ショートショート

エリー.ファー

ショートショート

 ふざけるなと思うくらいの短さだった。

 小説と言えば三百ページを超えて当たり前。そう思っていた頃もあった。

 ショートショートという小説ジャンルはすぐに読み切ることができる。定義は曖昧だが、とにかく短いことが特徴と言える。

 いや、こだわりのある人もいるかもしれない。

 こうでなければ、ショートショートではない。

 とか。

 ショートショートの定義はこの人が言っていて、それ以外はすべて不正解である。

 とか。

 ショートショートには大正義があり、それ以外のショートショートはショートショートを名乗ってはならず、ショートショートの持つ真理を歪めてはならない。

 とか。色々。エトセトラエトセトラ。などなど。

 詳しいことは分からないので、私はショートショートを書かないことにした。

 面倒ではないか。

 特に面識のない人に絡まれるのは、人生の無駄そのものである。

 というわけで。

 私はショートショートというジャンルに手をつけないと心に決めた。

 悩みの種が一つ消えて、安心した。



 ショートショートを書かなくてよかった。

 少しばかり宗教的な要素を含んでいるとは思わなかった。これなら最初から距離を取っておいただろう。まぁ、手を伸ばそうと思っただけで触れてもいないわけだから十分ではあるのだが。

 しかし、ショートショートという文化は離れて見る分には非常に面白いものである。

 分析すれば、直ぐにその結果が返ってくるし、とにかく把握が簡単である。おさまりのいい藝術と言えばいいだろうか。

 私にはまったく合っていないが、好き人はいるだろう。




 ショートショートには大御所がいるらしい。

 興味もないが。

 何せ、ショートショートからは距離を取っているのだ。別に、必要な知識ではない。分からなければ分からないで生きていけるし、おそらく教養の部類にも入らないだろう。入っていると考える人もいるかもしれないが、それは考え方というものが幾分か狭いというものだ。

 小さな常識を大きな教養と表現したがるのは結果として文化に泥を塗る行為に等しい。

 好きだからやっているのではないか。

 嫌いならやめるのではないか。

 自己責任であり、自己完結である。

 何もない。

 文化が私たちに何をしたか、私たちが文化に何をしたのか。

 何か期待をしているのか。

 ここまでやってくれるんだから、文化は振り向いてくれるに決まっていると、妄想を膨らませているのか。

 破裂した瞬間に文化と呼べる代物になるかもしれない。




 いつから、ショートショートが尊いものであると考えるようになったのだろう。

 別に、下劣であったとして、底辺であったとして、最下層であったとして、貧弱であったとして、貧相であったとして。

 それが、なんなのか。

 ショートショートを書くのをやめる理由なのか。

 何度も言うが。

 ただの暇つぶしで生み出したものに何を背負わせているのか。

 だから、嫌いなのだ。

 メンヘラクソ女と一緒である。

 重いのだ。

 考え方や思考が重い。

 文化に依存し過ぎている。自分の思想に依存し過ぎている。ショートショートに依存し過ぎている。

 文化がなくとも、思想がなくとも、ショートショートがなくとも。

 人間は生きていける。

 文化的な活動をしていなければ、それは人間ではないという高尚な発想など必要ない。

 生きているのだ。

 今日も、人間は生きているのだ。

 大したことなど、一切しなくとも生きていけるのだ。




 あなたは、あなた自身に、なんでも背負わせ過ぎなのだ。




 人間は大したものである。

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