第4話:王の間の壁の傷


 —— 少し前、霊殿 ——



 霊殿は大わらわになっておる。次から次へと、霊魂が一気に運び込まれておるのじゃ。ロクの連絡を受けてから、霊魂の大量受け入れの準備は整えておった。しかし、それはワシの予想を大幅に超える数であった。もちろん、霊殿史上最多ということになるであろう。



「ウワハル、ウワハルはいるか!」



 こういう時こそ落ち着いて指示を出さなくてはならんことは、重々承知しているのじゃが、すべてが後手後手になっている現状に、どうしようもなく苛立ちが治まらんかった。何よりも、現地で戦う三名が心配でならんかった。いつもなら快適であるはずのソファベッドも、今は邪魔でしかない。うろうろと部屋の中を行ったり来たりしては、爪研ぎで憂さ晴らしをする。



「アズサです。ウワハルは対応に追われて動けません。わたくしにご指示ください」


「アズサか。暗部の派遣はどうなっておるか!」


「す、すぐに、確認してまいります」


「バカもの! 事前に把握しておけ! 準備ができ次第すぐに派遣するのじゃ。ワシの確認は派遣後で構わん」


「はっ! すぐに!」


「よいか! これだけの霊魂が来ておるということは、これだけの戦いをしておるということを忘れるな!!」


「はっ!」



 ウワハルもアズサも、子供の霊である。こんな言い方をしてはマズいとわかっておるのに……。えいっ! くそっ!


 頭の後ろの毛並みが気になってしょうがない。頭をくるりと半回転させ、なんとか舌で整えようとするのじゃが、微妙に届かぬのが余計に苛立たせる。しょうがないと、足の毛並みを整えてみたりするのじゃが、結局苛立ちは収まらず、さっき研いだばかりだというのに、また爪研ぎに走る!



「大王様、医療部のナムチにございます。これより赤間神宮に出向きます」


「おお、ナムチ自ら行ってくれるか」


「はい、お任せください。必ずや皆の命を救ってみせます」


「依代も……、人間もおる……」


「承知してございます」


「おヌシが行くのであれば、もうワシが口にすることはない。頼んだぞ!」


「はっ。行ってまいります」



 医療部を統括するナムチ自らが行ってくれるのは、本当にありがたい。少し、ほんの少しではあるが、アヤツらの助けをしてやれる気がした。それでも、まだ足りぬ、まだ手を打ちたい。できる手立てはすべてやってやりたい。いっそのこと、ワシ自身が駆け付けたいほどじゃ。


 そんなことを考えている間もひっきりなしに連絡は入っておるのじゃが、それらはすべてここ霊殿のトラブルに関するものばかりで、応援派遣に関することは何一つない。とはいえである。霊殿のトラブルを片付けていかねばならぬことも、また事実。そういった矛盾がワシを一層イライラさせたのじゃった。ええいっ!



「アルタゴス、アルタゴスはおるか!」


「大王様、外から失礼します」


「おお、今どこにおるのじゃ?」


「審判所付近におります。審判所横に臨時の待合所を設営しております」


「おお、そうか! 規模はどの程度か?」


「二百万立方メートル規模(※)です。現在、霊殿に来ている霊魂すべてを収容できる規模です」


「うむ、よい判断じゃが、その規模、倍にせよ!」


「倍? ですか?」


「うむ。もしかすると、それでも間に合わぬことも考慮せよ。設営場所を考えて、追加で臨時施設を設営することも想定しておけ。よいな!」


「はっ。わかりました」


「うむ。じゃが、先んじて動いておったのはさすがじゃな。褒めて遣わす」


「ありがたきお言葉、感謝申し上げます」


「それと、臨時待合所の設営が終わったら、大規模な研修施設を本殿近くに建設せよ。これは常設とする。中のレイアウトや設備などはすべてヌシに一任する。よいな!」


「それは楽しそうですな。承知しました。それでは早速とりかかります」



 さてと、箱はこれでよしじゃ。問題は……次じゃ…………。アヤツは、絶対怒るじゃろうて……。


 審判所は今、火の車じゃ。霊殿史上最大数の霊魂が押し寄せてきておるのじゃ。霊殿に来た霊魂は、まず最初に審判所で裁きを受ける。裁きを受けるとゆうても、それは役割を与えられることで、下界でいうところの仕事の斡旋所のようなものじゃ。その審判所の統括をしているのがティルミンなのじゃが……、ワシは今からそやつに指示を出さねばならんのじゃ。仕方ない、奥の手を使うとするかのぅ。


