惑星の守護者 アルゲンルプス

白ノ光

第1話 銀の狼

 深夜、街に人気はない。怪物が出ると皆知っているからだ。

 だが、何の用事か出歩いている若い女がいる。どこか遊びに行っていて、帰りが遅れたのだろうか。


 女は家路を急ぐも、それは許されなかった。大きな影が女を覆う。ゆっくりと、巨大な百足の化物が夜の闇から現れる。


 自分よりも何倍も背丈のあるその姿に、女は絶叫して座り込む。蟲の怪物はこれ幸いとばかりに、無抵抗なエサを喰らおうと頭を動かす。

 醜悪な口を開け、凶悪な牙をむき、生を諦めた人間は絶望のうちに目を閉じる。


 瞬間、誰かが横合いから巨大百足の頭を殴りつけた。怪物はその上半身ごとのけぞらせ、獲物を喰い損ねたと立腹する。

 突如出てきた人間が女の前に立った。いや、それは人間ではない。全身が銀色の金属で構成され、尾を生やしていた。人型のロボット、という表現が相応しい。


 怪物は怒りのままに、その機械を砕くため噛みつこうとする。しかし、相手の動きの方が遥かに速い。


 ロボットは両手を前に突き出すと、その手甲のようなパーツから、光の弾丸を連続して撃ち出した。黄金色のそれは巨大百足の表面をなでるように放たれ、鉄程度なら軽く溶かしてしまえる高熱が蟲の肉体を焼いていく。

 脚を幾つも失った巨大百足は、黒い体液を吹き出しよろめいた。


 ロボットはトドメとばかりに同じ手甲から、今度は弾丸ではなく光の刃を形成する。その刃は5本が並行になっており、獣の爪を思わせる。

 銀色の獣は一瞬で怪物の上半身、上空八mほどの位置まで跳躍する。ただの跳躍ではない。脚で地面を蹴ると同時に、脚部に内蔵された小型スラスターを瞬間的に噴射させており、これが異常な高度の跳躍を可能としている。


 そして一閃。巨大百足の胴体を五本の刃が溶断し、輪切りとなった肉片が地面に落ちていく。


 ロボットは三階建ての建物ぐらいの高さからでもなんでもないように着地し、女の方に振り返った。

 女は何が起こったのか状況を把握しきれていなかったが、とりあえず自分が助かったことは理解できたようだ。起き上がりお礼を言おうとするが、またもや恐怖が女を襲う。


 死んだように見えた巨大百足が、その頭と残った一部の脚だけで動き、女を救った英雄を背後から喰おうとしているのだ。

 声を出そうにも、うまく出ない。これから起こり得る事態を想像し、身体が竦んで全く動かなかった。

 怪物の頭部が、ロボットに喰らいつこうとする。しかし、またしても向こうの方が速い。


 殺戮機械は喰らいつかれる前に反転し、巨大百足の突き出た1対の牙を、左右それぞれの手で掴む。

 ロボットは百足の頭を睨みつける。それはまるで、野生動物が互いの力量差を視線だけで理解させるかのように。

 犬のように唸った機械仕掛けの獣は、掴んでいた百足の牙を両方とも、同時にへし折る。さらに追撃として、右足で強烈な蹴りを見舞った。百足の頭は宙に浮き、衝撃に耐えられず中身をまき散らし吹き飛んだ。


 今度こそすべてが終わった。女がまだ震える身体で礼を言おうとするが、当人は既にいなくなっている。

 銀の獣は先ほど見せた跳躍で建物の屋上まで飛び上がり、深夜の街の静けさの中に溶けていく。




 五月のよく晴れた日のこと、時刻は朝八時過ぎ。

 大勢の若者が、ある者は談笑しながら、ある者はイヤホンで音楽を聞きながら歩いていく。俺と同じ浪間高校の生徒たちだ。


 「よお、緋山! 今日は顔色悪いな。大丈夫か?」


 不意に後ろから声を掛けられる。この朝からやかましいよく通る声は、間違いない。


 「悪かったな、この顔色が標準だよ。今日も元気だなお前は」


 「ああすまんすまん、そういえばそうだったな!」


 はっはっは、と野田は軽く笑う。出会った中学の頃からそうだが、同じクラスであることが続いたり登下校中に会ったりと妙に縁のある男だ。


 「あれ、そういやお前朝練はどうした。サッカー部なんだから毎日あるんじゃないのか」


 「今日は休みだ。顧問の先生が怪我をしてしまったんだ」


 「怪我?」


 「マスコミが最近噂してるだろう。夕方から夜中にかけて出てくるらしい、巨大な蟲に追いかけられたんだと」


 そういえば朝のニュースでもそんなことを言っていた。この頃、巨大な蟲の目撃情報が多く寄せられているんだとか。

 巨大というのも、大きさ数mもある超ビッグサイズの蟲だ。夜中にそんなものを見つけてしまえば腰を抜かすし、追いかけられれば一生忘れられない恐怖体験だろう。


 「ああでも、先生が襲われたのは蜘蛛だったそうだから、正確には蟲ではないか。何にせよ夕方には出てくるから、学校の部活は全面的に中止になった。緋山も気をつけろよ……って、お前は帰宅部か」


