第110話 結ぶ者と縛られる者。
夢を見ている……いいえ、夢ではなく誰かの記憶を見せられているというのが正しいでしょう。
あの日からずっと、わたしはこの記憶の断片を見続けている。
災禍の魔女がこの国を滅ぼそうとした戦い。
『間もなく、世界の未来が決まります』
凛とした女性の声が聞こえてくる。
わたしを大人に成長させたような瓜二つの容姿の彼女はかつて聖女と呼ばれた人だ。
『運命の子。あなたに辛い役目を押し付けてしまってごめんなさい』
立派な服に身を包み、頭に王冠を被った彼女が頭を下げてくる。
「こ、困ります! 頭を上げてください!」
いきなり女王様から謝罪されて混乱したわたしは慌ててしまう。
こっちは最近までただの町娘だったのにどんどん偉い身分の方から頼まれたり謝られたりで身が持たない。
「えっと、わたしは押し付けられたなんて思ってませんよ。あなたは自分に出来る精一杯のことをしましたし、わたしの助けになるような手がかりを残してくれました」
記憶の閲覧にロゼリアさまから頂いた日記。
この二つのおかげで過去に起きたことが大体わかりましたし、力の扱い方についても掴むことが出来た。
何も知らないままのわたしだったら途中で命を落としていたかもしれない。
『しかし、あなたには辛い思いをさせてしまった』
「辛いのはあなたの方ですよ。実のお姉さんと殺し合ったり、好きだった人に思いを伝えられずにいたり……」
日記に書かれていたのは当時の彼女の思い。
自分より優秀だったはずの姉を周囲は黒魔術の才能があるからと邪険に扱い、密かに恋焦がれていた兄のような人と姉の幸せを願っていたのに自分が力に目覚めたせいで台無しになった。
王族に生まれたものの責任として魔女になった姉を討ち取るように周囲に望まれ、姉の遺体の前で泣く想い人に心が痛んだ。
苦悩はそこで終わらずにそれからが長かった。
女神の力が弱まり、けれど聖女としての役割を求められ、国のため、人のために働き続けた。
誰もが彼女を崇めながら、彼女を追い詰めた。
決して胸の中の弱音を吐き出せない人生はどれだけ息が詰まるのだろう。
「わたしはまだマシな方です」
彼女に比べれば自分はまだ恵まれていると笑った。
『……自分よりも私のことを心配してくれるのですねあなたは』
「そりゃあ心配しますよ! わたしだったら耐えられませんもん!」
日記のページを捲る度に辛くなった。
一番悲しい人が悲しめずに役目を全うしないといけないことに同情した。
身を引く覚悟だったのに姉と兄が結ばれなかったところで怒り狂った。
……最後のはロマンス小説を読み過ぎたせいですね。こういう展開に弱いんですよわたし。
『ロマンス小説?』
「もしかして心の中まで全部伝わっている系の空間ですかここ!? いやぁあああああああっ!!」
顔を覆い隠して羞恥から悲鳴をあげる。
聖女さまを目の前にして何を考えているんですかわたしってば!!
『……大丈夫。あなたはそのままの素敵な人でいて』
「フォローが逆に苦しい!」
ぎこちない微笑みの彼女に申し訳なくなる。
こんな凄い人にこんな顔をさせてしまう自分が情けなくなります。
『運命の子。優しいあなたには幸せを掴んでほしい。けれど、そのためには戦いに勝たなくはいけない』
「魔女の力ですよね。ノアさまからロナルド会長が奪い去った邪悪な力」
ノアさまが死んだ後にロナルド会長の懐から感じたドス黒い魔力の塊。
ノアさまだからこそ制御出来ていたあの力を持ち去って何をするつもりなんでしょうか?
「よくないことに利用するのは間違いないと思いますから止めないと……」
『あの力は世界を滅ぼします。そして、使用者さえも力に取り込まれる』
思い出すのはかつての魔女の暴れっぷり。
あの妹思いで優しかった人が豹変して町を襲って人を殺していた。
ノアさまも油断すれば自分が自分じゃない存在に乗っ取られてしまうと話してくれました。
『彼女のままであれば大侵攻を止めるだけでよかった。ですが、次の適合者が善人であるとは限りません。その時は……』
「わたしが止めます。こんな酷い争いはわたしの代で終わらせてみせます。……こんなわたしじゃ説得力がないかもしれませんが、グレンや仲間達が力を貸してくれます。だから負ける気はしません」
ただの町娘だったはずのわたしに付き合ってくれた友人達。
わたしの力を評価して日記を託してくれたロゼリアさま。
これだけ協力してくれる人がいるならわたしは頑張れる。立ち上がれる。
『良い絆を結べましたね』
「わたしじゃありませんよ。全部、ノアさまが運んでくださった縁です」
魔術学校で出来た初めての友達。
ルームメイトという関係から知り合ってわたしに優しく温かく接してくれた凄い人。
ノアさまがいたから今のわたしがある。
「……だから、ノアさまの分もわたしが頑張るんです。無理はしませんし、出来ないことは全部頼って任せちゃいますけどね。てへへ」
『それは恥ずかしいことではありません。あなたには私と同じ過ちをしてほしくなかったのですが、大丈夫そうですね』
わたしは弱い。
自分一人だけの力じゃ戦えないし、そもそも争い事が苦手です。
だけど、わたしよりも力がなくて弱い人は大勢いるのでそんな人達を見捨てたりは出来ない。
パパとママが他人の子だったわたしを見捨てなかったように。わたしにも力があるなら誰かを守りたい。
『美しいあなたの思いに幸がありますように。私からあなたへささやかな贈り物をさせてください』
