夢幻の君
ねむるこ
第1話 うつけ2人
教室ではとっくに授業が始まっているというのにこうやって
絵を描いている時だけ宇美は無になることができた。目の前の光景を描き出す。それだけに集中できる時間が宇美は好きだった。
突然びゅうっと一陣の風が通り過ぎる。
クロッキー帳のページがめくれてしまわないように押さえるのに夢中になっているところを誰かに声を掛けられた。
「なかなかええ」
慌てて後ろを振り返るとそこには奇抜の格好をした少年がいた。時代劇の侍のような髷に片方だけはだけさせた着物を身に付け、腰には刀を差していた。袴のようなものは履いていないので筋肉質な素足がそのまま見え、
「コスプレ?にしても変わった格好……」
宇美は思わず呟いた。近くに名古屋城もあることからそんなことを考える。よく武将に扮した若者がイベントを行っているのを宇美は目にしていた。だからこの少年もそんな人物の一人なのだと考えた。
「何を言っとる。おめーも可笑しな成りをしとるぞ」
そう言って宇美に向かって大声で笑った。
「じゃあお互いさまってことで」
宇美は少年を適当にあしらうと再び庄内川とクロッキー帳に目を移した。今は絵を描くことに集中したい。
「ここで何しとる?」
宇美はまだ立ち去ろうとしない少年に嫌気がさしながらも答えた。
「見れば分かるでしょ。絵を描いてる」
ガリガリと鉛筆を動かす。鉛筆の陰影だけで川の透明感を出すのは至難の業だった。
「あんたこそ。こんなとこで何やってんの」
「俺か?俺は仲間と水練に、竹槍に……馬駆け。まあ色々だ」
「ふーん。遊んでんだ」
宇美は理解できない言葉を聞き流し適当な相槌を打つ。そうすればすぐにでも離れていくと思ったからだ。
「遊びながら模索しとる。そんなところだ」
「へえ」
宇美は鉛筆を止めることなく適当に相槌を打つ。
「おめーは都の絵師か何かか?見事な腕を持っとるんだ。こんなところで何をしとる?」
宇美は『絵師』という言葉に止まった。そして何度目かの大きなため息を吐くと面倒くさそうに答えた。言葉が回りくどいが彼は宇美がプロの絵描きではないのかと聞いているようだ。
「んな訳ないでしょう!私は絵師なんかじゃない。ただのその辺の中学生で子供だよ。絵を描くことを禁じられたね」
半ば投げやりに答える。つい苛立ちを少年にぶつける形になってしまったと後悔したがすぐに誤魔化すようにクロッキー帳に目を落とす。
宇美の言葉を聞いた少年は驚いた表情を浮かべる。
「そこまでの
隣で宇美の絵を見ていた少年が力強い瞳で訴えかけてくるものだから宇美は渋々自分の身の上話を披露した。
「私の母が反対してるから。絵を描いても食ってけないから勉強しなさいって」
最初は話すことに躊躇いがあったが一度口にすると止まらない。自分の現状への不満を吐き出す。
「私の家お金がないのね。だから将来は看護師か公務員になれって。兎に角、資格が生かせる道を選べって。だからこうして学校を抜け出して絵を描いてるってわけ」
宇美がそこまで話し終え少年の方を見ると少年は腕を組んで難しい表情をしていた。そんなに考え込んでしまうほど難しい話ではなかったはずだ。
「カンゴシ、コウムイン……?シカク?訳が分からんがそれらが絵の道を極めることとなんの関係がある」
「え?」
宇美は手にしていた鉛筆を落としそうになった。まさか一般的な単語の意味を問われるとは思っていなかったからだ。呆れて言葉を失っているところに少年の言葉は続く。
「誰が何を言おうと関係ねえ。己の才を信じているのならその道を行け。禁じられていてもただ描き続ければええ」
宇美は無責任な少年の言葉に呆れた。事情を知らない他人から「描き続けろ」と言われるほど腹立たしいことはない。
「私のこと知らないくせによく言うよ!大人になっても描き続けたい!でも現実はそうじゃない。絵の具だって捨てられた!」
宇美の叫びにも少年は動じなかった。それどころか腕組みをしたままどこか遠くを眺めていた。
「家族なんて嫌い。学校だって。私を縛り付けようとするもの全部!」
宇美は恨めしそうに庄内川を睨みつけた。庄内川はただ太陽の光できらきらと輝く。
「おめえ。名は?」
急に真剣な声色に変わった少年に宇美は鼻を鳴らした。
「怪しい奴に先に名乗るわけないでしょう。あんたこそ何なの?」
「俺か?俺は……
宇美は呆気に取られた。まさか本当に名乗るとは思っていなかったからだ。毒気のない笑顔を見て怒りが静まっていく。
「私は……。宇美。芳野宇美」
「さっきの気概がありゃ十分だ。俺から言えることは己が信じる道を行けということだけだ。人の世は短いでな」
「……変な奴」
宇美はスケールの大きな事しか発さない三郎を呆れた顔で見た。宇美もよく学校で変人扱いされるが自分より上の人物がいることに衝撃が隠せない。
「そうだ。おめえに生き延びるための策を教えてやろう」
三郎はそう言うといたずらを思いついた子供のように笑った。そうして宇美に耳打ちする。
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