 「そういうことで、俺は何もなくてもすぐ帰りますよ」


 怪奇事件について話しながら歩いていると、もう学校の正門まで辿り着いた。昇降口で上履きに履き替え校内に入る。

 街で恐ろしい事件が起こっているにしても、学校は至って日常そのものだった。


 野田と一緒に教室に入る。先月で進級し、二年一組が俺の新しいクラスだ。ホームルームまで少し時間があるが、教室には既にクラスメイトの大勢が集まっている。


 ふと、教室の一番後ろの列の席に目がいった。

 メガネをかけ一人で本を読んでいる女子。三つ編みだが少しボサボサだ。本人が髪の手入れにあまり興味がないのだろう、前髪は目にかかるほど伸びている。挨拶だけしておくか。


 「藤音、おはよう」


 「えっ!? あ、ひ、緋山君! お、おはよう」


 こちらに気付いていなかったのか、かなり動揺している。そんなに驚かんでも。

 そのまま歩いて教室最前列の自分の席へ着席する。野田はいつの間にか、クラスのサッカー部員と話し込んでいた。


 朝は特にやることもないのでぼーっとしていると、そのうち担任の教師がやってきてホームルームが始まった。虹森先生は今日もヨレたスーツ姿で、朝から全体的にくたびれている。


 「はい、着席着席。出席取るよー。休みの人いる? いないね? じゃあよし」


 大雑把な出欠確認をすると、先生は雑談やお知らせを伝える。

 例の巨大蟲事件で教師や生徒にも被害が出てるとか、新学期早々不安かもしれないけど困ったことがあれば相談してくれとか、先生が色々言っているが全て他人事のように聞き流していた。

 俺は学校が終われば即帰宅し、そしてもう外には出ないから関係ないだろう。蟲が家までやってくるなら話は別だが、今のところそんな事件はない。



 授業をだるいだるいと思いつつ受けてもう昼休み。一人で弁当を食べ終わり、またやることがなくなったなとぼんやりする。

 すると、後ろから俺を呼ぶ声がした。


 「ね、ねえ緋山君。最近の、む、蟲の事件についてどう思う?」


 振り返ると、藤音が本を抱えながら立っていた。


 「どうって……まあ、物騒だよな。人間を襲うんだって? 数人死んだらしいし、怪我人も出てるし怖いな」


 「だ、だよね。わわ、私も怖い。そ、それでさ、これ見てよ。アメリカの都市伝説なんだけど」


 藤音が本を開いて見せてくる。そこには、人間の足を生やした巨大な蛾のようなモンスターが描かれていた。


 「モ、モスマンっていうんだけど、これさ、この事件の真相なんじゃない!? あ、モスマンっていうのはね、千九百六十六年にアメリカのウェストバージニア州で目撃されたUMAで、今も正体は分かってないの。で、でも翼があって飛んでて目が赤いっていうのは分かってて、こういう蛾と人間を合体させたような姿をしていると考えられているの。それでね、わ、私、今回の事件で思い出して、関係あるんじゃないかって」


 やや興奮気味にまくし立てられる。相変わらず自分の好きな分野になると急に饒舌になる奴だ。普段の性格とは真逆で、初対面でこれを喰らったらびっくりするだろう。


 「で、そのモスマンとやらがアメリカからこの街にやって来て、この変な事件を起こしてるって? 事件で目撃されたのは百足とか蜘蛛って話だろ。蛾は関係ないんじゃないか」


 「う、うん。でもね、これから目撃されるかもしれないし、これはね、モスマンの超能力だと思うの。モスマンが蟲を支配する力を持っていて、い、今こそ人間を滅ぼそうと戦争を始めようとしているのよ。人間を滅ぼした後、蟲だけの王国を作ってこの地球をまるごと巣にするの」


 なるほど、全く分からん。よく色んな陰謀論を話されるが、正直話の半分も理解できていない。なので、本人が傷つかないようにそっと流す。


 「そうかもしれないな、確かに怪しい。ところでもうすぐ昼休みが終わるぞ。次の授業は移動教室だし、準備した方がいい」


 「あっ、だ、だね。あ、ありがとう緋山君」


 そそくさと自分の席に戻る藤音。俺も準備をしなければ。えーっと、教科書はどこにしまっておいたっけ。



 六限が終わり、放課後になる。日はもう落ちそうだ。俺は席を立ち、とっとと帰ろうと学校指定のバッグを持ち上げる。


 「そうだ野田、部活ないんだろ。一緒に帰るか?」


 「ああ、久しぶりにそうしたいところだが、すまない! 俺は顧問の先生の見舞いに行かなければならないんだ」


 「あーそっか。わり、じゃあな」


 いつも通り一人で帰ることにする。教室には既に藤音の姿はなかった。大方、彼女もいつも通りに図書室で本を読んでいるんだろう。ルーティーンというやつだ。

 俺は教室を出て、一階の昇降口に向かう。

 俺は学校があまり好きじゃない。だから少しでも早く帰れるように帰宅部を選んだ。中学ではあまりの帰宅速度の速さに驚かれ、閃光の緋山だとか好き勝手に二つ名をつけられたことすらある。


 学校を出て通学路を逆順に歩く。家が近いので自転車や電車は利用しない。こういう性格の俺にとっては、家から近い高校に入学できたことは僥倖だった。

 しばらく歩いていると、同じ道を歩いていた周りの生徒がざわめき始める。何事かと周囲を見回し、“異物”を見つけた。

 そこには街の喧騒から離れた住宅街には不釣り合いな、黒いドレス姿の少女が立っていた。


 その少女は明らかに風景から浮いている。出来の悪い合成画像みたいな、拭いきれない異質な感触。フリルがたくさんついたその服装からしておかしいが、何よりもその長い金髪が目を引く。

 無言無表情で道のわきに立っている様は、さながら人形のようだった。いや、本当に人形なのか?