そう言って彼女は被っていた王冠をわたしの頭に被せました。
『女神の魂を持つ運命の子エリンにアルビオンの加護がありますように』
「うわっ、なんだか力がみなぎって……」
半透明になって消えていく彼女と引き換えにわたしは眩い光に包まれていく。
今までずっとわたしの中にいて見守ってくれていた彼女ともう二度と会えなくなるような気がしてわたしは声を張り上げた。
「聖女さま! あなたが託してくれたこの国を絶対に守ってみせますから! みんなが笑顔で幸せに暮らせるように全力で頑張ります!!」
『──ふふっ。楽しみにしています。それと、あなた自身も幸せになってくださいね』
意識が現実に戻る直前、最後に見た彼女の顔はいつかの庭園で見せていた屈託のない笑顔だった。
♦︎
「……夢か」
体を起こしながら目元を拭う。
自分の感情を押し殺すようになってから涙なんて枯れてしまったと思っていたのに。
「彼女のせいだな」
瞼を閉じても浮かび上がるのは黒髪の後輩だった少女の姿。
今もこの手には彼女を殺した感覚が残っている。
「あら、やっと目覚めたようね」
「姉上……」
いつの間にか鉄格子の向こう側、薄暗い廊下にクティーラが立っていた。
「死の大地から帰って来たら魔力切れで倒れたのよ。無事に目が覚めてよかったわ」
「そうですか」
自分がいる場所が見慣れた牢屋の中ということは、ここはブルー邸か。
「心配してあげたのに反応が薄いわね。まぁ、壊れてなくてよかったわ」
「生憎と体だけは無事なので」
つまらなさそうな態度のクティーラに軽く頭を下げる。
自分は何があっても姉には逆らってはいけない。
「身支度を整えたら城へ向かいなさい。お祖父様が待っているわ」
「城ということは作戦は上手く行ったんですね」
「えぇ。私が本気を出せばあんな警備なんて無意味よ。それに【鳩】達も上手く動いてくれたわ」
余裕の笑みを浮かべるクティーラ。
王城の警備をしていた者達は不幸だったなと思った。
よりにもよってこの国最悪の集団と戦ってしまったのだから。
いいや、きっとまともな戦いにはならず一方的な蹂躙だったに過ぎない。
「姉上は何故城ではなくこの屋敷に?」
「決まっているじゃない。あの糞ジジイと同じ場所にいたくないからよ。そばに居たら休む間すら与えてくれないわ」
糞ジジイとお祖父様を呼ぶクティーラ。
我々ブルー家の人間にとってお祖父様は頂点に立つ偉大なるお方だ。
こんな罵倒を聞かれたら折檻されかねないというのにクティーラはお構いなしだった。
「だからアンタが代わりに糞ジジイの駒になりなさい。生き残りがコッチに向かっているそうよ」
「砦にいた魔術師部隊ですか」
大侵攻を止め、王都に帰還する時に生存確認はしてきた。
大多数は怪我で動けないが、残った魔術師を集めれば無視できない数がいるはずだ。
しかし、今の我々の相手ではない。
「……そのまま逃げれば良かったのに」
「何言ってるの? 力を見せつけるのに絶好の的じゃない。生き残りに五大貴族がいれば汚名を挽回するチャンスよ」
「汚名ですか?」
任務は達成した筈だ。
協力するフリをしてノア・シュバルツを殺害し力を持ち帰る。
「王都を目指している奴らの中に例の聖女様がいるみたいよ? 聖獣使いと一緒に」
エリンくん達のことか。
死の大地に置き去りにすれば魔獣に喰われて死ぬと思っていたのに……あるいはひっそりと生き延びてくれればよかった。
「彼女達の始末は任務には含まれていません」
「その屁理屈をお祖父様に説明してみたら?」
「……わかりました。城へ向かいます」
ベッドから降りて汗だくになっていた服を着替える。
ついでに水の魔術を使って身も清めておく。
「私は暫くこの屋敷で休むわ。手駒達には侵入者の抹殺を命じているから邪魔をするんじゃないわよ」
「奴らは残忍だ。屋敷の守護に回せばいいのでは?」
「今まで我慢させていた分暴れさせてあげないと可哀想でしょ? ストレスを発散させてあげるのも飼い主の役目よ。そ、れ、に、」
唇を吊り上げてクティーラが私に向かって手を伸ばして握り締めた。
「──ぐはっ!?」
突然の激痛に胸を抑えて私は倒れ込んだ。
体の内側が苦しい。心臓が鷲掴みにされたように痛い。
「こーんなに強い私に護衛なんているわけないでしょ? 立場を弁えなさいよ出来損ないのロン」
視界がチカチカして息が苦しい。
クティーラの冷たい声だけがハッキリと脳に響く。
「まぁ、ここでアナタを処分すると面白くないからこのくらいで勘弁してあげるわ。せいぜいお祖父様のために楽しいショーでも見せてあげなさい」
ひらひらと手を振ってクティーラは闇に消えていった。
今までに見たことない魔術だが、あの女が自分の持つ手札を全て晒しているわけがないので気にするだけ無駄か。
「はぁ…はぁ……。いったい何を考えているんだあの魔女は……」
とりあえず早く呼吸を整えて城に向かわなくてはお祖父様の機嫌を損ねてしまう。それだけは避けたかった。
ノア・シュバルツを殺せば変わると思っていた自分の生活はこれまでと何ら変わりそうにはないな。
「エリンくんを、残りの彼等も全て殺し尽くせば私は生まれ変われるのだろうか?」
自分がどうしようもなく壊れているのを自覚しながらも私は命令に従うしかなかった。
一瞬だけゴミ箱の中に捨てた引き裂かれた魔術学校の制服を見て、私は自室の地下牢を後にした。
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