第70話 対コクヨ

 シヅキは風となった。風と一体化した。


 魔素の塊であるホロウの身体は、魔素を自由に操作できる。シヅキはこれを応用して、己の肉体を保つ魔素を操作し、融かし、“風”へと変貌を遂げたのだ。風となることで、シヅキは斬撃を受けつけず、代わりに鋭利な鎌鼬かまいたちを御見舞いしたのだった。


 ……なんてことが出来たのならば、少しは勝ち目を見出せたかもしれない。


「ぐガァ――!」


 肉体を変貌させることにも限度がある。腕の1本を変質させるだけならまだしも、身体を風に融かすような芸当が出来る訳がなかった。つまるところ今までの言葉は全て、シヅキの空虚的な願望に過ぎなかった。


 幾度目かの泥上を転がった後、シヅキは大鎌を支えにヨロヨロと立ち上がった。


 揺らぐ視界にて前方を睨む。


「どうした? まだやれるだろう」


 こちらへと刀を差し向けるホロウが1体。肩の躍動はなし。虚な眼は恒常。無論、外傷なんて見られない。


 そんな受け入れ難い現実を目の前に、シヅキは奥歯を噛み締めた。


「…………クソがよ」


 そして、口内の土塊とともに吐き捨てたのだった。自身の不甲斐なさには強い苛立ちを憶える。ここまで手も足も出ないものだろうか? 認めたくはないがそうらしい。


「っ――!」


 鋭く息を吐き、幾度目かの跳躍をした。どこからどう見ても無防備に見える眼前のホロウは、無防備に見えるからこそ余計にタチが悪かった。彼女が何処どこに意識を集中しているのかが分からないからだ。


 正面に3回、左から4回、右から2回、背中から4回。どの方向から鎌を振り下ろしてもシヅキは返り討ちに遭った。今度は何処から切り込もうか? そんな思考の以前に身体は勝手に動いてしまう。


 残り数歩でコクヨと肉薄する距離にて、シヅキは右脚に力を込めた。次の瞬間に身体は左へと飛ぶ。視界の端で彼女の黒髪が靡いた。


「フッ――!」


 走る最中で、シヅキは大鎌の柄を長く持ち直した。間も無くして遠心力と共にソレを真横へと一気に放った。


ガギィン


 刹那、甲高い金属音が棺の滝の朽ちた空気を強く揺らした。ジリジリと交わされる刀と大鎌の鍔迫り合い。シヅキは負けまいと立つ地面を強く踏みしめた。


「なるほどな。自身の身体をその場に置き、鎌の刃先だけでワタシを捉えようとしたか。攻撃のタイミングをズラす意では有効だろうな」


 コクヨの吐く言葉は、こちらの思惑を全て見透かしたものだった。見透かしていたからこそ、彼女は難なく変則的な鎌の動きに対応をしてみせたのだろうか?


