Chapter14-2 落ちこぼれの責任(5)

 午前中の座学に、特筆するような内容はなかった。大半の知識が聖王国の劣化版で、モノによっては間違った説を唱えていることもあった。どうやら、魔道具が存在しないだけではなく、科学方面の発展も遅れているらしい。


 まぁ、前世の中世時代と比べたらマシだが。治水設備はしっかりしているし、水資源が豊富なお陰か食料も困窮していない。品種改良を行っている形跡も見受けられる。


 たとえるなら、令和出身が昭和初期の文明に放り込まれた感じかな。生活はできるものの、ところどころの不便さは拭えない。


 ただ、すべてが不満というわけではなかった。


「あー、この味だよ、この味」


 オレは白米を一口食べると、感嘆の声を漏らした。


 そう、白米である。


 午前の授業を終えたオレたちは、学内食堂で昼食を取る運びとなり、そこで焼き魚定食を注文したんだ。


 米なら築島つきしまにもあったって?


 チッッチッチッ。違うんだなぁ、これが。あの一帯にも米や味噌などの日本の食文化に似たものは存在したけど、ここのモノはレベルが違うんだ。より洗練され、前世に近い味となっている。


 何でも、始祖が食周りの発展に力を注いでいたなんて逸話があり、今でも各国が力を注いでいるんだとか。特に、主食たる米やメイン調味料の味噌や醤油はクオリティが高い。


 歴史が長いとはいえ、いくつかの都市国家が独自に育てたもの。大国五つが尽力して共同開発したもの。どちらが上質なのかは言をまたないだろう。


 断言しよう。始祖とやらは、絶対に転生者の類だ。


 妹の件が最優先事項だったこと。品種改良の知識がなかったこと。手を加えずとも、聖王国の食は十分美味しかったこと。諸々の理由によりオレは着手しなかったが、食文化の改善に優先して力を入れるのは、日本人ならではの感性だと思う。


 チラホラと過去の転生者の影は見え隠れしていたが、別大陸にもいたんだなぁと妙に感心してしまった。


 食文化の背景をボンヤリと考えながら箸を進めていると、エコルがやや呆気に取られたように問うてきた。


「よく食べるじゃん。そんなに美味しかった?」


「嗚呼、美味しいよ」


「それ、平民向けのメニューなんだけどね」


 言外に、オレが名乗った身分への疑念が滲んでいた。


 まだ疑っていたのか。


 オレを召喚してしまったことへの罪悪感はありつつも、別大陸出身の貴族という肩書は信じ切れていないみたいなんだよな、エコルって。


 とはいえ、無理のない話か。この世界は海越えのハードルが高い。何故か、いくつかイレギュラーに出くわしてしまったが、本来なら邂逅し得ない存在なんだ。おそらく、向こう二、三百年は乗り越えられない問題だ。


 そも、他に大陸があるという認識さえないんだと思う。オレたちの大陸でも、自分たちの場所以外に陸地があるなんて知識はなかった。例の自称吸血鬼も、最初は『突然変異が発生した』という突拍子もない意見を信じる者が多かったし。