 そんなことを考えていると、少女の真っ赤な瞳と目が合った。合ってしまった。


 少女は黒い編み上げのブーツをカツカツと鳴らし、こっちに向かって歩いてくる。まさか自分に寄ってくると思わず、動けなかった。

 彼女は俺のほんの目の前まで距離を詰めると立ち止まって、こちらをじっと見つめる。

 まるで品定めをされているようだ。緊張が走る。この女は一体、何の用があるというんだ。


 「────キミだ。ようやく見つけたよ、我が契約者。どうだ、私と契約してくれないか」


 「は?」


 契約とか変なことを言われ、思わず聞き返してしまう。


 「端的に言うと、キミの力が必要なんだ。具体的には世界を救うために」


 彼女は小さく微笑みながら話しかけてくる。ますます意味が分からない。


 「あの、すいません。急いでるんで。宗教とか興味ないんで、失礼します」


 すっと彼女の横を通り抜け、家路に急ぐ。こういう怪しい勧誘は無視して、早く逃げだすのが吉だ。やれやれ、帰り道に変なのと出くわすなんて運がな──。


 「おうっ!?」


 急に後ろから引っ張られ、歩みを止められる。

 振り返ると、彼女の右手が制服のブレザーの裾をつかんでいた。顔は変わらず微笑みが張り付いているが、心なしか機嫌が悪そうだ。


 「まあ待て。キミがうんと言ってくれれば話は早いんだ。そう急ぐことはないだろう」


 「いやいやあのな、離してくれよ。無理やり引き留めるなんてよくない。ほんと興味ないんで。お互いに時間の無駄だぞ」


 「いいや駄目だ。これはキミが興味あるとかないとかの問題じゃないんだ。キミがやらなくちゃいけないことなんだよ」


 手を離してもらおうと彼女の手首をつかみ、引き剝がそうとするが全く動かない。彼女の指を解こうと試みるが、これもできない。彼女はまるで石像のようにビクともしなかった。


 「本当に離してくれって。これ以上やるなら警察呼ぶが」


 「いいからひとまず私の話を聞いてくれ。このままでは世界に致命的なエラーが起こる。キミたちの文明は不可逆的な傷を負い、もう二度と立ち直れないかもしれない。地表が焼け野原になるかそれとも全て喰い尽くされるのかまでは分からないが、とにかく問題なんだ。そしてこのイベントを回避できるのは」


 「あっ向こうに巨大蜘蛛!」


 「なにっ!?」


 当然嘘だが、俺が指さした方角に合わせ彼女が後ろを振り向く。同時に裾をつかむ拘束が緩み、その隙をついて一目散に走り出す。


 「こら待て! おーい!」


 住宅街の道は入り組んでいる。細い路地を何度も曲がって行けば、この辺の地理をよく知らない限り追い付くことは困難だろう。念のため、今日はいつもと違う道を使って自宅に帰ることにした。



 「ただいまー」


 いつもより少し遅い時間になったが、なんとか一軒家の我が家に帰ってきた。

 形式的に声を出すが、返事はない。この時間帯に家には誰もいないことは分かっているが、それでも挨拶はしてしまう。

 仕事をしている両親が帰ってくるのは夜なので、まだ数時間は1人だった。

 洗面所で手を洗い、二階の自分の部屋に荷物を置く。夕食はいつも自分で適当に作っている。今日は何を作ろうかな、などと冷蔵庫を開けながら考えた。


 「ただいまぁー」


 「おかえり」


 リビングで食事をしているところに母さんが帰って来た。

 冷蔵庫との相談の結果、俺はパスタを茹でていた。父さんが帰ってくるのはまだ後だ。いや、事件の影響で少し早めに帰ってくるんだっけ?