「だが、それでは刃を捉えられた後が不利となる。ただでさえお前の有す腕力はワタシよりも下なのだ。刃先のみでワタシの刀を弾ける筈がない」


 鍔迫り合いの最中に何故、流暢に言葉を羅列する余裕があるのだろうか? コクヨはシヅキへとそのように言い放った後、刀を真横へと振り払った。


 必然的にシヅキの身体は大きく背中へと仰け反った。どうにか上体を元に戻そうと、シヅキは体位の修正を試みたがそれ以前に大きな衝撃が腹を襲ったのだった。


 ドス、と鈍い音が体内を響く。


 身体が地面スレスレを飛行し、すぐに落ち、転がり、鋭利な痛みが横腹を襲った。滲む視界には振り上げた脚を降すコクヨの姿が映っている。


「左から斬り込むことが多いのは、ワタシが右眼に眼帯を身につけているからだろう。だが考えてみろ? ワタシが警戒をしない筈がなかろう」


 口内に土塊が入り込んだ。鬱陶しいソレを唾と共に吐き出した。鎌を支えにヨロヨロと立ち上がる。


「ハァ…………ハァ…………」

「息が荒いな。だが、動けるだろう?」


 再び刀をこちらへと向けたコクヨ。シヅキを突き飛ばすたびにその動作を行うのは、彼女の中で一種のルーチンワークとなっているからかもしれない。


「んなことは……どうでも……いいか…………」


 小刻みに震える手で鎌を握りしめた。再びコクヨのことを睨み見た。この日何度目かの虚の眼が、やはりシヅキの視線を貫いたのだった。


 口元を歪ませて、彼女は言う。


「もっと狡猾に、意地汚く、不意を突き、何がなんでもワタシを捉えるのだな。正攻法で勝てるとは思うまい。 ……ワタシに、見透かされるな」

「――っ!」


 コクヨの言葉が皮切りとなった訳ではなかった。それでもシヅキはコクヨがその言葉を言い放つと同時に駆け出したのだ。


 大きくブレる視界の中、シヅキは今回、思考へと集中の矛先を向けた。


(体内の魔素を循環……跳躍……叩く!)


 ノイズにより蝕まれた身体に魔素を回す。すると、ズキッと節が軋む感覚に襲われた。 ……それでも構わない。構いやしない。不意がつけるのだ。まさか負傷した身体に魔素を回すとは思わないだろう。不意をつく……それは彼の常套手段だった。不意をつき叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く………………


 徹底的に汚く、狡猾にヤル。鎌の柄を長く持ったシヅキはソレをコクヨへとぶち当てなかった。代わりに、地面に突き刺した彼の身体は瞬間に宙を舞った。


 狡猾を“慣性”へと預けたのだ。


 大鎌を軸とし、その身体を真っ逆さまにひっくり返したシヅキ。大鎌を手放したシヅキの武装とは、その身一つであった。つまり最大限にスピードを乗せた蹴りである。以前に大柄の魔人の頭蓋をひしゃいだ蹴りだ。これをコクヨへとぶち当てる。叩くのだ。叩いて……コクヨを叩いて…………………



 ……コクヨを……叩いて?



「ああそうだ。ころしてみろ、ワタシをな」



 徹底的な破壊力を持った蹴りは放たれた。そう、しっかりと叩いてみせたのだ。


「はァ、はァ、はァ………ぁぁあああぁぁぁ!」



 棺の滝の、冷たい地面を。



 瞬間、横腹に衝撃が加えられる。シヅキの身体はボールのように簡単に転がった。再び泥の上を二転三転して、彼の身体は土塊にまみれた。


「シヅキ、お前はお前が思っている以上に頭が回る。どうすれば期待に応えられるのかを考え、それを現実に反映させる力を有している。だがな――」


 朦朧とする意識に掛けられたコクヨの声。その言葉はくぐもって聴こえている筈なのに、すんなりと身体へと入ってきた。


「あァ………ガ……!」


 襟元を掴まれたシヅキの身体が簡単に持ち上げられた。そのまま身体は宙ぶらりんに浮いたのだ。


 コクヨは淡々とした口調で続ける。


「だがお前には“信念”がない。同族を消してでも叶えたいモノが無い。だからお前は躊躇った。ワタシを叩くことを躊躇ったのだ」

「そ……れ…………は! あ、あんたを……傷つける……道理が………あ゛あ゛あ゛」

「ワタシを傷つける道理が無いからか? 違うな。仮にワタシが本気でお前をころそうとしたところで、お前はワタシを傷つけまい」


 コクヨは喉の奥でクツクツと笑った。そして片方の手を自身の胸に置いてみせたのだ。


 狂気を孕んだ声で彼女は語る。


「調査団のメンバーを選出したのは他でもないワタシだ。信念があるホロウを選んだのだよ。誰かを、ナニカを犠牲にしてでも叶えたいモノを有している……そんなホロウをな。だがシヅキ、お前だけは例外だ」

「な……………ぜ……………」

「なぜ? あぁ、ソレはな」


 胸元に手を添えていたコクヨは、その手をシヅキの頬へと伸ばした。まるで壊れやすいモノを扱うように、慎重に、慎重に、慎重に…………彼の頬を撫でつける。


 そしてこのように囁いたのだった。



「お前はワタシのお気に入りだからだよ。それ以上でも以下でもない。自身の存在に価値を見いだせない空虚なオマエのことを……実に“ホロウ”らしきホロウであるお前のことを気に入っているのだよ。ワタシはな」



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