Chapter25-4 道具(3)

「ギゼンシャが」


 こちらの宣言に対し、子どもの一人が呟きました。


 それは子どもたちのリーダー、ありていに言うと“ガキ大将”の男の子でした。わたくしの魔法で回復した今、八歳にしては恰幅の良い子となっております。たしか、名前はアッシュでしたか。


 敵意を見せてから、初めて溢されたセリフ。


 そこに、わたくしは一筋の光を見出しました。小さな欲を抱きました。会話する余地があるのなら、彼らを救えるかもしれないと。


 それが無謀な願いだとしても、やはり捨て切れないのです。未熟者だと理解していても、希望に甘えてしまうのです。


 わたくしは首を傾げました。


「偽善、ですか?」


 無論、意味は分かっております。本心ではなく、建前によって善行を行う者を指す言葉です。


 しかし、どうしてわたくしにその言葉が向けられたのかが分かりませんでした。彼らに対し、わたくしが建前を持ち出したことなど一度もないのに。


 ……いえ、それではあまりにも鈍感すぎますね。


 訂正しましょう。アッシュが発した言葉の意味を、わたくしはある程度理解しています。


 きっと、彼らはわたくしの発言を一つも信じていないのだと思います。すべてが建前や嘘に塗れていると思い込んでいるのでしょう。そう考えなくては正気を保っていられないほどの過酷な世界で生きてきたのだと、わたくしは察しました。


 やっと理解できました。子どもたちが冷えた瞳をしているのは、決して洗脳のせいではありませんね。


 光魔法師の活動では、様々な方に出会います。当然、瞳にあのような色を浮かべる方にも。


 ゆえに、どういった経緯でああなって・・・・・しまうのかも把握していました。


 あれは世界を否定したいと願う、心の根っ子まで絶望に染まってしまった者の浮かべるものです。


 自らの命以外のすべてを失ってしまったヒト。治療が遅れ、約束されていたはずの輝かしい将来が絶たれてしまったヒト。裏切られ続け、自分の体さえ削り落としていったヒト。そういった、多くの理不尽を目の当たりにしてきました。


 光魔法は万能の魔法ではありません。死者は簡単に生き返らせられませんし、傷や病が長期間放置された場合、末端部分が治せないこともあります。


 不可能に直面する度に、絶望する彼らの顔を見る度に、わたくしは歯を食いしばり、『次は失敗しない』と努力を重ねてきました。


 そして今、新たな壁に衝突しました。


 明らかな憎悪と敵意を抱く幼い子どもたち。本来なら親元で幸せに暮らしているはずの彼らは、世の理不尽に呑まれたせいで、こうして歪で鋭い牙を剥き出しにしています。


 壊すか治すか。両極端なことしかできないわたくしには、彼らへどう手を差し伸べれば良いのか見当がつきません。


 救いたいのに、何をすれば良いのか分からない。焦燥感と自分への憤りのみがグルグルと渦巻きます。


 何度目か分からない躊躇ちゅうちょ。優先度は決めていても、完全には割り切れないのです。未熟なわたくしは、そう簡単に子どもたちを見捨てられませんでした。


「一週間にも満たない僅かな時間でしたが、仲良くなれたと思っていました」


 思わずこぼれたセリフに、何人かの子どもが微かな動揺を見せます。


 ……分かっていたことですが、洗脳の線は完全に消えましたね。少なくとも、感情は抑制されておらず、記憶も健在なのでしょう。でなければ、些細な揺らぎさえ生まれません。


 そんな彼らの狼狽ろうばいを吹き飛ばすように、アッシュが再び声を上げます。


「同情を誘って俺たちの裏を掻こうたって、そうはいかねぇぞ!」


 彼の言葉を耳にした途端、他の子どもたちは元の冷めた顔に戻ってしまいました。こちらが想定していた以上に、子どもたちにとってアッシュの存在は大きいようです。


 わたくしは悲嘆を抱きながらも、会話を続けました。


「そのような意図はなかったのですが……」


「信じねぇぞ。お前たち大人は姑息で嘘吐きだッ」


「……」


 異論は認めないと言わんばかりの怒声を受け、わたくしは唇を噛みました。ここまで頑なな態度を示されては、こちらが何を言っても耳を貸してはくれないでしょう。


 ですが、それでも、愚かなわたくしは諦め切れませんでした。


「今までのあなたたちは、偽りだったのでしょうか?」


 これまで仲良くしてきた子どもたちの姿が嘘だったとは、とうてい考えられませんでした。自身の願望も含まれているとは思いますが、わたくしを慕ってくれた彼らが演技だったとは、どうしても思えないのです。


 対して、アッシュは今のセリフを違う意味で解釈した模様。眉尻を吊り上げ、激高します。


「俺たちはお前たちと違って、嘘吐きじゃない! あれは記憶がなかったせいだッ。ついさっきまでの俺たちは、大人たちの汚さを覚えてなかった。それだけにすぎない!」


 嘘吐き呼ばわりしたつもりはなかったのですが、思わぬ収穫を得られましたね。


 子どもたちは、反旗を翻すキッカケの記憶を失っていた。だから、敵意を察知することができなかったようです。


 某魔女が開発した、呪いによる記憶奪取は記憶に新しいですね。かの魔女は帝国と裏で繋がっていたようですので、その技術が子どもたちに使われていても不思議ではありません。


 もしかしたら、あの膨大な魔力に関しても、呪いが関わっているのかもしれません。


 記憶――精神は魔力と紐づいていると、お兄さまは常に仰っておりました。ならば、記憶とともに魔力も奪えたのではないでしょうか?


