第66話 結界と温もり

 

 結界から十数メートルほど離れた場所に立つ。視界には磨りガラス越しのような景色と、こちらへと眼を向けるホロウ達が見えた。


 その中にはヒソラやトウカの表情もある。柔らかだが底が見えないヒソラの表情は相変わらずで、トウカはこちらに心配そうな顔を向けていた。


(トウカのやつ、平気そうだな……)


 トウカの表情からは昨日にソウマから首を締められた時のことや、先ほどの渦状のノイズの悪影響は見られなかった。 ……本当にノイズの影響をまともに受けたのは自分だけらしい。


「準備が出来たら好きなようにやれ。全力で結界を叩いてみろ」


 腕組みをしながらこちらへと指示を飛ばすコクヨ。本来は彼女が結界へと攻撃をする筈だったのに、何故シヅキへと変更をしたのだろうか? もちろん、そんな疑問はあったが考えることは後回しにした。今は結界の破壊に集中すべきだろう。


(来い)


 心の中で静かに呟いたシヅキ。イメージしたは何人を刈りとるためのモノ……無骨と漆黒以外に特徴の無い、つまらない大鎌だ。


 間も無くして、ソレは右手にへばりつくように納まった。ザラザラとした柄の部分を指の腹で撫でる。 ……いつも通りだ。ノイズにより疲弊した身体から造形した大鎌だったが、これなら問題なくヤレる。


 声を張り叫ぶように言った。


「行きます」


 身体を前傾させる。柄を長く持ち、遠心力を得られるようにする。腰をねじり、大鎌を背負うように保つ。浅く長く息を吐いた。身体を緩める。 ……これで準備は完了だ。


 次に威力をブーストさせる。自身の中の魔素……“体内魔素”の操作だ。体内に漠然と感じ取れる魔素の流れを速める。心臓から胴へ。分岐し、頭へ、腕へ、脚へ。身体が熱を帯びる。痛いほどに。


 魔素の流れを速めたせいで、身体が擦りきれる感覚に襲われた。それでも構わなかった。近くに医者ヒソラが居るからではない。コクヨが全力でやれと言ったからだ。


 全ての準備が終わったあとに、シヅキはその三白眼を静かに閉じ、すぐに開いた。



 疾駆する。



 景色が迫る。迫る。迫る。まるで躍動をしているようだが、変化しているのは自分自身だ。気がついた時には十分にとっていた助走距離が半分以下となっていた。その時になって初めて、シヅキは大鎌を背負っていた両腕を、肘の関節を軸に動かしたのだった。


 視界全面に広がった磨りガラス越しのごとき景色……ノイズの渦の元凶、“結界”。シヅキは己が最大の攻撃に遠心力を加えたものを、遠慮なしにぶち当てた。


 叫ぶ。


「らァァァ!!!」


 ガァァァァァァン


 結界に大鎌を突き立てると、そんなけたたましい音が鳴り響いた。


 その音は、魔人を刈り取った時のものとは程遠いモノだった。オドと外界を繋ぐ昇降機……ソレを叩いたら同じような音が鳴るかもしれない。


 そして感じる強い反発力。来るもの全てを拒むように、シヅキを全力で遠ざけようとするエネルギーを感じたのだ。シヅキはソレに抗うことは出来ない。


(吹っ飛ばされる……!)



 そう思った瞬間だった。



「ドゥ」



 そんな耳に残る声が耳を掠めたのだ。


「……え」


 次の思考は空中だった。物の見事に宙を舞っていたのだから驚きだ。視界から超高速で結界とホロウが遠ざかっていく。そこには残像だけの世界が広がっていた。


(マズイ……受け身……!)


 その二単語だけが言語化されたが、やはりシヅキに抗う術は無かった。最後には存分に付いたスピードがシヅキの身体を無慈悲に地面へと叩きつけ――


「……ぐぁ!?」


 られると思ったが、そうはならなかったのだから驚きだ。背後を襲ったのは硬く冷たい地面の感触ではなく、柔らかく暖かいナニカだった。その正体に思考を飛ばす以前に、次に聞こえてきたのはズザザザと地面を擦る音だ。目まぐるしい状況の変化に脳の処理が追いつかない。


「え……あ……?」


 困惑の声を漏らすシヅキ。痛みと呼べる痛みは無かった。一体何が起こったのだろうか? ソレを考える以前に耳元へと声が投げかけられた。


「予想よりも大きく飛んだな。怪我は無いか?」

「コクヨ……さん? あの、これは……」

「状況が分からんか?」

「いや…………」


 耳元で囁かれたコクヨの声は妙にくすぐったくて、すぐにでもやめて欲しかったが、指摘するところはもっと別にあった。


 シヅキは震える声で呟く。


「……あの、俺って今抱きかかえられてるの……か?」

「お前がそう思うなら、そうなのではないか?」


 いや、答えを教えろよ。という声は寸のところで飲み込んだ。


 完全に宙ぶらりんとなった身体と、後ろから密着されている温かな感触。いわゆる“お姫様抱っこ”の姿勢となっていることをようやく理解したシヅキは、すぐに地面へと脚を降ろそうとした。しかし、ガッシリと太腿を持たれているせいで自力だと上手くいかない。


「コ、コクヨさん……俺もう平気だから……」


 シヅキらしからぬ弱々しい声で頭上のコクヨへと呼びかけたが、彼女の視線はもうシヅキへと向いていなかった。


 コクヨがその声を張り上げる。


「このように、結界には物理的に強い衝撃を与えても侵入を拒まれてしまう。故に今調査団では異なるアプローチにて結界を破壊したい」

「あの……話を……」

「とはいえ、物理的手段が通用しない可能性は捨てきれない。何か案があるものは遠慮をなく言って欲しいと思っている」

「聞いて……」

「ワタシからは以上だ。最後に、得体の知れぬ結界に自らの全力を叩きつけたシヅキへ賞賛を送れ」

「……………」


 間もなくしてパチパチと乾いた拍手が鳴ったのだった。



「地獄だ……」


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