第74話 導き手

 

 シヅキは震える声で尋ねた。


「ヒソラはどこに……」

「ああ。チコが軽い魔素中毒症状を引き起こした。奴はその治療にあたっている最中だ」

「魔素……中毒症状…………」


 シヅキにはソレに聞き覚えがあった。確か、過去にトウカが同族ホロウころす方法として使ったものだ。


 反射的にその顔がトウカへと向いた。 ……彼女は思い詰めたような表情をしているが、その心意はシヅキには分からなかった。


 コクヨは淡々と語る。


「存在に別状は無いらしい。チコについてはヒソラに任せて問題無いだろう。 ……むしろワタシはお前のことが心配なのだよ、シヅキ」


 そう言い終えると同時に、彼女はその痩せぎすの腕をぐゎんと伸ばした。気がついた時にはシヅキの腕はがっしりと掴まれており、すぐ横にはコクヨの顔があったのだった。


「ああ。まだ魔素の過剰使用における影響が出ているな。可哀想なことに痙攣を続けているようだ。すまなかったな」

「い、いえ……」

「なに。安静にしておけばすぐに治るだろう。我々は人ではない。ホロウだ。身体が欠けようが、抉れようが。存在を続ける限りは元へと戻る」


 淡々とそのように述べたコクヨは、シヅキが言葉を発する以前に、クツクツと喉の奥で嗤った。


「いかんな。お前と言葉を交わすと、随分と達者になってしまう。良くないなこれは」

「……コクヨさん」


 シヅキは上手く噛み合わない歯を強引に噛み合わせた後、か細く、どこまでも頼りない声でこう尋ねた。


「明日、は。明日も俺は……ベースキャンプに……」

「当然だろう。お前はノイズの渦を越えられない。かと言ってお前1体をワタシの独断でオドへ還すことも出来ない」

「それは……その……コクヨさんも……」

「ああそういうことか」


 何かに納得したように呟いたコクヨ。彼女が有す虚ろの眼は、手合わせをしていた時と同じモノに見えてならなかった。つまりは、全てを見透かしたようだいうことだ。


 コクヨは自身に指を差し、このように言った。


「今日と同じだ。ワタシが残ろうではないか。 ……なに。もう手合わせは無しだ。実のところヒソラからこっ酷く言われてな」

「――っ!」


 シヅキは自身の胸元へ伸びそうになった手を押さえ込んだ。 ……痛い。胸の痛みが強くなった。それはまるで毒を飲まされたようにゆっくりと、しかし確実に身体を蝕んでゆくようで。今すぐにでもこの場から逃げ出したい感覚に襲われたのだった。


 シヅキの頬を、再び冷たい汗が伝った。


「どうしたシヅキ? 随分と呼吸が荒いではないか」

「い、いえ……俺は別に、平常……です」

「まさかソレで平常とは言えまい。そうだな、まるでナニカを恐れているようだ」

「――っ!」

「コクヨ……さん!」


 その時、拙い声とともに、視界いっぱいに白の華奢な腕が広がった。思わず見上げたシヅキ。彼の頭上には白銀の髪が揺れていた。


「トウカ……」


 シヅキとコクヨを遮る形でそこに立ったトウカ。彼女はその琥珀の瞳でコクヨを捉えつつ、言葉を重ねた。


「シヅキが、苦しんでいる……から。もう止めてください」

「嫌がっている? ああ、ワタシはどこが苦しいか訊こうと……」

「“コクヨさんを”、です」

「おい……トウカ!」


 シヅキ はトウカを制止しようと手を伸ばそうとした。しかしトウカはその手を絡めるように掴み取ると、ただぎゅっと握りしめたのだった。


 そしてシヅキの方へ振り返ったトウカ。彼女は口角を上げ、優しげに微笑みつつこう言った。


「大丈夫だよ。私が居る、から」

「……お前……」

「信じて。今だけでも、いい」


 それだけを言い残し、トウカは再びコクヨへと向き直した。一回りも体格が大きなコクヨに臆することなく、トウカは述べる。


「シヅキとコクヨさんが、どんなことをお話したのか、詮索するつもりは……ありません。きっと、シヅキが思い出しちゃう、から」

「ほう。それで? トウカ、お前は何が言いたいのだ?」

「単純な話、です。シヅキはもう……孤独にはさせない。私が傍に、居ます」

「それは出来ないな」


 バッサリ、と。トウカの言葉を切り捨てたコクヨはその虚ろな眼でトウカを見下ろした。


「今日の調査で“結界”の破壊に向けて随分と進展をしたそうではないか。聞けば、抽出型がかなめとなったというが」

「……ヒソラ先生が言うには、“結界”を形作る魔素構造は幾層にも束ねられていて、だから堅固だそう、です。でも層が薄い部分から、魔素を取り除くことで、“結界”は一気に崩壊するだろう……と」

「まさに抽出型おまえたちの仕事だな」

「……ええ。ですか、ら」


 小さく頷くとともにそう呟いたトウカ。何を思ったのか彼女は、握りしめていたシヅキの手を、コクヨに向けて掲げてみせたのだ。


「トウカ……なにを」


 困惑の声しか出ないシヅキ。トウカが何を考えているのか、まるで見当が付かなかった。ただ彼女から伝わってくるのは、その小さな手の体温だけだった。


 そんなシヅキの問いに答えるようにして、トウカは小さく息を吸い、このように言ったのだった。



「シヅキを、“結界”の前まで導きます。それなら、文句は、無いですよね?」



 ――拙く、頼りなく、眩しげな言葉だとシヅキは思った。

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