Interlude-Orca 残された者

時系列は「王道(2)」~「王道(3)」の間です。


――――――――――――――



 本来ならゼクスにぃがいる執務室。そこにはボク――オルカが座っていた。


 ボクは走らせていたペンを止め、小さく溜息を吐く。それから大きく腕を伸ばした。本日の仕事が、とりあえず終わったのである。


 ゼクスにぃが他の大陸に召喚されてから三日。この間は本当に忙しかった。あのヒトの仕事をボクたち文官が負担するのは無論、各所にゼクスにぃの不在を悟らせないよう、根回しをしなくてはいけなかったために。


 前者はともかく、後者は慎重に動く必要があった。だって、ゼクスにぃの不在を知ったら、妙なことを仕出かしてくる連中が絶対に現れるからね。不穏の芽が育たないように予防しておかないと。


 とはいえ、多忙だっただけで、切羽詰まった状況にまではおちいらなかった。直近にゼクスにぃが必須の仕事がなかったのもあるけど、当主不在のマニュアルが作られていたんだ。


 マニュアルの内容は多岐に渡る。不在を伝えても良い人物の記載、各所の運営方針、ゼクスにぃの抱えていた仕事の処理優先度などなど。それのお陰で、慌てずに対処を進められた。


 まさか、これが役に立つ日が来るなんてね。


 マニュアルの作成を提案したのはゼクスにぃだった。というか、いつの間にか作っていたんだよ。曰く、『将来を見越したもの』らしい。


 言わんとしていることは分かる。今のフォラナーダは、ゼクスにぃに強く依存してしまっている。あのヒトのお陰で発展したんだから無理もないけど、現状維持を続けると、次代で破綻するのは目に見えていた。


 ただ、あまりにも早すぎる対策なのも事実。ゼクスにぃが健在の現段階で、わざわざ不在を想定する必要はあるのかと疑問に思っていた。まるで、近い将来に死ぬことをゼクスにぃ自身が認めてしまっているようで、とても嫌だった。


 まぁ、実際はその判断が正しかったんだけどさ。ちょっと釈然としないよ。


 ちなみに、振り分けたゼクスにぃの仕事に関しては、想定よりも多くなかった。普通の領主の一日分より若干多い程度かな。一人で対処したとしても、【身体強化】を駆使すれば夕方には終わる。


 最初は疑問に感じたけど、何てことはなかった。領主が忙殺されるほどの仕事量を、部下たちが回すわけがないのである。そんなことをしては文官失格だろう。ゼクスにぃが何かと忙しいそうにしているので勘違いしていた。


 では、ゼクスにぃは何で忙しいのかと言えば、基本業務以外に手を出しているためだった。部下たちの定期的な面談やら領内の視察、将来を見据えての企画書作成などだね。そこにボクら恋人たちとのデートも加わるんだから、忙しくて当然。むしろ、”忙しい”で済ませているのが異常だと思う。


 正直、これらの”プラスアルファ”も含めると、マニュアル程度ではカバーし切れないと思う。マニュアル化が進んでいるのは基本業務の部分だけだし、ゼクスにぃはどうするつもりなんだろうか。ボクも対応を考えておいた方が良いかもしれない。


 ――というわけで、忙しい日々を送りつつも、無難に日常を回していた。


 ずっと働き詰めなのは大変だけど、ゼクスにぃの不在について深く考える時間がないのは良かったのかな。落ち込む暇だってないもの。


 一番ギリギリなのはカロンちゃんだ。


 今の彼女は本当にヤバイ。手足が震え、目が泳ぎ、気分も沈みっぱなし。周囲に当たり散らすことはないものの、中毒症状に苦しむ患者みたいな様相だった。今が夏休みで、心底良かったと痛感しているよ。誰にも会う必要がないからね。


 こういった症状を発症するのは、何も初めてではない。たしか、ミネルヴァちゃんの九令式くれいしきに参加するため、ゼクスにぃが長期外出をした時だったかな。あの時も大変だった。


 あれ以降、ゼクスにぃと離れても大丈夫のように訓練したはずなんだけど、今回は耐えられなかった模様。


 理由に見当はつく。


 一つは、完全な不意打ちによる離別だったせい。心の準備ができず、カロンちゃんは精神が乱れてしまったんだろう。


 もう一つは、【位相連結ゲート】の使用が難しい点。これまでは『いつでも帰ってきてくれる』という安心感があったのに、今はない。死の予言までも下されていたことも含め、彼女の不安を助長させたんだと思う。


 気持ちは分かる。忙しくなかったら、ボクだってもっと不安に駆られていたはずだ。現状でさえ、寝る前にゼクスにぃの無事を祈るくらいだもの。


 ”コンコン”


