Interlude-Nina 冒険の始まり……?(前)

 わたくし――いや、アタシ・・・の名前はニナ・ゴシラネ・ハーネウス。一年半前までは子爵令嬢だったけど、今は見る影もない。何せ、戦利奴隷に落ちたんだから。


 何が原因でハーネウス家が襲われたのか、アタシは知らない。家のことはお父さまたちが全部やっていたし、後継者ではないアタシにそれらの情報が伝わることはなかった。なんだかピリピリした空気の日が続くと思ったら、あっという間に城を包囲されて、気がつけば牢屋に繋がれていた。無力なアタシは何も抵抗できなかった。


 それでも、心は負けを認めなかった。だって、心を折ってしまったら、その先に待っているのは絶望しかない。絶望に染まったら最後、アタシは死んだも同然になる。だから、アタシを値踏みする連中は全員睨みつけてやった。


 そんな反抗的だったアタシが何もされずに奴隷商へ売られたのは、相当運が良かったんだと思う。あとは幼すぎたというのもあるか。目の前でもてあそばれた人も大勢いたんだから。


 むしろ、奴隷商に引き渡されてからが、アタシにとって過酷な日々となった。アタシの反骨心を折ろうと、奴らは躍起になって痛めつけてきた。殴る蹴るは日常茶飯事、最悪の場合だと拷問道具まで持ち出してくる。来る日も来る日も、アタシはボロボロの雑巾にされた。


 手足の感覚が薄まり、冷たい床に体温も奪われていく。そして、いつか変態貴族にでも売られてしまうんだろうかなんて漠然とした不安だけが、過酷な日々の中で胸中にわだかまっていく。


 ところが、アタシに訪れたのは、そういった最悪な未来ではなかった。アタシを購入したのは、かなり怪しい黒髪黒目の男だった。


 シスと名乗った彼は、アタシに”奴隷”を強要するつもりはないと断言した。法律の影響で即座に解放はできないけど、そのうち自由にすると言ったんだ。加えて、一人で生きていけるようにアタシを鍛えるとも宣う始末。訳が分からない。


 意味不明なのは、それだけに収まらない。【契約】なんて不審すぎる魔法を扱うし、破格な魔道具をポンポンと取り出す。本当に何者なんだと問い質したかった。特大の地雷が潜んでいそうだから、深くは追及しないけども。


 とまれ、アタシに害を及ぼす気がないのは本気らしい。であるのなら、彼の言ったように、せいぜい利用させてもらおう。


 アタシは生き抜くんだ。この理不尽な世界から自由を取り戻して、アタシを見下してきた連中がうらやむ幸せを手に入れてやるんだ。だから、こんなところで立ち止まれやしない。








○●○●○●○●









 ちょっと待ってほしい。訓練初日から、これはハードすぎない? えっ、獣人なら平気だって? いや、アタシ、監禁生活から復帰したばかりなんだけど。その前は城に閉じこもってた箱入り娘だったんだけど。関係ないですか、そうですか……。自由になったら、一発ぶん殴ってやる。絶対だ!









○●○●○●○●









 年が明けた。


 人間とは頑丈にできているらしく、一ヶ月も経過すると理不尽な量の訓練に慣れてしまった。釈然としない。


「よし。今日から、次のステップに移行しよう」


 日課の腕立て千回をこなしたところ、シスはそんなことを言いだす。


 彼の提案はロクでもないことも多々あるので、アタシは念のために問う。


「次のステップって?」


 だが、今回は杞憂だったようだ。


 シスは肩を竦める。


「前に言っただろう、ニナには冒険者になってもらうって。今日、ギルドに登録してもらう」


「なんで急に……」


 アタシは訝しむ。


 今まで基礎能力の鍛錬しかしてこなかった。ひたすら筋トレやランニング、瞑想を繰り返し、貴族時代でも習わなかった高度な勉学を教わる毎日。心身ともに疲労困憊の日々だった。


 それらから開放されるのは嬉しいけど、こうも突然に切り出されると疑いたくもなる。今まで、泣き言一つ許されなかったから。


「言っておくけど、これまでの鍛錬は継続だぞ?」


 あっ、違った。これ、アタシの負担が増えるだけだ。ふざけんなよ、そろそろ死ぬぞ、アタシ。死なないための訓練で死ぬって、本末転倒にもほどがある。


 視線だけで殺してやるって気概で睨みつけるけど、シスは柳に風といった態度。まるで気に留めない。


「じゃあ、ギルドに行くぞ」


 拒否権はない。彼の背中を睨みながら、アタシは後を追った。







「おっ、英雄さまがやってきたぞ」


「『星』がお見えだ。お前ら、道を開けろー」


「あれが『星』か……」


「さすが、ランクAは違うな」


「ん? 後ろのガキは誰だ?」


 冒険者ギルドに入ると、アタシたち――というより、シスに様々な視線が集中した。アタシにも珍しがる目は向けられているけど、圧倒的に彼が注目されている。ギルド中のほとんどの人間がシスを見て、ざわついていた。


 悪意のあるそれ・・ではないみたいだけど……妙に落ち着かない。まるで、サーカスでお披露目される珍獣になった気分だった。


 一方、渦中の存在であるシスは、視線をモノともしていない。泰然と受付らしき場所を目指して歩いていた。何となくムカついたから蹴りを放った――チッ、避けられた。


 受付に到着する。カウンター席には女性がにこやかな笑顔を浮かべて座っていた。たぶん、受付嬢だろう。


 受付嬢は、アタシの方をチラリと覗いてから問うてくる。


「シスさん、こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」


「お察しの通りだよ。こいつの冒険者登録をしたい」


 シスが促したので、アタシはカウンターの前に出てペコリと頭を下げる。


「よろしく」


「はい。こちらこそ、よろしくお願いしますね。まずは、こちらの紙に必要事項を記入してください」


「分かった」


 受付嬢が一枚の紙とペンを渡してきた。


 一読してみたところ、記入欄こそ多いけど、必ず埋めなくてはいけない部分は少なかった。シスの「最低限で良い」というアドバイスに従って書き終える。


「ニナさんですね。この度は冒険者にご登録いただき、ありがとうございます。こちら、ニナさんのギルドカードとなります。魔力を込めていただければ、あなた専用のカードとなります。再発行にはお金がかかりますので、紛失にはご注意ください」


 受付嬢はテンプレートであろうセリフを言うと、次は手のひらサイズのカードを渡してきた。指示通りに魔力を流すと、カードは白色へと変色する。


 それを認めた彼女は、さらに言葉を続けた。


「冒険者ギルドの規則を簡単に説明いたしますが、いかがしますか?」


「いらない。大丈夫」


 アタシは即答した。


 その辺のルールは、事前にシスより教えられている。改めて聞く必要はなかった。


「分かりました。依頼は、掲示板から剥がして持ってきてください。持ち寄る際、依頼のランク制限にはお気をつけください」


「じゃあ、早速、簡単な依頼でも受注するか」


 登録作業が終了するや、シスがそう提案してきた。


 まぁ、否はない。アタシとしても、さっさと冒険者の仕事には慣れたいんだ。今までの地獄の鍛錬にプラスされるのなら、なおさら早く慣れなくてはいけない。でなければ、過労で死んでしまう。


 アタシたちは、掲示板の方へ足を向けようとした。


 ――が、思わぬところから待ったがかかった。


「おーっと、待ってくれ。少し英雄殿に話があるんだよ」

 

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