暮らす日々に笑顔をもたらすひとがいるならそれはきっといい人生に違いない

英 金瓶

 緑のたぬき

『 拝啓

今年も残すところ僅かとなりました。

おとうさん、元気にしてますか?

私は忙しいながらも毎日を元気に過ごしています……。』




横浜こっちに来る前 一度だけ書いたきり、何年振りかにおとうさんに手紙を書いた。


書き始めたはいいが、ここから先が進まない。


想うことは山ほどあるのに、いざ文章にしようとすると、どう書いていいかわからなくなる。


「ん~。やっぱ電話にしようかなぁ……でもなぁ……。」


仏頂面でペンを鼻の下にかけ、そうブツクサと独り言を唱えていると、キッチンからポコポコポコと音がしてきた。


我が家のティファールくんが、頑張ってお湯を沸かし始めた音だ。


私は振り返り、寄せ書きだらけのティファールくんを見ると、ふとあの頃のことを思い返し「フフフッ」と笑みをこぼした。



あれは一昨年おととしの12月。


街がXmasに彩られた、ちょうど今頃。


彼は、私の勤める病院にやってきた。




「おはようございまーす。」


朝の光が眩しく突き刺す整形外科の入院病棟四人部屋。


その日初めて、私は彼を担当することとなった。


名前は濱岡寿也はまおかとしやさん。


自宅マンションで階段を踏み外し転倒。


全治一か月の右足関節骨折で前日に搬送され入院した。


「濱岡さん。おはようございます。ご気分いかがですか?」


私がカーテン越しにそう話しかけると、中から「はーい。すこぶる快調でーす。」と若い男性の声が返ってきた。


入院していて「すこぶる快調」と言うのもどうかと思い、私はその答えに思わず「フフフッ」と笑ってしまった。


カーテンを避けて中に入り、私はこの病院通例の自己紹介を始めた。


「おはようございます。本日担当させていただきます、ワキノと申します。よろしくお願いします。」


私はそう言うと軽く会釈をし、この病院のロゴと“脇野小麦わきのこむぎ”とフルネームが書かれたネームプレートを濱岡さんに見せた。


既に起床し上体を起こして、卓上でタブレットを開いていた濱岡さんは、それを退しりぞけると「おはようございます。こちらこそよろしくお願いします。」と返して即座に下腿部かたいぶに掛かったタオルケットをめくり、包帯に包まれた右足を私に見せた。


