第18話 鬼さん、こちら。罪なかくれんぼ。
茜色の景色と太陽が山に隠れ、ぐんぐん暮れなずむと、森の奥から化け物の咆哮がした。
鬼が
かくれんぼしようって誘うんだ。
わたしを呼んでいる。
『
「早く来てよ。わたしは、かくれんぼは
わたしは隠れるのが上手すぎたかな?
でも、いつまで待っても鬼は来なかった。
なかなか来ない。
わたしの頭上に見える立派な桜……、老いた大樹がほうぼうに伸びた枝からハラハラと花びらを散らしていく。
あー、すっごくすっごくお腹が減ったよ。
もう帰ろうかな?
『だめだ、帰っちゃならん。お前は一人きりで村に帰っちゃならん――』
「誰も迎えに来てくれない」
『俺がいる。俺を連れて行け。見つけてやるから、そこで待て』
屋敷では兄上さまたちが待っているんだ。
わたしは早く帰らなくっちゃ。
『お前の周りの者たちはお前に冷たいではないか。鬼は、鬼の我らならお前を悪いようにはしない。ただ……』
――ただ?
『魂を喰われたくなかったら、村に一人で帰ろうとするな。そこは人間のお前が居るべき場所じゃねえよ? 神隠しにあったら普通は戻れねえんだ。俺が戻してやる』
見つけてくれるの?
迎えに来てくれるの?
いつ?
ねえ、いつ?
わたしは自分の屋敷に帰りたいのに。
あったかい居場所に早く帰って兄上さまたちとご飯を食べて、笑って……。
一緒のお布団で眠るんだ。
寝る前には、兄上さまはわたしにお伽草子を聞かせてくれる。
わたしは、かくれんぼが上手すぎて鬼に気に入られたの?
……いつ、来るの?
早く迎えに来てよ。
置いてかないで。
待って、わたしはここだよ?
助けて!
わたしはここにいるんだ。
どうか誰かわたしを見つけてよ……。
もうっ、鬼でも誰でもいい!
兄上さま、兄上さま、
助けて、早く。
鬼が、鬼の子たちがわたしを呼んでいたんだ。
かくれんぼしよう! って。
遊びに誘われたのは、人の子じゃなかった。
気づくのが遅すぎたんだ。
わたしを誘う声には逆らえない妖しい力があって。
鬼の子たちの魂は、ニカニカ笑う。
わたしは、手を取り強い力で握られ掴まれ連れて行かれる。
どんどんずんずん森の中を進む鬼の子たちには逆らえなかった。
鬼さん、こちら、わたしはここだよ。
『頼政、頼政。お前は俺だ。最強の鬼になったんだ。もう誰に気遣うこともない』
わたしがお前で、お前がわたし?
その瞬間、わたしの心に鬼が棲んだ。
「どこだ、頼政ー!」
兄上さまの声!?
ああ、兄上さまの声だ。
わたしはここです!
兄上さま、わたしはここにいるのです。
声は遠ざかる。
兄上さまの声は聞こえなくなる。
わたしの声は届かなかったに違いない。
広がる絶望、ぜつぼう、ゼツボウ……、心にいっぱい湧き上がって、暗く淀んでいく。
お願い……。
寂しいよ、おなかが減ったよ。
喉が乾いたよ。
春の日暮れ……かくれんぼ。
一日め、二日め、次の日、また次の日、今夜は思いのほかゆっくりと静かに濃く深い夜になっていく。
あ、れ――?
ここはどこ?
どこに来たんだろう?
始めにかくれんぼした場所じゃないよ。
なんでだ?
もう喉は乾かないし、お腹も空かない。
どうして?
ねえ、どうして?
『今宵は夜が長そうだ。ハーッ、ハッハッ。ようやく手に入れたぞ! 待ち望んだ、俺が手に入れた純粋な邪悪を抱えた子供だ』
心細いよ、じぶんの中から何かの声がする。
違う、わたしの来てほしかった人たちの声じゃない。
でも、もう、……良いんだ。
わたしを君たちが連れて行ってくれるんだろう?
早くここから出してよ。
もう、こんな昏い狭い場所にいるのなんて耐えられない。
君たちが助けてくれるの?