 専門外ゆえに、ただの憶測にすぎませんが、あながち間違った推論でもない気がします。


 まぁ、今度は『その魔力はどこから持ってきたのか?』という疑問が生じるのですが。


 何度も申し上げていますが、限界突破レベルオーバーしている九歳以下の子どもたちがいるなど、普通ではありませんもの。


 ただ、子どもたちが強くなった原因にも、呪いが関わっている可能性が高そうです。彼らの憎悪が、きっと何かのヒントになるはずです。


「あなたたちに何があったのですか?」


 事態を解決する糸口を探るため、彼らの過去を尋ねます。


 しかし、アッシュは――子どもたちは決して口を開きませんでした。


「教えて何になる。俺たちはお前たちを殺して、二度と虐げられない世界を手に入れるんだ!」


 取り付く島もないとは、このことでしょう。その後も会話のキャッチボールを試みましたが、ことごとく切り捨てられました。


 率先して切り捨てていたのはアッシュだけでしたが、一切口を挟む気配を見せない時点で、他の子どもたちも同意していることが分かります。


 もはや、打つ手なしでした。


「もう、時間がありませんね」


 シオンたちが合流を果たすまで、一分を切りました。彼女たちが来ては、呑気に説得する暇はありません。


 未練がましい行動はおしまい。わたくしには、絶望に染まった子どもたちを助けられないようです。


 この結果は、薄々察していました。


 何せ、彼らの求める救いは精神的なもの。肉体しか癒せないわたくしでは、決して救いをもたらせない分野。独力で解決することが不可能なのは明らかでした。


 それでも足掻いたのは、ひとえにわたくしの心の問題。幼い彼らを見捨てたくなかった。それだけの、ちっぽけなプライドもどきのため。


 とはいえ、いつまでも、ワガママは通せません。優先度は相も変わらず、時間も差し迫っているのであれば、覚悟を決めなければなりません。現実主義者リアリストになる覚悟を。


 心から滲むのは後悔と悲嘆。この味だけは、何度経験しても慣れません。自然と、わたくしの体を強張らせます。


 ですが、悔やむだけで終わらせては、壁を前にして足踏みするだけではダメです。


 わたくしはカロライン・フラメール・ネ・サリ・フォラナーダ。愛しのお兄さまの妹にして妻なのです。あの方の隣で胸を張れるよう不屈の闘志で邁進しなくては、わたくしのアイデンティティが揺らぎます。


 反省も、後悔も、諦念も、何もかも終わった後に行えば良い話。今この瞬間は、前へ進むことのみを考えれば良い。


 ゴチャゴチャと考えましたが、答えはいつだってシンプルです。


 わたくしはアッシュを真っすぐ見つめました。


「ッ」


 少し怯んだ気配を見せる彼でしたが、そのまま見つめ続けます。それから、力強く告げました。


わたくしの言葉が、あなたたちに届かないことは理解しました。であれば、覚悟を決めましょう。わたくしわたくしの大切なものを守るため、あなたたちを乗り越えます」


「大切なものだって? それがギゼンシャだって言ってるんだよッ」


 こちらのセリフを受け、アッシュは歯を剥き出しにして吠えました。そして、「【ブレイズランチャー】」と叫んで、上級火魔法を発動しました。


 炎の砲撃を放つ攻撃魔法。彼の頭上に生まれた炎の塊は、空中に線を引いてわたくしへと襲い掛かります。


 彼の行動につられ、他の子どもたちも攻撃を放ってきます。


 いよいよ本気になったのか、先程よりも多くの魔力が込められておりました。


 限界突破者レベルオーバー三十人による本気の弾幕攻撃が相手では、防御魔法を得意とするわたくしでも耐え切れません。おそらく、地下シェルターの強固な防壁も。


 ゆえに、わたくしがやることは決まっていました。


「【コンバージョン・リビルド】」


 詠唱するのは最上級光魔法が一つ。対象を光に分解し、再構築するだけの術。


 ただ、多量の魔力が込められた魔法を、この魔法一つで分解はできません。弾幕の中のたった一つを、ほんの僅かに逸らすのが限界です。


 ですが、それで問題ございません。軌道を少し逸らすだけで十分なのです。


 わたくしの【コンバージョン・リビルド】によって、敵の攻撃魔法の一つが軌道を変えました。


 すると、どうなるのか。


 答えは簡単。すぐ近くにあった別の魔法に衝突します。しかも、その衝撃によって、ぶつかった方の魔法も軌道が変化し、さらに隣の魔法に激突します。


 それは連鎖していき、あっという間に弾幕すべての軌道が変わりました。まるでドミノ倒しの如く。


 結果、数々の攻撃は、わたくしではなく周囲の壁に当たりました。轟音とともに壁の表面は砕け、辺りに土埃が舞います。


 土埃自体は子どもたちの誰かが即座に取り払いましたが、彼らは驚愕をあらわにしていました。十中八九、わたくしが無傷で切り抜けたことに驚いたのでしょう。


 侮られては困りますよ、子どもたち。わたくしが、いつまでも力押しだけの女とは思わないことです。

 

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