 風呂に入りながら、ほとんどいつも通りの日常を流されるように漂う。


 あっという間に日は沈み月が昇る。夜は基本、家どころか自分の部屋から出ない。別に両親と仲が悪いとかそういうことではないが、話題もないので一階にいても暇なだけだ。

 適当に今日出された学校の課題を片付ける。学校のことを考えていると、そういや今日は変な女がいたなと下校の時の出来事を思い出した。


 初めは彼女のことを、そのフリフリの子供っぽい格好から中学生とかかと思ったが、近くで並ばれると案外背丈に違いはなかった。ブーツで背が高いように見えているにしろ、年齢的には実はそれほど違わないのかもしれない。

 ああいう服装、なんていうんだっけ。ゴスロリだったかなと検索してみたところ、彼女の格好によく似ていた。

 しかし、やけに迫真の勧誘だったが、もう会うことはないだろう。流石にないと思いたい。明日も通学路で張ってるとかないよな……? 違う道を使うべきか、などとベッドの上で考えていると眠くなってきた。


 今日はもう寝ることにしよう。部屋の電気を消す。おやすみなさい。



 翌日も変わらない朝が始まる。通学路はいつも通り学生が歩いていて、俺は野田と駄弁りながら登校した。

 彼の話によると、サッカー部の顧問の怪我はそれほど酷いものではないようだ。

 なんでも巨大蜘蛛に追いかけられ逃げているうちに転び、肋骨にヒビを入れてしまったとか。追いかけてきた蜘蛛はいつのまにか消えていて、食われずには済んだらしい。


 いつも通りのホームルームの後、授業もつつがなく進行する。うちは進学校ではないので、授業の進みはそれほど早くない。おかげでたいして頭のよくない俺でも無事についていけてる。

 昼休み、藤音は1人で本を読みながら何かぶつぶつと言っていた。そっとしておこう。


 そんなこんなで早くも下校時間になった。今日こそ野田と帰ろうと思ったが、大切なことを思い出す。

 これは大変なことだ。一人で、出来るだけ誰にも気づかれないよう成し遂げなければならない。


 「お、緋山。今日は一緒にかえ──」


 「すまん! ちょっと用事がある。また明日な!」


 数少ない友人の優しさをはねのける辛さを噛みしめながら、昇降口に急ぎ上履きから革靴に履き替える。

 学校の敷地から外に出るが、向かう先は自宅ではなく駅前。放課後の寄り道は事件のこともあり禁止されている。なので速やかに、誰にも見咎められないよう急ぐ。


 浪間駅の前までやってきた。浪間市自体はそこまで都会ではない。だが駅前は一丁前に栄えている。田舎の都会、といった表現が似合う街だ。

 目指す先は線路の高架下にあるアニメショップ。

 ただでさえ寄り道が禁止されているのに、野田とこんな店には入れない。あいつもアニメや漫画には理解があるが、俺みたいなコアなファンではない。俺の趣味に付き合わせるのも悪いし、というかそもそも、俺の趣味をあまり知られたくない。


 店内に入り、目当ての本を見つける。今日は俺の好きなラノベの新刊発売日だった。ついさっきまで忘れていたなど、我ながらぼーっとしすぎだ。素早く本を手に取り会計をすませる。


 「ありやとやしたー」


 気の抜けた店員の挨拶をしりめに退店する。

 新刊ゲットの嬉しさで足取りが軽くなり、つい「ここで読んでしまおうか」なんて考えるが流石にそれはまずい。見られないようバッグに仕舞って家に帰ろう、としたその時。


 「ラブ☆ラブ……ハーレム……大作戦?」


 歩みが止まる。急に本のタイトルを読まれて驚いたのはもちろんだが、何より聞いたことのある声だったからだ。おかしい。ここにいるはずがない。なんでタイトルを声に出して読み上げた。俺を(社会的に)殺したいのか?


 「この時代ではハーレムが人気なのか? まったくふしだらだな」


 「ちょ、ちょっと待て。なんでだ。なぜお前がここにいる!?」


 実に見覚えのある女がそこにいた。金髪ゴスロリの怪しい女。彼女はじっと、俺の持つ本を見ていた。これ以上見られたくないので、サッと仕舞う。


 「お前、ではない。私はイグニスだ。名前で呼べ」


 いぐにす。分かっていたが日本人の名前じゃない。髪色や顔立ちからしてもそれは明らかなのだが、じゃあどこの国の人なのかと考えても全く見当もつかない。


 「なぜって、それはキミが逃げ出すからだろう。私が話してる途中なのに失礼だぞ。怒ったから、今日は学校からキミをつけてきた」


 「つけてきたって、そんな……」


 完全にロックオンされている。どうして俺が狙われなくちゃいけないんだ。個人のプライベートとかガン無視じゃないか。


 「そもそも聞きたいのはこっちだ。なぜ私から逃げる。私はキミの味方だぞ」


 「そりゃ怪しいからだよ! こんな変な恰好した金髪の女に、私といますぐ契約してくれませんか、なんて言われて警戒しない奴はいない!」


 「あ、怪しい……!?」


 どうやら怪しいという言葉にショックを受けたようだ。イグニスは自分の服装や髪をしきりにチェックし始めた。浮いてる自覚はなかったのか……。


 「確かに、よく見れば皆黒髪か茶髪だな。この服は可愛いと思って選んだが、どうも目立っているようだ。視線を浴びるなとは思っていたが、怪しいと言われるほどとは些かショックだ」


 ああよかった、ちゃんと自覚してくれたらしい。確かにその服はよく似合っているが、この田舎の都市部には不釣り合いだ。これでちゃんとした服を着てくれるといいんだが。何なら、近くの服屋を教えてあげようか。


 「ま、いいか。私のお気に入りだしな。目立つのも嫌いではないし、視線には慣れている」


 よくない!


