第16話 オレの名前はキッド。
オレの名前はキッド。年齢不詳、出身地不明の人間だ。
このキッドという名前すらも後から付けられただけで本名じゃない。
記憶喪失で過去を持たないのがオレだ。
一番古い記憶は凍えるような寒さだった。
ぼんやりする頭でオレが見たのは砂浜と波。どこかの海岸に打ち上げられていた。
長い間流されていたのか体力は残っておらず、濡れた服が熱を奪っていく。
どうしてこうなったのか。そもそもここはどこか。オレは誰なのか?
そういった疑問が頭の中をぐるぐると回る。
そんな状況の中で人の声が耳に入った。数人の男達の声だった。
「おい。子供が打ち上げられているぜ」
「息はしてるな。ここまま置いとくか?」
「馬鹿言うな。ボスから出されたノルマがまだなんだ。数合わせに拾っていくんだよ」
オレの恩人というか、そもそもコイツらのせいというか、とりあえず水に浸かったまま死ぬことは無くなった。
捕まった後に目が覚めたらそこは馬車の中だった。
狭くて快適とはいえない馬車の中にはオレとあまり年の変わらないガキが詰め込まれていた。
どいつもこいつも泣きながら親を呼んでいた。だが、馬車自体に防音機能があるのか助けは来なかった。
窮屈な車内だったが、体が冷えていたオレだけは人の熱を感じながら暖をとっていた。
何度か休憩と簡素な食事……パンひとかけらとかを与えられながら着いたのはデッカい都市だった。
馬車を降ろされる時に男連中の話し声が聞こえた。聞こえた内容はオレ達攫われたガキはこれから院長と呼ばれるジジイに引き渡されてそこから客に売りつけられるらしい。
誘拐犯は仕入れ人、院長は売人として人身売買を分担しているようだ。
孤児院の皮を被った奴隷販売所に押し込められた。
連れて来られたガキの中から何人かは院長に地下室へと移動させられた。オレもその中の一人だった。
なんでも魔術の適性があるとかで高値で取り引きされるらしい。
このまま奴隷にされて一生こき使われるなんてまっぴらなオレは孤児院の奴らの監視の目を盗んで脱走を試みた。
隠し持っていたナイフを魔術で強化して鎖を壊し、牢の鍵も叩き壊した。
ついでに同じ牢屋にいた他のガキ達も解放して一緒に逃げようと考えた。
このまま地上に出てどこかに逃げ込もうとしていたオレだったが、どうやらこの地下空間の入り口は一箇所しかなく、しかも外側からしか開けられないようだった。
残念ながらオレが憶えていた魔術では脱出が出来ない。
だから次に誰かが地下に来た時にそいつを倒してその隙に逃げようとした。
その時はすぐに来た。
地上に出る階段が現れてそこから院長と体格のいい男が現れた。
オレは持っていたナイフでそいつらを襲ってガキ達を助けようとした。
……そして完膚なきまでに負けた。
最初に隙をついて攻撃したのはこっちだったのに院長と一緒にいた男はそれを見抜いて反撃してきた。
ナイフを持っているとはいえ体調も万全じゃないガキと戦い慣れた戦士じゃあ実力差があり過ぎた。
攻撃を当てることさえ出来ずにボコボコにされてはオレは殺される思ったが、魔術も使えてそこそこ戦えると商品としての価値が上がるとかで生かされた。
まぁ、それはそれとして他のガキ達の見せしめに拷問紛いのことをされたが思い出したくないな。
それから何日も経って、オレは身動きすら取れない状態で吊るされて満足な食事も与えられずにいた。
脱走する体力も気力も湧いて来ない。
このままここで死ぬか、それとも奴隷として誰かに買われるか。
隣の牢に入っていたガキはみんな泣かなくなった。
代わりに院長が来る度に早く売ってくれ、自分は役に立ちますなんて言い出すようになっちまった。
オレもああなるのだろう。
そうだな、買われるならせめて少しでもマシなやつの所がいいな。
牢から出られたのはそんな風に考えていた直後だった。
鉄格子の向こう側。牢屋の外が騒がしい。
院長と誰かが言い争う声がして、地下全体が揺れ出した。
誰かが牢の中に入って来てガチャガチャと音がする。
「鎖を外すわ。あまり動かないでちょうだい」
お前はいったい誰なんだと聞きたかったが、そんな力は残っていなかった。
オレはされるがままの状態で背負われた。
華奢で人形みたいな黒髪の少女。
握ったら壊れそうなのに触れ合っている体温が高い。
久しぶりに人の温もりを感じた。
その少女と一緒にいた執事服の男のおかげでオレとガキ達は地上に出られた。
あれだけオレ達を苦しめていた院長も少女の魔術で一撃だった。
指を突き出して臆することなく立つ背中がキラキラとして見えた。
くそっ。カッコいいじゃねぇか。
そこからは怒涛の展開だった。
最初に運ばれた病院……のような場所で治療が始まり、まずは体調を整える。
次に話が出来そうな奴から事情聴取が行われた。
