第122話 現実
それからどうなったのか、よく憶えていない。シーカーが色々と語っていた気はするが……何だったか。
気がついた時には天井を仰いでいた。無機質な天井だ。モノトーンな白色。白は冷たい色。一方で黒は…………。
「……起きねェと」
カラカラの自分の声をきっかけに、シヅキは硬い床の上に上体を起こす。全身に鈍い痛みが走るのはバケモノになってからも変わりない。痛覚が変わらないのに、無駄にタフになってしまったのだから困りものだ。
それからすぐに、シヅキは自身の右腕…基いバケモノの由来へと指を這わせた。
フッと笑みを浮かべる。
「すまんなヒソラ。寝てる間ずっと下敷きにしてたな」
真っ黒に染まった、剣未満の無骨なナニカ。洗練という言葉の対極に位置する武器紛いのソレとは、外見こそ見苦しいものではあったが、シヅキにとってこの世界で2番目に大事なものであった。
故にシヅキは丁寧に、丁寧に撫でる。
「ありがとよ……お前の存在はデケェよ。それこそ、俺はまだ認めきっていないからさ。 ……いや、分かってる。精神的な話だって。お前の身体は確かに消えちまったんだ」
ポツポツと呟いた自身の言葉に、そういえばここに来てからまだやれていなかったことを思い出した。
「墓……まだ行けてねェ」
心の塔のすぐ傍に、規則性のある石の連なりがあったことを覚えている。初めてこの土地を訪れた時に、シヅキは身勝手に彼らと小さな約束を交わしたのだった。
サユキ、アサギ、ヒソラ、エイガ、コクヨさん。あとはリーフ。
「行かねぇと。行かねェとな」
シヅキはゆっくりとその場に立ち上がった。クラクラと視界が歪み、足元が覚束ない。やはり身体はダルい。それでも動けるのは、タフだからか。
そして、間も無くして彼の視界にその光景が写った。彼は思わず眼を逸らしてしまいたい衝動に駆られたが、そう出来なかったのは何故だろう。彼にもよく分からなかった。
ベッドへと横たわる彼女。規則正しく寝息を立てる彼女は……彼女は。
シヅキは笑った。
「なぁトウカ。嘘だよな? あいつさ、俺たちを弄んでるんだよ。こんなところに閉じこもってるからよ、頭がおかしくなっちまったんだ。個の崩壊? 何言ってるんだろな。トウカはトウカだよ。何が蝕むだ。何が個の崩壊だ。何が……何を言ってるのだろうか」
震える自身の手を伸ばす。そして、だらんと力の篭もっていない華奢な手を取った。シヅキはそれにゆっくりと指を絡める。あまりにも色白なトウカの手とは、あまりにも冷たかった。
………………。
「……俺たちの身体と心の境界は曖昧だ。心の蝕みが眠りや体温へ影響を及ぼしていると考えるのが合理的だ」
そんなことは分かっていた。シヅキは分かっていた。シーカーが嘘を吐いていないことも、ソレが提示した資料に記載された情報が事実であることも。
シヅキはそのような現実を、分かっていたのだ。 ……ただ、それと認めることとは、決して同義では無かった。
硬く、硬く握りこぶしをつくる。
「……よりによって、なんでお前なんだよ。よりによってよ、なんで病気なんだよ」
個の増長と共に促進される不治の病、個の崩壊。存在するホロウを消すために、人間が細工した最終手段。それはこの世界の誰もが手に負えないモノであることを、シヅキは容易に察することができてしまった。 ……誰もが、だ。監視者でさえも。或いはバケモノにさえも。
己の無力感をこんなにも感じたのは初めてだった。
「クソがよ…………」
腫れぼったその眼を静かに閉じる。
………………
………………
………………?
「……………あ?」
その違和感に気がついたのはしばらく経った後だった。僅かに伝わってくるその感覚は、震え。細かに足先から全身へと巡る。
やがて音が鳴り始めた。腹の底を執拗に鳴らす鈍く低い音。それは同時に訪れの予感に相違なかった。
そしてそれは的中する。
ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
「……っ!」
大きな震えと音に、シヅキはその場にしゃがみ込み、ベッドにしがみ付いた。歯を食いしばり、その細い眼で部屋を見る。本棚からはパラパラと本が落ちていた。
「いつまで続くんだ!?」
怒鳴るように叫んだシヅキ。その声に呼応をするように、次第に揺れと音は収まっていく。間もなくして揺れは完全に収まりきった。
ドクドクと激しくなる心臓を掴みつつ、シヅキはその場に立ち上がった。まだ揺れていると錯覚しているのか、小刻みに震える足元に舌打ちをする。
改めて辺りを見渡した。震えの被害らしい被害と言えば本棚から落ちきった本と、乱雑に転がった椅子くらいだろうか。トウカが無事なことは揺れの最中にも確認をしていた。 ……彼女はあの揺れの中でも眼を覚ますことはなかった。
乱れきったシーツを整え、彼女の姿勢を直したところでシヅキは扉の方を睨むように見た。
「……一度、シーカーに会わねェと」
まさか奴の仕業だとは思わない。でもナニカを知っていてもおかしくないのではないか? と。
案外、簡単にドアノブへ手をかけることが出来た。相変わらずトウカの事で頭も心もいっぱいいっぱいではあったが、先程の揺れがきっかけに多少はメリハリを付けられたのかもしれない。
………………。
「…………いや」
すぐに頭を振った。どちらかと言えば、これは現実逃避の類いだ。
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