 「とにかく、どうして俺を追う? ほっといてくれないか? 邪魔しないでくれ」


 「昨日から言ってるだろ、契約だ。まずキミの名前を教えてくれないか」


 ……なるべく個人情報は漏らしたくないが、名前ぐらい名乗らないと話が進みそうにない。仕方なく、しぶしぶ彼女に従う。


 「緋山修二だ」


 「修二か、わかった。私は、修二と契約するためにここに来たんだ」


 どうして下の名前で呼ぶ。家族ならいざ知らず、他人に呼ばれることなんて滅多にないから体の奥の方がムズムズする。


 「契約というのは簡単なことだ。修二は私と契約し、正式な契約者となる。そして私が渡す力で、侵略者を欠片も残さず消し飛ばすんだ」


 「し、侵略者?」 


 全く現実味がない。相性とかなんとかよく分からないし、なんだよ契約者って。侵略者も意味が分からん。エイリアンが攻めてきてるとでも言うのか?


 「えーっと、俺以外じゃ駄目なのか」


 「駄目だ。相性というものがある。私では、おそらく修二以上に相性のいい契約者は見つけられない」


 俺をからかっているわけでも、冗談を言っているわけでもなさそうだ。しかしあまりに急な話に頭がついて行かない。


 「詳しい話をしたいところだが、修二」


 イグニスは急に真剣な顔になる。なんだ、俺が何かマズいことでもしたか?


 「……なんだよ」


 「お腹がすいた。何か食べさせてくれ」


 危ない危ない、まるで漫画のようにズッコケるところだった。今大切な話をしてたんじゃないのか? 急に腹が減ったって、そんなこと言うか?


 「知らん! 自分で何か買って食えばいいじゃないか」


 やはり信用ならない、ここまで話を聞いて損した。家に帰ろうと歩き始める。


 「ま、待て修二、急に白けた目をするな。私は金を持ってないんだ!」


 絶句。金を持ってない? 本気か?


 「それ、今財布を持ってないって意味だよな? まさか本当に一文無しってわけじゃないだろ」


 「本当に一文無しなんだよ、修二。あ、あれ美味しそうだな。アイスクリームっていうのか」


 駅前から少し外れたところで、イグニスはアイスクリームのチェーン店を指さした。アイスは腹の足しにならないだろ、というツッコミすらする気力がない。


 「どうして俺がお前のアイス代を払わなくちゃいけない。俺だって金はそんなにないんだよ。お前に買うぐらいなら、自分の分だけ買うね」


 「いいじゃないか、少しぐらい。修二のケチ」


 彼女の顔が少しだけふくれる。な、なんて我儘だ……。そもそも自分の金を持ってないのがいけないのに、腹が減ったから金を出せと人に頼み、出さないと言えばケチ呼ばわりとは……。普段激しい感情の起伏がない俺でも、段々腹が立ってきた。なぜ罵倒されているんだ俺は。


 「あのな、お前……」


 「食べたことないんだ。試してみたくなるだろ?」


 「──え?」


 「だから、食べたことがないんだ。あれは冷たい食べ物なのか? 味はどんなだ? 随分とカラフルな色合いの食べ物だな」


 食べたことがない、だと? これは怪しいを通り越しておかしいの域に入ってきた。

 現代で暮らしていて、一文無しで、アイスクリームすら知らない? 貧しい国の話ならともかく、この日本で生きていてそんなことがあるか? ものすごく貧しい家庭だったりするのか?


 少し考え込む。このイグニスと名乗る女の子は、明らかにおかしい。実はまだ、彼女のことを頭の少しアレな人かと考えていた。だがどうも様子が違う。

 彼女は彼女なりに本気で、契約とやらのことを話そうとしていた。それを拒み、理解をしないようにしていたのは俺だ。腹が減ったと言ったが、一文無しなら長い間なにも食べていないんじゃないのか? そんな女の子を無視して家に帰っていいのか?


 段々と罪悪感が湧いてきた。さすがにこのまま放置はできない。

 アイスじゃ腹は膨れないし、どこかファミレスとか寄って行ってもいいかもしれない。落ち着ける場所で、詳しく話を聞こう。残金は……うん、なんとか足りそうだ。


 「わかったよ、イグニス。何か食わせて────」


 振り向くと、彼女の姿はなかった。



 「おい、イグニス?」


 声をかけ辺りを探すが、見当たらない。俺のことを諦めてどっか行ったのか? そんな馬鹿な、あんなにしつこかったのに。


 「…………!」


 通りの横から伸びる裏路地から、声が聞こえた。かすかな声だったが、間違いなく彼女だと直感した。


 「イグニス?」


 声の主を捜して裏路地に踏み込む。


 ────べちゃり。


 すると、足元に妙な感触がした。

 右足を上げると、ガムのようなものを踏んでしまったのか、何かが白い糸を引き靴底にくっついている。


 「んん?」


 時は既に18時を回り、明かりのない裏路地は暗くてよく見えない。スマホを取り出し、ライトを点けてみる。

 映し出されたのは、白いレースと絨毯で飾られた裏路地だった。

 いや、白いレースでも絨毯でもない。蜘蛛の巣だ。蜘蛛の巣が、壁や床を余すところなく埋めている。どうやら右足は、床に敷き詰められたその一部を踏んでしまったようだ。


 「うわっ……」


 思わず声が漏れる。日常ではまず見ることのない光景、非日常的なそれは、本能が恐怖を伝える。

 この先に進んではいけない。

 脳のどこかがそう訴える。だが、イグニスのことが気になった。彼女はこの先にいるのか?