 だから、エコルが未だ疑いを持っていても仕方ない。真っ向から否定してこないだけでも、度量が深いだろう。


 オレは肩を竦める。


「確かに味付けは粗いし、焼き魚の火加減も強すぎる。でも、米や味噌はこっちが美味しいんだよ。オレの故郷は米があまり普及してないからか、ここまで洗練されてないんだ」


「ゴハンが普及してない? じゃあ、何を食べてんの?」


「パンだな。小麦を元にして作る主食だ」


「へぇ。そんなもんがあるんだね」


「今度、ごちそうするよ」


「期待しないで待ってる」


「そこは、嘘でも『期待してる』って言ってくれ」


 そうやって雑談に興じるオレたちだったんだが、


「おい、落ちこぼれ」


 一つの不機嫌そうな声が、和やかな雰囲気をぶち壊した。


 オレたちのテーブルの横――正確にはエコルの真横に、大柄な少年が立っていた。彼の背後には、取り巻きらしき三名の少年が群がっている。


 現在地は学食の平民エリアのため、全員が平民なのは間違いない。


 いったい何事だろう。エコルを睨む態度からして、穏やかな事情ではないと察せるけども。


「……」


「大丈夫」


 無言でノマに視線を向けると、護衛は問題ないと短く返答した。


 彼女がそう言うなら、安心して任せられる。オレは声をかけてきた少年に意識を戻した。


「突然何の用だ、少年?」


「あんたに用はない。俺たちは、その“嘘吐きの落ちこぼれ”に話しかけたんだ」


 なるほど、エコル関係の厄介ごとか。


 食事の間もうっとうしい視線は感じていたが、ついに直接突っかかってくる輩が現れたみたいだ。勇気――いや、蛮勇だな。


「ずいぶんと強気に出るもんだ。オレの身分を分かってるのか?」


 鼻で笑って挑発する。


 自国ではない上、後々の面倒を回避したいので、無礼打ちなんて浅慮な行動は控えたかった。言葉でコチラの意識を向けさせ、エコルの危険性を和らげる。


「知らないとは言わせないぞ。オレとドオール嬢のやり取りは、すでに学校中に噂として広まってるはずだ」


 ゴシップを好むヒトの習性は、どこへ行っても変わらない。今朝の問答は大半の生徒が既知だった。


 少し目に力を込めると、少年は若干怯んだ様子を見せる。


 しかし、大口を叩いた以上は引くに引けないのか、彼は下唇を噛んで踏ん張る。


「だから何だってんだッ。あんたが本当に貴族だったとしても、こんな場所に混じってるってことは、貴族としての権力は行使できない状況なんだろう? 後ろ盾のない貴族なんて、怖かねーよ!」


 確かに、今のオレには、権力という盾はないも同然だ。権力をかざして起こせる行動は皆無。


 ただ、その発言はかなり危ないと思う。見方を変えれば、その他大勢の貴族をもバカにしたと受け取られかねないもの。


 オレが眉を寄せたのを別の意味に勘違いしたのか、少年は意気揚々と続ける。


「ハッ! 図星を突かれて声も出ないってか? それとも、貴族ってのは嘘だったか。やっぱり、嘘吐きの使い魔は嘘吐きなんだな。ははははは!」


 調子に乗った彼の口は回った。空っぽで蒙昧もうまいなセリフを吐き出す。


 加えて、彼の取り巻きや周囲で様子を窺っていた連中も嘲笑を溢した。仄暗い感情を乗せ、卑屈な声を食堂に響かせる。


 何て程度の低い連中だろうか。自分より格下だと認めた者を脅し、嗤い、蔑む。向上心のカケラもない烏合の衆だった。


 ここでキチンと対応すれば、彼らの鼻を明かせる。オレに向けられる感情を塗り替えられるに違いない。


 だが、そうする気概が湧かなかった。


 彼らに心底興味がないんだ。くだらない連中に何を思われてもどうでも・・・・良く、更生の機会を与えることが癪だった。


 幸い、この異邦の地なら、フォラナーダの名誉を気にする必要性は薄い。もし、のちに交流が生まれたとしても、この程度の些事を蹴散らせる自信もある。


 畢竟ひっきょう、彼らに割く時間が惜しかった。オレもエコルも、ちょうど食事を終えたタイミング。ここに留まる理由はない。


 オレは少年を無視して、空の食器を片づけるために立ち上がった。


 同時に、エコルも席を立つ。


 こちらの意図を察してくれたのかと考えたんだが、それは早とちりだった。


「バカにするのも大概にしろッ」


 鋭い怒鳴り声とともに、パシンと乾いた音が鳴った。


 エコルが少年の頬を平手で叩いたんだ。彼の頬には、真っ赤なモミジが咲いている。


 予想外の出来事にオレを含めた全員が呆然とする中、エコルは怒鳴り続けた。


「アタシがバカにされるのは、悲しいけど、まだ許せる。だって、そうなって仕方ない境遇にあるし。でも、ゼクスをけなすのは違うでしょッ。彼は完全な被害者なんだよ? いきなり家族から引き離されちゃった被害者! 右も左も分からない彼に、何で優しくしてあげられないのさ!」