子供を迎えに来た親もいて、誘拐事件は終わりを迎えたんだ。
腹も膨れて回復ポーションのおかげで肉体の傷も治った。
ただ、失った記憶は戻らなかったのでオレだけ今後の生活が決まっていない。
世話をしてくれた魔術局ってところの職員からは別の孤児院に預けることになるだろうって言われたけど、孤児院はもうこりごりだな。
ガキ一人で生きていくのは難しいしこれからどうしたものかと悩んでいると、オレ達を助けた執事服の顔色の悪そうな男が話しかけてきた。
「今後の暮らしについてお悩みと伺いまして」
「なぁ、アンタ周りの人間から胡散臭いって言われない?」
ニコニコと笑顔を浮かべるその男は存在そのものが不気味だった。
例えるなら人の皮を被ったバケモノ。
地下では弱っていたから感じ取れなかったが、体力が戻った今なら分かる。
コイツはマジでやべーヤツだ。
あの誘拐犯のリーダーと同等かそれ以上。
「よく言われます。特にお嬢様からは人でなしなんて。酷いと思いませんか? 私は献身的に尽くしているというのにまるでゴミを見るような目を向けられるのです」
「いや、聞いたのはこっちだけど知らねぇよ。つーか何の用だよオッサン」
「オッサン!?」
ショックを受けたのか地面に崩れ落ちる執事服の男。
なんだこいつ面倒くせぇな。
「肉体の手入れは完璧なはず……もしやお嬢様が最近近づかないのは加齢臭のせい?」
「おーい。現実に戻って来てもらっていいかー」
ひとりごとを言い出した執事服の男を立たせる。
こんなやり取りをしていたら病院の職員から変な目で見られちまう。
ただでさえ奴隷として捕まっていて記憶喪失にもなっているとびっきり可哀想なヤツとして腫れ物みたいに扱われているのにこれ以上悪化させるんじゃねぇよ。
「こほん。実は私はスカウトに来たのです」
「スカウト? オレを?」
「はい。君を是非我がシュバルツ家に迎えたいと思いまして」
治療を受けながら話は聞いていた。
オレ達を助けた少女はこの国のトップにいる五大貴族の一つ、シュバルツ公爵家のご令嬢だってこと。
オレにとっては雲の上みたいな場所にいる人がなんで孤児院なんかに? と思ったが、シュバルツ家は魔術局からの依頼を受けて捜査をしていたとか。
お貴族様が率先して人助けなんてまるで正義の味方みたいだなぁと思った。
「オレの魔術を使って悪者を倒してくれってか?」
「いえ。君に頼むくらいならお嬢様か私が動いた方が早いので期待していません」
「はっきり言うなおい」
この男が言うことは正しい。
なんとなく感覚でオレは魔術を使えるが、それは同年代のやつより覚えるのが早いってだけだ。
潜入捜査して大人をばったばったと薙ぎ倒せるような実力はない。
「何をさせたいんだよ」
「君にはお嬢様の世話係になっていただきたい。お嬢様には同年代の知人が少なく、屋敷には私くらいしか話し相手がいません。なのでお嬢様の側にいて支えになるような人材が欲しいのです」
ようは使用人兼遊び相手になれってか。
奴隷のまま売り飛ばされるのとあんまり変わらないな。
誰かの下に付いてこき使われるのか。
「オレじゃなくてもいいんじゃないのか?」
「君がいいのです。私の感ですが、君はきっとそうあるべき運命を背負っている」
執事服の男がオレの眼前に顔を近づける。
張り付いた笑顔が消え、無感情な顔が迫り何もかもを見透かすような瞳がオレの知らないオレを見ている。
バケモノを前にした恐怖で体が動かない。
「おっと。怖がらせるつもりはなかったのですが、君は感覚が鋭いようだ」
オレが怯えているのに気づいた男が離れる。
肺に溜まっていた空気を吐き出して呼吸を整える。
男はまた張り付いたような笑みを浮かべていた。
「いかがでしょうか。シュバルツ家で働いてみる気はありませんか? 高待遇は保証しますよ」
どうする。
この得体の知れない男の言う通りにするか、それとも断って孤児院に行くか、もしくは一人旅にでも出るか。
最後のは不可能にしても、新しい孤児院に行けば普通の家に引き取られるか、成人するまでいて院を出てから自由に生きていくかは出来るだろう。
オレの感は告げている。この男について行けば面倒くせぇことが待ち構えている。
だったら選ぶ方は決まっているよな。
「これから世話になるぜ。オッサン」
「こちらこそよろしくお願いします。名無しの少年」
平穏を選ばなかった理由は一つ。
多分、そっちを選んだらオレは一生あの少女に会えなくなる。
お貴族様の、しかも公爵家ともなれば関わる機会なんて無いだろう。
あの日感じた体温。
あの日見た背中。
キラキラとした輝きを持つ少女。
オレはどうやら自分の欲望に正直なやつらしい。
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