第36話 信玄

 勝頼は古府中に到着しました。躑躅ヶ崎の館に入りましたが、何やら騒々しいのです。どうやら北条からの使者が来ているとの事でした。勝頼はただ待っていても暇なので太郎義信の様子を見ようかと西側に新しく建てられた新館に向かいましたが警備が厳しく諦めました。どうやら謹慎処分になっているようです。


 勝頼は飯富兵部を探して様子を聞こうとしていたところ、兵部の弟である飯富三郎兵衞に呼び止められました。


「四郎様。ご無沙汰しております」


「これは飯富殿。こちらこそお久しゅうございます。本日はお屋形様に呼ばれて来たのですが、何やらご客人でお忙しい様子なのでフラフラしておったところです。そうそう、兄上のところも何やら騒がしいようですがご存知ではありませんか?」


 三郎兵衞はこちらに、と言って奥の部屋に入っていった。三郎兵衞は晴信の信頼が厚く、兄の兵部は晴信の信頼も厚いのですが太郎義信の傅役で苦労しているようです。


「四郎様。川中島の事はご存知ですか?」


 あれ?俺がいた事を知らないのか?この人結構偉い人だよね?


「詳しくは存じておりません。お味方の大勝利ですが、ご重臣の方がお亡くなりになられたと伺っております」

「実は、義信様がお屋形様の命令に背き、お味方が危険に晒されて、それが原因で諸角殿が亡くなったのです。戦後の軍議でその事を攻められると義信様は、


『それは結果である。それがしの行動で味方が大勝利になっていたら英雄と褒め称えられたであろう。罪に問われるべきことではない』


 と反省の弁どころかお屋形様に対して意見を述べられました。命令違反は重罪です。お屋形様はお怒りになり身内に甘い采配をする事は出来ないと義信様に切腹を申し付けようとしたのですが、家臣一同が必死に止めたのです。その結果、謹慎処分とし今後命令違反はしないという起請文を書かされたのです」


「それにしては物々しいですが」


「義信様は面白くないようで落ち着くまではと謹慎というより監禁のようになっております」


 三雄殿の言っていたのはこれか。綺麗事だけでは上手くいかない、か。深いなこれ。


「四郎様。ここだけの話ですが、お屋形様がお呼びになったのは四郎様のお気持ちの確認だと思います」


「どういう意味でしょうか?」


「義信様次第では、と言うことです」


 やっぱりそうなるのか。三雄殿の話では兄上が失脚して、父上が志半ばで死んで自分が継ぐ。勢力伸ばすが織田徳川がもっと大きくなっていて滅ぼされる。特に身内の裏切りが多く最後は孤独に死んでいく、って最低だよね、それ。


 その後も話をしたかったのですが、勝頼の傅役である跡部勝資が勝頼を探しにきました。


「勝頼様。お屋形様がお呼びでございます」


「あいわかった。すぐ行く。飯富殿、それではこれで」


「四郎様。………………」


 三郎兵衞は離れぎわに耳打ちをして出ていきました。その内容はまた後で。







「お屋形様。四郎勝頼、参上仕りました」


「よく来たな。変わりないか」


「はい。父上こそご健勝で何よりでございます。ですが、少しお疲れですか?」


 勝頼は晴信の顔色を見て心配になった。晴信には労咳の気がある。母が移したのか移されたのかは知らんけど。労咳は疲れていると身体を蝕み、一線を越えると取り返しがつかなくなるが勝頼のように若い時に十分な栄養と静養をすれば完治できる。


「医者にも静養せよと言われた。そうか、顔に出ていては不味いな。だがそうもいかん。先程も北条の使者が関東へ出兵してほしいと言ってきたところだ」


「川中島が終わったばかりではありませんか。皆疲れているでしょう」


「上杉は越後へ戻ったが、戦が終わったばかりで消耗している。北条はこの間関東勢に小田原城を囲まれた仕返しがしたいのだ。上杉が関東に出てくる余力がない時に、関東を物にしようという事だ」


「北条氏政ですか。抜け目のない。ですが父上、我らの次の目的は関東ではなく駿河では?」


「氏康の方であろう。あのじじいは手強いぞ。で、勝頼、なぜ関東ではなく駿河なのだ?」


「お屋形様は京を見ておられるのではと感じておりました。であれば、向かうは東海道。桶狭間もその為では?」


「お前、それをどこから?まあいい、義信がお前くらい頭が回ればと思う事がある。あいつは今川の嫁に引き摺り回されておる。それと駿河の話はするな、知ってるのは穴山と三郎兵衞だけだ」


「わかりました。で、それがしをお呼びになったのはどの件でございましょうか」


「どの件もないわ。たくさんありすぎてな。まず、余は名を信玄と改めた。武田信玄、いい響きであろう」


「素晴らしきお名前だと思います。ですがなぜ急にお名前を」


「以前から考えておったのだが、川中島で信濃の戦にけりがついた。ここから天下に向けて立ち上がるのを好機と見たのだ」


<注釈>後世にはいつ信玄と名前を変えたのかが明確には伝わっていません。諸説では川中島の前というのが有力です。


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