの成功ですよ」


「……。そのなんだ、まあ、そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、それはあとで『わたしの失敗第一位』になる可能性の方が高いぞ。その覚悟もちゃんとしとけよ!」


「フフフ。もう笑わせないでください。とにかく、本当にありがとうございました。わたしを守り抜いてくれた平知盛は戦いで昇華できましたし、その他の武将たちもおばあ様も、無事に霊界にくることができました。何体かは霊殿での従事をするそうですけどね。いずれにしましても、感謝の限りです」


「そうか。誰がどこに行ったとかは聞いているのか?」


「いえ、もうそれは。彼らはもう違うなりをしているでしょうし、記憶もありませんし、新しい人生ならぬ霊生れいせいですからね。邪魔してはいけませんから」


「まあそうだな。あれ、ってことは、言仁ときひとも生霊から変わるときは記憶を失うのか?」


「ええ、そうなりますね。タカが言うように神様になるんだっていうなら、なおさら記憶はない方がいいでしょうしね。でも、これでわたしの人選大成功は、大成功のままで終えられそうですよ」



 僕はその言葉を聞いてようやく、これが安徳帝との最後の会話だということに気付いてしまった。それまではなんとなく、なんの根拠もないのだけれど、まだ会える気がしていたのである。もちろん赤間神宮に行けば、もしかしたら会えるかもしれないが、そのときの安徳帝はすべてを忘れてしまった、僕のことも記憶していない、安徳帝なのである。


 それはつまり、僕がすっかり苦手にしている別れの瞬間を意味していた。



「そうかぁ。じゃあ、今のお前とはもう最後になるんだな。生霊時代のお前を知るのは、現世ではただ一人、僕だけってことになるんだな。まったく嫌な役割だな。赤間神宮の宮司に話して、生霊中の逸話として看板にでもしてもらっておこうか?」


「そんなことしても誰も耳を傾けてくれないでしょうよ」


「そりゃそうだ。僕にできることで、何かやっておいて欲しいこととかはあるか?」


「うーん、そうですねぇ。今すぐには思いつかないので、また何かあれば連絡します」


「わかった。…………」



 沈黙が流れる。


 話したいことは、他愛ない話なら、いくらでもあるのだけれど、どれも残された時間で話すような内容ではなかった。きっと安徳帝も同じだったのだろう。それでも、安徳帝は口を開いてくれた。



「タカ、あなたと一緒に戦ってみたかったです」


「それは僕も心情面では同意するけれど、お前と僕じゃ最弱だから全然ダメだろうさ」


「アハハハ。確かにそうだ! あ、じゃあ、まつりごとはどうですか? これならいけそうですよ」


「そうだな……、まあ、少しは可能性があるかな」



 まったくそんなことは思ってもいないのに、僕はそう答えていた。安徳帝の話している内容も、僕自身が話している内容すらも、僕の思考をただ上滑りするだけだった。もう、会話を楽しむ余裕は微塵もなかった。僕の思考はただ、最後にどんな言葉を投げかけてやればいいんだろう? そのことで占められていた。別れの悲しみとか寂しさとか、いろんな想いはあるけれど、今回ばかりはいつも以上に難しかった。



 ―― もう二度と会えないことがわかっている別れ ――



 僕には初めての経験だった。可能性がどんなに低くかろうと、いつかは、どこかで会えるかもしれない、という別れしか、僕の人生の中ではなかったのである。だからこれまでは『また会おう!』でよかった。さらに難しくしているのは、記憶のない神様になった安徳帝には逢えるかもしれない、という複雑さである。決して逢えないわけではないのである。それでも、もう僕のことは微塵も覚えていない、人格というか霊格も変わってしまっているのだ。

 いったいどんな言葉を投げかければいいというのか。どんな手向けをしてやればいいのか。まったくそういう心の準備なんかしていなかっただけに、混乱してしまったし、戸惑ってしまった。結局何ひとつ答えを得ないままに、わからないままに、自分の想いを吐露するように、口を開く。



「なあ言仁」


「なんでしょう」


「また会おう」



 僕がそういうと、安徳帝は目に涙をためる。



「わたしは、あなたを覚えていませんよ」


「ああ、大丈夫だ。僕が覚えているさ」


「…………はい。…………お待ちしております」




     ※     ※     ※




 タカが出て行ったあと、ボクは悲しくて悲しくて、涙が止まりませんでした。



『本当は彼の、彼との記憶をずっと留めておきたい』



 そう思えば思うほど、溢れる涙を抑えることはできず、声に出して泣きました。


 あんなにボクのことを、心から気にかけてくれる人などいませんでした。ボクを守る家臣たちは、もちろん命懸けで守ってくれましたが、それもやはりボクという権力、後ろ盾として必要だったからで、ボクの気持ちを中心に考える人など居はしなかったのです。家臣たちには今でも感謝はしていますが、悲しいという思いは、今ほどはありませんでした。

 入水するときも声をあげて泣きましたが、あの時とはまるで違う気持ちです。あの時は、ただただ怖くて泣いた。死ぬのがイヤで泣いた。ただそれだけ。

 でも、今回は違います。心がギュッと締め付けられるようです。辛い気持ちが押し寄せてきて、もうどうにもならないんだと思い直すと、余計に涙が止まらなくなる。泣いても仕方がないんだと自制しようとすると、また涙が溢れてくる。タカのことが好きだったんだと気付くと、また声をあげて泣いてしまっていました。