いいよ、鬼になるから。
お願い、わたしをここから連れて行って。
『兄の蔵之進を斬れ――!』と鬼の仲間がわたしに言った。
鬼たちはわたしを崇め、そしてみんなが
かくれんぼしようって言われただけなのに、わたしは
「頼政ー! どこだ頼政ー!」
憎い、憎い、憎い、憎い。
兄上さまはわたしの好きな人を全部奪っていってしまうから。
母上様、父上様、ああ、それから……
わたしの好きになる人はみんなみんな、兄上さまを一番好きになる。
「頼政は蔵之進の次にな」
「お前は次男だから、
兄上さまが大好きだ。
だが、……兄上さまが大っきらいだ。
わたしの胸の奥に鬼の大嶽丸が宿り眠る。
『お前のなかはかっこうの隠れ場所だ。俺は眠る。その時が来るまで。お前が兄を斬りたいと願ったら、俺が斬ってやるさ。かくれんぼをしよう、なあ? 頼政。お前は俺の隠れ家だ。頼政、お前の純粋な憎悪は俺の好物なんだぜ……』
鬼さん、こちら。
手の鳴るほうへ。
……鬼さん、こちら。
鬼はわたしのなか……。
◇◆◇
「うわあっ!!」
僕が飛び起きると横でハクセンとシグレが正座をして僕を覗きこむように見ていた。
満願寺の広い座敷にみんなで泊まりに来ていたんだった。
男女で別れて寝ていたはずだったけど。
「雪春、大丈夫か? めっちゃ、うなされていたぞ?」
はあ、はあと肩で息をつく。
ぐっしょりとパジャマが濡れている。
「ハクセン! なんで……?」
妖狐の里から来たハクセンも今日は満願寺に泊まっていて、しばらくはおじいちゃんの家に居候するといって聞かなかった。
「雪春を黒い妖気が包もうとしていたから、心配でね。駆けつけてきたんだよ……って隣の部屋からだけど」
「夢を見た。生々しい感触が、恐怖が……伝わってきた」
あれは夢、なのに。
だけど、ただの夢じゃない。
「雪春、その手どうしたニャン? 痛むのかニャ?」
虎吉が心配そうに僕の膝の上に乗ってきて、手首を舐めだした。
僕の手首にはくっきり誰かに強く掴まれた手の指の跡があった。
「うーん。……もしかしたら雪春って夢の妖力持ちかもね」
「えっ?」
「それってどうゆうことニャン、ハクセン?」
ハクセンが美しく迫力のある顔で眉をひそめた。すると仄かに狐火の炎がハクセンの背から湧き立つ。
それはとてつもなく綺麗で、けれど妖艶な炎だ。
ハクセンが指を動かすと狐火は、僕の周りを箒の形になって埃を履くようにしていく。
「ボクが禍々しい妖気は狐火で祓った。満願寺は結界が張られていたはず……うーん、綻びから侵入したか。……雪春は妖怪や困ってる者や弱い者と、とても共感共鳴しやすいのかもね。だから夢で意識が向こうと繋がってしまう」
「……それってどうなんだ。悪夢をしょっちゅう見るようになっていたら辛いよな、雪春?」
僕の体が震えてきた、……勝手に。
「雪春、大丈夫か? 悪寒がするのか?」
「ああ、うん。ゾゾッと寒気がして……鳥肌が立つ」
心配するシグレが僕の背中をさすってくれた。
僕の手を取り、ハクセンが手首に出来た痣のような傷を眺めている。
「その痣、何なのニャ?」
「くんくん……鬼の妖気がしますね」
犬神の豆助が満願寺の雨戸を開けて入って来た。
妖怪化け狸のポン太も一緒に。
二匹はおじいちゃん家で留守番をしていたけれど、異変に気づいて駆けつけて来てくれたんだって。
「雪春のこの痣は大嶽丸か頼政の怨霊の霊障だろうね。夢を通してだから実体がない。……頼政は夢で助けを乞うていたんだね?」
僕はあらためて夢の出来事を話して、みんなに聞かせた。
「頼政さんは子供だった……」
「雪春、聞いた話では蔵さんを斬ったのは大人になってからだったよな?」
「うん、そう聞いてる」
武士だった蔵之進さんが死んでしまい、桜の木のあやかしになったいきさつ。
ずっとずっと遠い昔、江戸時代あたりの話――。
「その
「きっと飼っていたのは大嶽丸の方ニャン」
頼政さんが蔵之進さんを斬ってしまったのは、宿った大嶽丸が命じた……から?
「なんで蔵さんの親戚でもない雪春が繋がったのニャンか?」
「まあ、雪春は要は優しいってこと! 雪春を攻撃しようとした僕のことだって、君は危険をかえりみずに抱きしめてなだめてくれた」
「まっ、雪春は自覚がないかもだけど無謀なんだよな〜。自分より他人が大事って良い時もあるけど、雪春は自己犠牲がすぎるから、あやかしから狙われるんだよ」
僕はこの日からたびたび同じような夢を見た。
蔵之進さんの弟の頼政さんと大嶽丸の夢を――。
そこにはいつも何かの感情が渦巻いていた。
時に怒りが、時には哀しみが……。
僕は悪夢にうなされるようになった。
だが、その度に僕を心配してくれる誰かが、不穏な妖気を払ってくれた。
僕は一人じゃない。
ありがとう、みんな。
僕は一人じゃないけど、鬼になった頼政さんは……?
どこかずっと、僕は頼政さんのことが気がかりだった。
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