 意を決してさらに踏み込む。靴底に張り付いた蜘蛛の巣は、中々取れてくれない。絨毯は歩みを進めるごとに絡みつき、物理的に足取りが重くなっていく。

 足元ばかりに気を取られるわけにはいかない。白いレースが裏路地を塞ぐように張り巡らされ、かがんで避けていかないと上半身も蜘蛛の巣まみれになってしまう。

 路地裏はL字の形をしているようだ。一歩一歩進んで行くと、曲がり角があった。ここまで来て引き返せない。嫌な予感を振り払い、スマホの灯りで曲がり角の向こうを照らす。


 「イグニスッ!」


 曲がり角の先の通路も同じく白い飾りつけがされていた。だが通路の奥でわずかに、蜘蛛の糸によりぐるぐるに巻かれたイグニスが見えた。


 きちきちきち。


 きちきちきち。


 妙な音がする。それは、壁や床からのものだった。わさわさと暗闇で何かが蠢く。スマホの灯りをそちらに向けたかったが、手が動かなかった。

 本能が警告する。引き返せ。まだ間に合う。“それ”を見るな。


 理解していた。蜘蛛の巣なんだ、そこにいるものは決まっている。だけど認めたくなかった。主はたまたま不在で居ないんだと、そう思いたかった。

 裏路地の空から差し込む細い夕日が、壁にいるものを照らす。そこには、8本足の怪物がいた。


 「あ……」


 何か言おうとしても、言葉にならない。なぜならそれは、あまりにも衝撃的だった。その怪物は、全長がおよそ俺の腕の長さ以上にあったのだ。

 話に聞いていたよりは小さいにしろ、些細な問題だ。それが、何十匹と通路を埋め尽くし動いているのが分かる。少しづつこちらに近づいてきていることも。


 不意に、学校で昨日、藤音が話した内容を思い出す。モスマンだっけ? こんなデカい蜘蛛がいるんだ。足の生えた蛾がいたって、不思議じゃないな。


 「修二! 逃げろ!」


 イグニスの声で固まっていた思考が引き戻される。そうだ、じっと見ている場合じゃない。動かなければ。手を、足を、動かさなければ。

 学校指定のバッグを床に落とし、中から必要な物を取り出す。走り出すには邪魔だ。バッグはここに置いていこう。


 「修二!」


 「分かってるよ!」


 大蜘蛛が迫りくる。だがそれを無視して、思いっきり走り出す。行く先はもちろん、イグニスの元だ。


 「馬鹿っ! 私のことは放っておけ!」


 「馬鹿はそっちだ。俺が、お前の言うことを聞いてやると思ったか?」


 靴底に大量の糸がくっつき、すぐに走るどころか歩くことが精一杯になった。まるで深い沼に足を突っ込んだようだ。進むごとに沈んでいく。

 そうして糸に足を取られ転倒する。蜘蛛はそれを待っていたのか、一斉に動き出し獲物を殺そうと牙を鳴らす。


 だがそんなことは承知の上だ。転倒と同時にその勢いで革靴を脱ぎ、もう一度起き上がり今度はジャンプする。胴体を地面につけて転ぶともう起き上がれない可能性があったので、両肘を地面につけ接地面を少なくしておいて正解だった。


 「何が何だか分からんが、こんな蜘蛛の大群の中に、しかもアイスクリームすら食べたことがないっていう女の子を、置いていけるかよっ!」


 連続でジャンプして進んで行けば床の糸に足を取られる心配は少ない。代わりに、宙に張られた巣にぶつかり身体全体に糸が巻き付いていく。

 しかし、それには地表を歩いたところでぶつかってしまうものだ。恐らくはこれが最も効率的な進み方だった。


 「うおっ!」


 イグニスの元まであと少しだったが、空中で急にバランスを崩し、着地ではなく落下する。左手に持っていたスマホも落とし、糸に絡まれながら俺とイグニスが照らされる。

 自分の身体をよく見てみると、身体に巻き付いた糸が束ねられ、強靭に壁と俺とを繋いでいる。だが、イグニスの眼前までは辿り着けた。


 右腕が彼女に届くことを確認し、ここまで持ってきた右手のカッターナイフから刃を出す。イグニスは俺ほど糸に巻かれていない。カッターナイフで彼女と壁の間の糸を断ち切れば、この女の子だけは逃げられるかもしれない。


 「大人しくしてろ、今助けてやる……くそ! 糸が思ったより硬い!」


 刃がうまく糸に入らない。大蜘蛛の糸だ、普通の蜘蛛の糸とは硬さも粘度も違うのだろう。


 「修二、キミは私が思ってたより馬鹿だな!?」


 「な、なんだよ馬鹿って!? 人がせっかくお前を助けに来てやったんだぞ!」


 やれやれ、といった顔で笑われる。え、なに、ここ笑われるとこなの?


