第103話 一触即発
涙が枯れても泣き続けたソヨ。彼女の昂った気持ちが落ち着いたのはしばらく後になってからだった。
ようやく泣き止んだソヨの丸まった背中に、シヅキは優しい口調にて声をかける。
「もういいか?」
「……うん。ありがとうシヅキ」
「お前も……アレだ。取り繕うの上手かったんだな。ここまで取り乱すとは知らなかった」
「もっと背中撫でてよ」
座り込んだシヅキの胸にその顔を埋めているソヨ。弱々しく発せられたその要望にシヅキは溜息にて返したのだった。今だに
「俺がヒソラを
「うるさい。黙って言うこと聞きなさい」
「あぁ。その図々しいところは前と変わんね――だから痛いって」
「ばぁか。 ――わたしはもう平気だから、シヅキはトウカちゃんの処に行ってあげて」
「……トウカは、眠っているのか?」
「いいえ。魔素の回収にって、少し出掛けているわよ」
「そんなことをして、今さらどうするつもりなんだよ」
「トウカちゃんなりのケジメじゃないかしら」
「……そう、か」
ケジメ。その言葉が妙に耳に残る。抽出型のトウカにとっては、魔素を回収することがソレに該当するのだろうか? んなことやったって、自身が犯した罪は無くならないだろうに。
そこまで思考を巡らせたところで、脳裏をある一単語が過ぎった。それはシヅキの
「墓か。そういうのがあるんだな」
「シヅキ? ぶつぶつとどうしたのよ?」
「いや何でもねェ。分かった、俺行くよ」
何はともあれ、今はトウカに会いたい。トウカの傍に居たいと思える。先ずはこの気持ちを大事にしたい。
※※※※※
棺の滝の荒れ果てた岩肌の地面を進み、ベースキャンプ跡地を抜ける。間もなくして辿り着いたのは、コクヨとの戦闘跡地であった。
――そこに白銀の影を見つけた。
「……トウカ」
自身の身長より僅かに背の低い錫杖を胸前に差し出すトウカ。その表情は、なんとも言えない憂いを帯びていた。
間もなくして音色が響く。
シャン、シャン、シャン、シャン
錫杖の鈴が鳴る。眩しい音が。音に眩しいなんて変だけれども、きっとアレにはトウカの心が反映されているのだ。
いつもと変わらない抽出の行為。それでもいつもと違って見えてしまうのは、シヅキが変わったからなのだろうか? 肉体的にも、精神的にも。シヅキは悪い意味で大きく変わった自覚があった。
…………。
(いや、俺自身のことは今どうでもいいだろ。それより早くトウカに――)
――その時、複数の“眼”を感知した。
「――っ!?」
ガギィィィィン
激しく鳴り響く金属音。その音源の一端とはシヅキの右腕であった。鈍色の
誰だ、と思考を飛ばすより前に背後へ気配を感じた。そうだ、眼とは複数なのだ。
「寄越せ!!!」
誰に向けたものでもない叫びが響く。瞬間、シヅキの左手には大盾が構えられた。魔素を急速に回した身体にて、左手一本でソレを操る。間もなくして2度目の金属音が響いた。
「なんだよそれ……!」
目の前で鍔迫り合いをする男のホロウが小さく困惑を上げた。自身の右腕に伝わってくる感触……もう少し負荷をかけさえすれば、押し勝てる確信があった。それと同時に、浄化型2体を優に相手できる自身の力量ぶりを自覚する。
――ならば、やらない手はないだろう。
シヅキは背後を守る大盾を向こう側に蹴りつけ、手放した。目の端に映る背後のホロウが、勢いよく倒れる大盾に一瞬間だけたじろいだことを確認する。それだけで十分だった。
重心を前傾へと寄越す。更に右腕へと力を込めた。ソレを急速でやったものだから、鍔迫り合うホロウの武装が呆気なく弾き飛んでしまった。度肝を抜かれた表情と
シヅキは自身が前へと倒れてゆくスピードに任せ、その懐がに回し蹴りを叩き込んだ。
「ガッ……!」
肺から漏れ出た鋭い息を吐き出しながらホロウは横方向へと吹っ飛んでゆく。
間髪を入れず、シヅキは背後を振り返った。
「く、くそっ! バケモノめ!」
怒りと困惑と絶望。それらに塗れた槍武装のホロウが渾身の突きを繰り出してくる。その矛先とはシヅキの首元だ。一切の躊躇がない。
そこまで思考を巡らせたところで槍先がシヅキの顔元を掠めた。翻した身を一回転させながら、槍武装のホロウへと肉薄し、その腕を左手で掴み取った。グッと真正面へと押し込んで、肩を外す。
「……躊躇いなく
今度は左手を真下へとグッと引っ張った。岩肌の乾いた音と身体が軋む鈍い音にて、槍武装のホロウは地面へと叩きつけられた。そのままピクリとも動かなくなってしまった。
…………。
「これで……終わりか」
「あら。圧倒的ね」
油断をしていたつもりはない。だがそのホロウの気配には一切気が付かなかった。身体がいっぺんに熱くなる感覚……声の方向へと振り向く。
「……トウカから離れろ」
トウカのすぐ隣には、紫の長い髪をした女のホロウが一体。メガネの奥にある眼光からは何を考えているのか察しがつかない。
「
「離れねェんだな」
魔素を急速に回し、接近する。
感覚としては、自身が光にでも化けたものだった。その間にて右腕を低く構え、ソイツの足を狙う。
――そうやって、自身の腕を通す直前。
「シヅキ、ダメだよ」
トウカの声がかかった。反射的に襲われたものとは、身体を縛る感覚……抗いようのないソレに、シヅキはほぼ無意識的に身を任せる。
ズザザザザザ
振るう筈だった腕を地面へと突き立て、自身の勢いを
「……トウカ。こいつは」
「うん。大丈夫、だよ? シヅキ。この方は、リンドウさん」
「リンドウ? それってソヨに
「その“リンドウさん”ってこと、ね。初めまして」
紫の長い髪をした女ホロウ、改めリンドウは自身の横髪を指で掻きあげつつシヅキの隣に座り込んだのだった。
「ごめんなさいね。少しだけその腕を借りるわね」
「え?」
シヅキが何かを言う前に、リンドウは異形と化したシヅキの右腕を優しく握る。そのまま彼女の眼前へと持ち上げると…………ソッと口付けをしたのだった。
「……久しぶりね、ヒソラ」
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