思い出のおもちゃ箱
森内 環月
ダルマさんがころんだと自由作文について
第一話
ダルマさんが転んだと自由作文について
一
学校の授業や作文の宿題で、自分について書きなさいとか、自分の考えを述べなさい、なんて言われてきました。
けれども、そう聞かれる度に私はいつも考えてしまうのです。感想とはなんでしょう。自分の考えってなんでしょう。
私がまだ幼いときでしたから、まだ小学校の一、二年生の頃でしょうか。
何の授業だったのかはもう、忘れてしまいました。縦文字の教科書でしたから、きっと国語だったのでしょう。
教科書で学んだことについて自由に感想を書きなさい。そう言われたのだと思います。
ところで、まだ幼かった私は「自由」という言葉が好きでした。
自由帳に自由時間、自由自在に、自由人に、自由が丘。自由という名がつくものにたいそう魅力を感じておりました。自由、という言葉は言葉の響きからしてもステキで、何だかウキウキしてあちらこちらをスキップしたくなるのです。
おとな、という分類に属してしまった今の私からすると、『自由』という名の、底カカオのチョコレートのような魅惑にどっぷりとはまっていた幼いころの自分を思い出すたびに、苦笑いを浮かべてしまいます。
おとなになり、自由を少しずつ手にしてきた私はいつの間にか気づいてしまっていたのです。
自由とは、悲しみと孤独です。
感想を自由に書いていいと言われた幼かった頃の私は、文章に一度しか登場しなかったうさぎのことについて書きました。せっかく、文章に登場できたのに一度しか出てこないなんて、とでも思ったのでしょうか。
わかりません。
ともかく私は、内容に関係のない、ひどい言い方をすれば、文章に出てこなくても内容的にも、まったく差し障りのない、うさぎについて考えて書きました。
一生懸命書きました。
運の悪いことに、担任のさくら先生は子どもたちにそれを提出させ、そのコピーをしたものを教室の後ろに貼り出しました。もちろん、さくら先生の赤ペンでのコメント付きです。
先生は優しい方でした。
ええ、先生は本当に良い方だったと思うのです。
貼り出されていた子どもたちの紙の下の方には先生の赤ペンが1、2行並んで、遠くからでも、インクの赤色がよく映えました。その中でも、赤ペンがとりわけ目立ってギッシリと綴られているものがありました。クラスのみんながそのたくさん赤ペンの文字がある方へわっと集まります。
そんなにたくさんの文字があるのはきっと出来がよかったものに違いない、いやいや、反対に何かとんでもなくひどいことを書いてそのことを怒られているんだ、とわいわい、がやがや言いながら。
おおかた、もうお分かりかと思いますが、この長い赤ペンのコメントを書かれていたのは私でした。内容の感想に全く触れず、うさぎの話題ばかりを書いている私を一生懸命コメントしようとしたあとがそこには、ありました。
そのとき、学年で一番偉いというナカノ先生が廊下を通りかかりました。今から思えば、学年主任という立場だったと思うのですが、当時の私からするとどうして教えている生徒が一人もいないのに、そんなにエラそうにしているのかしらん、と思っていたものです。(生徒が多い=エライ先生だと考えていましたから。)
この口調からお察しかと思いますが、私はこの学年主任の先生があまり好きではありませんでした。けれども、それはきっと私だけではなかったと思います。
私は、ナカノ先生が決してどなって怒ったりしたことを見たことはありません。むしろ他の先生よりも寡黙なくらいでした。
けれども、ナカノ先生が近づいて来ると、みんな授業中はもちろん、休み時間でさえもおしゃべりをピタリとやめました。
騒いでいる子どもたちの間を、何をしているんだ、とナカノ先生がこちらに来ます。そして、赤ペンの文字でびっしり書かれた感想文を見つけてじっと読み始めました。
その間、子どもたちはナカノ先生が今にも怒り出すに違いないと、みんな何も喋らず、まるでダルマさんがころんだ、をやっているみたいに、誰も動きませんでした。
私はこれまでにないほど自分の心臓がばくばくとしていることに気がつきました。指先に視線を落とすと、こちらもプルプルと震えています。私は自分の心臓の音がどうぞナカノ先生に聞こえていませんように、と切に願いながら、やはり、みんなと同じようにじっとして動きませんでした。
感想文とはいえども、一・二年生の書いた感想文の量はたかが知れています。ナカノ先生はすぐに読み終えました。そして、これを書いたのは誰かな、と聞きました。
ナカノ先生は怖い先生です。だからみんな何も言いません。
でも、みんなは正直です。すぅーっと私の方を音もなく振り向きます。
そのとき、私は友だちの顔がまるで、にほんむかしばなしに出てくる、のっぺらぼうのようだと思いました。みんな知っている顔なのに、表情がなく顔がつるつるしているように見えました。
誰も何も言いません。私は震える声で言いました。
「…あの、それ」
「ああ、カンザキさんが書いたのか」
私はびっくりしました。まさか私の名前を知っているなんて思ってもみなかったのです。私は大慌てで謝ろうと思いました。なんだかとても悪いことをしたような気がしたのです。
けれども、その音はチャイムのなる音でかき消されてしまいました。
「ほら、チャイムなったぞ。早く席に座りなさい」
ナカノ先生はそういうと、さっさと教室を出て行ってしまいました。
あとには、まだダルマさんがころんだ、の続きをしているようなみんなと、それに負けた私が取り残されました。
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