第72話 ソヨとリンドウ③


「解読型はね……魔素からある要素を抽出することが少し得意なだけなのよ」


 そう言ったリンドウは、空となったマグをひっくり返した。やがてマグの内側を伝い落ちてくる一滴の雫。それを人差し指で受け止めた彼女はペロリと舐めとってみせた。


「魔素の中にはあらゆる要素が込められているわ。それはホロウの記録きおくだったり、言葉だったり、心だったりね。そういったものを触れて理解するのが解読型の本質よ。 ……ここまではいい?」

「は、はぁ」


 ソヨは明らかに困惑気味に返事をしたものだが、リンドウはそれでも満足気に頷いたのだった。


「ただ魔素が含む全ての要素を見られる訳ではないの。例えば、さっき私はあなたから“レイン”に関する記録を読みとったわ。でもね? あなたが普段どんな業務をしていて、普段どのような交友を保っているのかなんてことはきっと読み取れないわね」

「そう、なんですか」

「詳しいお話は省くけれど、魔素内のの問題ね。つまり、あなたがある事柄を意識をすればするほどに、魔素内に含まれる事柄の濃度は濃くなるのよ。解読型はそんな濃くなった要素しか感知出来ないって話、ね」

「……わたしがレインのことを意識したからこそ、リンドウ先生はわたしが持っているレインの記録きおくを感知が出来たということですか?」

「そういうことね。 ――はい、これで講義はおしまい。少しは解読型について分かったかしら?」


 リンドウの問いかけに対し、ソヨはかねてからの疑問をおそるおそるに尋ねたのだった。


「……何故、その話を雑務型わたしなんかに?」

「どういうことかしら?」

「解読型の能力の話なんて一端いっぱしのホロウの耳には及ばない秘匿事項じゃないですか。なのに……リンドウ先生はそれを……」

「ふふ、そういうことね。 ――簡単な話よ。あなたが知る必要があると思ったからね」

「わ、わたしが……?」


 ソヨには全く意味が分からなかった。自身が解読型の能力について知る必要性……その心当たりなんて何一つ無かったものだから。


「いずれ分かるわよ。きっと近いうちに……ね」


 そう言ってゆっくりと眼を閉じたリンドウの表情は酷く寂しげなものだったが、すぐに眼を開いてしまったのだった。


「さて。本題にお話を戻すわね。“トウカ”というホロウが辺境区にやってくる直前、魔人にころされたホロウ……レインについて」


 リンドウは再びレインの写真をテーブルの真ん中に差し出した。


「同様に、トウカも中央区からやって来たのよね。近い時期に2体のホロウがこんな辺境の地に、ね。あなたはこのことを偶然だと思うかしら?」

「……」

「何か意図があると思うわよねぇ。トウカが辺境区にやってくる手続きは本来、レインが行おうとしていたのだもの。それに事前に中央区から送られてきていた“トウカ”というホロウのプロフィール……随分と杜撰ずさんなものだったらしいじゃない。船着場まで迎えに行ったホロウはトウカを捜すのに苦労したのじゃないかしら?」


 ソヨが思い出したのは、シヅキに中央区から来るホロウの迎えを頼んだ時のことだった。プロフィールを簡単にまとめた用紙をシヅキに手渡した時、彼は随分と眉間に皺を寄せていたことを覚えている。


 当然、そんなことを目の前のホロウリンドウ先生が知る由はない。ソヨは息を呑み、問いかけようとした。


「リンドウ先生は一体、どこまで知って――」

「極めつけは……」


 ソヨの言葉を遮って、リンドウはその妖艶な声色でこのように言い放った。


虚ノ黎明からのれいめい。ホロウをころすことで有名な犯罪集団。まさかトウカもレインもソレを追い求めていたなんて、ね」


 瞬間、ソヨに悪寒が走ったことは言うまでも無い。彼女が最も恐れていたワードがリンドウの口からは飛び出したのだから。


「あら、あなた大丈夫? 随分と顔色が悪いけれど」

「…………ご存知だったのですね」

「私なりに調べられることは徹底的に調べ上げたわ。ヒソラと協力をしてね」

「……トウカを捕らえるためにですか」

「え?」

「リンドウさん!」


 ソヨは応接室の机をバンと叩くと、彼女は勢いよく立ち上がった。


 そしてこのように捲し立てたのだ。


「確かにトウカちゃんの素性には怪しい部分が大きく見えます。それでも……わたしがトウカちゃんのことを誰にも広めずに居続けていたのは、とてもじゃないけれど、危害を加えるホロウには見えなかったからです。何度も言葉を交わす内に信じられるホロウだと思えたからです!」