 確固たる意志を込め、強く鋭く少年や周囲の人間を睨むエコル。


 今の彼女は、これまでの大人しい印象を吹き飛ばすほどの、圧倒的迫力をまとっていた。鬼気迫る様子に、誰も彼も黙り込んでしまう。


 ――否。唯一、目前にいた少年だけは、かろうじて言葉を紡いだ。


「す、好き勝手言うんじゃねーよ。ひ、被害者にした元凶は、お前じゃねーか、落ちこぼれ」


 精いっぱいの反論であるものの、その内容はエコルにとっての弱点だった。


 彼女は若干血を滲ませるほど、下唇を強く噛む。


「そうだよ。一番悪いのはアタシ。だから、全部失ってでも、彼を元の場所に帰すって決めたんだッ。その邪魔をするってんなら容赦しないから。文句ある?」


「い、いや……」


 徐々に詰め寄ってくるエコルに、少年は首を横に振るしかなかった。それくらい、彼女の気迫はものすごかったんだ。オレやノマでさえも、目を瞬かせる以外に動けていない。


「行くよ、ゼクス!」


「あ、嗚呼」


 ついに全員が沈黙したのを認めたエコルは、空の食器を手に持ってコチラへ声を掛けた。そのままテキパキと片づけを済ませ、学食を後にする。


 オレは、そんな彼女の背中を追うしかなかった。








 ズシズシと怒りに任せて廊下を進むエコル。


 ただ、時間とともに、その勢いは弱まっていった。最終的に、その場で膝を抱えて座り込んでしまう。


 彼女は泣いていた。


「ごめん、ゼクス。アタシが悪いくせに、あんな風に怒っちゃった。八つ当たりしちゃった。で、でも、あんたを故郷に帰すって話は本気だから。アタシが責任を以って、やり遂げて見せるから」


 どうやら、こちらが想像していた以上に、エコルはオレを召喚してしまったことを負い目に感じていたらしい。先程の気迫からして、文字通り、自らの全部を懸けて目的を達成するつもりなんだろう。


 どうして、こんなにも他人想いの子に限って、世界はツライ現実を用意するんだか。


 理不尽なリアルなんて今さらの話だが、そう嘆かざるを得ない。


 オレは心のうちで溜息を吐きつつ、彼女の隣に座り込んだ。慰めるように背中を撫でながら、その心労を和らげるための事実・・を語る。


「故郷に帰る目途なら、もう立ってるんだ。そんなに自分を追い詰める必要はないぞ」


「そんな嘘――」


「嘘じゃない。帰ろうと思えば、すぐに帰れるんだ」


 そう前置きをしてから、『転移の魔法で帰れるものの、大規模な魔法を使うと災害が発生することや命が繋がっているのでエコルを放置できない』といった、この場に留まっている理由を教えた。


 伝えても混乱させるだけだと配慮したんだが、事ここに至って逆効果だったと悟る。こんなことになるなら、信じてもらえなかったとしても、すべて明かしておくべきだったかもしれない。


 話を聞いている間に、だいぶ落ち着きを取り戻したよう。一通り聞き終えたエコルは、目尻に残っていた涙を拭ってから口を開いた。


「で、どこまでが本当なわけ?」


「全部真実だから。真面目に聞いてくれよ」


「あはは、冗談だって」


 軽く笑う表情からは、先程までの悲壮感は見受けられない。しっかり持ち直したのだと理解した。


 彼女は両のコメカミを人差し指で押さえつつ、眉間にシワを寄せる。


「えーっと、魔法? とか突拍子のない話はよく分からなかったけど……とりあえず、ゼクスが二度と帰れないことはあり得ない?」


「嗚呼。魔法制限は時間が解決してくれるし、“刻印”の方も解析が完了して書き換えを徐々に進めてるところだ」


 魔眼が使えれば、小一時間で改変できるんだけどね。やはり、一番の問題は魔法の制限だった。


 こちらの瞳を真っすぐ見据えていたエコルは、程なくして脱力した。両手を床につけ、完全に腰を下ろす。


「良かったぁ」


 万感の想いがこもった言葉だった。どれほど思いつめていたのかが、その一言で窺い知れた。


 安堵の雰囲気が場に浸透するが、それは長続きしなかった。


 何故なら、授業の予鈴がなったためだ。


「ゲェ、遅刻じゃん!?」


 新体操選手かと思えるほどアクロバティックに飛び起きた彼女は、その勢いで廊下を全力疾走し始める。


 途中、こちらを振り向いて、


「急いで、ゼクス!」


 と手を振ってきた。


「やれやれ」


 オレは苦笑を溢し、エコルの後を追う。素の身体能力が段違いなので、追いつくのは簡単だった。

 

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