第11話

 僕は楽器店の前で日の出を迎える。蛇革の指揮棒ケースを握り締め、僕は空を見上げた。そこから、何時間待っただろうか、はっきりとは覚えていない。

 物音が聞こえて、僕は向きを入口正面に変えて祈るように待つ。しばらくして、店舗の入口を開けた店長と対面する。

 おはようございます、と僕が言うと、店長はああ、と驚いた顏で返事をした。

「ほんとうに、すみませんでした」

 僕ははっきりと伝える。そして、さらに言葉を続けた。

「償いをさせてください。そして、また応援してほしいんです。僕が、指揮者になるためには、店長の力が必要です」

 マエストロの指揮棒を見せながら、その思い出を懇願するように語る僕に、ようやく店長が視線を向けた。しかし、その目線は厳しく鋭いものだった。逃げ出したくなる。それでも、僕はしっかりと受け止める必要がある。そう心に、強く言い聞かせた。

「演奏活動は、今の世で趣味にしかならないぞ」

「いや、諦めません」

 僕は間髪いれずに答える。

「音楽だけを知っていても、指揮者になる夢なんて絶対に叶わない」

 店長の言葉が、深く突き刺さる。店長の言う通りだ。今回のことだって、僕の無知が招いたことなのだから。

「本当に、勉強不足だったって、反省しています。音楽だけ、知っていればいいわけじゃないですよね。ほんとう、すみませんでした」

 ばかやろう。

 大きな怒鳴り声が響く。

「なんで、その場ですぐ謝らねえんだ。やっちまった、ミスしちまった、そう思ったら、その場で謝れ、約束しろ!」

 店長の大声は、早朝の街に響き渡る。

 恐る恐る視線を向けると、ようやく昔の店長の表情が見える。まあ、座れ。店長はそういうと、奥から椅子を出してくれた。

「こんな風になるなんて、全然知らなくて……」

「なんだよ、ほんとにただの馬鹿野郎だったのか」

 何度目か分からないが、僕は再び頭を下げた。

 あのとき僕は、帽子の中に投げ銭を要求した。絶対にするなよ、と事前に注意されていたにも関わらず。

 どうしても確認がしたかったのだ。これだけの演奏をしたのだから、価値があって、この演奏は仕事としても成立するんだって、そう確信があったから。

 立ち止まってくれた観客は、何も言わずに去っていった。僕は不貞腐れていた。店長とひかりに邪魔をされなかったら、きっと、僕たちの演奏に価値を感じてくれて、対価を払ってくれたのにと。

 ひかりは店長に仕切りに謝ったあと、僕の呼び止める声を無視してその場から立ち去った。僕は追いかける気にはなれなかった。店長に帰れと言われて、憮然とした態度でそのまま家に帰った。

 個人間の金銭のやり取りが、営業停止レベルの罰則に当たるだなんて、まったく知らなかったのだ。

 ほんとう、言い訳にもならないな。

 恥ずかしさのあまり、僕は店長の前で黙り込む。

「どうして、こんなに厳しく取り締まられているか勉強してきたのかよ」

 店長は優しかった。こうやって、多くの音大生を支援してきてくれたのだろう。

「自分なりにはですけど」

「理解できたか」

「そうですね、だいたいは」

「いやな、世の中になっちまったよな」

 店長はそういうと、

「彼女と仲直りしたら、また演奏しにこいよ」と言った。

 僕が驚いた顔を浮かべると、大きな身体を揺らして笑って見せた。僕は深く頭を下げて、楽器店をあとにした。

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