 脳裏に浮かんだトウカの表情はどこか頼りない笑顔だった。


 その光景を一切振り払おうとせずに、ソヨは素早くテーブルを回り込むとリンドウの肩を強く掴んだのだ。


「お願いですリンドウ先生……どうかトウカちゃんのことを見逃してくれませんか……? わたしにとってシヅキとトウカちゃんは……大切な…………大切な友達なんです!」


 荒く、熱の籠もった呼吸。緊張のせいで身体中が火照ってならなかった。それでも思考は回り続ける。次に思い出したのはトウカが放った言葉だった。



『た、退院したら私……シヅキと一緒に、港町に行きたいです。トウカさん、良かったらその、色々とアドバイスが欲しいんです……けど』



 ベッドの上で照れ臭そうに溢したトウカの言葉を聞き、ソヨは嬉しくてならなかったのだ。帰還が絶望的だと思われていた“絶望”との対峙……救助があったとはいえ、彼らは無事に還ってきた。その事実だけでも胸がいっぱいだった。しかもトウカは、そんな恐ろしい過去に苛まれることをなく、楽しい未来を見つけていたのだ……彼女の姿を見るだけで、ソヨの心は確かに暖かくなった。


 だからこそソヨは彼らのために、自分に出来ることを精一杯にやったのだ。かつて異性の人間同士で交わされた“デート”と呼ばれる交流……過去の文献を引っ張り出し、それについて学び、トウカにはふさわしい身なりや作法を教えた。満面の笑みで「ありがとう、ございます!」と言ったトウカの表情を忘れたことは一度たりとも無い。


 トウカというホロウについて全てを理解しているなんて言えない。しかしながら、少なくともソヨの眼に映るトウカというホロウは彼女にとって“宝物”に相違ないのだ。


「お願い……します」


 震える手でリンドウの襟元を掴む。彼女はそれを振り解こうとしなかった。ソヨだって離そうとはしなかった。


「……あなたはとても思いやりのあるホロウなのね、ソヨ」


 襟を掴み暫く経った時、随分と穏やかな声色でリンドウはそう言ったのだった。そして、ソヨの手に自身の手を重ねた。


「ソヨは一つ誤解をしているわ。 ……いいえ、私の伝え方が悪かったのかしら? だとすれば謝らないといけないわね」

「……え?」

「わたしもリンドウも素性の怪しいホロウをさらけ出すために身辺調査を行った訳じゃないってことよ。私たちの目的はもっと別のところにあるのだから」

「ほんと、ですか……?」

「誓うわよ。我らが崇拝せし人間にでも、ね」


 冗談めかしに言ったリンドウの表情は随分と柔和なものだった。それを見上げたソヨは一気に脱力をした。ストン、とその場に崩れ落ちたのだ。


「ソヨは“善”なのね」


 応接室の小さな空間で、リンドウはそう呟いたのだった。



 ――それから少しだけ時間が流れた。やっとソヨの嗚咽が治まり、元々居た彼女の席に戻ったところで、改めてリンドウはこのように切り出した。


「随分と遠回りになってしまったわね。でも、価値のある道を歩いたとは思うわね」

「……お恥ずかしい限りです」


 少し前の自身の必死加減を思い出しながら、ソヨはその身体をひたすらに縮こまらせていた。リンドウは口元に手を当ててひとしきりに笑った後に、話を始めた。


「わたしとヒソラが影で探り回っていたのはね、“ある者”に関する情報を掻き集めるためよ。正確に言えば、仮説が真実だと立証するためかしら?」

「ある者、ですか? それは一体……」


 当然のソヨの問いかけに対し、リンドウは自身の唇に手を添えたのだった。


「それは秘密……と言う予定だったのだけれどね。やっぱり提供することにするわ。ソヨ……あなたが望むのなら、ね」


 リンドウの真っ直ぐな視線を受け、ソヨは一瞬だけひるんだが、やはり縦に頷いたのだった。その姿を見たリンドウは、唇に添えていた人差し指をソヨの前に差し出した。


「ただし一つだけ条件ね。私とヒソラに協力をしてほしいのよ。レインが書いていた“遺書”……それを私に提供しなさい」

「ある者のことを知るために、ですよね?」

「ええ」


 ソヨはリンドウに倣うように、自身の人差し指を立てたのだった。


「なら……ならわたしからも一つだけ質問があります。 ――その御方のことを調べ上げて、リンドウ先生とヒソラ先生は何をなされるおつもりなのですか?」


 ソヨにとってそれは当然の疑問だった。誰のことを調べようとしているのかは分からない。だが、そのホロウを知るためにはレインやトウカが深く関わっているのだという。そこの関係性があまりにも不透明なのだ。


「……そうね。なら、私たちが“ある者”について調べるメリットを一つ挙げようかしら」


 たっぷりと時間をかけた後にそのように言ったリンドウ。重苦しく、口を開き、重苦しく、こう言ったのだった。


 その紫の眼差しがソヨを貫く。



「“結界”の調査に向かった調査団……きっと、このままだと皆んなころされるわよ。その事実を変えられるとしたら?」


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