Interlude-Skia 決め手
時系列は「魔の襲来(3)」辺りです。
――――――――――――――
悪魔が王都を襲った。
――そう。あれは”悪魔”と呼ぶのが相応しい、醜悪な化け物だった。
奴らが現れたのは突然だった。いつも通り図書館にこもって本を選別し、自室に持ち運んでいた時。もう少しで寮が見えてくるというタイミングで、あたし――スキアは悪魔に襲われた。
数は一体。後に聞いた話によると、単体の強さはそれほどでもなかったらしい。しかし、あたしにとっては大きな脅威だった。
だって、あたしは戦う力を持たないから。魔法はまったく扱えず、加えて武術の才能もなかったあたしは、外敵より身を守る手段が皆無だった。
だから逃げた。悪魔が視界に入った瞬間、
何て最悪な日なんだろうか。そういえば、今日は朝からケチがついていた気がする。朝食にあたしの嫌いなプチトマトが入っていたし、出かける直前に靴の紐が切れた。図書室ではお気に入りの栞が何故か切れてしまった上、目をつけていた本も貸し出し中(延滞)。そして、この悪魔との追いかけっこである。呪われているのではないかと疑いたくなった。
あたしが何か悪いことでもしただろうか?
自分で言うのも何だけれど、あたしは品行方正に生活してきた自負がある。光の適性を持っていたくせに魔法が使えなかったため、とても家族に迷惑をかけてしまったにも関わらず、みんな優しく変わりなくあたしに接してくれる。それに少しでも報いようと、穏やかな生活を送ってきたんだ。世間の流れ的に、本の趣味については胸を張れないけど、それ以外の問題はなかったと思う。
神さまは、あたしを恨んでいるのだろうか。こんなにも無力なあたしに、どうして次々と試練を与えてくるのだろうか。
下り坂ばかりの人生に涙が出てくる。というか、さっきから走りっぱなしで心臓も痛いし、息も苦しい。インドア派のあたしが持久走なんて無謀すぎた。こんなことになるなら、普段から少しは運動しておけばよかったなんて後悔が過る。
そもそも、ガタガタな走り方をしているのに、何で悪魔に追いつかれてないの?
ふと脳裏に過った疑問を払拭しようと、チラリと背後に目を向けた。
そこには変わらず悪魔がいる。大きな口より覗くギラっとした牙、こちらの首を掻っ切れそうな爪、ギョロギョロとした大きな瞳、肉塊とも言える醜悪な翼。見ているだけで嫌悪感が滲み出る生物が、あたしの後に続いていた。
悪魔の態度を見て、あたしは気づいてしまった。こいつは遊んでいるんだと。あたしが恐怖を感じて無様に逃げる姿に愉悦を覚えているから、手を抜いて追いかけているんだ。みっともなく走るあたしを
本当に、あたしが何をしたって言うの!? あたしは、ただ普通に生きていきたいだけなのに、何でこんな目に遭わなくちゃいけないのよ!
自身の情けなさが、何もできない悔しさが、心の底から湧き上がってくる。怒りと悲しさで、心の
あたしの人生、いっつもこうだ。魔法は使えず、周りからの陰口には一切抗えず、結局は家族に迷惑をかけてきた。尻拭いを彼らに任せてしまっていた。みんなは笑って許してくれたけど、あたしはあたしを許せなかった。だからこそ、無難に生きようって決めた。大出世は無理でも、これ以上は家族に負担をかけない道を進もうと努力した。
それなのに――
「あっ」
足はとうに限界を迎えていたらしい。疲労のせいで上手く動かず、あたしは見事に転倒してしまった。
運動がダメダメのあたしに受け身なんて取れるはずもなく、体を強かに打ち付けてしまう。かろうじて腕は前に出たけど、思いっきりスリむいてしまった。痛い。
あたしの無様な姿に悪魔が不快な声で笑い、すぐ傍まで近づいてきた。ゲラゲラと笑い続ける奴は、しばらくコチラを観察したかと思うと、大口を開けて顔を寄せてくる。あたしを食べるつもりなんだ。
「お父さん、お母さん、みんな――ごめんなさい」
頭に浮かんだのは両親や兄姉たち、家族の顔。ろくに親孝行できなかったあたしを許してほしい。
目をつむって最後の瞬間を待つ。
しかし、いつまで経っても痛みが降りかかることはなかった。
性悪な悪魔のことだから、ジワジワと末端から食べてくると思ったのだけれど、まさか一思いに殺された? ……いや、違う。すりむいた手足の痛みを未だに感じる。あたしは生きていた。
恐る恐る、閉じていたマブタを持ち上げる。
そこに広がっていた光景は、驚くべきものだった。目前にいた悪魔が、地面より迫り出した無数の土杭によって串刺しになっていたためだ。
たぶん、下級土魔法の【アーススパイク】だと思う。誰かが、あたしを襲おうとしていた悪魔を討伐してくれたんだ。