 「キミの後ろから、蜘蛛が追ってきているぞ。私たち二人まとめて頂くつもりだ。仮に私だけ逃げられても、キミは食われて死ぬ。それでいいのか?」


 「まぁ、そうだな。俺だって死にたくはない。でもお前を見捨てて逃げたら、きっとこの先一生後悔する。そんな人生を送るなら、ここでお前を助けて死んだ方がマシだ」


 「──────」


 イグニスは面食らったような顔をした。確かに、ほぼ知らない他人に命を懸けるのはおかしく見えるかもしれない。なら、ハッキリ言ってやろう。


 「俺はお前、いや君のことを少しだけ考えてしまった。もしかしたら君は、この現代のことをよく知らないだけなんじゃないかって。だから話は嚙み合わないし、そんなに浮いてるんだろうって。でも、アイスクリームの美味しさすら知らない人生で終わるなんて、そんなものは見ていられない」


 背後から蜘蛛が這いよる音がする。イグニスの糸は、あと少しで切れそうだった。間に合えば俺の勝ちで、間に合わなければこれまでのことは全て無駄な努力だ。


 「最高だ、修二! やはり私の見込んだ通りだ!」


 イグニスは急に笑顔になった。暗がりに咲く一輪の花を思わせる。今まで見せたことのない表情に、少しドキリとした。


 「ああ、そうだ。それだ! 恐怖を押し殺し、死の影を踏み越え進んで行く! それこそ人間の正しい姿だ! 修二、契約しよう。契約が、私たちが二人とも助かる唯一の手段となった。もう嫌とは言わせんぞ」


 契約内容もよく知らないのに契約するのは大変よろしくない。だが、そうは言ってもいられなくなった。ならば仕方あるまい。


 「どうすればいい、イグニス!」


 「私の頬に手を当てろ。その右手を差し出せ」


 言われるがまま、イグニスの顔に触れる。人形のような見た目をしているが、ちゃんと温かい。あまり触ると壊れそうなので、そっと手を当てるに留める。


 「次だ。そのまま私の目を見ろ。ああ、もう他のことは気にするな。私の目だけ見ていればいい」


 イグニスの赤い瞳を見つめる。引き込まれるような、深い赤。大蜘蛛が足を這って来ているが、もう身体の感覚は意識の外だ。

 ただその瞳が美しくて。まるで宝石のようで。俺の世界にはイグニスしかいなかった。




 薄暮の空の下、暗い裏路地の中。大蜘蛛たちはざわめく。

 彼らもまた、本能的な恐怖を感じ取った。見つめあう男女をこれ以上なく危険な存在だと認定し、体内で生成した糸を大量に飛ばす。大蜘蛛二十八匹による同時の攻撃。


 糸は全てが絡み合い、川のような激しい流れで2人を押しつぶす。これがまともな人間相手に使われたなら、その人間は圧死するか窒息するか、どちらにせよ死は不可避だ。

 彼らの誤算は、男が契約者の素質を持つことに気付かなかったこと。油断し、すぐに殺さなかったことだ。だが、今更後悔してもとうに遅い。


 「────契約は此処に成った。目覚めよ契約者。そして告げよ、汝の名を」


 街の裏に出来上がった、巨大な糸の海から声がする。



 「──この身、この血を我が神に捧ぐ」


 「鋼を纏い、爪を磨き、炉心に火を入れよう」


 「我が祈りを以て今、敵を討つ牙を得ん」


 「変身──── アルゲンルプス!」



 次の瞬間、猛烈な熱と風が裏路地を吹き抜けた。白い海底より、恐ろしい獣が目覚めようとしている。

 噴き出した熱が大蜘蛛の糸を融かす。通常の蜘蛛の糸は、三百度までの高熱に耐えられるという。大蜘蛛の糸は特別製であり、その耐熱性も通常の数倍はあるというのに。糸は融けてほつれ、焦げた地面から金属の獣が立ち上がる。


 全身を構成する銀色の金属、長く伸びてしなる尾、獲物を狩る捕食者の目、どれも人間のものではなかった。

 端的に言えばロボット、機械仕掛けの人型の獣だった。




 変な感じだ。身体がやけに軽い。これが契約とやらの力なのか?

