第62話 決着
「囲め! 」
半兵衛の声が戦場に響き、足軽兵が騎馬武者を囲みます。騎馬武者は上泉伊勢守を守るように真ん中に伊勢守を、そして周囲を囲んでいます。それに向かって、
「突けー! 」
足軽が持っていたのは刀でも槍でもなく細い剣でした。斬るのではなく、突くのです。斬る動作は複雑で動きが大きくなります。勝頼は三雄から西洋の剣を教わり、戦国用に改造したのです。刀より軽く、フェンシングの剣よりは太く丈夫な突き専用剣を。
攻撃の動作も単純です。脇を締めて前に突き刺すだけです。振りかぶったり無駄に力が入る事もありません。刀で斬る動作よりただ突くほうが何倍も速いのです。足軽兵はまず馬を突きました。馬は暴れて武者を振り落とします。武者は慌てて刀を抜き振りかぶります。足軽に向けて刀を振りおろす前に足軽の剣が喉に突き刺さりました。騎馬武者は皆、名の通った豪傑でしたが呆気なく討ち取られていきます。
あっという間に上泉伊勢守一人だけになってしまいました。何という事だ、こんなに簡単に負けるのか。
「そこのお方、名のある方とお見受けします。降伏なさい」
半兵衛が伊勢守に声をかけました。伊勢守は馬から降りて槍を捨てました。
「上泉伊勢守と申す。伊那勝頼殿の首を取り一矢報いるはずが上手くいきませんでした。初めて見る攻撃ばかりでしたがそなたのお考えか?」
「そのような問いに答える必要はない。捕らえよ」
半兵衛は伊勢守を捕らえ、信玄のもとへ連れていきました。城の方が騒がしくなっています。逍遙軒達が城へ侵入したようです。城主長野業盛は腹を切って死んでいました。箕輪城は内藤修理に与えられ武田の上野攻略の拠点となったのです。
捕らえられた上泉伊勢守は武田信玄と重臣達の前に連れていかれました。そこには勝頼もいます。
「久し振りに顔が見れて嬉しいぞ、伊勢守。達者であったか?」
「残念でござる。武田信玄が泣き叫ぶ姿を見て死ぬつもりがこのようなことになるとは」
「相変わらずだな。武田に仕官する気はないか?余はそなたをかっておる。武芸に優れ軍略にも詳しい。今回も搦め手からの突撃は見事であった。だが、相手が悪かったな」
信玄は以前から上泉伊勢守の事を気に入っていて、何度か味方になるよう打診していたのですが、ずっと断られていました。それは武田信玄が過去に行った酷い仕打ちが巡り巡った因果応報とも言える物で、信濃や関東の武将の中には頑なに信玄につく事を嫌う者が多いのです。上泉伊勢守もその中の一人でした。
「そのお相手とは勝頼殿の事か?」
信玄は勝頼を見ました。信玄は本陣にいながら山県昌景と勝頼の戦ぶりを見ていたのですが、驚くばかりでした。里美から新兵器の事を聞いてはいましたが、半分以上眉唾で考えていたのです。その中でも一番驚いたのが新兵器ではなく、兵が見事に訓練されていた事です。
「勝頼。この男は上泉伊勢守と言って関東一の武者だ。殺すには惜しい男よ」
「伊勢守殿の策、お見事でした。まさかあそこで全兵突撃してくるとは。備えが無ければやられていたのはこちらでしょう。お屋形様、お願いがございます」
「申せ」
「伊勢守殿はお屋形様にはお仕えしたくないご様子。それがしにいただけませんか?」
「なんだと!? 」
信玄はそれもいいかと思った。殺すか放免するかだが、間接的に味方になるのなら徳だ。
「伊勢守よ、勝頼がこう申しておるがどうだ? 主君は自害されたし、行くところもあるまい」
はて?なんでこういう話になったのであろう?このまま死ぬものと思っていたのだが天はまだこのわしに生きろと言っておるのか。勝頼、不思議な男だ。この若者を育てるのも面白いか。だが、武田につくのには抵抗がある。
「有難いお言葉ではありますが、先程まで味方として戦っていた者に対しこの場で武田方に与するのはそれがしの心が許しません。許されるのであれば時間をいただきたく。一度戦から離れ外から見てみたいのです」
「その後は勝頼に与するのか?」
「正直に申します。わかりませぬ。ただ勝頼殿にお仕えしたい気持ちはあります」
勝頼はこの男が欲しかったのです。戦場での駆け引きの旨さに惹かれたのです。半兵衛の旨さは知力から来ていますが、伊勢守の旨さは経験から来ています。伊勢守に兵の訓練をさせればどれだけ強くなることか、職長や課長の教育もできそうです。
「伊勢守殿。お待ちしております」
勝頼は最大級の笑顔で自分の気持ちを伝えました。精一杯の期待を込めて。この間、三雄に見せられた『経営者のための喜怒哀楽コントロール』というDVD講座、何を言っているかは正直わかりませんでしたが感情に任せるのではなく、相手への伝え方を上手に行えば物事はうまくいくという事はわかりました。今回は本当に来て欲しいよ、待ってるからね!というのを伝えたかったのです。
上泉伊勢守は、そのまま戦場を離れ旅に出ました。信玄は箕輪城に残り後始末を始めましたが勝頼は先に引き上げました。次の準備のために。
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