「あ、診察ではないので、今は診せていただかなくて結構ですよ。」


私がそう言うと濱岡さんは顔を赤くして「あ、そうなんです?……。」と蚊の鳴くような声で小さく呟いた。


「えー、ハマオカ トシヤ様ですね。」


私はそれを気にせず、続けて規則通りに患者さんの名前確認をした。


すると濱岡さんは、なぜか前屈姿勢になりながら名札を付けた左手を掲げ、私に見せてくれた。


「はい。名前確認できました。ありがとうございます。」


私は濱岡さんにそう伝えると、看護記録をとり始めた。


看護記録をつけている間、濱岡さんはいつまでたっても左腕を下ろさずに前屈姿勢のままだったので、私は「もう、左腕下ろしていただいて結構ですよ。」と声をかけた。


濱岡さんは、そこで初めて「あ!」と気付いて左腕は下ろしたが、前屈姿勢は崩さなかった。


私は、何をしているのか?と前屈姿勢の先を目で追った。


どうやら先程めくったタオルケットを元に戻そうとしているようだが、包帯で大きくなった爪先つまさきに引っ掛かり、なかなか元に戻せないでいたのだった。


私は看護記録を書く手を止めて「お声おかけください。」と伝えると、爪先に引っ掛かったタオルケットに手を伸ばした。


「あ、すいません……。」


濱岡さんは恐縮しながらそう言うと、姿勢を元の位置に起しはじめた。


すると突然「あっ?!おぁっ‼」と、濱岡さんが顔を歪めて苦しみだした。


「えっ?!」


あまりにも突然のことで慌てる私。


私は看護記録を放り投げ、咄嗟に濱岡さんの背中に手を当て支えた。


「えっ?!どうしましたかっ!濱岡さんっ!濱岡さんっ‼」


「つ!つった!つった‼」


「えっ?!えぇっ?!」


「つりました!つりましたっ‼」


顔を歪め、予期せぬ突然の苦痛に身もだえる濱岡さん。


どうやら長い間の前屈姿勢に彼の広背筋は限界を迎え、痙攣を起こしてしまったのだ。


私は支えた手で彼の背中をさすり、緊張した広背筋を解きほぐした。


その甲斐あってか、濱岡さんの苦痛に歪んだ表情は徐々に和らぎ、私はホッとしてその後もしばらくの間、彼の背中をマッサージしてさしあげた。


何回も吹き出し、笑ってしまいながら……。


しかし濱岡さんは私が吹き出し笑っても、決して怒ることなどしない方だった。


私が笑ってしまって「ごめんなさい」と謝ると、彼も「ははは……。」と笑いながら「いえいえ、こちらこそ。」と何度も返してくれたのを私はよく覚えている。


私はその時、背中を摩りながら思った。


濱岡さんって優しい方だなー……と。


それが彼の第一印象だった。


もちろんその後、ナース長にこってり絞られたのは言うまでもない……。



それから幾度となく、私は彼の担当になった。


普通なら患者さんからのクレームが入り、私の担当は遠ざけられるはずなのだが、濱岡さんはそうしなかった。


私はそれをとても申し訳なく思い、同時にそれが嬉しくも感じた。


そして幾度となく担当をしているうちに、私は濱岡さんのところがなんだかとても居心地良くなり、いつしか彼の担当を待ち焦がれるようにもなっていた。



やがて年も押し迫り、その年も残すところあと僅かとなった大晦日の夕方。


私はその日の夜勤も濱岡さんの担当になった。



いつものように看護記録をつけていると、濱岡さんが愚痴をこぼし始めた。


「あ~ぁ、今年はここで年越しかぁ……。」


いつからか濱岡さんは、に愚痴をこぼすようになり、私はなんだかそれがとても嬉しかった。


「え~?濱岡さん、ここで年越しいやですか~?こんなに広い部屋独占ですよぉ。」


整形外科の場合、大抵の入院患者さんは年末年始には外泊許可を取って家で過ごす。


しかし濱岡さんは歩くこともおぼつかなく、自宅に戻っても誰もいないという事なので、泣く泣くの残留組となった。


「いや、まあ、広い部屋独占と言えば独占だけどね……。」


濱岡さんはそう言って、誰もいない四人部屋を見回した。


私も後を習って、今だけ広い四人部屋を見回してみた。


そして思った。


たしかに私も、この広い部屋に独りとなるとちょっといやかなー……と。


「わかりました!今日はなるべく、顔を出してあげます!」


いま思うと、なに高飛車なこと言ってんだ私!と思うようなことを、私はこの時、恥ずかしげもなく口走っていた。


でも濱岡さんは、その時とても嬉しそうな顔をしてくれた。


「え?ほんと♪」


私より十歳とおも年上ではあるが、その時のキラキラした濱岡さんのかわいい笑顔を、私は今でも忘れられない。


それからちょこちょこと合間を見て、私は濱岡さんのところに顔を出した。


そのたびに濱岡さんは嬉しそうな顔をして、私を出迎えてくれた。


そしていよいよ、その年も残すところあと数十分となった頃、私はサプライズを手に濱岡さんのところに向かった。


「はーまおかさん♪」


緑のたぬきを背中に隠し、顔だけカーテンから覗かせてみると、濱岡さんはタブレットで紅白を観ていた。


「あ!いらっしゃい☆」


「紅白ですか?いま誰です?」


私はそう言いながら濱岡さんの脇に座り、一緒にタブレットを覗かせてもらった。


「いまね、嵐です。」


「ってことは、今年ももうすぐ終わりですね。」


この年、紅白の大トリは翌年の活動休止を発表した嵐だった。


「あ!そうだ。ジャン!」


私はそう言って後ろに隠して持ってきた緑のたぬきを濱岡さんにお披露目した。


「わぁ!もしかして、年越しそばですか?!」


「はい!玉子はないけど、一緒にどうかな?って思って。」


「わぁ!やったー☆」


喜ぶ笑顔がとても眩しかった。


「じゃ、お湯入れてきますね。」


私がそう言って立ち上がろうとすると、濱岡さんは「あ!ちょっと待って!」と私を呼び止め、ベット脇の床頭台しょうとうだいから、なにやらごそごそと大きな箱を取り出した。


「これ、同僚がお見舞いで持ってきてくれたんです。よかったらこれでお湯沸かしませんか?」


そう言って見せてくれたのは、たくさんのはげましがしるされた、我が家で未だに活躍中のティファールくんだった。


私はお言葉に甘え、ティファールくんで沸かしたお湯を緑のたぬきに注いだ。


二つのどんぶりから寄り添うように立ち昇る湯気。


二人してその湯気を眺めていると、ボォ―――ッと汽笛が鳴り響いてきて、年が明けたことを私と彼に教えてくれた。


「あけましておめでとうございます!」

「あけましておめでとうございます。」


向き合って、新年のあいさつを笑顔で交わす私と彼。


成り行き上、当たり前のことだけど、この年一番初めに会えたのが彼で、私はなんだか嬉しかった。


そしてこの後の「今年もよろしくお願いします。」という彼の言葉が、「よろしくお願いします。」と聞こえた気がして、私はこの年、とてもウキウキした気分で新年を迎えられた。




あれから二年……。


私は今、彼が足関節を骨折したマンションに居る。



ポコポコとキッチンから私を呼ぶティファールくんに腰を上げると、奥の部屋から寿也としや君が緑のたぬきを二つ持ってきた。


「あ、いいよ。小麦こむぎちゃん座ってて。なんか書き物してるんでしょ?」


「あ、うん。ありがと。」


私は寿也君にそう言われ、立ち上がろうとしていた腰を再び下ろしてしまった。


私はこうしていつも、寿也君に甘えてしまう。


「小麦ちゃんも、玉子入れていいのかな?」


そう言って寿也君は玉子さんを割って入れ、緑のたぬきにお湯を注いだ。


ゆっくりと、ゆっくりと……。


慌てずに、焦らずに……。


寿也君の玉子さんにはないけど、慎重にお湯を注ぐその後ろ姿は、どこか私におとうさんを思い出させた。


私は今、そんな寿也君の背中を眺めながら、胸の内から込み上げてくる幸せを、毎日キュッと抱きしめている。


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暮らす日々に笑顔をもたらすひとがいるならそれはきっといい人生に違いない 英 金瓶 @hanabusakinpei

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