第92話 目覚め

 アルはまだ微睡の中を彷徨っていた。閉じられた瞼がゆっくりと開いていく。

 誰かが私の事を呼んだ気がしたからだ。さっきまで、アルは家族と一緒に私の誕生日パーティをしていたはずだった。

 しかし、目を開いた時、目の前には家族どころか自分の家ですらなくなっていたのだ。周りはただ真っ暗な闇に囲まれ、足は確かに地に着いている筈なのに、宙に浮いているのではないかと錯覚してしまうほど

 周りの色は統一されていた。

 ゆっくりと一歩を踏み出すとどうやら歩くことはできるようだ。アルはすぐに走り出した。

 さっきまでの幸せな時間に戻るためにアルはその闇の中を走った。


「お父さーーん!! お母さーーん!! イルーー!!」


 しかし、いくら叫んでも誰もアルの言葉に返事をしてくれる者はおらず、その闇にまるで言葉が吸い込まれているように思えるほど、声が響かなかった。

 それでもあきらめずに走り続けるアルだったが、いくら走っても周りの景色が変わっている様子はない。

 戻りたい、さっきまで確かにそこにあった幸せの時間に。


「はぁ……はぁ……そんな! 嫌だ!」


 アルの目に涙が溜まってくるが、泣くよりもアルは必死に走り続けたが、息が上がって立ち止まって下を向くと汗と共に涙がこぼれ落ちる。

 今まで、イルの為に苦しいことを姉として我慢してきた気持ちが爆発してしまう。我慢していた気持ちにあの幸せの心地よさを味わってしまったことでアルはもう家族の事で頭がいっぱいになっていた。

 アルはその場にしゃがみ込んで、膝を抱えて涙を流し続ける。


「お母さん、お父さん……イル」


 その時だった、悲しんでいるイルの近くで聞き慣れた声が聞こえてくる。


「アルちゃん!」

「アル!」


 顔を上げるとどんなに走っても見つけることができなかった父のマーカードと母のメリンダが2人並んでアルへ微笑んでいた。


「お母さん! お父さん!」


 アルが立ち上がり、2人の元へ向かおうと思ったその時、アルの耳にずっと近くで聞いていた声が入ってくる。


「お姉ちゃん! 行っちゃ駄目!」


 アルは走ろうとした足を止める。


「この声は……イル?」


「お姉ちゃ……聞いて! こ……夢なの! 今、フール……頑張って戦っ……るの。……でフールを助けなきゃ!」


 アルは途切れ途切れに耳に入ってくるイルの声を聞いて、身体が震える。目の前には今まで求め続けた実の父と母が居るのだ。

 しかし、私たちの事を守ってくれた仲間のみんなを裏切ることなどできない。そんな2つの思いがせめぎ合って、アルの頭の中がぐちゃぐちゃに混ざり合い、混乱する。

 アルの中でもしかすると、この耳に入ってくるイルの方が偽物なのではないかという疑問も感じてくるようになっていた。


「でも……私の前にはお父さんとお母さんが……イ、イルだってお母さんとお父さんに会いたいんでしょ! ほら! 強がってないで出てきなさいよ! そんな嘘ついてないでさ!」


「お姉ちゃん……」


「きっとこっちが本当の事で、あっちの事は私たちの悪夢だったんだよ!! これで……私たちはいつもの生活に……」


 イルの言葉が徐々に鮮明になっていく。


「お姉ちゃん、忘れちゃったの? 私たちはフールさんに沢山助けてもらって……みんなにも支えられて……その人達を裏切るの!? そんなのパパもママも望まないよ!」


「イル……でも」


「確かに……パパとママを見つけることが私たちの目的……だけど、助けてくれた人たちに私たちは何もしないなんて、そんなの勝手だよ!」


「イル……」


「目を覚ましてよ! お姉ちゃんの……馬鹿ぁああああああ!!」


 そうだ、私はただ目の前にある幸せを……もう苦しみたくないという弱さに負けて、気持ちを目の前の幻想にゆだねようとしたんだ。

 支えてくれた人たちの事を忘れて。私に何ができるのか分からない。けれど、支えてくれた人たちを裏切ったらきっとお母さんやお父さんを助け出しても叱られてしまうだろう。

 私はもう一度、正面を向く。相変わらずにこやかに微笑む2人がいる。私はグッと涙を堪えて、歯を食いしばると後ろを向いて走り出す。


(お父さん! お母さん! ごめんなさい!)


 さっきまで求めていたものから遠ざかる事がどれほど辛い事か。しかし、アルはまた一歩、心が成長したのだ。

 目を閉じて一心不乱に走る。一瞬だけ目を開けた時、遠くから眩い光が差し込んでくるのが見える。そしてその光から一緒に現れた1人の少女の影が見えた。


「……て、……起きて……おねえ……ちゃん」


「イル……! イルゥウウウウウウーーーー!!!!」


 アルはその影に手を伸ばす。アルはその影が伸ばす手に触れると共にその光に包まれた。


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