 ボーッとゼクスにぃのことを考えていたところ、扉がノックされた。僅かに間を置き、扉前で待機していた使用人メイド が顔を見せる。


「失礼いたします。ミネルヴァさまがお見えです」


「ミネルヴァちゃんが? どうぞ、入ってもらって。あと、お茶の用意もお願い」


「承知いたしました」


 彼女は慇懃に一礼すると、ミネルヴァとともに入室してきた。


「お仕事中だったかしら?」


「ううん、大丈夫。今さっき終わったところだから、遠慮しないでいいよ。そっちのソファに座って」


 ボクとミネルヴァちゃんは、部屋の中央にある応接用のソファへと腰をかける。


 うーん、彼女もずいぶん参っているみたいだ。


 意地っ張りな子なので、普段と変わらない態度を取っている。でも、いつもより表情に陰りが窺えた。ほんの些細な違いだけど、一緒に生活を送っている面々なら気づけると思う。


 ミネルヴァちゃんの心を沈ませている原因なんて、一つしかなかった。


「ゼクスにぃを心配する気持ちはすっごく分かるけど、ちゃんと寝た方が良いよ」


「べ、別に、彼の心配なんてしていないわ。仕事の疲れが出ているだけよ」


 ボクが不調を指摘すると、彼女はバツが悪そうにソッポを向いた。


 確かに、仕事が大変なのも原因の一つに含まれるだろうけど、それが全部ではないのは明らかだ。だって、今は外交面の業務が少ない。ミネルヴァちゃんに回される仕事量も僅かだった。


 苦し紛れの言いわけだと理解しているからこそ、彼女は顔を逸らしたんだ。


 素直に答えれば良いのに。


 相変わらず気難しいミネルヴァちゃんに、心のうちで苦笑を溢す。


 ゼクスにぃの身を案じないヒトは、このフォラナーダには存在しない。あのヒトの強さは分かっているものの、心に分厚い雲が覆ってしまうんだ。特に、恋人である面々の心労は大きい。ボクだってそう。


 それでも踏ん張っていられるのは、『ゼクスにぃの帰る場所を守る』という意気込みが強いから。仕事に気合を入れることで、心の痛みより目を逸らしていた。


「夜も遅いし、本題に入ろうか。何の用事かな、ミネルヴァちゃん」


「マリナから連絡があったわ。魔素バランスが安定するのは四日後よ」


「そっか」


 ボクは素っ気ない反応を示す。


 でも、内心は違った。あと四日を我慢すれば、ゼクスにぃが帰ってくる。その事実に、この場で踊り出したいほど狂喜乱舞していた。


「オルカ。正気に戻りなさい」


「ハッ!?」


 ミネルヴァちゃんに声をかけられ、我に返る。


 帰ってきた時に”してもらう”アレコレを考えすぎて、完全にトリップしていた。


 数秒くらいの空白だったはずだけど、ミネルヴァちゃんにはバレバレだった模様。半眼で睨まれてしまった。


「えへ?」


「そういうのは、彼にしなさい。私に可愛さアピールは無意味よ」


「だよねぇ。ミネルヴァちゃんはゼクスにぃにゾッコンだし。まぁ、それはボクも同じなんだけど」


「ゾッコ……そ、そんなことないわよ」


 顔を真っ赤にする姿を見せられては、何の説得力もないと思う。


 ただ、これ以上は野暮なことを言わない。意固地になるのは目に見えているからね。


 ボクは沸きかけた頭を一旦リセットし、冷静に思考を回す。


「しかし、四日かぁ。内側は問題ないかな。事前に準備のお陰で、一年はゼクスにぃが不在でも大丈夫だと思う」


 ただし、メンタル面を考慮しなければ、という注釈はつく。


 ミネルヴァちゃんも語る。


「外交面はギリギリね。ウィームレイ陛下のご協力も込みで、誤魔化すのは十日程度が限度だったから」


「ゼクスにぃは有名人だもんね」


「良くも悪くも、ね」


 注目度の高い人物が姿を隠せば、真偽に関わらず、いらぬ噂が流れてしまう。フォラナーダにとって何の痛痒にもならないけど、避けられるなら避けておきたい事態だろう。


 とはいえ、それも杞憂に終わった。今の情報統制を続ければ、問題なくゼクスにぃは帰ってくる。


 そうなると、憂慮すべきは残り一つ。


「用件って、それだけじゃないでしょう? その程度だったら魔電マギクルで連絡してくれればいいんだし」


 ボクがそう尋ねると、ミネルヴァちゃんは肩を竦めた。


「話が早くて助かるわ。あの子のところに行くから、付き合ってほしいのよ」


「嗚呼、やっぱり」


 得心の声を漏らすボク。


 彼女の用件こそ、残された憂慮だった。


「カロンちゃん、四日も持つ?」


 先も少し触れたけど、カロンちゃんの容態が割とヤバイんだよね。


「無理」


「バッサリ言うね」


「だからこそ、同行してほしいの。慰める人数は、多い方が楽だわ」


「あはは」


 ボクは苦笑いを浮かべる。


 カロンちゃんのことになると、ミネルヴァちゃんって普段以上に辛辣しんらつだ。嫌いだからというよりは、叱咤激励に近い感じだけど。


「分かった。一緒に行くよ。ボクもカロンちゃんは心配だし」


「そう。なら良かったわ」


 用意されていたお茶を飲み、ボクらは席を立ち上がる。


 そして、その日の夜は、カロンちゃんを慰めるのに費やした。

 

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