挫折した聖女は侍女へと転職し、貧乏領主の復興に尽力する《ガヴァルダ家 復興記》

monaca

ユーナ編

プロローグ

「あっ……」


 祭事用の真っ白な修道服に着替えた聖女ユーナは、短く声をあげた。


 洗ったはずの服が汚れている。

 前面にべっとりと赤い色の液体が染みているのを見て、ユーナは最初驚き、そして落胆した。


 これは朝食のキャロットジュースだ。

 彼女自身が出されたぶんは、まちがいなく飲み干した。

 こぼしたのは自分じゃない。

 そもそも、こんな洋服ダンスのなかには、どうやってもこぼれるはずがないものだ。


「聖女ユーナ! どうしたのですか?

 支度が済んだらすぐに出発しますよ」


 女司祭長が、なかなか出てこない彼女を呼びにきた。

 が、ユーナの服を見て絶句する。


「聖女ユーナ!

 それはいったい、どうしたというのですか。

 今日はこれから、ティンズリー伯爵の屋敷に豊穣の儀式のために向かうのですよ?

 とても大事な日なのです。

 すぐに、きれいなものに着替えなさい」

「あの……でも……」


 司祭長の命令は聞けないものだった。

 なぜなら、ユーナはほかに、今日の儀式に見合うような修道服を持っていなかったから。

 清貧をむねとする彼女たち聖女にとって、普段の修道服以外は、この一着しか特別な服はない。


 ユーナが泣きそうな顔で困っていると、同僚の聖女ルイザが大きな声で言った。


「司祭長、アタシの服ならお貸ししても構いませんわ。

 ちょうど洗ったばかりなので、きれいです」

「まあ!

 さすが聖女ルイザ、気が利きますね。

 ささ、聖女ユーナ、すぐにこれに着替えて」


 ユーナは渡された修道服を見て、悪い予感がした。

 案の定――


「すみません、これ……入りません」

「なんですって?

 あら、あなた……うーん」


 ルイザの修道服では、胸のあたりが窮屈だった。

 ユーナは自分で嫌で嫌でたまらないが、ほかのどの聖女よりも胸が豊かなのだ。


 ルイザが、気の毒そうにいう。


「ユーナ、ごめんなさい。

 アタシの服ではあなたには合わないようね。

 でも、そんな胸をしている聖女はあなたくらいのものですから、気を悪くしないで。

 きっと、ほかの誰の修道服もあなたには窮屈だわ」

「はい……わたしが悪いのです。

 お心遣い、感謝いたします」


 言い終わったユーナは、唇を噛んだ。

 これからの展開が読めたのだ。


 というか、ここまでも含めて、誰かの筋書きどおりに事が進んでいることが彼女にはわかった。

 似たような「失敗」は、一度や二度ではなかったから。


「仕方がありません。

 聖女ユーナ、本日の儀式は聖女ルイザに代わってもらいます。

 聖女ルイザ、いいですね?」

「はい、司祭長。

 ユーナのぶんまで、精いっぱい務めさせていただきます」


 ルイザは元気よく答えると、すでに着替えていたきれいな修道服で、司祭長と一緒に出かけていった。


 ふたりが去り、教会の控室にはユーナだけが取り残される。


 ぽっかりと予定が空いてしまった。

 彼女は、教会の床に膝を抱いて座りこむ。


「はあ……」


 大きなため息がこぼれる。

 いつもなら司祭長に注意されることだが、いまここに司祭長はいない。

 今ごろは、ティンズリー伯爵領に向けて走る馬車のなかで、精いっぱいヨイショするルイザの話に上機嫌で耳を傾けていることだろう。


「ルイザ……あの子のしわざよね」


 他人を疑うのは、聖女としてあるまじき行為だ。

 だが、こうも続くようでは、彼女のことを疑わざるをえない。

 だいたい、ユーナの「失敗」のたびに、それを助けたり代わりに抜擢されたりするのが必ずルイザなのだから、もはや疑いというレベルの話ではない。


 聖女としてあるまじき行為をしているのは、どっちだろう。


「競争、競争、競争……」


 憧れていた聖女として働く世界。

 そこにはさまざまな輝きをもつ聖女たちがいて、最初のころは、そのなかで暮らせることが嬉しかった。

 輝きのひとつに自分が含まれていることが、いかに光栄で、恵まれていることかと考えていた。


 でもじつは、周りの聖女は競争相手だった。


 もちろん共同で取り組むお務めもたくさんある。

 力を合わせ、声を合わせて儀式に臨むのは、やりがいもあるし楽しかった。

 でも、今日のティンズリーでの儀式のように、選ばれた聖女のみが参加する機会をえられるお務めがあると、自然、競争が生まれてしまう。


 聖女としての競争とは、なにを競うのだろう。

 信心? 清貧?

 そんなことを、どうやって頑張ればいい?

 裸で冷水を頭からかぶり、一心不乱に祈ればトップに立てる?


 そんなものではない。

 正直、どう頑張ればいいのか、みなわからないのだ。

 だから足の引っ張り合いになる。


 ユーナを狙うのはルイザだが、彼女だってきっと、裏ではほかの誰かに狙われている。

 彼女だけが悪いのではない。

 負の連鎖を止める方法を、誰も知らないのが悪いのだ。


 聖女として認められるために、聖女にあるまじき汚い行為に手を染める。

 矛盾している。

 矛盾しているが、いままでもこれからも、きっとこうやって教会は回ってゆく。


「もういや……」


 ユーナはいつのまにか涙を流していた。

 ぎゅっと閉じた目から溢れる涙が止まらないし、閉ざした口から漏れてくる弱音も止めることができない。


「もうやだ……。

 こんな世界、耐えられない……」


 なによりいちばん嫌なこと。

 それは、そのうち自分がその矛盾に慣れてしまうことだった。


 ルイザの服にこっそりかけるため、朝のキャロットジュースを懐に忍び込ませるのは、次は自分かもしれない。

 そんな恐ろしい想像が、頭から離れなくなった。


「……やめる」


 思わず口に出た。


「もう、聖女はやめる」


 もういちど言う。

 声に出すと、まるで神様が聞きとどけてくださったかのように、心がふわっと軽くなるのがわかった。


 そうだ、やめよう。

 やめてしまおう。


 聖女ユーナは決心した。


 なにができるかわからないが、きっと、ここで足の引っ張り合いをするよりは意味のあることができる。

 神様じゃなくても、誰かのためになれる。


「明日になったら――ううん、いますぐここを出ていこう。

 司祭長にも、ルイザにも、わたしのことは忘れてもらいたいから」


 そうして彼女は置手紙を残し、聖女ユーナから、ただのユーナへと戻った。

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