「た、助かった……」
九死に一生を得た瞬間だった。安堵したからか、思い出したかのようにドッと疲れを感じる。激しく刻む心臓の鼓動や全身を撫でる大量の汗を、今になってようやく自覚した。これが生きている証だと言わんばかりに、あたしは全身で苦痛を感じていた。
必死で息を整えていると、遠くより女性の声が聞こえてくる。
「おーい、無事ッスか?」
「ガルナ、他者の前ですよ」
「え~、緊急事態ッスし、別に良くないッスか?」
「ガルナ?」
「はいはい、分かりましたよ。口調は改めます。これでいいでしょう?」
「……良しとしましょう」
「ふぁぁぁぁぁ。ギリギリセーフ~、間に合ったはずぅ」
息が上がってしまっているせいで姿は確認できないけれど、たぶん三人の女性だ。何とも緊張感のない会話を交わしており、最後の一人に至っては盛大にアクビをしていた。命からがらだった状況とのギャップが著しすぎる。
三人はあたしの傍まで辿り着いたようで、こちらの様子を窺いながら口を開いた。
「外傷はなさそうですね」
「でも、めっちゃ息が上がってますよ。ホントにギリギリだったっぽいです」
「この子、チェーニ子爵分家令嬢ー。大手柄かも~?」
「あ、本当ですね。資料で目にしたことがありますよ」
「なるほど。魔法が使えないという話でしたから、本当に危機一髪な状況だったのでしょう」
内容からして、どこかの貴族家の使用人らしい。あたしの資料に目を通しているなんて、
十中八九、フォラナーダ仕えでしょう。あたしを助けて『大手柄』と評する家は他に存在しないもの。今のあたしは、魔法を一切扱えない出来損ないなのだから。
程なくして、あたしは落ち着きを取り戻した。まだ荒いけれど、何とか普通に行動できる程度には息が整う。
視線を上げ、命の恩人たちの顔を窺う。
やはり、フォラナーダの使用人だった。彼女たちの顔には覚えがある。たしか、フォラナーダ伯爵とそのご兄弟の傍仕えだったはず。
「あ、ああ、危ないところを、た、た、助けて、い、いただき、ああ、あり、ありがとうござざいます」
嗚呼、あたしはどうしてお礼も満足に言えないのだろうか。昔から、どうしても他人と話すのが苦手で仕方がない。純粋に感謝を告げたいのに、何故か思い通りに口が動かない。もどかしく情けない。
でも、落ち込んでいる暇はなかった。何せ、相手は命の恩人なのだから、誠意を見せなくてはいけない。
「こ、ここ、此度のお礼は、い、いいい、いずれ、か、必ず」
予想外の反応に、あたしもキョトンと呆けてしまう。
すると、三人のうちの一人が軽く手を振りながら答えた。
「別に、そこまで気にしなくていいですよ。あたしたちは『悪魔の群れを倒せ』っていう当主さまの命令を実行してるだけですから」
「ガルナの申し上げた通りです。私たちは、人命救助を最優先にするようゼクスさまに仰せつかっております。謝礼はお気持ちだけで十分でございます」
もう一人の使用人が補足して言葉を締めた。
最後の一人も同意見らしく、うんうんと小刻みに頷いている。……いや、あれは寝ているの? この状況で!?
「マロン、起きなさい」
「痛い……」
あっ、補足した方の使用人が、眠りこけていた子――マロンの頭を叩いた。えぇ、何、このコントは。
まったくもって、彼女たちには緊張感がない。先程の内容により大量の悪魔が出現していると踏んでいたんだけれど、そこまで深刻な状況でもないの?
少し不安になり、あたしは問う。
「あ、あの……」
「何でしょうか?」
「こ、ここ、こんなところで、あ、油を売っていて、い、いいんですか?」
「嗚呼」
あたしの質問に、ツッコミ役っぽい使用人は得心した風に首肯する。それから、「大丈夫ですよ、もう終わりますから」と溢した。
疑問を抱く猶予はなかった。次の瞬間には、学園中――否、王都中のあちこちから白い炎が立ち上ったために。
呆然とその光景を見つめるあたしを余所に、使用人たちは和気あいあいと語り合う。
「これ、ゼクスさまの仕業ですよね?」
「それ以外ありえない~」
「また、とてつもない魔法を生み出したのでしょう」
超常現象だというのに、彼女たちに焦りは微塵もなかった。
えぇ、これがフォラナーダ伯爵の仕業? 嘘でしょう?
あたしは混乱の境地に至っていた。頭が真っ白になりすぎて、逆にクリアに思考が回せている状態。
確信した。フォラナーダ伯の提案は受け入れた方が良い。それがあたしの人生において、最上の選択になると思う。
その後、超特急で伯爵とのアポイントメントを取り、あたしの傘下入りが決まった。
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