第40話 やっと一息


「私はジーク・フォン・バルタザールだ」



切れそうな雰囲気を纏う赤髪の男、ジークは高みからレンを見下ろしている。


目の前の子供はどういう人間か。思想、心理。有害か無害か。表情、仕草、言葉、すべてを見透かすかのように余さず観察していた。


そこに侮りは、ない。


レンは顔が歪みそうになるのを必死にこらえていた。鋭い視線に首のあたりがチリチリして、握った手に汗が滲む。自分の首筋に牙を突き当てる蛇の幻覚を覚えた。


「は、初めまして。レンといいます」


テーブルすれすれまで頭を下げる。 

冷や汗が背中のシャツにびっしりと張り付いてきた。呼吸の仕方を忘れたかのように息が荒くなる。だめだ。耐えられない。この人の目を見続けることができない。


対して相手は余裕をもって構えている。苦手だ。堂々と、自信にあふれた振る舞いを見ていると、動揺するしかない自分の浅はかさを見せつけられている気分になる。


「顔を上げてくれ。君は恩人だ。冒険者に細かい礼儀を求めるつもりもないから、固くならないでいい」

 

 無理に決まってんだろ。


「君の治療を我がバルタザール家が受け、この屋敷で療養してもらったのは今回の件についての確認とお願いがあるからなんだ」


首をかくかくと縦に振る。


それは断れるお願いなんでしょうか、なんて聞かない。言える空気でもない。


「まずは確認から。緊急クエストで何があったか、君の視点から教えてくれるかな?」


ジークは足を組んでレンに問いかける。


まるで取り調べを受けている気分だ。カツ丼が出なくたって、なんだって吐いてしまう。


依頼を受けてからのことを洗いざらいすべて話していく。


ジークが「ふむ」とか「ほう」などと言う度に何かおかしなことを言ってないか気が気じゃなかったが、何度か口ごもりながらも、アダハ森林であった事を無事言い終えることができた。


ジークは顎に手をやりながら考え込むように聞いてから、軽く頷いてこちらを見た。


「うん。だいたい私が持つ情報と一致するね」

「あの、何か事件でもあったんですか?」


そうだ。まるで犯罪が起きた時みたいだ。ただ魔物に襲われて、死にかけただけじゃないのか。


「君に頼みたいことはそこなんだ」

「……なんでしょうか」

完全にペースを握られているが、それはいい。問題は何をお願いされるか。その内容、返答次第ではこの場で殺される。レンは本気でそう思っていた。


ジークの表情から笑みが消して口を開いた。


「君の活躍をなかったことに。つまり、私の娘がワイバーンから君を助けたことにして欲しい」



…それだけ?



いや、油断するな。何か裏があるかもしれない。安易にうなずくべきではない。どこか落とし穴はないか。情報が全く足りていない。


レンは恐る恐る、探るように聞いていった。


「活躍をなかったことにっていうのは、どういう?」

「端的に言えば、この緊急クエストでの君の戦果がオーク一体だけということになる。

冒険者ギルドからの評価と報酬もその分しか出ない。ワイバーンを戦果に含めれば君はCランクになり、報酬は最低でも金貨四十枚、そしてワイバーン殺しの栄誉を得ることができるだろう。それを無かったことにしてもらう」


レンは息を呑んだ。


金貨四十枚。この金額はでかい。これだけあれば、贅沢をしなければ3年は暮らしていくことができる。それに冒険者ランクがCランクになれば、一回の依頼に稼げる金額も増えてもっと楽ができるだろう。ワイバーン殺しの名誉は、正直ほしいとは思わないがどこかで使い道があるかもしれない。


「この話を断った場合、その、どうなりますか」

「どうもしない。断ったからと言って私が君に何かするということはないよ」


一見、この話は断ったほうがよさそうに思える。金貨四十枚あれば、義務である一年間だけ冒険者を続けた後はどこか別の、安全な場所で就職してリンとつつましく暮らしていけるかもしれない。何もしないというジークの言葉も、本当かどうかはわからないがレンが見る限りうそを言っているという感じでもない。


なぜレンがリリエールに助けられたことにしたいのか、それは聞きたいが、聞いていいことかがわからない。娘に戦果を譲りたい、という感じでもなさそうだ。


「ほかに何か聞きたいことはあるかな?」

ジーク表情は変わらない。だが、長々と時間をとるのもどうか。


レンは一度深呼吸した。何か見落としはないか。この選択で合っているのか。正直、自信はない。それでも覚悟を決めてはっきりと答えた。


「この話を、受けます」

「ほう」


ジークの目がさらに細められる。これはどっちだ。その反応からはわからない。ただ目力が強くなっただけだ。やばい、泣きそう。思わず目をつぶりそうになる。


逆流した胃酸に喉がひりひりした。


「どうしてか聞いてもいいかな?」


ふざけんな。


思わず睨みつけそうになるのを必死にこらえる。落ち着け。ここで敵対すれば終わりだ。深呼吸しろ、深呼吸。


「俺、私がリリエール、様に助けられたのは事実だからです。あの時、リリエール様がワイバーンを倒さなければ地面に落下する前に私は殺されていたでしょう。そしてそもそも、私にワイバーンを倒す実力はありません。過ぎた評価を得たところで、身を滅ぼすだけです。実際の事実と自身の身の程を考えたうえで、この話を受けました」


話し方が子供らしくないだろうか。けど、礼儀を逸して不興を買うよりは良い。ジークは多少驚いた表情をしているが、それだけだ。


この話を受けようと思ったのは、これだけが理由じゃない。


まず、何か事件があったのかという質問に答えてもらっていない。上手くはぐらかされたが、もしレンが知らない事情があったとすれば。それに巻き込まれる可能性がある。そしてその危険性はワイバーンを殺した少年として目立てば上がると考えられる、と思う。


それに、何かすることはない、という言葉が気になった。裏の読みすぎかもしれないが、私以外がレンたちになにかするかもしれない、という意味にも取れる。


足りない頭を必死に回して考えた。これでだめなら、もうどうしようもない。


無言が空間を支配し、精神が限界を迎えようとする数秒前、ふっ、と空気が軽くなった。


ジークから噴き出していた威圧感がなくなる。


「ありがとう。君がこの話を引き受けてくれて助かったよ。ああそうだ、試すような真似をしてすまなかったね。貴族になると色々あるから、慎重にならざるを得ないんだ」

「…いえ」


それでここまでするのか、と思わなくもないが何も言わない。言い返す気力もなかった。


「レン君」

「……はい」

「エリーを助けてくれてありがとう。君がいなかったら、私は大切な娘を失っていた」


ジークは頭を下げてそう言った。


一瞬、何が起きたのかわからなかった。エリー。リリエールのことだろうか。呆然とする。自分よりも地位も年齢も上の人間が頭を下げる。レンにとってそれは、どう考えてもありえないことだった。


「あ、頭を上げてください。むしろ俺が。その、こちらこそありがとうございます!」ジークよりも深く頭を下げる。動揺して俺と言ってしまった。


それがよかったのかは分からないが、ジークは頭を上げて、それから小さく笑った。


「そんな慌てなくていいのに。でも、君には本当に感謝しているよ」


その言葉がなぜか本心だとわかって、リリエールを大切に想っていることが伝わってきた。


「無事でよかったです」


力が抜ける。レンは緩んだ笑みを浮かべてソファに身を預けた。


やっと一息ついた。

それが致命的だった。

ジークはそういえば、と明るい声で言った。



「エリーを後ろから抱きしめたんだって?」





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