 こんな生霊になって、醜い姿になって、なんで今になってタカに出逢ってしまったんだろう。自分の立場を考えればあろうはずもないことですが、生前に出逢うことができたら、どんなに素晴らしい人生になっていたであろう。自分の運命をすこし呪いたくもなりましたが、そんなことをしたらタカは怒るんだろうなと思い、自分がこれからすべきことを、タカが望むのであれば頑張ろうと思うのですが、それでも別れの辛さは、苦しさは、涙を枯らすことはありませんでした。

 ただただ先送りをするだけで、なにかやるべきことが決まったとか、覚悟が決まったとか、そういうことは何ひとつなかったのですが、ようやく落ち着くことができたのは小一時間も経った頃でした。



 突然、目の前に画面が現れました。



「安徳天皇よ、今、よろしいですか」


「これは、ティルミン様。はい、大丈夫にございます」



 最初にこの部屋を手配して、画面越しにではあるが、いろいろと便宜を図ってくれたのがティルミン様でした。そして、赤間神宮への特殊刑についての宣告をしたのもティルミン様でした。審判所の長であると名乗られました。



「これより生霊から死霊への処置を行ってまいります。やり残していることなどはありませんか?」



 いよいよ、ボクの人生最後の時。覚悟を決めるしかないようです。



「はい……。問題ございません」


「そなたは、史章に真実を伝えておらぬようですが、誤解を与えたままでよいのですか? 関門海峡で、神器に封印されていたことを言わなかったのは、そなたを守る武将たちを解放してやりたいと言わなかったのは、すべては神器を守るために、神器を狙う輩から守るために、やむを得ずそうしたのでありましょう?」


「!! ……、それも、お見通しでございましたか……」



 さすが審判所を統べるお方、すっかり見抜かれていました。



     ※     ※     ※



 形代・天叢雲剣を見つけられてしまった時の問答は、いくつかあるパターンのうちの一つでした。見つかったのは、もちろんタカが初めてではありません。力で奪おうとするもの、懐柔してくるもの、情けに訴えるもの、いろんな者がおりました。ボクが持っていた八尺瓊勾玉、ボクが封印されていた形代・天叢雲剣は、本物だったからこそ守り抜かなければならなかった。開花をさせていなかったからこそ、守り抜かなければならなかったのです。


 それでも、キャスミーロークさまが霊殿から来たと名乗ったとき、やっとこの長きに渡る勤めから解放されると、思わず涙してしまいました。ボクは武将たちに言いました。



『みな、ご苦労であった。霊殿からの遣いであれば、間違いなかろう。もうこの者たちに委ねようではないか。そちらのこれまでの長きに渡る働きには感謝の限りであるぞ』



 しかし、知盛はそれを良しとしません。



『陛下。ここで油断はなりませぬ。まこと霊殿からの使者であれば、我らごとき容易に打ち滅ぼすことでしょう。ですが、偽者やもしれませぬ。偽者であれば、我らに屈服することでしょう。今ここで言葉だけを信じ、安易に委ねて、偽者に神器が渡ってしまえば、これまでの苦労が水の泡となってしまいます。ですから、これまで通りになさってください。それに……、われらは武士にござりまする。武士は強きものと戦って死ねることこそ本望というものです。どうか、わが願いを聞き入れてくださいまし』



 そうして、あの激闘に至ってしまいました。わが身をこれまで守り抜いてくれた武将たちが傷つくのも辛く、心暖かに迎えようとしてくれたタカや武霊らが傷つくのも辛く、ボクにとってはどちらが勝っても負けても心が痛む戦いでした。



     ※     ※     ※



 このことは、ボクの死とともに、それこそ永遠に封印するつもりでいましたが……、まさか見抜かれてしまうとは……。



「わたくしもつい先ほど、そなたが史章と話している様子を視ていてわかったのですよ」


「これは、これは、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」


「恥ずべきことなどではありませんよ。ただ、それほどまでに史章に感謝を想うのであればこそ、真実を伝えておく方がよいのではないですか? 史章も真実を知りたいと思っているハズですよ。それに、そなたのその真実が表に出るのであれば、此度の刑、さらなる減刑もしくは見直しも当然あり得ることになります」


「いえ、このことはわたしの胸の内に、永遠にしたく存じます。真実といえば聞こえは良いですが、つまるところは言い訳でしかございません。戦いを回避する努力を怠ったのは事実にございますから、タカの怒りは、わたしがちゃんと受け止めるべきだと考えてございます。

 それに、刑は謹んでお受けいたします。タカには瀕死の目に合わせてしまいました。タカだけではなく、武霊さまにも。それに、わたしを守り抜いてくれた武将たちにも長い間、……本当に長い間、苦労を強いてしまいました。わたしは本当にたくさんの人々に迷惑をかけてしまいました。ですから、赤間神宮へ戻り、奉公をすることで恩送りとしたいと存じます」


「そうですか、わかりました。出過ぎた真似を許してくださいね」


「もったいないお言葉、ありがたき幸せにございます。…………ただ、……」


「ただ?」


「…………いえ。なんでもございません。死霊への処置、よろしくお願い申し上げます」



 これで、これでよいのでしょう……。きっと……。

 タカさん、赤間神宮でお逢いしましょう!

 ボクは、あなたのことを覚えてはおりませんが、

 それでもあなたが覚えていてくれるなら、

 こんなに嬉しいことはありません!


 だから、心よりお待ちしております。

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