Chapter10-5 Long time, The World(2)

「ハァァァァァァァァァァァァァ」


 幾許か問答を繰り返すと、ネグロ殿下は大きく溜息を吐かれました。片手で目を覆い、天を仰がれます。


 数秒の間を置き、彼は再びわたくしたちを見据えました。


「「ッ」」


 場慣れしていないスキアとユリィカが息を呑み、わたくしはとっさにヴェーラちゃんの目を隠しました。


 ネグロ殿下の瞳は、それほどまでに濁っていました。感情を読めないわたくしでも感じ取れるくらい、ハッキリとした憎悪が窺えました。汚泥という表現でも甘い、混沌とした瞳でした。


 彼は冷たく汚い目を向けたまま、淡々と仰られます。


「……もう面倒だ。単刀直入に言おう。その色なしの娘を渡せ」


 その発言を受け、わたくしたちは一様に眉をひそめました。あちらの狙いがヴェーラちゃんだったことに驚いたのです。


 彼女は特殊な経歴を持っていますが、至って普通の女の子。いえ、たしかに魔力を実体化できる特異性は有していますが、フォラナーダと争ってまで狙うほどの特別ではありません。


 自分が狙いだと知り、隣のヴェーラちゃんが肩を震わせました。


 すかさず、わたくしは彼女の手を握ります。大丈夫だと伝えるため、ギュッと握り締めました。


 考えることは同じらしく、反対側に立っていたスキアも同様ことをしておりました。二人の繋がりを感じ、ヴェーラちゃんの震えも収まっていきます。


 頭に疑問符しか浮かばない状況でしたが、答えは決まっていました。わたくしのみではなく、他の皆も意見は変わりません。


 オルカは明瞭な声で返します。


「お断りします。彼女はボクらの家族も同然です。引き渡すなど、了承しかねることです」


「第三王子の命令だとしてもか?」


「はい」


 キッパリ断言するオルカ。


 さすがはわたくしとお兄さまの義弟。お兄さまほどではありませんが、格好良い啖呵の切り方でしたよ!


「チッ」


 こちらの意思が固いと理解したのでしょう。ネグロ殿下は舌を打ちました。それから、隣で不動を貫くブルースへ問いかけます。


「あれの利用価値は、他の者には分からないという話では?」


 対し、ブルースは肩を竦めました。


「嘘じゃねぇよ。あれの価値を確認できるのは、王女さんを含めた一部の者だけさ」


「……となると、本当に情だけで庇い立てしているのか。これだからフォラナーダは」


 囁き声程度のやり取りでしたが、【身体強化】をたしなんでいるわたくしたちには筒抜けでした。


 敵前で重要情報を語るとは、愚の骨頂ですね。お兄さまにバレたら地獄の特訓が追加されますよ。敵が行う分には楽で良いですが。


 しかし、ヴェーラちゃんの価値ですか。話の流れからして、歓迎できる内容ではなさそうです。


 それに、王女という単語も不穏ですね。今回の一件は、アリアノート殿下も関わっているのでしょうか?


 色々と気になる会話でしたが、それを問い質すのは後回しになりそうです。


 というのも、


「【カオスランス】」


 何のためらいなく、殿下――いえ、ネグロが闇の上級魔法を放ってきたのですから。


 攻撃自体は、わたくしが無詠唱で展開した防御魔法で防ぎました。ですが、その狙いはオルカの顔面であり、殺しにかかってきたのは一目瞭然です。


 矛先を向けられた彼は、特段動揺せずに問いました。


「一応尋ねますが、何のマネですか?」


「そちらが譲らぬのであれば、実力行使しかあるまい」


 返答と同時に、再び放たれる魔法。無論、それが通るなどあり得ません。


「交渉決裂ですね。いくら聖王家と言えど、この状況は正当防衛が通りますよ」


「全滅させれば問題ない。あの化け物がいないのだから」


 オルカは溜息混じりに最後通牒を出しましたが、ネグロは一切うろたえませんでした。


 それどころか、


「仕方ねぇな。俺も手を貸させてもらうぜ」


「そうでなければ困る」


 ブルースも参戦を宣言する始末。


 これは不自然すぎます。わたくし単独にさえ勝てないことは、彼も骨身に染みて理解していらっしゃるはず。八人を相手に二人で挑むなど、無謀以外の何ものでもないでしょう。


 二つ名持ちの冒険者とあろう者が、その程度の勘定をできないとは考えられません。十中八九、何かしらの秘策を有しているのだと思われます。


 この当然の推測は、やはり的中していました。


 先のやり取りの後、即座にブルースが指輪の一つを割ったのです。途端、重苦しい空気が一帯を支配しました。


 周囲に変わった点は見られません。ですが、確かに先程よりも息苦しさが増していました。他の皆もこの変化を感じ取っている様子なので、わたくしの勘違いという線もなくなりました。