 準備を終え、思念会話をする。



「ティルミンや、大丈夫か?」


「なんですかっ! この忙しい時に!!」


「わかっておる。じゃが、このままでは埒があかんじゃろうて」


「手短にしてくださいな!」


「うむ。そこに臨時待合所を作らせた。二十万規模の霊魂が収容できる規模じゃ。大きな混乱はひとまず抑えられるはずじゃから、順に進める流れを作れば大丈夫じゃと思うぞ」


「ええっ!? 二十万もの霊魂が来るんですか? なんで先におっしゃらないんですか!!」


「いやぁ、ワシもすっかり見誤っておった」


「あー、もう! この、このっ、モウロクじじい!!」


「あい、すまんかった。それで、この数じゃと役割の行き先があぶれるじゃろう? じゃから、今、この霊殿で働く者の地位を、全体、一段階上げてやってくれぬか? それで、いま来ておる霊魂を、研修霊として配下につけてやれば、各部署の霊員補充ができる上に、霊魂の裁きも進みがよくなるであろう?」


「ろくに仕事ができない霊体が増えたところで、反対に各部署も困ることになるんじゃないですか!」


「うむ、その可能性も考えて、霊殿横に研修センターを造らせる。そのあと、工場も造る予定にしておる」


「研修センターはともかく、霊殿に工場を造るとか、とうとう気でも狂いましたか!」


「今、そっちに届けたものがある。それを確認してみるとよい。工場には、作業霊、研究霊、素材仕入霊、技術霊、管理霊、工場長霊、……、 いろんな役割が発生すると思われるでのぅ、その際は上手に振り分けを頼むぞ」


「付き合ってられません! 仕事に戻ります!!」



 案の定、終始、怒っておった。まったく、やれやれじゃ。じゃが……、これはまだ序盤。ここからが正念場じゃ。必ず、ティルミンからの思念通話が来るはず。その第一声がすべてを決めるのじゃ。


 待つ……。焦る気持ち、逸(はや)る気持ちを、ぐっと抑えて、……待つ。ソファベッドの上で目を瞑り、じっと待つ。




「大王っ!! なんですか、これは!!」



 かかったぞぃ!! 落ち着いて、興奮しすぎぬよう注意じゃ!



「それの工場を造るのじゃ。当初は、ねこ科用のみじゃ。次にいぬ科用、そしてサル、トリと順次拡大していくのじゃ。日常用と褒美用、さらに下界で働く霊体らへの土産もよかろう。どうじゃ? 霊魂も捌けるし、霊殿の発展にも繋がる、いい案じゃと思うがのぅ」


「うぅぅううう、いいでしょう! わかりました。それで! どの程度、霊員確保すればよいのですか!」



 どうやら、今度はワシに負けたのが悔しくて怒っているようじゃ。でも、まだじゃ。ここからが本当の正念場!



「それじゃが……、ひとまずはおヌシの想像で構わん。その詳細を知るのは、人間なんじゃ」


「キャスの依代ですか……」


「いかにも……」


「ふぅ。…………。噂には聞いておりましたが……、まったく……。もしや、この霊魂の数、キャスの任務によるものですか」


「いかにも……」


「これだけ霊魂を一気に送ったのは、風呂敷ではございませぬな。誰の仕業ですか」


「ロクが現場近くの神社の祭神、瀬織津姫に依頼したようじゃ」


「ああ、あの娘ですか。霊魂の導きが得意の……。…………」



 沈黙が訪れる。ワシは、ティルミンの言葉を待つ。



「であるなら……、現場は苦戦……ですか」


「ワシが出向きたいぐらいじゃ」



 再び、沈黙。



「わかりました。こちらはどうにかしましょう。サルメを出しましょう」


「助かる。恩に着る!」



 よしっ! よし、よし、よしっ!!

 やっと、やっとひとつじゃ。

 ロクの要望以上のことをしてやれた……。



「その代わり!! さっきのを十本、寄こしてくださいな!!