 今、俺の身体に何が起こっているのか分からない。だがやるべきことは分かる。


 俺はイグニスを左腕で抱えると、裏路地を逆走する。いや、正確には走ってすらいない。ジャンプ一回で先ほどの曲がり角の壁に着地し、壁を蹴って大通りまで戻った。

 自分でも驚くほどの身体能力だ。これはうまく調整しないと、細かい力加減を間違えてしまうかもしれない。


 抱えたイグニスをそっと下す。見た所怪我はなさそうだ。絡まっていた蜘蛛の糸も、熱で全てほどけたらしい。


 「美しい姿だ、修二。私のことはもういい。全て、悉くを殺せ」


 裏路地から大蜘蛛が湧きだす。熱風に巻き込まれ何匹かは殺したが、まだ大半は元気なようだ。ならば、イグニスの言う通りにしよう。

 この身体の使い方が自然と分かる。どうすればあいつらを片付けられるのか、俺がどんな力を持つのか。


 一歩踏み込み、右手で正拳突きを放つ。飛び上がって襲い掛かる大蜘蛛が消し飛び、衝撃波で後方にいた大蜘蛛もまとめてバラバラになる。

 もう一歩踏み込み、左足で蹴りを放つ。大蜘蛛を地面ごと抉り、同時に発生した真空刃が裏路地の壁に張り付く蜘蛛を切り刻む。


 ぐちゃ。ごしゅ。べちょ。


 ずしゃ。ぺきゃ。ぼしゃ。


 今やこの四肢は凶器だ。手を薙げばトマトを潰すように大蜘蛛は弾け飛び、足を払えばミキサーを使ったように大蜘蛛は細切れになる。


 裏路地に張られた蜘蛛の巣は、全て融けている。悠々と処刑場と化した道を進む。

 曲がり角の所まで戻ってくると、影に隠れていた気配が一斉に動き出した。何十匹という大蜘蛛が、全方位から俺に襲い掛かる。まだこれほど数を残していたとは予想外だったが、問題はない。


 「ビーム・クロー!」


 両手甲に内蔵された武装を起動させる。両手で合わせて10本の刃が、暗闇で煌めいた。

 瞬きする間に、光条は大蜘蛛を何度もなぞる。そして大蜘蛛は何をされたかも分からぬまま、体に引かれた線の通りにばらけて死んだ。


 全方位から襲い掛かった大蜘蛛に合わせ、光の爪を全方位に振り回した結果、無関係な壁や地面にも傷跡を残してしまう。……まあ仕方がない。もとより高熱に晒され痛んでいたんだ。今更手遅れだろう。

 戦闘の終了を確認し、ビーム・クローを停止する。さて、帰るか。


 と、その時トラックに引かれたかのような衝撃とともに、身体が強制的に裏路地から連れ出される。左腕と胴体がまとめて挟まれている。蜘蛛の牙だ。

 出たばかりの月明かりがその全容を照らす。


 全長十mはあろうかという超巨大蜘蛛が、そこにいた。今まで殺してきた大蜘蛛よりも遥かに強力な個体であることは、その大きさから十分推測できる。

 凶悪な顎で左腕と胴体を喰い千切ろうとしている。超巨大蜘蛛は頭を振り回し、俺の身体のパーツが軋み、悲鳴を上げる。残された右腕か尾で、なんとかこの状況を打開せねば。


 「修二、一撃で決めろ! そんな奴やってしまえ!」


 眼下でイグニスが、右腕で殴るジェスチャーをしている。テンションが高い。あんなやつだっけ?

 だがおかげで、この身体で使える最も高威力の技の使い方を理解できた。


 右手を貫手の形にすると、腕を直角に曲げ、構えを取る。右肘のパーツが展開し、ブースターがせり出す。右腕自体を巨大な槍、いや杭のようなイメージにするんだ。

 狙いをつけたらブースターを瞬間的に点火し、目の前の蜘蛛の頭に向かって思い切り突き刺す。蜘蛛の黒い体液か何かが噴き出し、身体にかかる。超巨大蜘蛛はさらに暴れ出し、顎の力を強めるが、俺の身体を真っ二つにするにはもう時間切れだ。


 「────フルク・ルクス!」


 蜘蛛の体内に突き刺した右手から、エネルギーを直に放出する。どれほど外皮が厚く外側からの衝撃に強い生き物でも、体内からの一撃に耐性がある生き物はいない。

 この蜘蛛も例にもれず、俺の右手から放たれた光の束は、蜘蛛の身体をまっすぐ貫通し体内から爆散させた。

 顎の食い込みも外れ俺は空中で放り出されたが、回転しながら地面に着地する。



 静寂。

 街はずれの通りは、普段通りの沈黙を取り戻す。俺は金属から元の肉体へと変化する自分の身体を見つめ、ぼうっとしていた。


 「やったな、修二。これほど適合するとは……。喜べ、私たちの相性は抜群だ!」


 いつの間にか、イグニスが隣で笑っている。


 「助かったんだな、俺たち」


 未だに実感がない。イグニスを助けに行くとき、死は覚悟していた。だが、死んだのは向こうだ。


 「助かった、とはずいぶんと遠慮がちな表現だな。キミは誰かに助けられたんじゃない。私たちが、自分の力で生き延びたんだ」


 「俺の、力で……」


 「修二だけの力じゃないぞ。契約者と私はもう一心同体だ。私と、修二が揃ってこそ初めて力が出せる」


 「そうか……。とにかく、よかった、な────」


 膝をつき地面に倒れこむ。もう目も開けていられなかった。ただならぬ疲労が全身を襲い、意識は深い闇に落ちていく。


 「修二! おい、どうした。しっかりしろ!」


 イグニスに身体を揺さぶられる。だが、俺の意識は限界だ。起きることはない。


 「ああ、少し無茶をしたな。エネルギーの供給が十分じゃないのに、あんな大技を使ったんだ。わかった、今は眠るといい。……ところで、修二の家はどこだ? 私は修二をどこに運べばいい? 橋の下でいいか?」


 よく、ない……。

 が、そう答えることもできず、意識は今度こそ完全に沈黙した。

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