 わたくしたちの内心を悟ったのか、ブルースは意地悪い笑みを浮かべながら語ります。


「魔力操作の難度を、急上昇させる呪物を使ったのさ。今のお前らは、通常時の百倍の魔力を消費する状態におちいってる。それだけじゃない。光魔法はさらに百倍が加算されるバリューセットだぞ」


 もちろん俺たちは適用外だ、とうそぶくブルース。


「それは……」


 わたくしは思わず声を漏らしてしまいました。


 彼の使った呪物は、かつてお兄さまが遭遇した魔女の道具と酷似したものでした。ニナ関連の報告書に記載されていたのを覚えています。


 なるほど。魔王は呪いも扱うと伺っております。かの者の関係者であれば、そのような呪物を所持していても不思議ではありませんね。


 二人が魔王関係者だと確定し、第三勢力の可能性を排除できたのは良いですが、状況は些か不利に傾きました。


 何せ、わたくしたちに呪物の効果を打ち破る手立てがありません。呪物の原理は頭に入っているのですが、それを何とかできるのはお兄さまくらい。わたくしたちに可能なのは、魔力操作を工夫して消費量を多少軽減させる程度です。


 光魔法で呪いを浄化する手もありますが、なかなか難しい判断を要求されます。


 何故なら、光魔法の阻害率が圧倒的に高いから。敵の言葉を鵜呑みにしたわけではなく、わたくし自身の感覚で分かるのです。一発撃てば、自分の魔力がスッカラカンになってしまうと。


 緊急事態の中、魔力を使い切るのは悪手でしょう。戦闘が今回のみとは限りませんし、わたくしの魔法が求められる場面がこの後に発生するかもしれません。


 スキアが浄化するのもナシですね。彼女はわたくしよりも魔力量が少ないため、気絶は間違いないでしょう。下手したら生命力を削りかねません。それは、絶対に許容できないことです。


 やはり、現状の不利は甘んじて受け入れ、光魔法は温存した方が良い気がします。


「まだまだあるぜ」


 ブルースの口は止まっていませんでした。


 あの指輪の効果は、他にも存在したようです。ぬるりと、彼の影から黒いヒト型が現れました。あれは魔王の先兵たる影者えいじゃに違いありません。


 魔力阻害だけではなく、影者えいじゃを生み出す効果も付随した魔道具ですか。わたくしはそちら方面の知見は薄いですけれど、指輪大の容量に収まる代物ではないことは察せます。


 おそらく、使用者に多大な負担を強いる類なのでしょう。呪物というだけで使用者を蝕むのに、さらなる負荷が加わるなど、狂気としか思えません。ブルースは、自らが破滅しても良いのでしょうか? それとも、呪物のデメリットを知らない?


 敵の思惑は判然としませんが、事態は留まりません。


 ブルースを模した影者えいじゃは合計八。数の利を覆されてしまいました。


 影者えいじゃ程度に後れを取るわたくしたちではございませんが、あれを倒すのは少々骨が折れます。軽度の無効耐性があるらしく、ダメージを通すのに普段よりも火力が求められるのです。今は魔力阻害の中なので、余計に面倒くさい手合いでしょう。


 どうりで、彼らは堂々としていられるわけです。魔王よりもらったオモチャがあれば、戦況を有利に進められるのですからね。


 とはいえ、この程度で屈するわたくしたちではございません。このような些事よりも、お兄さまの課す訓練の方が何十倍も大変です!


「カロンとスキア、ユリィカはヴェーラの護衛。オルカとミネルヴァは後衛を。基本的に、ネグロを相手して。前衛はアタシがやる。シオンは遊撃をお願い。主に影者えいじゃの対応でよろしく。マリナはマイムとともに周囲警戒」


 現状を素早く把握したニナが、そう皆に指示を出しました。お兄さまの直弟子だけあって、戦闘における判断がとても早く的確です。


 悔しいですが、わたくしやスキアは光魔法という片翼をもがれています。であれば、ヴェーラの守護に専念した方が良いでしょう。実力不足のユリィカも同様。


 理に適った意見に異を唱えるわけもなく、全員が首肯しました。


 それと同時に、ネグロたちの殺気も膨れ上がります。


 会場の混乱を余所に、わたくしたちの戦いが始まりました。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る