 あと、サルメを送る以上、わたくしも審判所の現場に入ります。……。あなたも、大王の責務、しっかりと気張られよ」


「あい、わかった!」




 サルメは鎮魂に長けた霊である。それゆえ、審判所にはなくてはならない存在じゃ。霊殿に来る霊魂は、すべて静かに落ち着いているわけではない。暴れだすものや逃げ出すもの、反抗するものもおる。そういった障害や事件の類が起こったときに、すぐに対処するのがサルメである。これだけの霊魂が一気に押し寄せてきている中であるからこそ、本来ならば審判所で先頭に立ってもらいたい存在なのじゃ。

 そのサルメを送り出すというのは、ティルミンにとって苦渋の決断であったろう。よくぞ英断を下してくれた。まこと、感謝に堪えん。『にゃんちゅるちゅる』十本などと言わぬ、百本やろうぞ!(ワシが買うわけじゃないんじゃが……)


 ともあれ、戦場はこれで少しは楽になるはずじゃ。ただ、肝心の戦う霊体を送れておらぬ。なんとかせねば……。



「アズサ、アズサ!」


「は、はい! 大王様」


「暗部の派遣の進捗はどうなっておる」


「任務状況、移動距離等々を踏まえまして、イワンツォの派遣が最速となります。ただ、……」


「ただ、なんじゃ」


「現在は任務遂行中で、下級霊との戦闘に入っておるようです。関門海峡への派遣までにはもう暫くの時間が必要にございます」


「ええいっ! して、それは、いかほどかかるのじゃ」


「そ、それは……、な、なにぶん戦闘状態ゆえ、正確な時間は……」



 いかんっ! 落ち着かねば! 落ち着かねば!

 一息入れる。爪研ぎをして、深呼吸。



「わかった。アズサ、すまんかった」


「いえ、と、とんでもございません。もったいないお言葉、痛み入ります」


「うむ、よいのじゃ。すまぬ、ワシが焦りすぎておった。二つばかり申すぞ」


「はっ!」


「イワンツォだけでなく、他にも早く動けるものがいれば、とにかく派遣せよ。体力よりも時間を優先せよ。何体か派遣が被ったとしてもよい。いいな」


「は!」


「もうひとつ。最初に派遣する者には、拠点の赤間神宮に立ち寄らせよ。医療部のナムチが拠点に出張でばっておる。回復剤が出来上がっておるやもしれんから、現場に届けるものがないか確認をしてから現地に入るように指示を送れ。よいな!」


「は!」


「頼んだぞ、アズサ!」


「は、必ずや!」



 いかんかった。また、アズサにきつくあたってしもうた。落ち着いたら少し休暇をやろう、すべてうまく収まったら勲章もやろう。


 現時点で出来る手立てはすべて打ったのだが、それでも全く落ちつけぬ。せめて分身思念体を関門海峡に送りたいのじゃが、今は執務室で、この霊殿のあらゆるトラブル処理を行っておった。



 霊界急行列車、タカの言う黄泉列車は緊急停車を指示し、

 無期限の運休も決定した。

 それに対する神社仏閣からの問合せ窓口を設置した。

 下界からの暗部派遣要請受付の一時中止を決定した。

 それに対する下界の神々からの問合せ窓口を設置した。

 霊殿の混乱に乗じての敵襲にも備え、防御網および検査体制を強化した。

 物資搬入に対しても強化体制を整え、全品検査を指示した。

 霊魂は次々と来るのに、働く霊魂は決定的に不足している状況にあった。

 分身思念体もフル回転でギリギリの状態であった。




 その矢先じゃった。



「大王様。……。大王様ぁぁああ!!!!」


「なんじゃ、騒々しい!」


「あ、あ、あ、ああ……、あ、あ、……」


「落ち着け! ウワハルか。落ち着いて申せ!」


「う、お、落ち着いております……。あ、あ、あ、あ、あんとく……」


「落ち着かんか。まったく。ウワハル、目の前に何があるか申してみよ。」


「あ、あ、あんとく、……、あんとくてんのうが、います……」



 何を言っておるのじゃ。ウワハルは霊殿におるはずであろう。



「ウワハル、ヌシは関門環境に出張でばっておるのか?」


「い、いえ、れ、霊殿におります。霊殿の正面、い、入口のところにおります。」



 ウワハルは霊殿にいて、ウワハルの前に安徳天皇がいるじゃと?

 ウワハルは何を言っておる。意味が分からぬわ。

 そもそも、安徳天皇は封印として必要なはずじゃぞ。

 霊殿に安徳天皇にいるとするならば、封印が出来ぬではないか。

 封印が……、できぬ……、だと……。

 戦場が、戦場が、戦場が、おかしなことになっておる!!!!



「どういうことじゃぁぁああああ!!!!」



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(※)東京ドームの1.6倍の容積

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